1-3章 プラスマイナスゼロ
「今日から俺の教員生活がスタートだぜ!」
四月一日。新たな門出を迎える日は見事な快晴だった。
俺は実家のある川越から『スーパーミラクル所沢学園』に向かっていた。このイカれた名前の学校で俺は教鞭を取ることになる。
バーで知り合ったおじさん、松郷さんが経営している小中高の一貫校だ。
松郷さんというコネクションを得たおかげで、特に試験などを受けることもなく意思確認の面接のみで見事に採用という運びになった。
面接は都内の貸会議室で行われ、基本的には松郷さんと雑談をしているだけだった。
結局世の中コネですよ! コネ! 縁故採用バンザイ!
……でも、一つだけ気になったのは松郷さんのしつこいくらいの念押しだよな。
「小手指くん。本当にうちの教員になってくれるんだよね? ちゃんと渡した募集要項とか学校紹介のパンフレットには目を通してくれたかな?」
「はい(もちろん読んでない)!」
「それならよかった……。でも本当にいいんだね? 私が言うのは何だけど決して楽な仕事ではないし、小手指くんにとっては辛いことも少なくはないと思うけど……」
「問題ありません(このまま就活を続けるよりはマシ)!」
「————うん、分かりました! 小手指くんのその熱意を信じるよ! これから同じ職場で働くことになる仲間として改めてよろしく!」
俺は松郷さんとかたいかたい握手を交わした。
松郷さんが心から嬉しそうな顔をしていたの記憶に新しいな。きっと、俺という優秀な人材の獲得に喜びを隠せなかったに違いない。
対する俺もめちゃくちゃ笑顔でした。
これで就活が終わった! ヒャッホー! 今日からギャンブル三昧だぜ! ヒャッハー!! 内心はそんな感じ。
それからはもう狂ったようにギャンブルをしたよね。
色々あって船の中でジャンケンをしたり、鉄骨を渡ったり、くじ引き勝負をしたり、目が回るような金額を賭けてギャンブルをしました。そのせいで一時は地下施設で強制労働をしたりしましたが、結果としてプラスマイナスゼロです。やっぱり俺の豪運は凄まじい。
そんなこんなで、これから勤める学校のことを少しも知らないままです。
もしかして、松郷さんが念押ししていたのは、多少ブラックなところがあったりするからなのでしょうか……。その辺の口コミなどは一切確認してません。
「ま、大丈夫! 何とかなるでしょ!」
ありがたいことに教員寮の用意があるみたいなので、明日からはその教員寮から学園に通うことになる。
家賃無料かつ職場は目の前。最高の環境だ。すでに荷物は発送済み。
もうここまで来たら引き返せないし、引き返すつもりも毛頭ない。
多少ブラックでも、環境の良さを考慮すればそれこそプラスマイナスゼロだろう。
「次は入曽〜入曽〜です」
お、あと二駅くらいで目的地に着きそうだな。
電車は徐々にスピードを緩めていき、アナウンスされていた駅に到着する。
「うーん、それにしても全く人が乗っていないな。通勤ラッシュの時間なのにどんだけ過疎ってるんだ、所沢という街は」
時刻は平日朝七時。本来であれば、関東圏の路線はどこも寿司詰め状態のはず。
もしかして今日は実は日曜日だった……みたいなオチ?
不安になってスマホの画面を確認するが、四月一日火曜日と表示されている。
「ま、路線を間違えてるわけでもないし、たまたま人が少ないだけか!」
俺は安心して目を閉じた。ギリギリまで眠っていたのだ。昨日はさすがの俺もソワソワして眠れなかったからな。少しでも体力を回復しないと。
「お客さん、お客さん」
「……ん、あれ、はい?」
目を閉じた矢先、車掌さんから突然声をかけられた。
「ここからは特別行政区ですよ。このまま乗られるのであれば許可証を提示してください」
「へ? 許可証ですか?」
「お客さん寝ぼけてます? 今、所沢に入るには許可証がないとダメなんですよ。ここから先は異世界人たちの暮らす街なんですから、関係者以外は立ち入れませんよ」
「あ、そういえば……所沢ってそうでしたね。そっか、これから勤める学校って特別行政区の中にあるのかー。これまた酔狂な発想だなー、松郷さん」
スーパーミラクル『所沢』学園なわけだから、所沢に位置していないとおかしいわけで、しかも所沢は今や特別行政区になってるじゃないか。
今更ながらそんな初歩的なことに気が付くという。『スーパーミラクル』などというダサすぎる校名に気を取られて気が付かなかった。
「それで許可証はあるんですか? ないならここで降りてもらうことになりますが」
「あれ、そんなの貰ってないけどな。で、でも自分この先の学校に勤めるんですよ?」
「勤め先が特別行政区内なら、国にきちんと証明書を送付すれば許可証は発行されるはずですよ。とにかく、ダイヤが乱れてしまうので一度降りてもらえますか」
半ば強制的に電車から降ろされる。そしてそのまま列車は出発してしまった。それから駅の事務室にて、駅員さんから懇切丁寧に状況を解説してもらう。
分かったことは五つ。
・許可証を発行するには担当省庁に申請をする必要がある
・職場が特別行政区内にあるのなら事前に証明書が送られているはず
・俺は許可証がないため所沢には立ち入れない
・つまり俺は初日から遅刻どころか欠勤になる可能性がある
・人生オワタ
「————松郷さん助けてください!!」
すぐさま松郷さんの電話番号宛に電話をかけた。
「小手指くん! 事前に証明書とか必要書類は送付したよね!?」
「すみません……完全に忘れていました」
「もう学生じゃないなんだから、そういうのはしっかりしないと」
「はい、もう本当におっしゃる通りです。すみません」
俺は松郷さんの車に揺られながら目的地まで向かっていた。
その車内で当然のように松郷さんからお叱りを受ける。
「とりあえず今はゲスト扱いになってるから、改めて許可証の手続きお願いね」
特別行政区を出入りするためには許可証が不可欠である。駅員さんから教えてもらったことを松郷さんからも再度説明された。
許可証を持っている人間であれば、ゲスト権限を付与することができるらしい。
その権限があれば、一時的に行政区内の出入りが可能となるとのことだ。今はこのゲスト権限で、特別行政区内に立ち入ることを許されている状況である。
「けど、すぐに連絡くれてよかったよ。確認不足だったのは良くないけど、その後の対応は良かった。あのまま右往左往して連絡が遅れていたら私も対応できなかったからね。これからも報告・連絡・相談はしっかりしていこう。期待してるからね」
「はいっ……! 頑張りますっ……!」
不覚にも目頭が熱くなる。怒った後の励まし方がもう完璧すぎて……。本当に松郷さんは教育関係者なんだな、と遅ればせながら認識した。
俺もこの人のような指導者になって生徒たちを導こう。
よし、スタートダッシュには失敗したけど頑張って挽回していくぞ!
「お、見えてきた見えてきた。あれが今日から小手指くんの職場になる所だよ」
学校と言えば古臭いイメージがあるが、視界の先にあったのは現代的な建造物。
竣工から間もないことが伺える真っ白なコンクリートの壁。柱と柱の間が大きく開けており、ゆとりがあって風通しの良さそうな構造。
大きな窓ガラスが所々に散りばめられており、明るくクリーンな印象がある。
さすが私立校といったところか。俺が通っていた公立高校とはわけが違う。
「めちゃくちゃ綺麗ですね! 最近、校舎の建て直しをしたんですか?」
「違う違う、ほらパンフレットにも書いてあったでしょ? うちは設立されてからまだ四年しか経っていない新しい学校だからね」
「……そ、そうでしたね!」
やばい、事前情報を確認してなかったことが裏目に出ているぞ。
それにしても四年……ってなると、それこそ特別行政区が誕生してから設立されたってことだよな。
……あれ、ここの生徒さんはどこから通っているのだろうか。今日の俺みたいに、電車でわざわざ特別行政区まで通学している……ってことなのか。
「この後の段取りだけど、まずは遅刻してしまった理由の説明と謝罪を学園長にしてもらう。それから、全職員の前で自己紹介をしてもらうって想定で」
「あ、松郷さんが理事長と学園長を兼任されているんじゃないですか? 面接の場でも松郷さんしかいなかったのてっきり……」
「それについてもパンフレットに書いてあったと思うけど……本当に目を通してる? 学園長は私の妻が務めているんだよ」
「あぁ! そ、そうですね! そんなことも書いてあったような気が!」
仏の松郷さんも、俺のあまりの無知さ加減に疑いの目を向けていた。
ちくしょう、せめて前日くらいは軽く目を通しておけば良かった。そもそも、自分が勤める学校のことを何も知らないって、やばくないですか(今更)!?
「その、なんだ。夫の私から見ても妻は厳格で規律に厳しい人だから、多少……いや、それなりには、お叱りを受けることになると思うから覚悟はしておいてね。私からもできる限りはフォローするけど」
「は、はひ……そこは自分の責任なので……きちんと謝罪します」
松郷さんの奥さん……どんな人だろう。
イメージは、ぽっちゃりでメガネで化粧が濃くて何かと嫌味ったらしいクソババ……おクソババア(言い直した意味)って感じだが。
しかし、今回ばかりは仕方ないな。今後は学園長とは仕事の面で上手くやっていかないといけないだろうし、ここは誠心誠意心を込めた謝罪をさせていただこう。
「うん、話せば分かってくれる人だからそこは安心して」
松郷さんの車は、学校の敷地内に入り駐車場と思われる場所で停車した。
それから松郷さんに続く形で職員玄関から校舎に入り、一旦荷物を来賓室に置いてから、学園長室に向かう。
「じゃあ、まずは私が簡単に取り継ぐからよろしくね」
「しょ、承知いたしました……」
松郷さんが学園長室の扉をノックする。
はい、と中から返答があった。それはハープの音色のように安らかな声。しわがれた老婆のような声が返ってくると思っていたので驚いた(超失礼)。
何というか、あまりにも若すぎるというか。
だって松郷さんの奥さんってことは、老婆とまではいかなくとも、それなりにお年も召していると思うのだけれども……。
「セフィー。新任の小手指くんが到着したよ」
「せ、セフィー?」
え、松郷さんの奥さんって外国人なの!?
俺の中にある奥さんのイメージがどんどん霧散していく……。
「あー、『あの』小手指守ね。どうぞ」
明らかに『あの』を強調しているあたり、色々と含みがあるのが分かる。
しかも呼び捨て。最初の安らかな声と違って、明らかに怒気を隠しきれていない声音。
逃げられるなら逃げてしまいたい、この状況。
「さ、小手指くん」
「はい…………失礼しまーす」
松郷さんに促されたので、意を決して学園長室の扉を開けた。
「あなたが新しい社会科の先生……小手指守ね。はじめまして」
————————扉を開けた先には金髪碧眼のロリっ子がいた。
それも人形みたいな可愛さで、怖いくらい整った容姿をしている。
「……松郷さん。この幼女は誰ですか? 松郷さんの孫ですか?」
なんか学園長室に偉そうに座っているけど、どう見ても小学生にしか見えない。まさか、この子が松郷さんの奥さんである学園長の訳があるまい。
ちょっとしたいたずら心で、学園長室に居座っているのだろう。
「こ、こ、小手指くん!?」
なぜか狼狽している松郷さん。どうしたんだろう。
「よ、幼女……?」
幼女も幼女でなぜかプルプルと震えている。……もしかしておしっこかな?
やれやれ、仕方ない。俺は優しいお兄さんモードで応じることにする。
「ほらほらお嬢ちゃん、そこは学園長の席だよ。どかないとメッでしょ?」
「…………」
俺は幼女の頭をよしよしと撫で回す。
これを醜男がやってしまうと犯罪の匂いがするが、俺のようなイケメンであれば幼女の頭を撫でても爽やかさがある。
それにしてもこの子さっきから黙ってどうしたのかな……?
俺のあまりのカッコ良さに言葉を失っているのかな? ふふふ、照れ屋さんめ♪
……あれ、というかよく見るとこの子の耳ってやけに尖っているというか。なんか昔ゲームで見た、なんだっけ……なんか森に住んでる種族みたいな……。
「小手指くん! ほ、本当にパンフレットには目を通したんだよね!? その人が私の妻のセフィレム! 松郷セフィレムその人なんだけど!?」
「まっさかー! 松郷さんも冗談とか言うんですね! 自分まだ松郷さんと関わって日は浅いですが、松郷さんが小学生に手を出すような変態だと思ってませんよ。本当に信頼できる大人……だと思ってるので、冗談でもそんなこと信じられないっすよ」
「いやね、小手指くん! 君が私を信用してくれているのは本当に嬉しいんだけどね!? これは冗談でも何でもなく紛れもない事実なんだよ!」
松郷さんのあまりの剣幕に、いよいよ考えたくなかった可能性に足を踏み入れる。
「え、松郷さんってロリコンなんですか……? いや、でも法律で女性が結婚できるのは一五歳から……もしかして、その子は若く見えるけど一五歳とかそういうことですか!?」
「あー何から説明すればいいか! でも一つだけ分かったよ……小手指くん! 君は間違いなく学校紹介のパンフレットを読んでいないね!?」
え、なんでバレたんだ!? ここまでは何とか隠し通せていたのに!?
俺の言動に明らかに不自然なところがあったとか? いやでも、俺は目の前の事実をそのまま口にしているだけで……。
「……初日から遅刻。……私を幼女やら小学生呼ばわり。……挙句の果てには夫の久をロリコン扱い。おい、クソガキ! 舐めるのもいい加減にしろ! こっちはお前を雇用している立場なんだぞ、分をわきまえろ!!」
「ひえ!?」
ずっと黙っていた幼女が烈火の如く怒り出した。
何だ、この迫力。とても小学生や中学生の女の子が出せるような圧ではない。
「ほらほらセフィー、ダメだろ。そういう乱暴な言葉を使っちゃ。君の綺麗な声でそんな汚い言葉を聞きたくないな」
「だってー、久ぃ。私のことはよくても、久のことを悪く言われるのは許せなくてー」
俺が幼女の言葉の圧で何も言えずにいると、松郷さんと幼女がイチャイチャし出した。
カフェオレにスティックシュガーを四本入れたような甘ったるさ。見ているこっちが胸焼けしそうだ。
「ほらほら、人前ではしっかりするって約束だろ?」
「えーだってー、新学期の準備で忙しくて、久が全然構ってくれないんだもん」
恰幅のいいおじさんと金髪の幼女が乳繰り合っている……。これ出すところに出せば、松郷さんの立場も危うくなるんじゃ……。それぐらい背徳的な光景というか……。
さて、このまま見ているわけにもいかないので……。
「あ、あのー」
「キリッ!!」
「ひえええええええ!?」
私と久(松郷さん)のイチャイチャを邪魔しないで、と言わんばかりに幼女から睨まれる。そうなるともう、俺は蛇に睨まれたカエルのように大人しくなるしかない。
「ほらほら、セフィー威嚇しない。小手指くんにも悪気はなかったと思うんだ。たぶん、小手指くんは何一つ把握していないと私は理解したよ。この学園の特殊なところであり、何よりも重大なポイントを」
「じゅ、重大なポイントですか……?」
一体何のことだろう。
特別行政区に学校があること? それとも学園長が実は幼女だってこと?
「だからあれほど、募集要項とパンフレットは見たのか確認したのに……。気がつくのがもう少し早ければ採用の取り消しもできたんだけどね。けど、ここまできたら小手指くんにはうちで働いてもらうしかない。————————この学園はね、普通の人間ではなく、異世界人のために設立された学校なんだよ」
「い、異世界人のために!?」
「……その反応ということは、やはり何も把握してないってことだよね。そう、この学園に通っているのは異世界の多種多様な種族。この世界の住人とは違ったルールで生きてきた子たちだ。ここにいるセフィーだって、こんなに若々しい見た目をしているが年齢は三○○歳。小手指くんもゲームか何かで、エルフは長生きするって聞いたことはないかい?」
そ、そうだ……! あの長い耳! 思い出せなかったけどそうだ、昔やったゲームに登場したエルフそのものじゃないか!
テレビ番組の異世界人特集などで目にしたことはあったが、こうして生で異世界人を見たのは初めてだった。それにしても————————
「さ、三○○歳!? ババア……いやロリババア!?」
「小手指くん……君の怖いもの見たさには畏敬の念すら覚えるよ……」
「————————風よ、吹き荒れろ」
「グフぇ!?」
ロリっ子……もとい学園長が何かを呟いた瞬間。俺は部屋の壁に叩きつけられていた。
何だこれ!? いきなり見えない力に吹き飛ばされたというか……つか背中が痛い。
「セフィー!? 学園での魔法使用は原則禁止なの知ってるよね!?」
「学園では私がルールなのよ。このガキなんて無礼なのかしら……この私を年寄り扱いして。人間で言えばまだ三〇歳くらいなのに……」
「年齢なんて関係ない。君はいつまで経っても綺麗だよ」
「久……」
また二人がイチャつこうとしていたので————————
「ちょ、ストップ! 異世界人? エルフ? 魔法? どういうことですか!?」
「……ゴホン。そうだね、もう小手指くんにはここで働いてもらうしかないし、改めてしっかりと事情を説明するよ」
それからスーパーミラクル所沢学園の実態について、松郷さんに説明をしてもらった。
生徒全員が異世界人(もしくは元からこちらの世界にいた異形)であること。
その特異性のためか、教師の人数が全然足りてないこと。
そういった事情もあり、俺にはいきなり高等部の三年生を担当してほしいこと。
最後に松郷さんに頭を下げられ、今から人員確保は難しいので、少なくとも今年度いっぱいは退職しないでほしいとお願いをされた。当然、恩人の頼みを無碍にする訳にもいかず、俺はここで働かざるを得なくなったのだ。
その後、セフィレム学園長からキツイお説教を受け、同僚たちに白い目で見られながら挨拶をし、膨大な事務作業に押しつぶされ、そして今に至る。