カリストロ第二王子
「はぁ……」
ポラリスはうんざりした顔で、礼拝堂の窓を拭いていた。
窓の外からは暖かな日差しが差し込み、爽やかな青空が広がっているというのに。
「どうした、ポラリス。ため息をついては幸せが逃げていってしまうぞ?」
ニヤニヤと不快な表情と、ねっとり絡みつくような声音に捉えられて、再度ため息をつく。
「ため息なんかでわたしの幸せは逃げていきません。どうぞ、お気になさらず」
相手に目もくれずに手を動かす。これ以上話すことはないと、暗に示しているのにどうして伝わらないのだろう。
「ははは、面白いことを言うな。なぁ、今度二人で出かけないか? 今日だっていいぞ。外はいい天気だ」
この男は馬鹿なのだろうか。三度目のため息が出てしまう。
「ですから、わたしは自由に外に出ることは叶わないと再三申し上げておりますよね?」
「ふん、ジェイダンが決めたことなど第二王子の鶴の一声でどうとでもなる」
「なりません。これは王命でもございますから。そうでなければ、わたしはとっくに神殿を抜け出して街へ繰り出しております。そうしないのは王家の定めごとに逆らわないためです」
あなたもその王家の人間でしょうに。そんなことも知らないのですか。
「まったく。嫌なら嫌とハッキリ言えばいいものを。王命などと見えすいた嘘をつくなんてな。まあ、そんな素直じゃないところも俺は気に入っているのだが」
この男――ユートリア王国の第二王子、カリストロ・ユートリアは、どういうわけか毎日のように神殿に顔を出してはポラリスに構う。品位のかけらもない男であるが、王族であることに間違いはないため、ポラリスも拒絶しきれない。そのことを分かっているのかいないのか。やんわり誘いを躱すポラリスに挫けることなく執拗に関わってくる。
早く帰ってくれないかしら。
げんなりしながら窓拭きに集中しようと腕に力を込める。まだ何やら語っているが、聞く耳を持ってはいけない。目の前の窓ガラスにだけ集中しよう。
キュッキュと小気味よい音を鳴らしながら窓拭きに専念していると、パタタッと跳ねるような足音がした。
「カリストロ殿下ぁ」
「ん? おお、エルダか」
きゅるんと大きな瞳を潤ませながら、カリストロに擦り寄っているのは、ジェイダンの娘のエルダである。
鮮やかなピンクブロンドの髪に、ルビーのように赤い瞳。わざとなの? と思うようなややサイズの小さい法衣を身につけているため、女性らしい柔らかな身体のラインが強調されている。
ジェイダンに引き取られたポラリスにとって、一つ歳下のエルダは義妹とも言える。姉妹のような交流は皆無なのだけれど。
うっとりと熱っぽい視線をカリストロに注ぎながら、恥ずかしそうに瞳を伏せる素振りをして、じとりとポラリスに刺すような視線を投げかけてくる。エルダはカリストロに好意を寄せているらしい。だからこそ、カリストロに気に入られているポラリスを目の敵にしている。
いや、そんなに睨まれましても。
毎日絡まれて迷惑極まりないから助けて欲しいぐらいなのだけど。
「ねぇ、殿下。義姉様と話していてもつまらないでしょう? わたしの部屋でお茶でもいかがですか? 珍しい茶葉が手に入ったのですよ」
「ほう、それはぜひ飲んでみたいな……」
思わせぶりな返事をし、チラリとポラリスに視線を投げてくるカリストロ。
好きにしたらいいじゃない。別にやきもちなんて妬く理由もないし。ほんと、色恋沙汰に巻き込むのはやめて欲しいわ。
何も聞こえていませんと言うように、ポラリスはただひたすらに窓を拭く。窓ガラスはすでにピカピカに磨き上がっている。
「……ふん、いいだろう。エルダの入れる茶か。楽しみだ」
「嬉しいです! ささ、こちらですぅ」
カリストロはエルダに腕を引かれながらも、礼拝堂を出るまでに何度も振り返ってポラリスを見ていた。ポラリスはその視線を感じつつも、厄介な第二王子には一度も顔を向けなかった。
「本当に、毎日飽きずによくいらっしゃること。そんな暇があったら政治の勉強をなさい」
三人いる王子の中で、最も手が焼けることで有名な第二王子。武芸に秀でており、率先して国境警備にも出向く勇猛な第一王子に、非力ながらも利発で柔軟な頭を持つ第三王子。優秀な王子たちに挟まれたカリストロは、飽き性でサボり癖があり、何事も長続きしない。早々に王位継承戦からも脱落し、国王陛下もそんなカリストロを自由にさせている。
はぁ、と何度目か分からないため息をついて、(あ、幸せが逃げるんだっけ)と先刻カリストロに言われた言葉を思い出す。
ポラリスは少し考えた後、すぅっと、吐きだした幸せとやらを取り戻すように、深く息を吸ってみた。うん、やっぱり何も変わらないじゃない。