ポラリスと星見
ポラリスには特別な力が宿っている。
祖国で『星見』と呼ばれるその力は、未来を垣間見る力である。
霞掛かった脳裏に、光が弾けるように未来の映像が浮かぶのだ。
しかし、自在に未来を見ることは叶わず、大きな異変や、回避すべき悲劇を、天啓のように授かるのである。
ポラリスは、『星見』を星々の導きであると考えてきた。
「まただわ……」
夜空がよく見える祭壇の前で、祈りを捧げていたポラリスは人知れずため息をついた。
月光が差し込む天窓を仰ぎ、目を閉じる。
ここ数年、よく脳裏に浮かぶ映像。
ユートリア王国の国軍が、他国の軍の奇襲に遭う映像。
国軍が、国境付近で交戦する映像。
映像からは音声を拾うことができないが、野太い雄叫びが聞こえてくるような、そんな血生臭い映像ばかりが頭に流れ込んでくる。
周辺諸国との国交に何か不穏な動きがあるのだろうか。こうした映像を見るたびに心がざわめき立つ。
「はぁ、とにかく星見の結果を伝えなくちゃ」
ポラリスは伝聞用の紙を取り出し、『南南西、不穏。注意されたし』と綴る。
紙をくるくる丸めて紐で縛ると、ポラリスは部屋を出て図書館へと向かう。
「ロッソ」
「やあ、ポラリス。今日は見たんだね?」
図書館の最奥、大きな窓に面した席に尋ね人はいた。
ロッソ・ロッタ。
ポラリスの同僚であり、神殿に従事する神官の一人である。ちなみにポラリスも肩書きとしては神官となる。
ロッソはいつも穏やかな笑顔を携える丸眼鏡が特徴的な好青年である。
ポラリスのよき話し相手でもあり、外出時にいつも同伴してくれるのも彼だ。少し長めの茶髪を無造作に後頭部で束ね、瞳も髪と同じ茶色をしている。ポラリスが信頼する数少ない人物のうちの一人である。
「ええ、これを。いつも遅い時間に悪いわね」
「仕事だからね。気にしないで」
星見結果を記した紙をロッソに手渡すと、彼は慣れた手つきで法衣の内ポケットに紙をしまった。
がたんと椅子を鳴らして立ち上がったロッソと並んで図書館を後にする。
「今日は読んでいかないの?」
「ええ。ここの本は全部読んでしまったし、もう少し歴史やここ数年の記録なんかが読めるといいのだけれど」
世間話がてら、ささやかな要望を伝えてみる。
神殿の図書館は神官長に厳しく校閲されて保管を許された本しか蔵書されていない。暴力的な内容や、神仏信仰の妨げになる内容は徹底的に排除されている。
街の図書館には多種多様な本が納められているが、ポラリスがその場所を利用することは許されていない。
「うーん、そうだね。神官長様にそろそろ新しい本を増やせないか相談してみるよ」
ロッソは困ったように眉を下げつつも、ポラリスの望みを受け止めてくれる。頼りなさそうに見えるが、仕事はきっちりとこなすし、性根の優しい青年だと感じている。
「ありがとう。嬉しいわ」
「それにしても、ポラリスの星占いはよく当たるよね。今度僕のことも占ってみてよ」
ロッソの言葉に、今度はポラリスが眉を下げる。
「ごめんなさい。占う内容はわたしには決められないのよ。星の並びで占っているから、お告げみたいなものなのよ。それにわたしに分かるのは方角の吉凶だけよ」
「ああ、そうだったね。警戒すべき方角が分かるだけでも国軍は助かっているようだよ。先週だって、ポラリスが気をつけるように注意していた方角に、隣国の間者が潜んでいたというし、国王様もいつもポラリスの星見を褒めておられる。この国が平和でいられるのは君のおかげと言っても過言じゃないさ。おっと、じゃあ僕はこっちだから。おやすみ、ポラリス」
「ええ、おやすみなさい。ロッソ」
世間話をしながら廊下を歩いていると、分かれ道に差し掛かった。
挨拶を交わし、ロッソは右へ、ポラリスは左へと曲がる。ポラリスはこのまま自室に戻って就寝準備に入るが、ロッソは星見結果を王宮まで届けてくれる。
自室に戻ったポラリスは、寝衣に着替えるとベッドに仰向けに寝転がった。
「ごめんなさい、ロッソ。本当のことは言えないのよ」
ポラリスは腕で目を覆いながら、囁くように呟いた。
ポラリスの星見について知る人物は、ロッソと神官長、そして王家の人間に限られている。
それでも、本当の力のことは秘匿している。彼らはポラリスの星見を『星占い』だと理解している。物事の吉凶を示す方角を読み、王家に伝える。その多くは軍部に連携され、軍事演習や国境の見回り時に警戒すべき方角として現場の軍にも伝えられる。
「今でさえ、この調子だものね。本当は未来に起こる出来事そのものの映像を見ているだなんて知られたら……間違いなく幽閉されて死ぬまで力を搾取されてしまうわ」
ポラリスはため息をついて身体を起こすと、窓の外の星空に視線を流す。
星々は淡く瞬いていて、まるでポラリスを元気付けているかのようにも見える。
「大丈夫よ。この力のことは死ぬまで秘密にし続けるわ。だってベテルギウス大叔父様との約束だものね」
ポラリスの育ての親である大叔父、ベテルギウスは五年前に病でこの世を去った。
今はポラリスの両親と共に、天高くからポラリスを見守っていることだろう。
まるで「そうだ」と返事をするように、一際明るい一等星がチカリと瞬いた。
冬の夜空を彩る勇猛な狩人を形作る星の一つ。大叔父と同じ名前の星を見上げて、ポラリスはフッと笑みを漏らす。
生前、ベテルギウスはポラリスに生きる術をたくさん教えてくれた。おかげでこうして一人でも強く生きていられる。
神殿に居場所を作ってくれたのもベテルギウスだ。だからこそ、ポラリスは神殿でのお役目に真摯に取り組んでいる。たとえ行動を制限されようとも、監視するかのように常に誰かを側に置かれようとも、ポラリスは耐えてきた。
「色んな国を転々としていた時は、楽しかったわよね。生活は安定していなかったけれど」
美しい景色に胸を打たれ、その土地ならではの食材に舌鼓を打ち、一期一会の出会いもたくさんあった。
「ま、今は神殿から出るのも大変だけど。平和に生きていられるのだから、多くは望めないわ」
ポラリスの星見がこの国の平和に繋がっている。そのことがポラリスを気丈に保たせてくれている。
この国の兵が他国の兵の奇襲に遭い、国民の命が脅かされる映像を初めて見た時は、激しく動揺した。
すぐに誰かに伝えなければ! と部屋を飛び出そうとして、ドアノブを握る手を止めた。
未来を垣間見ることができるなんて、そんな戯言誰が信じるというのか。
それに、ポラリスが祖国を離れて以来最も口うるさく教え込まれてきたことが、『星見については誰にも言わない』ことであった。
だからこそ、ポラリスは悩んだ。
ポラリスが星見の結果を伝えなければ、星見通りの未来が訪れてしまう。少なからず民や兵の血が流れるだろう。回避できうる悲劇を知りながらも、黙っていることはできない。
そう決意したポラリスは、身元請負人でもあるジェイダン・クリュトフに、星の並びを読むことで、忌むべき方角が分かるのだと訴えた。
始めはとりつく島もなかったが、日頃静かに神殿の仕事に励むポラリスの必死な形相に、最後にはポラリスの進言を受け入れてくれた。恐らくこの時は半信半疑であったろう。
だが、それはすぐに確信に変わる。
ポラリスはその後も不定期にではあるが、争いの火種を映像に見た。そしてポラリスが告げた方角には、いつも敵兵が潜んでいた。
そうして、何度も軍事危機を防いだ事実は、ポラリスの特別な力を認めさせるものだった。
ただ一つ、誤算だったのは、ジェイダンがポラリスの思う以上に野心家であったこと。
彼は、当時ただの神官であったが、ポラリスの星見による功績によって瞬く間に神官長の座を手に入れた。
ポラリスに労う言葉をかけつつも、毎日のように「今日は何か見えたか?」と尋ねてくるようになった。
確固たる地位を手に入れたにも関わらず、彼は何を望むのだろうか。
権力を手にしたからこそ、ますます欲深くなっているようにも見える。
あるいは、彼の権力の地盤を支える星見に取り憑かれているのだろうか。
ジェイダンは、ポラリスの能力を高く評価した。それゆえ、ポラリスは彼によって厳重に管理され、秘匿されることになった。ポラリスはジェイダンが王家と深い繋がりを持つために必要な存在だからである。
行動が制限されるようになったポラリスであるが、ジェイダンから、
「この国は争いを厭う。国民を守るために兵は国境警備にいとまがない。そんな国民のために危険を顧みずに戦う兵士たちを守っているのが、ポラリス、君なんだ。君のおかげでこの国の未来は明るい」
と言われ、それならば……と国の危機に繋がりかねない未来を見たときは、ジェイダンに伝えるようにしている。
そのうち、伝令役及び監視役としてロッソを付けられた。穏やかな優男であるロッソは、ポラリスのよき理解者でもあったため、ポラリスも信頼して星見の結果を言伝るようになった。
それにしても、どうしてこれほどまでに敵国に狙われているのか。
ポラリスは疑問に感じていたが、この国、ユートリア王国は大陸でも有数の大国である。かつて侵略を繰り返して領土を拡大してきた歴史があるため、吸収された土地の者や、敗戦国の恨みを買っていてもおかしくはない。
「さて、と。考えても答えの出ないことに時間を費やすのは不毛だわ。明日も朝から祈祷があるし、早く寝なくちゃ」
ポラリスは、うーん、と伸びをすると、カーテンを閉めるべく窓際に歩み寄った。
「おやすみなさい」
就寝の挨拶が星空に溶けていく。カーテンを閉める間際、星々はチカチカと柔らかな瞬きを繰り返していた。