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ノアとカノープス

 馬車乗り場に着いた青年二人は、予定通り馬車に乗り込み出発を待っていた。


 向かい合って座り、微妙な沈黙が流れる中、口火を切ったのは赤髪の青年だった。


「さっきの子、なんか変わっていたよな。最初はお前に一目惚れでもして気を引こうとしているのかと思って警戒したんだけど……」

「いや、彼女からは色めきだった雰囲気は感じなかった」

「うーん、まあこの国に来たばっかなら殿下のことも知らないでしょうしねえ。とはいえ、公務だからそう簡単に予定を変えるわけにも……」


 赤髪の頭をポリポリ掻きながら呻く青年に、ずっと顎に拳を当てて考え込んでいた銀髪の青年が顔を上げた。


「いや、どうも気になる。今日の予定は繰り下げにして吊り橋の点検に人を派遣してくれ」

「ええっ⁉︎ 嘘だろ。初めて会った、それも素性も知らない女の言うことを信じるっていうのか?」

「ああ。彼女の必死さが気になる。名前も身分も知らない僕たちのために、ああまでして警告してくれたんだ。その心を無碍にはできない。それに、彼女の言う通りあの吊り橋はしばらく点検していなかったからな。安全を確認してからでもいいだろう」

「はあ……まあ、殿下がそう言うなら。とりあえず御者に伝えてきますよ」

「すまない、カノープス。手間をかける」


 赤髪の青年――カノープスは、ヒラリと手を振ると馬車から飛び降りて御者の元へ向かった。


 それにしても、彼女は一体何者なのか。


 その日の夕刻、銀髪の青年の元に飛び込んだ報告書を目にし、淡いミントグリーンの娘への関心が大きく膨らむこととなる。



 ***



「な……もう一度頼む」


 夕刻、執務室に戻った銀髪の青年は、文官がもたらした報告内容に言葉を失った。


「はっ! 殿下が点検を指示された吊り橋ですが、橋を支える縄がかなり摩耗しておりまして……人一人の負荷であれば耐えられるでしょうが、重たいもの――それこそ馬車の重みには到底耐え切れる状態にはございませんでした」

「そうか……もし、当初の予定通り、僕たちが馬車で橋を渡っていたらどうなっていたと思う?」


 青年は組んだ手で眉間を押さえ、文官に意見を求めた。


「そ、それは……」

「正直に答えてくれて構わない」

「そ、その……間違いなく縄が切れて橋が落ちていたと思います。きっと、馬車は橋ごと渓谷に……」


 たじろぎつつも答えた文官に、銀髪の青年は神妙に頷いた。


「吊り橋の点検と報告をありがとう。急ぎ橋の修復に人を当ててくれ」

「はっ!」


 文官が執務室を去り、入れ違いでカノープスが入室してきた。燃えるような赤い髪は、夕陽にも負けないほどに眩い。


「命拾いしましたねえ」

「そうだな。彼女のおかげだ」

「いやあ、本当に。この国唯一の王太子様が谷底に落ちたとなれば、大騒ぎどころじゃなかったですよ」

「感謝してもしきれないな」


 銀髪の青年――アステラ小国の王太子であるノア・エスト・アステリアは、夕日が差し込む窓辺に歩み寄ると、窓から見える城下町を見つめた。夕日に照らされて、美しい銀髪の輪郭が金色に輝いている。


 物憂げなノアの頭に浮かぶのは、昼間に吊り橋について警告をしてくれた娘の姿。強い意志が込められた深い翠緑色の瞳、アステル小国には珍しい淡いミントグリーンの髪。


 彼女の名前を聞いておけばよかった、とノアは強く後悔していた。

 彼女はどこから来て、何をしているのか。


「探します?」

「いや……やめておく」


 ノアの考えを読んだカノープスがニヤニヤと笑みを浮かべながら問うも、ノアはゆっくりと首を振った。


「彼女はこの国に長く滞在したいと言っていた。その言葉通りに留まってくれるのなら、きっとまた会えるだろう」

「会えたらどうするつもりです?」

「今日の件について礼も伝えたいし、どうして橋が落ちると分かっていたのかを聞きたいな。何かいい仕事は見つかったのだろうか」

「そうっすねえ。ま、案外すぐに会えるんじゃね?」


 ひらりとカノープスが手に持っていた紙をノアに差し出す。


 それは、とある求人情報だった。


「なるほど。確かに、彼女がこの仕事に興味を持ってくれるなら……すぐに再会することになりそうだ」



 ***



「いい求人が見つかったわね」


 その日の夜、ポラリスは窓を大きく開け放ちながらカフェで夕食にと買っておいたサンドイッチを頬張っていた。


 ポラリスの手には求人情報が記された一枚の紙。


「神殿にはあまりいい思い出がないけれど……天文台の管理や星の観察が主な仕事みたいだし、王立図書館への立ち入りも自由な上、希望者には住み込み用の部屋まで与えてくれるなんて、受けない理由がないわ」


 昼間に二人の青年と別れた後、ポラリスは役場の求職掲示板に足を運んだ。


 そこには、レストランの給仕、屋敷の清掃、家庭教師、農作業手伝いなど、多種多様な求人情報が寄せられていた。ポラリスは隅から隅まで求人情報に目を通した。


 その中でも、ポラリスの目を引いたのは、王立神殿の神官募集であった。この部屋からも見える、王城の隣に建つ特徴的な建物が神殿だ。


 役場で詳細を確認すると、一般的な神殿と違い、王城に隣接するこの国の神殿には王立図書館も併設されている。天文台は気象台もかねているようで、天体や気象に関する記録を多く保管する兼ね合いもあって王立図書館が神殿管理となっているのだとか。ただし、王立図書館の中でも国家機密に関することや、観測結果の保管室に立ち入れる者は限られている。王族、神官長、そして天文台付きの神官だけである。


 そして今回募集されているのが、その天文台付きの神官である。天文や気象に関する知見が深い者が好ましいと記載されているが、ポラリスは幼い頃より星空を眺めて過ごしてきた。雲の流れである程度翌日の天気も読めるようになった。ポラリスにうってつけの求人なのだ。


「図書館を自由に使えるなんて、夢のようね」


 ユートリア王国では、厳しい検閲により、ポラリスの手元に残る本は限られていた。この国の歴史も知りたいし、近年の世界情勢についても知りたい。学びたいことは山ほどあるし、今のポラリスはなんでも学ぶことができる。


 採用試験は七日後の夜、天文台にて執り行われる。試験には神官長だけでなく、王太子も参加すると書かれている。


 信用に足る人間か、知識を有し、かつ探究心に溢れる人材なのかを見極めるためだろう。

 どこぞの愚かな王子と違い、この国の王子は聡明で利発であればいいのだが。


 嬉々としてポラリスに追放を突きつけてきた男の顔が浮かんで、振り払うように首を振る。もう二度と会うことはない。あの馬鹿王子の暴走のおかげで、ポラリスはこうしてアステル小国で新しい人生を始めることが叶うのだから、少しは感謝してもいいのかもしれない。


「それにしても、今頃あの国はどうなっているのかしら。エルダが星見をできるはずがないのだし……まあ、わたしの知ったことではないわね。今日はもう寝ましょう」


 ポラリスは制限だらけの過去を振り切り、自由と希望に溢れる未来へ思いを馳せながら眠りについた。

いつもありがとうございます。


本作はこちらで第一部完となります!

第二部ではポラリスとノアたちの再会、新たな生活の始まり、そしてポラリスを追放したユートリア王国の現在について触れていきたいと構想しています。


『星見の姫君』はじっくり書いていきたいと考えておりますので、第二部再開まで少々お時間をいただくかと思います。

完結にむけてマイペースに進めていければと思いますので、よろしければ気長にお付き合いください。

どうぞよろしくお願いいたします。

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