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満天の星空

 その日の夜、温かなスープを残さず食べ終えたポラリスは、ミシェルに誘われて彼女の部屋を訪ねた。


「ポラリス、ごめんね。あんたの忠告を無視して行商の市に行っちまって」

「いえ、そんな……」


 何の根拠もないポラリスの言葉に従って、今日までじっと店に居てくれたのだ。星見のことは話せないし、なんと言っていいのか分からずにただ爪先を見つめる。


 そんなポラリスを手招きし、二人並んだ窓辺から、ミシェルは満天の星空を見上げる。部屋の照明は落とされ、ベッドサイドのランプだけがゆらゆらと橙色の優しい光を漏らしている。


「ポラリス、あんたには分かっていたのかい?」


 静かに尋ねるミシェルに、何が、とは問い返せなかった。


「いや、いい。何か事情があるんだろう」


 黙り込んだポラリスの頭をポンっと撫でたミシェルは、再び視線を夜空へと向ける。


「本当にすまなかった……約束を破っちまって。それに、助けてくれてありがとう。わたしとこの子を救ってくれたんだ、なんとお礼を言っていいか……」

「そんな、わたしは何もできなかったもの……ミシェルさんを助けたのは大叔父様よ」


 また、星見で見た未来を避けることができないかと思った。

 ベテルギウスが居なければ、最悪の事態が再現されていただろう。

 ポラリスは無力な自分を、星見を活かせない自分を呪った。


「そもそもあんたが気を配るように言ってくれたから、わたしの心配をして店を飛び出してくれたんだろう? 彼を連れて来てくれたのはあんたなんだよ」

「あ……」


 ミシェルの言葉に、目が覚める思いがした。


 わたし一人では、変えることができなかった未来。

 けれど、ベテルギウスがいたから未来は変えることができた。それと同時に、ポラリスがいなければ事故を警戒して二人でミシェルを探しに行くことさえ叶わなかった。


「ほら、いつまで床の木目を数えているんだい。俯いてばかりはいられないだろう。ほら、上を見てごらん」

「……わあ」


 ポラリスは俯いていた顔を上げて、夜空を仰いだ。

 そこには煌々と輝く満月が、今夜の主役は自分だとばかりに光り輝いていた。


「綺麗だろう? 山の麓のこの町は、空気が格別に澄んでいるからね。星がよく見える」

「とっても綺麗……」

「俯いている暇があるなら、空を見上げな。胸に抱える悩みなんてちっぽけなもんだって吹き飛ばしてくれるさ」


 ポラリスは非力だ。けれど、隣で支えてくれる人がいる。

 一人で抱え込んでいても何も変わらないのなら、悩むだけ無駄ではないか。頭で悶々と考えるだけでは、変えられる未来も変えられない。切り開ける道も、切り開くことはできない。


「……うん、なんだかわたしの悩み事なんてちっぽけに思えてきた」

「あはは! 実際ちっぽけなんだよ。渦中にいると大問題に見えることも、角度を変えれば途端に色が変わる」

「うーん……まだわたしには難しいわ」

「ははは、いつか分かる日が来るさ……うっ、いてて」

「ミシェルさん⁉︎」


 豪胆に笑っていたミシェルが、突然お腹を押さえて蹲った。慌てふためくポラリスよりも、当人の方がよほど冷静であった。


「あー……陣痛かもねえ。いてて……すまない。産婆を呼んできてくれないか?」

「わ、分かったわ!」


 ポラリスはミシェルを支えてベッドに横たえると、部屋を飛び出してベテルギウスの元へと走った。


「ベテルギウス大叔父様! じ、じじ、陣痛……! ミシェルさんが……!」

「満月に呼ばれたか。ふむ、わたしが産婆を呼んでくるから、ポラリスは彼女の手を握って励ましてやるんだ」

「分かった!」


 定期的にミシェルを診てくれていた産婆は、いつ産まれてもいいようにと準備を整えてくれていた。ベテルギウスが呼びに行くとすぐにoおさんに必要なものを一式を抱えてミシェルの元へとやってきた。


「ミシェルさん……! 頑張って! 赤ちゃんも、頑張って!」

「ふー……いてて、ありがとね。ちょっと背をさすってくれないかい? 痛くて痛くて……くぅ」


 ポラリスは一晩中ミシェルの手を握り、背をさすり、励ましの言葉をかけ続けた。


 そして夜明けと共に、元気な産声が部屋の中に響き渡った。


「ほうら、ミシェル。元気な女の子だ。可愛いねえ」

「はあ……はあ……本当……ああ、髪の色があの人そっくり……ふふっ」


 少し癖っ毛のある栗毛の赤子は、ミーナと名付けられた。


 愛おしげにミーナを胸に抱き、涙を溢すミシェルの姿に、ベガの姿が重なった。


「ねえ、大叔父様。お母様も、わたしが産まれたときは喜んでくれた?」

「ああ、そりゃもう大喜びだったさ。ふっ、それ以上にアルタイルがすごくてな……いつも凛々しい顔をしているあいつの緩み切った顔ときたら」


 ベテルギウスは目を細めて、古き思い出の日に想いを馳せている様子である。ポラリスの胸はギュウッと締め付けられたが、同時にとても温かな熱が宿った。


 大好きな母から受け継いだ力。

 その力で目の前の母娘を救うことができた。


 この日の出来事は、ポラリスにとってかけがえのないものとなった。



 ***



「それで、今度はどこに向かっているんだい?」


 思い出話に花を咲かせ、ミーナが眠った頃、ミシェルは温かなミルクを淹れてくれた。


「ありがとう。もっとずっと北を目指しているの。行きたい国があって」

「そうかい。そろそろ雪解けだとはいえ、北の地は冷える。少しここで休んでいくんだろう?」

「ええ、ミシェルさんとミーナがいいなら」

「ははっ! もちろんタダでとは言わないよ? しっかり店で働いてもらうからね」

「そのつもりよ」


 ポラリスはミシェルの言葉に甘えて、七日ほど彼女の世話になった。


 そしてそろそろ出立しようと考えていたある日、ポラリスは町の案内所の掲示板を何気なく見上げた。


『お尋ね者。この顔にピンと来たら警備隊まで』


 どうやら窃盗犯らしく、国を跨いで逃亡しているらしい。


「うーん、追っ手が来ないとも限らないわよね……少しでも見目を変えるべきかしら」


 ポラリスは腰ほどの長さになる淡いミントグリーンの髪を撫でた。

 よし、と覚悟を決めたポラリスはミシェルの店に戻ると、彼女にこう頼んだ。


「髪を切りたいの。バッサリ。お願いできるかしら?」

「あ、ああ。もちろんだよ。けど、いいのかい? そんなに綺麗なのに」

「ええ、いいの。気持ちも新たにしたいし、いい機会だもの。わたし、あなたに髪を切って欲しいと思っていたの」


 ポラリスがニコリと微笑むと、ミシェルも気恥ずかしそうに頬を掻きながら鏡の前へと手招きしてくれた。導かれるままに椅子に腰掛けると、ミシェルは丁寧に櫛でポラリスの髪を梳き始めた。そっと髪留めを外し、絡まらないように、丁寧に、丁寧に。


 こうして誰かに髪の手入れをしてもらうのはいつぶりだろうか。幼い頃はよくお母様に髪を梳いてもらったな……


 あまりの心地よさにウトウトしているうちに、ミシェルはポラリスの髪を綺麗に切り揃えてくれた。


「ポラリスは美人だから、どんな髪型も似合うねえ。カットのしがいがあるよ」

「あら、褒めても何も出ないわよ?」


 冗談を返しながら、鏡の中の自分を見つめる。肩にかかるほどにまで短く切り揃えられた淡いミントグリーンの髪。ずっと長髪だったので、少し首元が寒いけれど、すぐに慣れるだろう。重みがあった前髪も、随分軽くしてくれている。


 これでポラリスの歩みもまた軽くなるに違いない。


「ありがとう。生まれ変わったみたい」

「よしてくれよ。大袈裟だね。気分転換したくなったらいつでも訪ねてくるんだよ」

「ええ、ありがとう」


 ポラリスはミシェルと硬く抱き合うと、鞄を斜めに掛けて店を出た。ミシェルとミーナは、ポラリスの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。



 隣町への街道を進みながら、ポラリスはミシェル母娘に想いを馳せる。母一人、子一人で床屋を切り盛りしていた二人は、質素ながらも幸せそうに暮らしていた。


 どうかこれからも二人仲良く暮らして欲しい。


 そう思いながら歩みを進める。


 それにしても――


「神殿を出てからめっきり星見をしていないわね」


 星たちが警鐘を鳴らす出来事が起こらないと暗に示しているということなので、ポラリスの旅路はこの先もつつがなく進むのだろう。


 神殿を追われて一ヶ月半、ポラリスが目的の地――小国に辿り着いた頃には雪解けの季節となっていた。

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