ラミルトの町のミシェル
ポラリスとベテルギウスは旅の道中、酒場や宿で情報を集めた。
レグルス公国がどうなったのかを知るためである。
国を出て七日後、大陸全土に展開する新聞の一面に、その記事は見つかった。
「タルタロース王国がレグルスを得たそうだ」
記事によると、レグルスの地を踏み荒らすサルバルの軍を一蹴し、大公陛下を討ってレグルス公国を掌握したらしい。
記事にはレグルスの街並みや民はタルタロース王国に保護され、いずれ統率者を置いて王国の保護区として再建されると記されていた。レグルス公国の被害は、街や城の一部損壊、そして大公陛下及びその側近数名に留まったという。
民の無事を確認して安堵したと同時に、最期まで大公陛下と共に戦ったであろう父と母を想い、心が押しつぶされそうになる。
「うっ、ふ、ううう」
ポラリスの涙で新聞の記事が滲んでいく。
サルバル帝国とタルタロース王国の戦争は、レグルスを得たタルタロースが勢いづき、サルバル帝国の降伏も時間の問題だと書かれている。
なぜ、どうして、両国の戦争にレグルスが巻き込まれなくてはならなかったのか。
「ううう〜〜〜」
ポラリスは新聞をグシャリと握りしめて涙を流した。
きっと、ベテルギウスが言っていた通り、最小限の被害に食い止められたのだろう。
軍事大国であるサルバル帝国ではなく、先住の民を慮るタルタロース王国に勝ち筋があることも僥倖に違いない。
そこでふと、一人の男の子の顔が浮かんだ。
「大叔父様、リゲル様は……?」
大公陛下の一人息子であり、ポラリスの婚約者であったリゲル。彼はどうなったのだろう。ポラリスと年もさほど変わらない子供なのだから、民と共に避難していたのだろうか。
一抹の希望を胸に尋ねたが、ベテルギウスの表情には影が落ちていた。
「リゲル様は……わたしたちは、ポラリスと共に彼も国外に逃がそうと考えていた。けれど、当のリゲル様が国に残って最期まで大公陛下と共に戦うと言って聞かなくてな……ついに折れたのはわたしたち大人側だった」
「そんな……」
いつも優しく、兄のように慕っていたリゲル。婚約者となってからは、お互いを励みにしながら勉学に励んでいた。
いつか敬愛が、恋に変わるといいなと思っていた。
「ポラリス。以前にも言ったが、忘れろとは言わない。ゆっくりでいい、彼らの選択を尊重してやってくれ」
「……はい」
ポラリスは袖口でグイッと涙を拭うと、視線を落としながら一歩ずつ足を踏み出していった。
***
ガタン、と乗合馬車が停車する振動で意識を浮上させた。どうやら、うたた寝をしていたらしい。
ユートリア王国を出て、十日が経とうとしている。
ひたすら北を目指し、二つ目の国境を越えた。
「本当に、ランスロット卿には頭が上がらないわね」
呟くポラリスの手には、通行手形が握られている。公爵家の印が押された手形は、ポラリスの旅路をスムーズに運んでくれていた。
神官長の養女とはいえ、書類上の手続きはされていなかった。ユートリア王国の国籍を持たないポラリスが関所を越えるのは少々骨が折れる。
だが、ポラリスの身分を証明する内容が記された通行手形がその障害を取り払ってくれていた。
いつの間にこんなもの用意していたのだろう。
あの日、ポラリスの元に駆け付ける前に慌てて取りに行ったと言っていたが、そもそも通行手形の発行には事務的手続きが必要なはず。一朝一夕で手に入るものではない。ましてや公爵家の印まで押されたものなら尚更である。
きっと、いつかポラリスが自由を手にして世界を回れるようにと、あらかじめ作ってくれていたのだ。
その優しさ、気遣い、そしてランスロットの想いに、ポラリスの胸はじんと温かくなる。
身を落ち着けて生活が安定したら、必ずお礼を伝えに行こう。何年先になるかも分からないけれど。その時にはマリーはすっかり立派な淑女になっているかもしれない。気の強いところがあるので、そんな娘に振り回されるランスロットの姿を思い浮かべて思わず笑みが漏れる。
さて、馬車を降りたらしばらくは山道だ。山を越えれば三つ目の国は目の前だ。
ガタガタッと少し激しい揺れの後、乗合馬車は停車した。乗合馬車とはいえ、辺境の地まで乗ってきたのはポラリスだけで、すでに乗客は手前の村で全員下車を終えていた。
「こんなところまで、ありがとう。助かったわ」
「いんや、仕事さね。それにしても、こんな何もないところまで乗せて欲しいとは変わった嬢ちゃんだ」
チャリン、と少し感謝の気持ちも上乗せした運賃を手渡すと、御者のおじさんはニカッと歯抜けの歯を見せて笑った。
「ほんじゃ、気をつけてなあ」
「はい、ありがとうございます」
ポンポン、と少しくたびれた様子の馬を労りながら、御者のおじさんは来た道をのんびり引き返して行った。
「よし、山越えね」
春がすぐそこまで来ているとはいえ、山は冷える。
まだ日が登りきっていないため、夜を迎える前に山を越えたい。
フードを被り直して山道に足を踏み入れる。
この山は山道が整っているから比較的歩きやすい。ロバを引いた行商人がたまに利用するのだとか。荒れずに山道の形を保っている様子から、定期的に手入れがされているのだと察する。ありがたい。
獰猛な野生動物を避けるため、少し匂うけれど潰したニンニクを入れた匂い袋を鞄に括り付ける。
サクサクと土を踏みしめながら歩を進める。
山の中腹辺りで小川のせせらぎを見つけ、大きな石を椅子代わりにしばしの休息を取ることにした。
「ん、冷たい」
澄んだ水を手で掬って口に含む。冷たく清らかな水が喉元を通り過ぎて、ふう、と一息ついた。
ふと辺りを見渡すと、赤紫色の木の実が目に入った。
あ、これは食べられる木の実だ。名前は何だったっけ。
腰を上げて近付くと、プチプチと小さな赤紫色の木の実を収穫していく。木苺に似た少し酸味の強い木の実だ。懐かしい。
どの木の実が食べられるのか、毒があるのか、食用の草花にきのこなど、山で生きるために必要な知識は全てベテルギウスに教わった。
昔に勝手に食べられると判断して口に入れた木の実が、有毒だと止められて慌てて噴き出したことを思い出した。少し舌がピリピリしたものの大事には至らずホッと胸を撫で下ろしたことをよく覚えている。「無闇矢鱈と口にするな」とこっぴどく叱られながら、与えられた水の冷たさを思い出す。
旅のおやつにしよう、とハンカチを広げて潰さないように木の実を包んで鞄に仕舞う。
ちょうどいいので鞄からパンを取り出して頬張る。旅の道中で購入したものだ。貯め込んだ給金のおかげで飢えずに済んでいるし、極力宿で夜を明かすようにもしている。思っていた以上に快適な道中である。
「さて、と。もう一踏ん張りして山を越えましょう」
お腹も満ちて喉も潤った。険しい山道でもないので夕暮れには山越えできるだろう。
ポラリスは予定通り、日暮れには無事に山を下りることができた。故郷を出た頃によく食べていた木の実がたくさん実っていて、懐かしさを感じながらの旅路となった。
山の麓には小さいながらも活気溢れた町がある。
「何年振りかしら……」
各国を転々としていた頃に、しばらく滞在していた町の名は『ラミルト』。素朴ながらも隣人同士が支え合う平和で温かな町だ。
ポラリスは第一の目的地としてラミルトを目指していた。ここまでは休息を取りつつも一息に進んできたので、少し腰を据えて休みたい。
それに、この町には会いたい人がいた。
「確か、この辺りだったはず……あったわ!」
町の中心から少し西に外れた場所に、それはあった。
十二年前よりも少し寂れてはいたが、表には『床屋』の看板が掛かっていた。
変わらずに営業されていることにホッとしつつ、ポラリスは逸る気持ちを抑えて扉を開けた。
カランコロン、と耳あたりのいいドアベルの音がする。
この音も変わってないな、と思いながら店内に足を踏み入れた。
「はーい、いらっしゃい。今日はどんな髪型に……って、んん? あんた……」
赤毛で恰幅のいい中年女性が元気な声でポラリスを招き入れ、ポラリスを目にした途端にギュッと眉間に皺を寄せた。「んんんん?」と唸りながらドスドス近付いてくる女性に、相変わらずね、と思いながらポラリスは笑みを漏らす。
「お久しぶりです。ミシェルさん。ポラリスです」
「まあっ! まあまあまあ! 随分と綺麗になって……あらあ」
クスクス笑いながら名乗ると、ミシェルは目をまんまるに見開いて嬉しそうにポラリスの肩を叩いた。ミシェルは力が強いので、少し咽せつつもポラリスは再会の喜びを噛み締める。
「ミシェルさんはお変わりありませんね」
「やだ! もうすっかりおばさんよ〜」
片手を頬に当て、もう片方の手をヒラヒラ振るミシェルは本当に嬉しそうに頬を紅潮させている。
「あ、そうだ。ミーナ! 降りていらっしゃい」
「はーい」
ミシェルに呼ばれて二階からトタトタ降りてきたのは、ふわふわした栗毛の少女だった。
「ほら、ミーナ。挨拶して」
「ミーナです。よろしくお願いします」
ミーナと呼ばれた少女は、ぺこりと頭を下げて好奇心を隠しきれずにポラリスを見つめている。
「まあ……赤ん坊だったあのミーナ?」
「そうよ。あなたのおかげでこんなに大きく成長したのよ」
ミシェルは懐かしそうに目を細めながらミーナの栗毛に手を潜らせ、ミーナはくすぐったそうに目を閉じて、時折くふふ、と笑みを漏らしている。
十二年前――追われるようにレグルス公国を出たポラリスとベテルギウスは、山伝いにたどり着いたこの地でしばらく滞在していた。
その当時のことはとても印象深く、今でも当時のことは鮮明に覚えている。
あれは、まだ星見の力を受け入れられなかった頃のこと――