閑話 アルタイルとベガの決断
「お帰りなさい、あなた」
「ああ……ただいま」
疲れた様子で首元のシャツを緩めるアルタイルから鞄を受け取ると、ベガは心配そうに夫の顔を覗き込んだ。
「うまくいっていないのね?」
「そうだな」
ポラリスに星見の力が受け継がれ、そんな彼女が示した未来は、レグルスの地が戦火に巻き込まれ、蹂躙される様子であると推測ができた。
アルタイルは翌日早速大公陛下に謁見し、事の次第を伝えた。
ベガの力が失われたこと。
後継としてポラリスに力が発現したこと。
そしてそのポラリスが見たという星見の内容について。
大公陛下――シリウス・ヴァルド・レグルスは表情を強ばらせながらその話に耳を傾けていた。
王妃であり、ベガの姉であるアンドロメダはリゲルを産んで間も無く息を引き取った。産後の肥立ちが悪かったこともあるが、元々線が細く、病弱な体質であった。王妃の死以降、シリウスは後妻を迎えることなく今日に至る。
レグルス公国は、大国に四方を囲まれてはいるものの、今日まで良好な関係を築いてきた。そう、表向きは。
「いつか、こんな日が来ることは分かっていた。その時が来たというだけだ」
野心を燃やし、好機を掴まんと目を光らせていた国は一つだけではない。水面下では腹の探り合いを重ね、とうとうレグルスを挟む東西の両国の間で戦が起こった。
となると、レグルスを落とした方が地の利を得る。
レグルスの伝統的価値を考えると、街や民を不必要に蹂躙する腹積りはないと信じたいが、狙われるのは大公陛下ということになる。亡命を、影武者を。思いつく限り、シリウスが生き残る方法を提案したが、当人はその全てに首を振った。
「民を置いて自分だけが逃げるわけにはいかない。レグルスの地が踏み荒らされる日が来たら、命尽きるまで戦うと、そう言って聞かない」
「そう……」
ため息をつきながらそう言うアルタイルの瞳を見て、ベガは彼もすでに同じ決意を固めていることを悟っている。
「ううん……」
もぞり、とベッドから布が擦れる音と小さな呻き声がして、二人は音の発生源を覗き込む。
「ふ、幸せそうに眠っているな」
「ええ。本当に」
口元に弧を描きながらすやすや眠る愛娘は、きっと幸せな夢を見ているのだろう。
「あなた」
「ん?」
ポラリスの頭を愛おしげに撫でるアルタイルに、ベガはそっと身体を寄せる。
「わたしの最後の星見の内容、覚えている?」
「ああ、もちろんだ」
成長したポラリスが、異国の地で笑顔で過ごしていたという星見の内容。それは、彼女が生き残り、安住の地を手に入れるという予見でもある。
「あの星見の結果だけは、変えたくないわ」
「……ああ」
いつの間にか重ねられた手は、小刻みに震えていた。
アルタイルは、シリウスと共にこの国のために最後まで戦って散る覚悟を決めていた。本当はポラリスと共にベガにも生きてほしいと、そう思っていたが、彼女たっての希望でこの国に残ることとなっている。
「もし、ポラリスが捉えられ、星見について大国に知られたら……」
ブルリと身を震わせるベガを、アルタイルはそっと抱き寄せる。
サルバル帝国とタイタロース王国、そのどちらが戦争に勝利したとしても、大国を率いる者が星見の力の真価に気付かないわけがない。待遇の差こそあれど、きっとポラリスはその力が尽きるまで、使役されることになるだろう。さらなる争いの火種ともなりうる。
「ポラリスは、ポラリスだけは逃す。ベテルギウス叔父上にもすでに話は通してある。その時が来たら、ポラリスを連れて遠い異国の地に逃げるように、と」
「……ありがとう」
ベテルギウスならば、ポラリスに必要な知識を授け、異国の地でも生きていく力をつけてくれるだろう。
「ああ、この子の成長をもっと見ていたかった。もっともっと、色んなことを教えてあげたかった」
「ポラリスは今日まで溢れんばかりの愛情を注がれて育ってきた。ベガ、君の思いは十分ポラリスに伝わっているはずだよ」
「そうかしら。全然足りないわ」
ふふっ、と柔らかく微笑むベガのまなじりには、じんわりと涙が滲んでいる。
あと何日、こうしてポラリスの寝顔を見ることができるのだろうか。
ポラリスは聡い子だ。不安な気持ちを抱いていては、ポラリスに勘付かれてしまう。心を落ち着かせ、いつも通りに過ごすよう心がけねば。
「あなた、これからは今まで以上にポラリスとの時間を大事にしていきましょうね」
「そうだな。極力家族の時間を増やせるように調整しよう」
二人はポラリスを挟むようにベッドに潜り込んだ。
「むふふん」
両親の温もりを感じたためか、ポラリスが嬉しそうに笑みを漏らして寝返りを打った。
ベガとアルタイルは顔を見合わせて、フッと微笑み合った。
些細な幸せも漏らさぬよう、一分一秒を大切に生きよう。
そう思いながら優しくポラリスを抱きしめて眠った。