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第89話 認めがたい現実

 ようやく悪戦苦闘の末、演習要綱を読み終えた誠は、とりあえず一服しようと廊下に出て、更衣室の前の自販機で『マックスコーヒー』を買っていた。


「どうしたの暗いじゃん」 


 誠が突然の声に振り返ると、取ってつけたような『喫煙所』と言う張り紙の下で、嵯峨が退屈そうにタバコを燻らせていた。


「まあ若いうちに馬鹿やるのはいいことだと思うよ、俺は。まあそうして人間、大人になっていくものだと思ってはいるんだがね」 


 嵯峨はだれた感じでタバコの灰を灰皿に落とす。


「しっかしあれだなあ、喫煙者は結構居るのに何で喫煙所がここ一箇所なんだ?そう決めた『偉大なる中佐殿』だって、タバコ吸うくせに」


「萌え萌えランちゃんが!タバコ!?」


 誠は嵯峨の言葉に困惑の雄たけびを上げた。


「吸うよ、あいつ。本部じゃ吸わないけど。キセルをやる。寄生している組事務所でね……」


 どう見ても8歳女児がキセルを吸う光景がどうしても誠には想像できなかった。さらに『組事務所』と言う言葉が誠の心を打った。誠のラン『魔法騎士』説からはどうしても『喫煙』という行為が排除されざるを得なかった。


「『偉大なる中佐殿』が言うには、『昭和の銘作』である『村田ギセル』なんだと……」


 そう言って嵯峨はタバコをくゆらせた。


「キセルですか……あんなにちっちゃくてかわいいのに?」


 誠は嵯峨の言葉に絶句するしかなかった。


「『偉大なる中佐殿』が大先生と呼ばれて世話になっている立派な組事務所の神棚の前の組長が座るべき上座で、晩酌の後に吸うんだと。俺も呼ばれてそれを目撃したけど……あれは『珍奇な光景』そのものだな」 


 誠は『カタギ』なので、『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐が『その筋』ではかなり『偉大』だという事実を認めたくなかった。 


「今のことは聞かなかったことにできませんか?」 


 苦笑いを浮かべながら、誠は嵯峨の口元から流れてくる煙を避けながらそう言った。


「認めなさいよ、現実を。あいつが『酒豪』で『喫煙者』で『組関係』ではちょっとは知られた存在なのは軍関係者の間では有名なの。わかったかな?」


 そう言って嵯峨はいやらしい笑みを浮かべた。


 誠は自分の『きれいなイメージ』を壊したくなかったので、静かに黙り込むしかなかった。


「『偉大なる中佐殿』の珍奇行動はどうにかならねえかな。まあお前さんに愚痴ってもしょうがないか。それより、今度の演習、かなめが言うように休んでもいいんだぜ」 


 嵯峨は口調を変えずにそう切り出した。突然の言葉に誠は嵯峨の言葉の意味がわからなかった。


「どういうことです?」 


 誠はそんな言葉を口にするのが精一杯だった。


「鈍い奴だな。何でわざわざ政情が安定していない甲武国の、しかも殆どの宙域が使用不能になってる演習場を選んで訓練しようなんておかしいと思わないか?」 


 嵯峨はそう言いながら、吸い終わったタバコの火をゆっくりともみ消した。


「それは実働部隊としての隊の練度向上のため……」 


「そいつは俺が今回の演習を同盟機構に上申した時に使った方便だ。でも、お前さんもそれにしちゃあおかしいなあ、とか思ってんだろ?」 


 この人に隠し事は通用しない。誠は観念したようにうなづく。


 嵯峨は再び胸のポケットからタバコを取り出すと火をつけ、上体を起こして天井に向けて煙を吐いた。


「大体は察してるかもしんねえが、これから話すことは他言無用だ」 


 そう言った嵯峨の目は、先ほどとはうって変わった鋭いものだった。


「今回の演習宙域は胡州海軍第六艦隊の管轄だ。しかも隣の宙域には遼州星系最大の地球軍の基地がある小惑星が存在する。そのくらいは演習の綱領に書いてあるだろ?」 


「ええ、まあ……」


 誠は嵯峨の言葉に引っ張られるようにして肯定して見せた。しかし、確かに改めてその事実を突きつけられると、いつ衝突が起きてもおかしくないその緊張した宙域に行くことの意味がさらに不可解に思えてきた。


 嵯峨は話を続けた。


「第六艦隊司令の本間中将は軍の政治干渉には否定的な人だが、そこの参謀室には『官派』の連中がでかい顔しててね。ああ、『官派』と言ってもお前さんは知らないか。甲武じゃ貴族趣味のいけ好かない連中のことをそう言うわけだ」


 そう言うと嵯峨は苦笑いを浮かべてタバコを咥える。そして彼は話を続ける。


「まあその貴族趣味の連中がちょっとおかしな動きしてるんで、ある人物の『素性』をリークして、どう言う反応が出るか試してみたんだ。そしたらまんまと食いついてきやがってね」 


「誰の情報をリークしたんですか?」 


 すかさず誠はそうたずねた。


「お前さんのだよ」 


 嵯峨は表情も変えずにそう答えた。あまりにも唐突な言葉に誠は息を呑む。だが嵯峨の表情は変わらない。


「そんな僕に何か変わったことでも?」 


 自分はただの一般的な遼州人であると誠は思っていた。剣道場主の母と全寮制私立高教員の父の間に生まれた普通の人間。誠はそう自覚していた。そんな国や組織が求めるような力は無いと思っている。確かに脳波に一部、他の人類には見られない特徴的な波動が有ると言われたことはある。また神前という苗字は『遼帝国』の『帝室』が東和共和国に『亡命』した人達の末裔だとされるが、誠の家は普通の家庭である。奇習と呼ばれるものは何もない。


 東和宇宙軍に入隊した時も特に変わったところはなかった。


『この脳波は……遼州人に時々あるんだよね、この異常な波動』


 入隊時の身体検査で脳波を見ていた医者が言ったのはそれだけだった。誠はそれがどういう意味かは理解していなかった。ただ何かある。誠は嵯峨の様子にそう確信した。嵯峨はさらに続けた。


「その人物は『あるシステム』を起動するキーになる可能性があるってのが、『その筋』の専門家の一致した見解だ。俺はそいつがいずれどっかの勢力につかまってモルモットにされるのがかわいそうで部隊に引き取ったんだが……まあいいか、そんなことは」 


 そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に放り込む。


「あるシステム?何ですか?精神波動システムとか、ちょっと眉唾の話ばっかり聞いていたんで」 


「俺は文系でね、そう言ったことは専門家……うちなら技術部の野郎の士官の誰かに聞けば分かるかも知れんがね。俺、そう言うの興味ねえんだ。『兵器は動いてなんぼ』ってのが信条でね。まあ連中が機嫌がいい時に聞いてみろや……まあ島田には聞いても無駄だな……アイツのおつむじゃ理解不能な話みたいだからな」


 相変わらず、誠の目の前では嵯峨は相変わらずの『駄目人間』だった。


 そんな嵯峨の表情が急に緊張感を帯びたものに変わった。


「それより今回の演習はデブリの多い宙域での『05式特戦』の運用訓練……と言うのは建前で、実際の狙いは『官派』の金庫番を狩りだすこと。特に武闘派として知られる第六艦隊参謀部副部長、近藤貴久中佐の首を取ることだ」


「近藤中佐の首を取る……」


 『駄目人間』の言いだした『好戦的』な言葉に、この『特殊な部隊』が、本来『機動兵器を所有する特殊部隊』である事実を誠に再認識させた。


 嵯峨はそう言うと派手に煙を吐き出した。


「それだけじゃない、出来れば第六艦隊の連中に身柄の確保をされる前に内密に動く必要があるな……近藤さんが派手に動くと甲武国の特別ルールの『連座制』でやたらと死人が出そうなんだわ」


 目の前の『稀代の策謀家』は誠の目の前で本来の姿を現した。


「第六艦隊提督の本間中将も馬鹿じゃない。近藤の旦那が本国政府の意に沿わない危険な行動を取る前に奴を更迭する可能性がある。本間中将は部下の不始末を闇に葬るくらいの芸当はできる御仁だ……まあ上に立つ人間というものはみんなそんなもんだ。そうなりゃ甲武国の『連座制』で近藤の配下の一族郎党、家族親類まで全員全財産没収の上、『流罪』だ」 


 早口に嵯峨はそう話す。内容は完全に司法局の権限を逸脱しかねない内容である。


 そんなことを一士官候補生に話してみせる嵯峨の頭の中が読みきれなくて、誠はただ戸惑っていた。


「『流罪』……」


 誠は意味も分からずそう言った。


「甲武の『流罪』は半端じゃねえぞ。まるで江戸時代以前のそれだ。半分壊れかけのコロニーに運ばれてそこで暮らせって身一つで置き去りだ。一年生き延びられたら奇跡だからな。ほとんどは半年で餓死するわけだ」


「餓死?」


 そう言う誠には甲武の仕組みがいまだに理解できずにいた。


「そうだよ。国賊は餓死して当然ってのが甲武国なんだ。ひでえもんだ。国を批判する貴族は全員餓死。貴族制が気に入らないって言う平民も餓死。それが甲武。まあ、餓死よりも女はひどい目に逢うんだが……まあそれは言わねえほうがいいか……俺も言いたくないからな」


 嵯峨の言葉に誠は息をのんだ。甲武国の闇を見た誠はただ黙り込むばかりだった。


「そういう所なんだよ……宇宙なんてのは。息するだけでも税金がかかる。だったら手っ取り早く『餓死』させれば、誰も手を汚さずに良心も傷まない。そんなところなんだ……この空の向こうはね」


 そう言って天を見上げる嵯峨を誠はじっと見つめていた。


「東和共和国に生まれたことを感謝しな……ひどいところに生まれようもんなら……死んで当然なのが世の中なんだ……そりゃああんまりな話じゃないの」


 嵯峨のあきらめたような言葉を聞いて誠はただ自分の世間知らずぶりに唖然とするだけだった。


「そんな国……変えないと……誰も何も言わないんですか?」


 誠は正直な気持ちを嵯峨にぶつけてみた。


 嵯峨は誠の真面目な表情に少し嫌な顔をするとタバコの煙を天井に向けて吐いた。


「兄貴……ああ、かなめの親父な。変えたいんだと……身分とか豊かさとか。そんなもん人間の価値じゃねえだろってのが兄貴の思想。でも、それは異端なんだな、あそこでは」


「そんな……当たり前の話じゃないですか!人間はそれぞれに価値があるはずです!」


 思わず誠は自分の言葉が激しくなっていることに気づいて少しうつむいた。


「そりゃあ……理想論だよ。現実はそんなに甘かあねえんだよ。貴族や士族には特権がある。貴族には年金が支給されてるし、士族は優先的に軍や警察、役所に勤められる。豊かな平民だって自分のせがれが脳なしでも延々と豊かな暮らしを送ることができる……」


 嵯峨はそこまで言ってしばらく黙り込んだ。


「地球な……あの『憎悪の民主主義』の二の舞は舞いたくねえんだよ、遼州に住んでる元地球人はな」


「『憎悪の民主主義』?」


 誠には嵯峨の言葉が理解できなかった。


「そうだ。敵を作り、煽り、踊り、狂う。そう言う民主主義だ。古代ローマ帝国や古代インドにも民主主義は有った……ってお前さんは歴史は苦手だったな」


「ええ、ローマとかインドは知ってますけど……ローマってイギリスですか?」


「イタリアだよ……ったく。地球人の文明が始まった時からすでに民主主義は有ったんだ。それが古代期の終焉とともに忽然と姿を消した……」


 そう言うと嵯峨はタバコを灰皿に押し付け続きのタバコに火をともした。


「へー……」


「分かってねえ面だな。まあ、俺も言いたいことがあるから続けさせてもらうぞ。ローマが民主制から帝政に移る原因は『富の偏在』に有ったというのが歴史家の見方だ」


「『富のへんざい』……あのー『へんざい』って?」


「あのなあ……お前、本当に大学出てるの?金持ちと貧乏人の格差がデカくなったってこと!結果として富める者が自分の主張を通す手段として民主主義を利用した……そしてそれに反対する人間も富める者しかいなくなった」


「でも……庶民はいたでしょ?」


 明らかに馬鹿にする調子の嵯峨に誠は何とか食い下がろうとした。


「なあに、富める者同士の対立なわけだから完全に庶民は蚊帳の外なの。賢い奴はそのおこぼれにあずかろうとそれぞれの主張をふれて回って何とか富める側に立とうとするだけさ……結果生まれたのが『憎悪の民主主義』って奴だ。神前よ、さすがに『アドルフ・ヒトラー』は……知ってる……よね……」


「知ってます!髭の昔の人です!」


 誠の叫びに嵯峨はあきれ果てたという顔でタバコをふかす。


「あのなあ……それ言ったら歴史上の人物は全員昔の人だ。民主主義と言うシステムを利用して独裁者にまで上り詰めた男さ。うまくいかない時代になるとそれを誰かのせいにしたくなるもんだ。それを『ユダヤ人』や『共産主義者』のせいにして憎悪をあおって民主的に政権を握り、独裁者になった」


「それが『憎悪の民主主義』ですか?」


「いいから聞きなさいって。民衆にとってヒトラーの主張は正義に見えた。だからヒトラーは政権を取れた……正義なんてそんなもんだ……正義は憎悪を生み、憎悪は悪を生む……俺は嫌いだね、『正義』って言葉が」


 嵯峨はそう言うと一息ついたというようにタバコを口にくわえた。


「隊長は正義が嫌いなんですか……じゃあ、何のために僕達は戦うんですか?」


 誠には嵯峨の言うことが理解できなかった。


 正しいから正義である。誠はそう思っていた。いや、誰もがそう思っていると思っていた。しかし、嵯峨は明らかにそうは考えていないようだった。


「俺は前の戦争で『正義』の為に人を殺した……うんざりするほどだ。それは俺の国、甲武国が戦争に負けたことで『悪』だとされた。でも、俺が命令書を受けとった時は、確かにその命令書に書いてあったことは『正義』だったんだぜ……」


「隊長……言ってることの意味が分からないんですけど……」


 誠にはそう言うことしかできなかった。


「なあに、俺達武装警察には『正義』の命令書が送られてくる……作戦が終わった時、それが実は『悪』に置き換わっている……なんてことがよくあるもんだって話さ……今回もそうなってもおかしなことは一つも無いな」


 そう言うと嵯峨はタバコをもみ消して立ち上がった。


「うちのちっちゃい中佐殿から本でも紹介してもらえ。アイツは見た通りのちっちゃいおつむのわりに読書家だからな。ローマの話をしたら『ガリア戦記』あたりを紹介してくれるだろうし、ヒトラーって言うとニーチェやハイデガーなんかの哲学書を推薦するだろうが……その前にお前さんは小学校の社会の教科書あたりからやり直せよ」


 嵯峨は立ち去り際にそう言うと誠に背を向けて隊長室に向けて歩き出した。


「そうですか……」


 誠は嵯峨の言う固有名詞が何一つ理解できずにただ茫然と立ち尽くすしかなかった。



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