第66話 法律家の策謀
実働部隊、隊長室。
相変わらずの46歳バツイチには見えない若すぎる『駄目人間』、嵯峨惟基特務大佐が、隊長室でぼんやりと雑誌を読んでいる。同じく、やけに迫力のある8歳女児にしか見えない『中佐殿』、クバルカ・ラン中佐は黙って立っていた。
「おい、ちっちゃいの。俺はいつ、神前を立派な『体育会系・営業マン』にしてくれって言った?あんなに走らせたら……そのうち潰れちゃうぞ」
嵯峨は相変わらずぼんやりと目の前の『下世話な大人向け情報誌』を読みながらそう言った。
「ずっと走ってりゃ、うちから出て行こうなんてつまんねえこと考えられねーだろ?それにうちに居つくように逃げ道を潰せって、そう言ったな、隊長は」
いかにも『褒めてくれ』と言わんばかりの大きな態度で、ランはそう言い放つ。
「逆効果だよ……疲れた果てに首でも吊られたら気持ち悪いでしょ?神前の逃げ道を潰す方はな、俺が各方面にねじ込んで『法的』な方法でやっといたから」
嵯峨はさらりと恐ろしいことを言った。そして、手元の小さなバッジをランに見えるように差し出した。それは東和共和国では『弁護士バッジ』と呼ばれるものだった。意味するところは、嵯峨がこの国の『弁護士資格』を持っていて、法律関係のスペシャリストであるということだった。
「だからさあ、『中佐殿』。お前さんは神前を『普通に教育』してやればいいの。『特殊な教育』は要らないの。うちはただでさえ『特殊な馬鹿』の集団だと思われてるんだから……これ以上俺に手間をかけさせんなよ……本当に潰れるぞ?このままじゃ」
相変わらず嵯峨はランとは目を合わせずに、雑誌を読んでいる。
「大丈夫だ、神前はタフだからな。それに社会人の駅伝選手は毎日もっと走ってんぞ」
反省の色の全く見えないランを嵯峨が見つめる。そこには落胆の色が見えた。
「それは『駅伝選手』だからでしょ?それがお仕事なんだからそっちはそっちでいいの。今の世の中、無茶苦茶走らせるのは『しごき』っていうの。20世紀末の『体育会系社会』には似たようなのあったのは事実だけどさ。違うでしょ、普通」
ランは完全に無視を決め込んだかのように視線を嵯峨の緊張感の感じさせない瞳に向ける。
「ランよ。確かに、いつでもどこでも生き物の歴史には『そんな組織』ばっかりなのは事実だけど、ちょっと違うじゃん。生きていれば『そういう組織』に入らない方が難しいなんて、普通の人は知らなくていいの。社会を知らない『おめでたい人』と、見て見ぬ振りができる『残酷な賢い人』も、世の中『そういう組織』ばっかりなのは、察してるよ」
嵯峨は『法律家』らしく、あいまいな断定回避ワードを駆使してそう言った。そして大きくため息をつき、別の『下世話な大人の情報誌』に手を伸ばす。
「神前もさー。馬鹿だよな。少しかなめが良いこと言ったら辞めるのやめるって……あそこで逃げてりゃ……まあ、俺にはその方が都合がいいのは事実だけど」
タバコを『マックスコーヒー』のロング缶に置いた嵯峨は、ランの存在を無視したようにスルメを口に運ぶ。
「隊長はいつでも勝手だな」
ランはそう言ってニヤリと笑った。
「俺達……ちょっとひどい大人だったかな?」
そして嵯峨は手元の袋から取り出したスルメを噛みながら、静かに視線を机に落とす。
「まあな」
ランも少しは自覚があるようで静かに頭を掻いた。