マリモ:ドーナツ
この物語の主人公、マリモのお話です。
自慢だった舌が利かなくなった時が一番絶望しただろうか。
耳が聞こえなくなっていき、鼻が利かなくなり、点滴でしか栄養を補給できなくなり、目が見えなくなり、やがて心臓が止まった。
闘病生活は六年にも及んだ。面会は謝絶されていたため、感覚が消えていなくてもとても寂しかった。
可愛い弟も、両親も、きっと心配していたはずだ。
もっともこの時にはすでに弟はある事件に巻き込まれて亡くなっていたらしいのだが。
今、そのことを異世界の女神を名乗る少女に聞かされている。とても悲しい。私も死んだんだけど。
両親の気持ちを思うと、涙が止まらない。弟がいたから私が死んでも大丈夫だとか思っていた。
女神様はゴスロリのドレスを着て眼帯をしている中二病な見た目の、アメジスト色の瞳に銀髪の、肌の白い小さな女の子だ。
「弟さんはうちの世界に来てるよ。けっこうしんどい人生送ってるけど。……貴女の方も、うちに来るなら次の人生では病に冒されることはないわ。呪いとかは効くけどね。そうね、それ以外に一つだけ願いを叶えてあげる。本当はこういうサービスはしないのよ? 病に苦しんだ貴女が私の世界に来るというなら、一つぐらいは叶えてあげたくてね。何かない? 欲しい物とか」
りゅーちゃんはゲーム好きだったからなあ。死んでしまったのは残念だけど、魔法のある異世界とか喜んで行ったんじゃないかな。でもしんどい人生を送ってるらしい。本当にゲームなわけじゃないもんね。
幸福や不幸が自分次第なのはどの世界でもおんなじだ。病気とか争いに巻き込まれることもあるだろうし、無条件で幸福なんてあるわけない。出会えたら当然助けるけど。りゅーちゃんにはいっぱい心配かけたもんね。駄目なお姉ちゃんだったよね。
自分の作った世界とかなら無条件の幸福とかあるのかなあ。世界作るとか面倒くさそう。女神様は楽しんでるらしい。
んー、でも女神様、私には一つだけチートを、ずるっこいくらいすごい力を与えてくれるそうで。私の欲しいものを。
私の欲しいもの、か。
「……ドーナツ?」
「ドーナツ?!」
近所のパン屋さんはドーナツを販売していて、まだ普通に食べ物を制限されていなかった頃にお見舞いにもらった。とても大好きで、嬉しかったのだ。
そのうち面会謝絶になったので、ずいぶん長い間あの味を味わえなかった。そのうちに舌も利かなくなり、とても悲しかった。
まあチートがドーナツとか全く意味がわからないと私も思うけどね。でも欲しいもの他にないしなあ。
「じゃあドーナツね。腐らず汚れず浄化能力ありで、土に落ちても美味しくいただけるし、好きなトッピングをして呼び出せるようにしてあげるわ。しかも意のままに飛ぶ」
「なにその便利なドーナツ」
チートの話だっけ。まあもらえるというならもらおう。ただし、リングドーナツしか呼べないらしい。謎のこだわりである。ドーナツを飛ばして誰かの口に詰め込んだりできるんだろうか。喉が渇きそう。意外と凶悪? 戦闘中に水が欲しくなるとか辛いかも?
ともあれ私は異世界に渡ることにした。渡らないとすると元の世界で普通に輪廻するらしい。次は猫とかになったりするのだろうか? まあ異世界に行くか。りゅーちゃんに会いたい。
女神様は教会に行ったら気分が乗れば話し相手くらいしてくれるそうだ。アフターサービス?
やがて私は白い霧に包まれた。
気がつけば森の中で一人立っている。
マッパで。恥ずかし。服くらいサービスしてほしかった。サービスいいんだか悪いんだか。神様にサービスを望むのもおかしな話だけどね。
足下に何か力を感じてそれに集中する。どうやら私は魔力の根を張っているようだ。
試しにその根の範囲から出てみると、突然に体が萎れたように動けなくなった。慌てて根の範囲に戻る。根っこがないと死ぬらしい。
でも魔力。この世界には魔法があるんだ。楽しそうだ。
なんとなく、その根の先から枝を出してみると、視点をその枝に移せた。私の姿は緑の髪に緑の瞳、白い肌、そしてマッパ。どうも病気になる前の中学生くらいの体になっているようだ。胸は小さいのでマッパでも恥ずかしくないもん。……わけがないよね。恥ずかしい。肌は白いがほんのり頬は朱に染まっている。人間じゃないはずなんだけどなあ。人間の姿だ。
やはりなんとなく、枝で魔力の糸を編んでローブを作り、着る。あとパンツ。便利である。枝なので全部が灰色だけど。デザインは我ながら地味。刺繍も自在だけど。肌触りはいいね。
ついでに靴と靴下も作る。ブラ……も、一応作ったけど?
どうせ隠すほどないけど、一応着けないとダメなくらいはあるもん。小学生の従姉妹より小さかろうが着けないと駄目ですよ。泣いていいよね。十分くらい泣いた。
魔法の使い方も感覚でわかるのは便利。魔力を体からにょろにょろ伸ばしてから実体化させる感じ?
どうも頭が重いと思ったら金色の果物が頭の左右に二つずつぶら下がっている。なんか恥ずかしいのでつばの広い帽子を編んで深くかぶる。魔女っ子のような見た目になったがそれはそれで魔法世界らしくていいのでは。あ、性別は被子植物で両性らしい。植物だ。花粉を飛ばします。花粉症の人に避けられちゃうね。
どうやら私はハイドリアードという植物の精霊に生まれ変わったらしい。物理的な存在になることもできるが霊体に近く、病気にならないばかりか物理攻撃も効かないらしい。便利だ。
実際魔物の狼やゴブリンらしき緑の生き物に襲われたが、私がぼーっとしてたら魔物たちは突撃してくるも、全く体に当たらないで貫通して後ろの木に当たったりして勝手に逃げていったりした。戦わなくて済むのはありがたい。ちょっとビビったけど。
まあ魔法は当たるらしく。なんか対策練らないとね。
この世界で強くなるには魔力のレベルを上げないと駄目だそうだ。魔物がいるし強くなって損ということはないだろう。
魔力レベルを上げるには戦闘、魔力のこもった食品を食べる、根を伸ばし吸い取るなどの方法があるようだ。
私はとりあえず、根を伸ばして活動範囲を広げつつ魔力を高めていくことにした。
そうだ、ドーナツを出せるんだった。やってみよう。
このドーナツを呼び出せるスキルはユニークスキルと呼ばれるもので、魔力のあるかぎりドーナツを呼び出せるらしい。意味はわからない。飢えなくてすむ? 私は根を張ってたら飢えないけど。植物だから植えるけど餓えない。……。
まあいいや、久しぶりのドーナツだ。
まずはシュガーレイズドのシンプルなイーストドーナツを呼び出してみた。もちもちである。
もういっこ、チョコのかかったねじねじのフレンチクルーラーも呼び出してみる。シュー生地がふわふわで間にはクリームが挟んである。美味しそう。呼び出したドーナツたちは私の目の前にふわふわとUFOのように浮いている。
手にとって、ぱくっとシュガーの方にかじりつく。優しい甘味が舌から広がり、頭の芯を抜けるようだ。やはりイースト生地の優しい塩気と甘さ控えめのシンプルな味わいがたまらない。いくらでも食べられそうである。もちもち。
甘い。ちゃんと舌が復活している。
……すごく、嬉しい。そのことが一番嬉しい。
フレンチクルーラーもぱくり。うーん、チョコの幸せ感ったらないよね! さいこう。鼻に抜ける香りはブランデーだろうか?
イーストドーナツにチョコレートコーティングしたチョコリングやチョコレート生地のドーナツも出せる。そのうち食べよっと。
久しぶりにお肉も食べたいものだが、根を広げてどこかの町まで行かないと駄目だろうか。ちなみに植物って意外と肉食系なんだよね。死体から栄養吸ったり、食虫植物もいるし。
しかし根を張る半径を一メートルから二メートルに広げるのと百メートルから百一メートルに広げるのでは面積が、大変さが違う。円を描くように広げるより直線で広げた方が速いだろう。
町の方向がわからないのでは、無駄打ちになりそうではあるけど。植物に寿命はないしのんびりやろうかな。
のどが乾いてきたので頭の果実をもいでみた。いたっ。髪を抜いた痛さだけどやっぱりちょっぴり、痛かった。
どうも自家受粉するようだ。果実をもいだらすぐに花が咲いてまた実が生った。頭の外がお花畑。私らしい。
自家受粉だと進化はできないね。必要ないか。いやー、本当に植物になってるね。植物人間なのは変わってないって? ……生まれ変わったからかあんまり悲しくはないな。
果実は汁気が多く、甘さが強く酸味は穏やかで、喉を潤すにはいい感じだ。
やがて根を広げながら自分が光合成をしていることに気付いた。お日様に当たっていると体の中に力が湧いてくる。この髪って葉緑素で緑色なのか。さらさらヘアだけど。二酸化炭素を吸って酸素を吐いているのだろうか。普通に呼吸はしているけど。
根を広げて先を見通していると頭はぼんやりしてしまう。情報量が多いからだ。そこらに生えてる薬草とかの薬効もわかるしキノコとか木の実とか植物の性質みたいなものもわかる。
そういえばこの世界には職業スキルと呼ばれるものがあって、私は女神様に頼んで薬師にしてもらった。
私は病気にならないが、あの苦しみを他の人に味わわせたくはない。たくさん人を救いたかった。
やがて伸ばしていた根がなにかに触れた。それは他の植物の魔物の根だったらしい。頭の中に声が響いてきた。
『おはよう、私の孫』
植物も一日中、酸素を吸って二酸化炭素出してます。昼間は光合成もしてますけどね。




