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 桜舞う、入学式。

 学校でいちばん広いホールを埋め尽くすひとびとは、檀上から響く声に耳を傾けている。

 美容学校らしく色とりどりの若者が希望を胸に集うなか、野辺ラボは会場の隅のいちばんうしろにあるパイプ椅子に身体をちいさくして座っていた。あご下まで伸びた真っ黒い前髪に隠れて、その顔は見えない。


「あ、ねえねえ。ここ座っていーい?」


 不意に、後ろから声をかけられてラボの身体がびくりとはねる。振り向けば、いまホールに入ってきたのだろう。明るい茶色の髪を揺らして女性が立っていた。肩の見えるブラウスに膝上スカートと少々派手な身なりだが、服に負けずひと目を引く美貌にはちょうど良い。派手美人と称せる顔には、濃いめのメイクがよく似合っている。


「え、あ、はい」

「ありがと、サラサ、ここ座れるよ」

「ありがとう。お邪魔いたします」


 元気な笑顔で礼を言った派手美人が手招きすると、ホールの入り口からもうひとりの女性が入ってきた。

 楚々とした動きは和装でないのが不思議なほど品がよく、ちいさな顔にそれぞれのパーツがバランスよく配置された色白の和風美人だ。アシンメトリーにカットされたボブヘアがおしゃれなおかっぱのようだ。


 ―――きれいなひとたち。


 こっそりととなりのふたりを観察していたラボは、急に振り向いた派手美人に驚いた。


「ねえねえ。あたしら電車が遅れちゃってさ、話ほとんど聞けなかったんだけど。入学式、なんか大事そうなこと言ってた?」

「あ、ええと」


 ラボが美人に見とれている間に、入学式は終わったらしい。ホールいっぱいに座っていた新入生たちはみな立ちあがり、ぞろぞろと移動を始めているところだった。「その、入学式が終わったらレクリエーションをするそうです。全員では無理なので、配布資料の入った封筒に書かれた番号で教室を分けてある、と言ってました。自由参加ですが、はやく学校になじめるように、と上級生が用意してくれたものらしいので……」


 式のあいだにとったメモを片手に答えるラボに、派手美人がにっと笑う。


「そっか、ありがと。あんたは? 行く?」

「あ、はい」


 明るく問われて、うっかりそう答えたラボは「しまった」と思ったけれど、もう遅かった。


「よっしゃ。番号は? あたしらと近いね。教室も同じとこ?」

「よろしければ、ごいっしょしましょう。私は吉祥院(きっしょういん) 更紗(さらさ)と申します」


 和風美人、更紗がにこりと微笑み、頭を下げる。ラボもつられてぺこりと会釈した。


「あたしは月夜(つくよ) 美麗(みれい)。あんたは?」

「あ。あの、野辺(のべ) ラボです」


 派手美人もとい美麗に問われて、ラボは慌てて名前を告げる。


「そか、じゃあラボでいい? あたしのことも美麗でいーよ」

「私はお好きに呼んでいただいて構いません。それにしても、ラボさんはきれいな髪をしていますね」


 微笑んだ更紗が、ラボの肩にかかる髪をそっとすくう。はっとして身を引いたラボに、更紗は手を引っ込めた。


「ごめんなさい。あまりに美しい艶をしてらっしゃるから、つい。髪を触られるのはお嫌い?」


 申し訳なさそうに小首をかしげる更紗に、ラボは前髪を手で抑えながら首を横に振った。


「いえ、いいえ! そういうわけじゃなくて、その、ちょっとびっくりしたというか……」


 なんと言い繕えば良いのかわからず、しどろもどろになるラボに助け舟を出したのは美麗だった。更紗の頭をぽんぽんと叩いた美麗は、くちを尖らせる。


「こら、更紗。初対面で急に髪の毛触られたら、だれだっておどろくよ。ラボはあんたが髪フェチだって知らないんだから」


 ごめんな、と謝る美麗の手のしたで、更紗はほほに手を添えてうっとりと微笑む。


「だって、ラボさんの髪の毛、本当にきれいなんですもの。頭のてっぺんから流れるように顎のしたまでまっすぐで、枝毛やくせ毛のひとつも見当たりません」


 ほう、とため息をつく更紗につられたように、美麗もまたラボの髪をしげしげと眺める。


「まあ、たしかに。つやっつやの真っ黒できれいだよね。ちょっと長いけど」


 ちょっとどころではなく完全に顔を覆い隠すラボの髪型は、個性的な面々が集まる美容学校の入学式においても浮いていたが、美麗と更紗のラボに向ける視線は好意的だ。


「あの、あたし顔に自信がなくて……」


 やさしい視線とことばにラボが思わず胸のうちをもらせば、美麗と更紗の顔が輝く。


「だったら、あたしがメイク教えてあげるよ! あたし、メイクの勉強したくてここに入ったんだ」

「ヘアスタイルでしたら、僭越ながら私にご相談ください。私はヘアメイクを学ぶために参りました」


 二組のきらきらした目に見つめられて、ラボは思わず後ずさった。前髪を抑える手にも力がこもる。

 それを見て、はっと身を引いたのは美麗だった。ずい、と身を乗り出す更紗の肩を叩く。


「ごめん、またびっくりさせた。今すぐじゃなくって、ラボがメイクしてみたいな、って思ったときに相談してくれればいいからさ。ね、更紗」

「まあ、ごめんなさい。憧れの学校へ入学できて、少々うかれていました。カットしなくても、アレンジも色々とありますから。気軽にご相談くださいね」


 落ち着きを取り戻したふたりに、ラボはほっと息をついた。そして、前髪を抑えたままでいた手をそろりと下ろす。


「あの、ありがとう。あたし、誰かに顔を見せる自信がなくって。でも勇気が持てたら、そのときは、その、よろしくお願いします」


 もじもじと言うラボに、美麗はにっと笑い更紗はにこりと微笑む。

 荷物を手にしたふたりはそれぞれラボの左右に立つと、ホールの入口へと促した。


「うん、よろしく! じゃあそろそろ教室に移動しよう!」

「そうですね。あまり遅くなっては、レクリエーションが始まってしまうかもしれません。私たちだけで親睦を深めてもよろしいけれど」


 更紗のことばにラボがホールに顔を向ければ、そこにはもうほとんど誰も残っていなかった。壁の時計を見れば、レクリエーションを開始する時間が迫っている。


「あたしらの親睦はこれからいくらでも、深められるだろ。今日は同じ学年の連中の顔を見とこうよ」

「賛成です。さあ、ラボさん。急ぎましょう」

「あ、はい」

 

 美麗と更紗の流れるようなやり取りに、ラボはつられてうなずいた。

 結局、レクリエーションに参加するつもりはない、とは言いだせないまま、ラボはふたりに挟まれて歩き出す。


 決して顔を見られてはならない、と念じながら。

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