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病気について

失恋した。

何年か生きてきて、はじめて、人が好きになった。

彼女の笑顔を見て、コデインが効いてきた時の感覚があったからだ。


そしたら俺はまた、病気になった。

女々しいクソ野郎に逆戻りして、嫌われてしまった。


嫌い、と言われた翌日に首を吊った。

失恋そのものより、キチガイとしての自分は誰からも愛されないし生きていてもしょうがないと思ったからだ。

結局、前に死にかけた時の、虹色の点滅が見えて、暴れると、紐はほどけた。


今、一日経って、まったくその事に興味がない自分が居る事に気づいた。

コデインをやってるせいもあるかもしれない。

しかし、まともな時、自分の頭の中でコールタールがぐるぐる洗濯機みたいに回っている時じゃない時の世界の色は、丁度こんな感じだ。


俺は躁鬱病だ。

クソみたいな病気だ。

躁の時か、まともな時は、鬱の自分をぶっ殺したくなる。

鬱の時は、真逆だ。

どちらが本当の自分なのかと考え、怖くなった。


本当の俺、というか、限りなくニュートラルに近い時、俺はdryだ。

何にも興味が持てない。

鬱の時はwetだ。

全ての事柄を、自分が悪いと責めるようになるし、自意識が強すぎて、気持ち悪い行動しかできない。


俺は、そのwetな僕の、憧れなのだと思う。

だから、wetなぼくが嫌われると、本当はdryなんだ、わかってくれ、と思う。


どちらが本当の自分?

どうでもいい。

俺は俺が好きで、wetは嫌いだ。

それでいい。


多重人格ではない。

記憶の繋がりはあるし、どちらもお互いのした事をいつも後悔している。

ただ、物の感じかたが時間というか、状態によってまったく変わるのだ。


近いうちに死のうと思う。

今はdryで、そういう時にそう思うのははじめてだ。

さっき、そのwetとdryに気づいて、いつもなら、いくら悲しい事があっても、どうでもいいで終わるのだけど、wetの時の不快感を思い出してしまった。


いくらか正気というか、dryの時に死んでいた方が、後悔がないと思った。

それぐらい鬱の時感じる悲しみとか絶望とか後悔は、痛い。

本当に脳味噌が痛くなって黒い粘性のあるコールタールがずっと回っていて吐きそうになる。


例えば梅干しと言う言葉だけで口のなかが酸っぱくなるという話がある。

俺は甘納豆、と聞くと、納豆の匂いと粘りを持つ甘納豆が頭の中に出て、気持ち悪くなる。

それが絶望とか悲しみで起きるのが、鬱だ。


いつになるかはわからない。

生きてたら、また会おう。

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― 新着の感想 ―
[一言] お疲れさまでした。 くじらの短編とか好きでした。
[良い点] 村上春樹を批判した貴方がやがて村上春樹に一定の理解を示し、最後には村上春樹の作品に出てくる主人公の友達みたいにやれ失恋だ憂鬱だと自殺するだなんて冗談にしても酷い話だ。 [気になる点] 女々…
[良い点]  死んじまおうかと思うことはよくある。苦しまないで死ぬ方法に知識がないではない。しかし、死にきれないでいる。別に自死を選ばなくても人間いつかは死ぬ。今の世相、自宅にいても、道を歩いていても…
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