ウーフとブー。
その森には、いろんな動物が住んでいた。
その中で頂点に近い位置にいたのは、狼族。彼らをまとめていたのは、ウルフという狼。
他の狼より一際大きく、族長に恥じぬ風格や力を持つ彼に挑む者はおらず、ウルフはずっと狼族の頂点にいた。
「族長。この先に、新たな豚族の縄張りができたようです」
偵察係がそんな報告をしてくるが、ウルフにとっては、また縄張りが1つ増える程度の認識しかなかった。
この広大な森に、豚族の縄張りは幾つかあったが、それは他の動物も一緒だ。肉食動物と草食動物が共に暮らせど、狼族を始め、肉食動物は草食動物を簡単には襲わない。
腹が減れば、縄張りから出た単体を食らう。縄張りを侵さなければ、それは食われた側の自業自得である。
以前、狼が単体でご飯を求めた時、ある狼は返り討ちに遭い、熱々のお湯が張ってある鍋に落とされたり、ある狼は腹を切られて石を詰め込まれた上、水に落とされたという話を聞く。
つまりは、ただ食われるだけの奴らではない。そんな認識があるから、滅多な事では草食といえど、奴らの縄張りに入ろうとしないのだ。
草食動物たちは、自分たちの弱さを理解しているから、肉食動物達に庇護を求める。
自分たちの縄張りを護ってもらう対価に、自分達を捧げる。矛盾しているようで、自分たちの種族が増えれば食い扶持が増える。一定の数を保つ為の手段とも言えた。
今回も、新たな豚族の縄張りを護ってもらうという契約の為か、2匹の豚が震えながら待っていた。
「俺はウルフ。狼族の族長だ」
「……わ、私共は、契約の為の贄にございます。どうか、どうかこの縄張りをお護りくださいますよう……ッ」
「何卒、何卒……!」
「ああ。わかった」
獣といえど、この契約に関しては絶対だった。
一定の数が増えれば、更新というより、契約の再認識といった形でまた贄が出される。それまでは、1度結ばれた契約はどちらかが死ぬまで続けられるのだ。
日当たりも良く、木の実が多く、水飲み場が近い。条件の良いこの場所なら、繁殖能力が高い豚族はすぐに増えるだろう。
そう考えたウルフは、豚の1匹に牙を立てる。
その瞬間、契約は成立した。
◇◇◇◇
契約成立から、ウルフは豚族の縄張りに足を踏み入れた。自分たちがこの縄張りを保護するのだと、知らしめるためだ。
だが、どうにも静かだ。いつもならブヒブヒと五月蝿い豚族のクセに、1匹も見えやしない。
「族長、アレ……」
仲間の1匹が鼻先で指すは、簡素な東屋。そこに行けば敷きつめられた藁が見えた。
「プキ、プキ……」
そこに寝ていたのは、豚族の赤ん坊。
まさか、あれを、あれだけを護るのだろうか?
森の獣達の中では、契約は絶対だ。
それを破れば、自分たち以外の動物から森から追い出される。
草食動物の縄張りを護る肉食動物との契約は、こうだ。
・肉食動物は、契約により草食動物の縄張りを護らなければいけない。
・草食動物は、最初と、ある一定の数が超えれば、贄を出さなければならない。
・肉食動物は、草食動物の縄張りにみだりに入ってはならず、またそこにいる者を全滅させてはいけない。
・縄張りの外は、この契約の範囲外とする。それによる全滅は、契約不履行に当たらない。
大体を言えば、このような内容になる。
いつ出来たかは知らない。しかし、ウルフが生まれる遥か昔から、この契約は存在していたし、その森で育ったウルフは何の疑問も無くその契約が有るのを当然としていた。
肉食動物に不利に見えるが、草食動物とて縄張りの外には滅多に出られず、数は増えるのだから贄は出さなくてはならない。護ってもらわなくては、全滅という結果が早まるだけなのだから。
「どうしますか?」
「ふん。まあいい。豚族の縄張りといっても、このガキ1匹だ。この東屋を豚族の縄張りとしてやれ。この場所の好条件なら、他の奴らが新たな縄張りを作りにやってくるやもしれん。そいつらは、お前らの好きにしろ」
「わかりました」
未だ脳天気に寝ている豚の赤ん坊を眺め、ウルフは1つ息を吐き出す。
こうなってしまっては仕方が無い。
今までやってきたように、この縄張りを護る他あるまい。
今まで保護してきた縄張りは、自分が認めた奴らに任せてある。
一つ前の縄張りから、離れた場所にやってきたのだ。
休養して、またしばらくすれば他の奴らに任せて、新しい場所へ行こう。ウルフはそう考え、東屋の近くに身を寄せ、体を横たえた。
数日が経ち、ウルフが最初に思ったのは「何だコイツ?」という感覚。
豚の赤ん坊はウルフを見て、泣くどころか笑った。挙句、懐いてきたのだ。
「ブッ、ブッ」
短い鼻息を鳴らし、座って身体をゆらゆら揺らす。何とも危ない奴だと思えた瞬間、そいつは自分の体を支えきれずにひっくり返った。
「プギイイイイイイィィィ……」
すぐに泣くから、今では仕方なくそいつの身体を支えてやっている。豚族とはいえ、まだ赤ん坊だ。仕方なくだ、仕方なく。なのにこの野郎、優しさを見せた途端に俺の尻尾と耳を引っ張りやがって。
「族長。いいんですか?」
赤ん坊とはいえ、豚族にそんな事を許して?そう言いたげな部下に、俺は寛大な所を見せる。
「いい。この程度で俺がどうにかなると思っているのか?」
「い、いいえ……」
ああ痛い。
「ウーフ、ウーフ」
教えたわけでもないのに、コイツは勝手に俺の名を呼ぶ。だから俺は、勝手にコイツの事を「ブー」と呼ぶ。ブーブーうるさいからな。
更に数日が経ち、俺の傍にブーがいる事が当たり前になれば、一緒に昼寝をする事も当たり前になってきた。
最初に見た東屋で、敷かれた藁の真ん中を俺が陣取れば、ブーがやって来る。別にアイツを害するわけではない。そんな理由があるからか、アイツの縄張りに入っても誰も文句は言わない。しかし、たまにコイツは俺の知らないどこかに行きやがる。俺に断りも無くどこかに行くとは、なんて奴だ。しかし東屋に行けばいつの間にか帰ってきているのだから、まあ良しとしよう。
「ブッ、ブッ」
全く、俺が護ってやっているとも知らず、今日もブーは能天気に俺にもたれ掛ってきやがる。まあ、仕方がない。と、自分に言い聞かせるのはこれで何度目か。
柔らかな日差しの中、俺とブーは一緒に眠る。まったく、だんだんと重くなりやがって。俺でなければ潰れている所だ。
◇◇◇◇
「今日もウルフとブーちゃんは、仲良く寝てるわねえ」
ある外国の森に住む若夫婦。
元々日本に住んでいたのだが、動物好きが高じてこちらに移り住んできた。
昔見た豚の映画。そこの環境に憧れ、最初に飼ったのは犬だった。次に猫、馬、アヒル、牛……と増えていき、今では映画と同じような環境にある。
犬は映画と同じではなく、飼ってみたかった犬種を選んだ。
アイリッシュ・ウルフハウンド。結構な大きさの犬。名前は見た目と犬種名から『ウルフ』と名付けた。安直とは言わせない。こういうのは、直感だ。
見た目を裏切り、おおらかで躾けやすい彼は、よく若夫婦の子どもの面倒を見てくれた。尻尾を引っ張られようが、耳をかじられようが、それに耐えて子どもを護ってくれるのはとても有難かったし、頼もしかった。犬の数も増えてきたが、ウルフをボスとして見ているのか、ウルフの前では他の犬は羽目を外さない。
ウルフ達には、いつも子どもたちのオモチャである動物のぬいぐるみを与えている。すぐにボロボロにされるが、子ども達のオモチャも増える一方だから、ある一定の数があれば、一つや二つ彼らにやっても問題は無かった。
最近、若夫婦に子どもが生まれた。男2人と続いたから、女の子が生まれたのは単純に嬉しかった。
1番上の兄や、2番目の兄は、まだ小さい。最初はウルフが傍にいたが、いつの間にか他の犬と一緒にいるようになった。
「ブッ、ブッ」
赤ん坊がそう鼻を鳴らすのを見て、兄2人は「仔豚みたい。マッキンリーおじさんの所にいたミニブタと、同じ鳴き方だよ」と、いつからか妹を「ブー」と呼ぶようになった。今では、誰もが赤ん坊をブーと呼ぶし、豚の耳があるフード付きの服を着せるようになった。ピンク色なのは、女の子だから。
首が座り、自分で座れるようになれば外に出す事も増えた。藁を敷いた東屋。そこがブーの場所だ。程良く陽を遮り、尚且つ夫婦の目が届く場所。しかし、仕事をしていればほんの少しでも視界に入らず、意識を外してしまう時もある。ブーの泣き声を聞いた時は、本当に焦った。
夫婦は、豚のぬいぐるみを東屋の近くに置いた。ウルフにもブーの事を知ってもらう事にしたのだ。ウルフが動物のぬいぐるみ好きだと気付いたのは、長男の時。
他にもいろんなぬいぐるみはあれど、興味を示したのは動物だけだった。次男が赤ん坊の頃、放っておかれたぬいぐるみを狙ってきたのか、ウルフがやって来た。ぬいぐるみはボロボロにされてしまったが、ウルフは次男に興味を示したのか傍にいて護るようになった。そういえば、長男の時も傍にいたように思う。何かあれば、走って知らせてくれる彼は、とても賢かった。東屋の近くに置いたぬいぐるみは、他の犬を連れたウルフによってボロボロにされた。その後は、兄2人の時と同じように、ウルフはブーの傍にいるようになる。
子どもならではの遠慮の無さと好奇心が赴くままの行動を、ウルフはよく耐えていると思う。しかし、そういう犬種だと知っているから、若夫婦はウルフを選んだのだ。
「今日も、ブーの事よろしくね。ウルフ」
そう言ってやれば、ウルフは耳をピクリと動かし、ブーの方へと顔を向き直して寝る体制に入る。
今ではいつもの光景だと、若夫婦は小さく笑った。
登場人物
【ウルフ】
アイリッシュ・ウルフハウンドという犬種。
しかし何故か自分の事を狼だと思っている。自分の世界観を持っていて、それで完結している。矛盾しようが辻褄が合わなかろうが、あんまり気にしない。自分がそう思うから、そうなのだと思っている。
ブーの事は、「まったく、仕方のない奴だ」を前提に面倒を見ている。最近では、若夫婦がブーを何処か(家)に連れていくのを阻止しようとする。
【ブー】
1歳の人間の女の子。本名は別にあるが、周囲からは「ブー」で定着している。
「ブッ、ブッ」と、鼻を鳴らすのが癖。
最近ではウルフがお気に入りなのか、傍にいないと泣く。
【若夫婦】
豚の映画ファンであり、動物好き。
ウルフに子どもを任せることはあるが、適当に放置しているわけではない。
ちゃんとウルフ側とブー側のケアをしてから、傍にいさせている。