その2 好き嫌いはそれなりに
カレーというのは素晴らしい料理だと思う。
簡単で栄養価が高く1日2日は持つ。まぁ、続けてカレーにすると夕月に怒られるのだが。
という訳で本日はカレーである。辛さは甘口。夕月に合わせて、と言えたらいいんだけど、俺自身も甘口の方が好きなのだ。辛くしても食べれないことはないが好き好んで辛いものを食べようとは思わない。よって我が家のカレーは甘口。
匂いに釣られて夕月が台所まで来た。
「カレー?」と聞かれたので「カレー」とだけ返す。
「もうすぐできるから手伝ってくれる?」
と聞くと夕月は「わかったー」と答えながら台所の隅に置いてある踏み台を持ってきた。
「じゃ、手を洗ってからカレー用にご飯よそって」
「はーい」と答えると踏み台に乗ってから手を洗い、下の戸棚からカレー皿を出した。それを持って割と低い位置に置いてある炊飯器を開けてご飯をよそう。このご飯をよそうのは基本的に夕月の仕事だ。
夕月がよそって持ってきてくれたご飯にカレーをかける。夕月はカレーの中に入ってるある具材を見て顔をしかめた。
「・・・にんじん」
予想通りの反応である。こういう時にも発動される。
「崎守家の家訓」
「・・・さきもりけのかくん」
いつかの朝の時とは違い俺から言うと少し遅れて夕月が復唱した。声は小さい。
「好き嫌いはそれなりに」
「すききらいはそれなりに」
何とも曖昧な家訓だが、理由はある。子どもというのは大人に比べて数段と味や匂いに敏感なのだ。そのため少しでも苦かったりまずかったりすると本能的に危険なものだと判断する。よって、子どもに好き嫌いはダメと言い切るのは少々酷なことだ。
まぁ、この家訓を考えた人からの受け売りなのだが。その張本人も好き嫌いが激しかったので、自分の都合のいい家訓にするための言い訳だったという線も捨てきれない。
何にせよ「それなりに」だ。
「ひとくちくらいはがんばりなよ」
と言うとこくんと頷いた。
「パパばかりズルい」
なんとかひとくちだけにんじんを食べ(他のにんじんは全て俺のカレー皿に運ばれた)カレーを食べ終えた夕月が言った。
「へ?なんで?」
「パパばかり自分の好きなもの入れて自分の好きなごはん作る」
そう思われているのか。
「でもなぁ、毎日献立考えて料理するの大変なんだぞ。それに別にズルして好きなものだけ作ってるんじゃないし。俺は夕月と違って嫌いなものがないだけ」
と言うと夕月は「むー」と頬を膨らませる。
「じゃあ明日の晩飯は夕月の好きなものを夕月が作ってみるか?」
「んー、じゃあ、ハンバーグ作る!」
「わかった。明日の帰りに買い物行こうな」
「うん!」
まぁ、たまにはいいだろう。
幼稚園に夕月を迎えに行ったあと、約束通りそのまま帰り道にあるスーパーに寄りハンバーグの材料を買って帰る。
夕月と2人で台所に立つ。
「包丁使うのだけは危ないから俺がやるな。とりあえず下ごしらえするからしばし待て」
夕月は「りょうかい」と言ってビシッと敬礼する。どこで覚えてきたんだ。
ちゃっちゃと玉ねぎを微塵切りする。この度に微塵切りする前に冷凍庫で冷やして置くと目が痛くなりにくいよって教えてくれた人に多大な感謝を表する。
「よし、じゃあ、玉ねぎ炒めるか」
と言って夕月にフライ返しを渡す。夕月は「おー」と言ってそれを受けとる。そしてコンロの前に置いてある踏み台に乗る。
火をつけフライパンで玉ねぎを炒めるのだが
これ、見てるの怖いわ。
フライパンに直接触るとかしない限りやけどはしないだろうけど、覚束ないフライ返しの動かし方を見てるとハラハラする。
「ゆ、夕月、やっぱり代わろうか?」
「いや」
さいですか。
どうにか玉ねぎを炒め終えた時、深く溜め息をついた。
ボウルに挽き肉、玉ねぎ、卵、パン粉、塩を入れ夕月に素手で混ぜるように指示する。全部を混ぜるのは夕月の小さな手では大変だったので、途中で半分を別の容器に移した。
「入れるのってこれだけ?」
ふと混ぜながら夕月が聞いてくる。
「そうだけど?」
「・・・オリジナリティがたりない」
そんな言葉どこで覚えてきた。
「それ、料理初心者が失敗する1番の原因だから。シンプルなのが1番なのだよ」
「しんぷる?」
何故オリジナリティを知っていてシンプルを知らない。
ピンポーン
そんな会話をしていると家のチャイムが鳴った。混ぜるのは夕月に任せて手を洗ってから玄関に向かった。
隣のおばちゃんの長話をなんとか切り上げて回覧板を受け取り、台所に戻る。
夕月に手本を見せるため取っておいた残りの半分を手早く混ぜてハンバーグの形の整え方を実演しながら教える。
そして焼くのだが、
「俺がやろうか?」
「私がやる」
まぁ、炒めるのとは違ってひっくり返す以外は放っておけばいいから大丈夫か。
「夕月、俺がやろうか?」
「私がやる」
ハンバーグをひっくり返す段階に来た。
「手本を見せるために1個だけ俺がやろうか?」
「できる」
夕月はハンバーグの下にフライ返しを差し込みひっくり返した。ハンバーグがフライパンの淵に当たり形が崩れた。削れたハンバーグが少しフライパンの外にはみ出て落ちる。
「・・・俺がやろうか?」
「次こそは」
同じようにハンバーグをひっくり返す。今度はうまくいった。
「できた」と叫んで、さも褒めろとでも言うように胸を張る。
「おー、すごいすごい」と夕月の頭をぽんぽん叩いてから、崩れて落ちた分のハンバーグを処理した。
机に完成したハンバーグと簡単に作ったサラダ、白ご飯を並べて本日の食卓が完成する。
俺の席の前には崩れた方のハンバーグが置いてあった。
「「いただきます」」
夕月がハンバーグをひとくち食べた。
「おいしい」
「それは良かった」
俺もひとくち食べてみた。・・・。
「・・・辛っ!!いや、甘っ!!」
辛い。そして、甘い。尋常じゃなく甘い。何を言ってるかわからねーと思うが、俺も何をされたかわからな・・・
「夕月、俺が目を離した隙にハンバーグに何を入れた?」
「砂糖と何か赤いの。おいしい?」
「・・・」
俺はハンバーグを見つめる。夕月の顔を見る。満面の笑みである。もう一度ハンバーグを見る。娘が生まれて初めて作ってくれた料理である。いやしかし、これを食べ物と判断していいのか。ていうか、夕月は何故美味しそうに自分の分のハンバーグ食べれてるんだ・・・あぁ、あっちは俺が後で混ぜた普通のハンバーグか。
俺が躊躇していると俺の顔を見て察したのか、救いの言葉を
「パパ、好き嫌いはそれなりに、だよね?」
・・・食べるしかないようだった。