第九話
夕飯を食べた後も、ゴロゴロと本を読んでいるシアに聞いた。
「シア。字を教えてくれないかな?」
「そういえば読めないんだっけ。じゃあ今度、子供用の絵本でも買ってきてあげるわ。」
自分用にメモを書いたりするのには困らないが、店の看板やメニューが読めないのには困る。
「お願いね。」
「じゃあお風呂に行きましょ。今日はなんだかんだいろいろあって疲れちゃったしね。」
僕とシアは外していた帯を巻き、風呂桶に石鹸を放り込んで家を出た。日が落ちても、まだ少し暑い。昼間もシャワーを浴びていたのに、まだ風呂に入るのかと、シアに聞く。
「それはそれ、これはこれ。シャワーとお風呂は全く違うじゃない。それがなんで一緒になるのよ。」
そんなことを言われても僕にとっては似たようなものである。
銭湯の入り口で料金を支払い中に入る。そこはやはり当然のように混浴だった。脱衣所にあたる部分の壁際には日本と同じくロッカーが並び、隅には体重計と牛乳のようなものの入った冷蔵庫がある。中央には長椅子が並び、オッサンが将棋のようなゲームをしていたり、おばさん達が談笑している。
「どうしたの?」
「いや、やっぱりああいうオッサンはいるんだなと思ってね。」
…………風呂上りに牛乳を飲むとき、腰に手を当てるオッサンはやはりここにも存在した。それを聞いたシアは納得したのか、腰の帯を外し浴室に入っていった。その手には石鹸の入った風呂桶と手拭い。それとなぜか鉈が握られていた。
僕もさっさと帯を外し、シアの後に続く。浴室も混浴であることを除けば、少々広いが普通の銭湯と変わらない。シアがすでに体を洗い始めていたので隣に座り体を洗う。頭を洗い、体を洗っているとき、シアが剃刀を取り出し足や腕を剃り始めた。なんだか見てはいけないような気がするが、シアは気にせず足と腕を剃り終え、脇を剃り始めた。
あまり見ていると怒られそうなので、さっさと湯船に逃走した。赤ん坊にお乳を飲ませている若い女性と、全身ツルツルにしたお兄さんが湯船の縁に腰かけていたので避けて入ると、目の前にカレー粉を買ったスパイス屋のお婆さんが浸かっていた。
「おや、シアちゃんの彼氏さんだったかね?渡してあげたのはもう飲んだのかね?」
「いえ、まだ飲んでないですけど。」
もしかして何かヤバい薬だったりするの?それと、そんな関係ではないです。
「もしかして、おばあちゃん。トシに何か変な薬渡した?トシも飲んじゃだめだからね。このおばあちゃんお金を取るときは腕がいいんだけど、ただでくれるものは変な薬ばっかりだから。」
やっぱりヤバい薬だった。帰ったら、間違って飲まないうちにさっさと捨てておこう。
「変な薬とは失礼な子だね。面白い薬と言っておくれ。」
「絶対飲んじゃだめだからね。」
「シアは何でお風呂にまで鉈を持ち込んでるの?みんな置いてきてるけど?」
頭を洗っているときも、体を洗っているときも、毛を剃っているときも、常に膝の上にあった。お湯につかっている今も当然、膝の上にある。
「これが無いと腰が軽くてどうも歩きづらいのよね。ふわふわするっていうか、左側だけ上がるっていうか。これでも、街中では右に差すようにしたから、少しはマシになったんだけど、やっぱり違和感あるのよね。」
帯刀してないと落ち着かないとか、どこの武士だよ。
湯はそれほど熱くはなかったが、話しながらのんびりと浸かっていたので、すっかり茹蛸のようになってしまった。
「トシ、上がるよ。」
そういってシアが立ち上がる。そちらを向くと、シアのツルツルに剃りあげた綺麗な足が目の前に来る。シアが女でよかったと思うね。まぁ、シアが立ち上がるより前に、何人もの老若男女を問わない人たちが、座っている僕の目の前を通り過ぎているんだけどね!むさくるしいオッサンや、イケメンなお兄さん。可愛らしい少年少女もいれば、スパイス屋のお婆さんみたいな人まで様々な人がいた。
お湯から上がり、体を洗った手拭いを絞り、体を拭く。後は、帯を巻くだけで帰り支度はおしまいだが、その前に少し休憩だ。長椅子に座って湯上りの火照った体を程よく冷ます。冷まさないと、熱くてやっていられない。隣の長椅子にもオッサン二人が座って、難しい顔をしながら将棋のようなゲームをしている。反対の長椅子では赤ん坊を抱いた若い奥さんが二人、子供に乳を吸わせながら井戸端会議をしている。
「トシ。喉乾いたでしょ?」
シアがよく冷えた牛乳と小さな紙包みを渡してきた。包みの中身は小学校の頃、給食で出た『あれ』のココアバージョンだ。牛乳に入れ飲むとやはりそうだった。シアが飲んでいるのはまた違った。
「シアの飲んでいるのは何?」
元は同じ牛乳だろうが、と化している物が違うのか、薄い黄色だった。
「黄粉牛乳よ。」