小さな王女と森の精
エリーが熱を出した。
その額のあまりの熱さに、サラはエリーの額に触れた手を慌てて引っ込める。
わたしのせいだ。
サラの胸に一挙に後悔が押し寄せる。
母さんが、今日は寒いから森で遊ばないように、と言ったのに。
まだ木の実が拾える、とびきりの場所を見つけたサラはエリーにどうしてもその場所を見せたかった。
そう森の奥深い場所ではなかったし、所々陽が当たる場所は暖かかったから大丈夫だと思っていた。
だから、二人一緒にエプロンいっぱい木の実を拾って、驚きながらも嬉しそうな母さんの笑顔を見ることが出来て満足していたのに。
「暖かくして休んでいれば、エリーの熱はすぐ下がるわよ。サラは寒くない?」
「だいじょう…ぶ…」
今にも泣きそうなサラの小さな頭を、ベルは優しく撫でる。銀色がかった金髪は、ベルの手櫛で丁寧に整えられた。
「そう。でもエリーの風邪がうつるといけないから、今夜はジェスと一緒に寝てね。みんな一緒だからって、遅くまではしゃいでは駄目よ。四人とも、早く寝るのよ」
「はい」
自分の夜着を渡されて、サラは自分とエリーの部屋を出た。代わりにケイト達の部屋へ向かう。
「サラ。こっちにいらっしゃい」
ベッドの脇をぽんぽんと叩いて、ジェスがサラを促した。
「エリーのようすはどう? 熱、下がりそう?」
長姉らしくケイトが心配そうにサラに尋ねる。
「すぐ下がるって、母さんが…」
「母さんがそう言うなら、きっとそうよ」
サラの不安を拭うかのように、セレナがサラににっこり微笑む。
セレナの笑顔が伝染してにっこりと笑ったサラは、今度は不思議そうな表情でジェスに尋ねた。
「でもどうして、母さんはそんなことが分かるの?」
「母さんは何でも知ってるのよ。特に、わたしたちのことはね」
「ふしぎ…」
「サラだってそうよ。木苺や木の実を自然に見つけたりできるでしょう?」
ジェスにそう言われると、そういうものなのだ、と心の中にすっと入ってくる。
なんとなく自分は他の姉妹達と少し違うと感じ、揺れているサラの心を、ジェスはいつもこんな感じで落ち着かせてくれる。
それでもサラには自覚があった。
エリーが特別病弱なわけではない。
もちろんサラだって風邪をひく時もあるが、それが他の子供よりずっと軽症であることは村では有名だった。
きっと一日中森で遊んでいるのが体に良いのだと、病弱な子供を持つ親達は日課として子供に森を散歩させているくらいだ。実際、それだけでもいくらかの効果はあるらしい。
「今夜は早く寝なさい、って母さんが言ってたから、もう寝よう、みんな。明日の朝はきっとエリーは元気になってるわよ、サラ」
ケイトがそう言い、サラは慌てて夜着に着替えた。くすくす笑いながらジェスのベッドにサラが潜り込んだことを確認すると、セレナが部屋の明かりを落とした。
しかし翌朝になっても、エリーの熱は下がらなかった。
「エリー…」
エリーに近付かせないようにしているベルの手に、ぎりぎりまで凭れ掛かるようにして、サラはベッドの中のエリーを覗き込む。
「エリー、苦しいの?」
「大丈夫よ、サラ。今日はケイト達と遊んでいなさい。でも、みんなと一緒だからって、あまり遠くへ行っては駄目よ」
暗に森のことを言われていることは、サラも知っている。皆が風邪をひいてしまっては、せっかくエリーが快復しても意味がないこともサラには分かっている。
「木…苺」
「え?」
ベッドの中から聞こえた、か細い声にサラはぴくりと反応した。
「おっきくて甘いの…食べたい」
「エリー。この季節はジャムしかないわ」
「…いや。サラに頼んで、とってきてもらうの」
「いいわよ、エリー」
「サラ。エリーは寝惚けているだけよ。木の実の季節に木苺が採れないことは、あなたも知っているでしょう?」
「わたし…知ってるもの」
「サラ!」
部屋を飛び出したサラは、一目散に森へ走る。
誰にも教えていない、秘密の場所。
木枯らしが吹いても、白い雪が積もっても、きっとあの場所なら木苺がある。
「エリー…待ってて…」
小さな手を握りしめて、サラは走る。息が切れて、体が熱くなって、きっと今のサラの体の熱はエリーの熱と同じくらいだとサラは思う。
そう…木苺が食べたくなるほどの熱さ。この熱のせいで、エリーは苦しんでいる。
エリー、頑張って。
そう念じながら走り続けて、暫くしてからサラはやっと立ち止まった。
「…あった」
はあはあと息を切らしながら、目の前に広がる光景を見てサラは微笑む。まだ息は苦しいけれど、いつ来ても息を飲む光景だ。
大粒の木苺が、宝石のようにつやつやとした輝きを放って実っている光景は夢のように美しい。
見蕩れるのも束の間、サラは一番大きな実を探して蔓や葉の陰を丁寧に調べる。そして一番大きな実と、それに続く大きさの実を全部で三粒ばかり採って、サラはその場を離れようとした。
とん、と背中が何かにぶつかって、振り向いたサラは目を見開いた。
エリーと同じ金色の、でもゆったりと長い巻き毛の、とても美しい人がそこにいた。
「それだけでいいのですか?」
長い睫に覆われた榛色の瞳をぼーっと眺めていたサラは、掌の中にある木苺のことを言われているのだと気付くと、慌てて自分の小さな掌を見つめる。
「エプロン忘れたからそんなにいっぱい持てないし…それに…母さんには内緒だから」
「どうして?」
「木の実の季節に、木苺があるのはおかしいって…。だから、エリーにも内緒にしているの。でも、エリーは熱があるから、木苺が食べたいの。だから、エリーにだけとくべつ…。はやく元気になってもらいたいの。わたしが、きのう木の実拾いでエリーに風邪をひかせてしまったから」
「あなたのせいで?」
「たぶん、そう…」
しょんぼりしてしまったサラを見て、その佳人はサラをそっと抱き上げる。
急な出来事に驚いたサラは、しかし抵抗する事なく、同じ目線になった榛色の瞳をもう一度見つめた。
薔薇のような花の香りはどこか懐かしい。
「優しい子ね…。あなたのせいではないわ。それに、この実を食べたらすぐに元気になるわよ。ただ、あなたのお母様がそう言っているのなら、他の人には見つからないようにしないとね」
「…このこと、だまっててくれる?」
「ええ。約束するわ」
ちゅ、と額に口付けされて、サラは不思議そうにその人を見た。
「あなた、だれ? …ううん、当ててあげる。あなた、森の精でしょう! だって、とてもいい匂いがするもの!」
そう言うサラに優しい瞳が頷くのを見て、サラは嬉しそうに微笑んだ。
「このこと、黙っててくれる?」
「うん! 約束するよ」
「じゃあ気を付けてお帰りなさい」
地面に降ろされて、サラは掌の中の木苺をもう一度確認する。
潰れていないことに一安心して振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。
サラが皆に内緒でエリーに食べさせた木苺のお陰か、エリーの熱はすっかり引き、サラに普段通りの笑顔が戻った。
そして不思議なことに、その翌年からリブシャ王国では木の実の季節に入っても木苺が採れるようになった。
季節ネタにしようと思って書き始めたのに、どんどん違う方向に…。
この頃、まだマイリは生まれていません。
サラが五歳ってことは、ケイトは八歳。
書きながら、ガールズトークと言うには幼すぎるなぁ、と思ってみたり。