戦争の始まり
〈夜を呼ぶもの〉を掲げながら、私は互いに敵軍へと向かって突き進んでいく両軍の動きを眺めていた。
ローデリア軍はその数およそ20万。
統一されたデザインの鎧を着て纏まって行動している者達が兵隊で、それ以外のバラバラな装備と動きの者達が傭兵や徴収された平民だと思う。割合としては兵隊4のその他6といったところ。
その他の6はかなりバラバラに行動して、まるで餌に群がる蟻のようにこちらの軍に迫ってくるのに対し、兵隊の方は隊列を整え、陣を敷いて待ち構えている。
「あれは……確か魚鱗の陣でしたね」
私は少し高い場所にいるため、相手がどういった陣形を取っている良く見える。そしてその三角形のような陣形には見覚えがあった。ゲーム時代に戦争をために勉強した陣形に同じものがあったからだ。
まるで組体操のように一糸乱れぬその動きは、素直にすごいと思えた。
こうして上から見る分には簡単そうに見えるが、ゲーム時代に実際にやろうとすると相手との間隔や自分の位置などが把握し難く、歪な三角しかできずに早々に諦めてしまった。
「やはり遊技と本気では、全然違いますね」
こちらが昔やっていたのはあくまで遊技で、あちらは本当に命が懸かった現実での行動だ。勝てば報酬が貰えて、負ければ死ぬ。まさに天国と地獄、必死さが違うのも当然だ。
「まあ、必死という意味でなら、私の軍もある意味必死ですね」
今度は自分の軍に視線を向ける。
敵軍の規模と比べると、こちらの軍は明らかに小さい。その総数は5万ほど。
おまけにこの戦場は草原で、伏兵を配置できるような場所もなく、戦う方法は正面からぶつかる以外の選択肢が存在しない。
さらにトリトン率いる戦車部隊がその速度のため独走状態、大将であるはずのべんけいと彼を信頼しているダークエルフの部隊がその戦車部隊を追うように突出。その後ろに最も人数の多いナハティア軍というバラバラもいいところである。
隊列も何もあったものではない。
「……見事にバラバラですね」
私は溜息を吐きながら、思わずそう呟いてしまった。
「エリスリーゼ様……大変申し上げにくいのですが、それは致し方無いかと」
そんな私の呟きを耳にしたロンダルが困った顔で告げてきた。
「トリトン様の率いる戦車部隊は速度が早すぎ、歩兵と足並みを揃えるには不向きです。また、ダークエルフ部隊は、ほとんどがべんけい様に鍛えられ、その強さを良く知る者達で構成されており、べんけい様の後ろを追うのに躊躇いはありません。ですが、ナハティア軍はこちらと顔合わせをした程度で、トリトン様やべんけい様の御力も、エリスリーゼ様の御力も詳しく存じ上げない者がほとんどです。おまけに今は真昼で、かのヴァンパイアの能力にも制限が掛かって士気も低い状態なのです」
いくら自分たちの王族が命じたことだとはいえ、いきなり現れた御伽噺の魔王のために戦えと言われても納得がいかなず足並みを揃えるのは不可能だとロンダルは言った。
「そうですね。私もいきなり目の前に神様が現れて、神のために戦えと言われても困りますし」
その辺りの事情は事前にクライスにも言われているので、ロンダルに言われても特に何の感想もわかない。ただ、今後のことを考えるともう少しナハティアに顔を出した方がいいかもしれないと思っていた。
「あ、トリトンがそろそろぶつかり―――」
ドドォン!!
トリトンの部隊と敵軍がぶつかりそうになったその瞬間、戦車部隊の少し後方辺りから轟音が響いてきた。
「……何ですか? 騒々しいですね」
音の発生源に視線を向けると、そこでは砂塵が舞上がり地面が抉られていた。
「で、伝令! 敵軍より砲撃を受けました! べんけい様から離れてしまったダークエルフ部隊に命中しました!」
伝令役のダークエルフ兵が慌てて私の所まで駆けてきてそう報告してくる。
「そう」
私はそう一言だけ返すと、あまりにそっけない返答に伝令が唖然とした表情で固まってしまった。
「え、あ、その、それだけ…でしょうか?」
伝令役のダークエルフ兵が戸惑いながら尋ねてくるが、むしろ私としては他に答えようがない。むしろなぜそこまで動揺しているのか理解できない。
大砲なんてゲーム時代は玩具のようなものであいさつ程度の代物だ。高Lvプレイヤー同士なら大砲のような固定威力の設置武器なんて当たったところでどうでもいい。感覚としては雪合戦をしているようなもので、武器や防具、設備に当たって耐久が減れば儲けものといった感覚だった。
「……あぁ、そうですね。ゲームでは無意味でも、ここでは違うのですね」
プレイヤーにとっては無意味でも、この世界の住人や建造物ではたかが大砲でも当たれば致命傷の可能性がある。伝令役の兵士の慌てぶりを見るにその可能性の方が高いのかもしれない。
「砲撃を受けた部隊の損害は?」
「今確認のため人を送っております。ただほぼ直撃だったようなので、おそらくは……」
砲撃の直撃を受けた仲間達の中に知り合いでもいるのか、伝令に来た兵士の声には悔しさの感情がはっきりと見て取れた。
「まあ、問題ないでしょう」
私はそんな兵士を見ながら何も問題はないと言い放った。
大砲の直撃は確かにこの世界の住人にとっては致命的かもしれない。だが大砲が直撃したのはべんけいから離れたダークエルフ部隊の一部だ。
私は大砲が直撃したと思われる地点の砂塵の中に複数の人影を確認していた。
「ああ、ほらやっぱりです」
そして砂埃が全て散った場所には腰を抜かして座り込んでいるものはいるが、倒れて動けなくなっているようなダークエルフは見当たらなかった。
「んなぁっ!?」
同じ光景を見ていた伝令役の兵士が驚きすぎて変な声を上げている。
「当然ですよ。全員分は無理でしたが、自国民の兵士にはミリーゼ作の防具や武器を渡してあります。直撃を受ければ多少傷は付きますが、たかが大砲程度でダメージを負ったり、壊れるような代物ではありません」
隣ではミリーゼが当然だと言わんばかりに腰に手を当てて胸を張っている。
「さて、そろそろ〈夜を呼びもの〉が発動します。合図を上げてください」
私は掲げている〈夜を呼ぶもの〉眺めてミリーゼに支持を出す。
「は~い、それじゃ~いくよ~」
ミリーゼがいつの間にか設置していた打ち上げ花火の導火線に着火した。
ジジジと音をさせながら導火線が徐々に短くなり、そして花火が打ちあがった。
ドドォン
「どうでもいいのですが……普通は信号弾などではないのですか?」
事前作戦会議で伝えてはいたが、花火といわれてもピンと来ていないものが多く、さらに思った以上の爆音に自軍の中にもびっくりして固まってしまった者が多く目についたためそう口にした。
「ただの合図なんだから~わかればいいんじゃないかな~。それに~どうせ衝突する前に終わるんでしょ~?」
「それもそうですね。それでは〈夜を呼ぶもの〉……起動しなさい」
私が〈夜を呼ぶもの〉を起動すると世界が一変した。
〈夜を呼ぶもの〉を起点に空が暗くなり昼の空から夜空へと変わり始め、空には昼と夜の境界が表れ始めた。その光景に敵軍だけでなく自軍にも動揺が広がり始めた。
そして変化は地上にも表れ始めた。
「うああああああ!!! 来るなぁあああ!!!!」
敵軍の中にいきなり暴れだし、仲間を攻撃し始める者が現れ始めた。
「なぁっ!? や、やめろ! 突然如何した!」
「よせ! どうした!? 正気に戻れ!! ぐあっ! ぎゃぁあああ!! ち、近寄るな!!」
「ひぃぃいいいい!!?? や、やめてくれ!」
止めに入った者が切られ、切られたはずの者がさらに他の者を切りつける。
その負の連鎖がどんどん広がっていく。
その光景を眺めながら、私は微笑みを浮かべながら宣言する。
「さあ存分に猛威を振るいなさい蔓延る恐怖」
恐怖劇が進行し始めた