幕開け
遅くなってすいませんでした。
眼前に広がる平原。
「……こうして見ると、20万の軍勢と言うのは壮観ですね。まあ、兵士も将軍もレベルは大したことないですが」
私はその平原よりも少し高い位置にある丘の上から、オペラグラス越し反対側に陣取っているローゼリア軍を眺めてそう呟いた。
このオペラグラスはミリーゼが作った物で、望遠・鑑定・索敵の効果が備わっている。そのため私の視界には兵士のレベルに名前、職業が映し出されている。
「……〈D/E〉を使ったら、一瞬で終わりそうですね」
「あ~、パズルの全消しみたいで楽しそうだね~」
私の発言にミリーゼが笑いながらそう言った。たが、べんけいとトリトンは少し引いている。
〈D/E〉とは錬金術で作成できるアイテムで、作成には非常に貴重な素材に、かなりの高レベル錬金技能が必要になる。ただ、そのコストに対して効果が微妙なアイテムだ。
効果は範囲内のレベル50以下の即死、範囲は戦闘フィールド全域。
これだけ聞くとすごいアイテムに聞こえるが、ゲーム時代ではこういった大規模戦に参加できるのはレベル70以上、さらにレベル50以下に大量に囲まれるような状況は極々一部のエリアでしかありえない。
そのエリアも入れる最低レベル150なので、〈D/E〉がなくても早々死ぬことがない。
ゲーム時代では本当に一部でしか使う機会のないアイテムだった。だが、ゲーム時代と違って今この戦争では、敵軍も自分も歩兵のレベルは50以下が殆どだ。この状況で〈D/E〉を使用したなら、敵味方問わずこの戦場にいる兵士の殆どが即死することになる。
「物騒だな……。それにそんなことしたら、こっちも大量に死ぬぞ?」
「そうですよ! 僕のモンスターまで死んじゃうじゃないですか!」
「もちろん冗談ですよ。まさか、本気でそんなことをするとでも? 」
この二人は私が本気でそんなことをすると思っていたのだろうか。
「……人形姫って言ったら、一つのフィールドを呪い潰して使えなくしたって有名だ」
「っう……」
べんけいの口から出た嘗ての黒歴史に思わず呻き声が出てしまった。
「そうですよ! あの光景を知っていると、むしろやっても不思議がないです!」
トリトンはその戦場を直接見ているため、確信に満ちた表情で頷いている。
「あ、あれは事故ですよ」
「あはは~、でも確かに、あの光景を創った人形姫なら~、大量虐殺しても不思議じゃないね~」
ミリーゼまでも納得の表情を浮かべていた。
とりあえず納得した表情を浮かべている三人が腹立たしかった私は、足元の小石を拾い上げて全力投球してやった。
「ていっていっ! ていっ!」
「ん」 べんけいは回避した。
「ぎゃあ!」 トリトンは右目に命中した。
「わ~」「ぎゃあぁあ!!」 ミリーゼはトリトンを楯にした。トリトンは左目に命中した。
「くっ、べんけいは分かりますが、ミリーゼもやりますね」
「あはは~、付き合い長いからね~。何するかは大体分かるよ~」
とりあえずトリトンの悲鳴を聞いて溜飲が下がったので良しとした。
トリトンが蹲って「目が~、目が~!」と、聞き覚えのあるフレーズを口ずさんでいると、ロンダルが慌ててこちらにやって来た。
「エリスリーゼ様!」
ロンダルはその場でひざまづいた。
「どうしました?」
慌てた様子のロンダルに、私はそう尋ねた。
「はっ! ローゼリア軍が突然動き出しました。これまで彼の国は、軍を動かす前に宣戦布告を行ってきたのですが、今回はそれをせずに突然動き始めたようです!」
これまでにない行動ということで、ヴァンパイア側の兵士にも動揺が走っているらしい。
「……不意を突いてきた。ということですか?」
私が思いついたのは不意打ちと言う言葉だったが、自分で言っていてどうもしっくりこない。自分で言って首を傾げてしまった。
「さすがにこの状況で不意打ちはないだろ。というか、この状況では不意打ちになってない。もっと近いか、伏兵が後ろから来るなら分かるが……」
私が首を傾げていると、べんけいが不意打ちについて否定する。
「そうですよね」
その言葉に私も納得できた。ではいったい、どうして突然敵軍が動き出したのだろうか。
「まあ、いいでしょう。予定が早まったなら、帰る時間が早くなるだけです。……べんけい、ミリーゼ、それとトリトン」
私は三人に声を掛ける。
「べんけいは兵を率いて敵軍へ突撃を、先陣はお任せします。ミリーゼは負傷者が運ばれて来たら手当をお願いします。トリトンは戦車部隊を引き連れ、戦場を引っ掻き回してください。できるだけ、敵味方死者は出さないようにお願いします」
その指示に三人が応える。
「応」
「は~い」
「目、目ぇ」
若干一名がまだ復帰できていないが、とりあえず放置して二人に視線を送る。
「それでは、私が〈夜を呼ぶもの〉を起動するまで、時間稼ぎをお願いします」
私がそう言って〈夜を呼ぶもの〉を構えると、べんけいはトリトンを担いで前線へ、ミリーゼは後方部隊へと移動していった。
「さあ、ローゼリアの皆さん。恐怖劇の幕開けです!」
〈夜を呼ぶもの〉を天高く掲げて、私は高らかに宣言した。
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ローゼリアの突然の進軍が行われる少し前、ローゼリア軍の幹部たちは大きな天幕に集まり作戦会議を行っていた。
「ふん! あのような少数の兵に全戦力を動かすなど、陛下はいったい何を考えておるのだ!?」
顔の右半分に大きな傷を負っている狼族の男。年齢はすでに50を超えているにも関わらず、その肉体は鍛え抜かれ鋼を連想させる。
男の名はヴォーガ。
ローゼリアの将軍の一人で、先の言葉の通り今回の進軍に否定的な存在だ。
それもそのはず、このヴォーガは根っからの武人であり、今回のような弱い者いじめのようなやり方が何より嫌いなことで有名であった。
「まま、ヴォーガ殿。そうカリカリせずともよいではないですか。今回は陛下直々の勅命、いかなヴォーガ殿でもあまり否定的なのもどうかと……。とはいえ、確かに今回の戦争はいささか不可解ですね。バルティオ殿は何か聞いておられますか?」
そんなヴォーガに対し、狐族の男が愛想笑いを浮かべながら宥める。
この男もまた将軍の一人で、名をカネルという。ヴォーガと正反対に武よりも知を尊ぶ。胡散臭さがにじみ出てはいるが、根は愛国者である。
「……」
そして最後にこの中では一番若い将軍、バルティオは沈黙したままだった。
「若造、何か知っているな?」
ヴォーガはバルティオの沈黙を肯定と確信し、そちらを睨み付ける。並みの兵士ならばそれだけで倒れそうなほどのの眼力だが、バルティオとて将軍の一人だ。
睨まれた程度で怯むはずもない。
「……今回の戦争、陛下は敵軍ではなく軍を率いる存在に怯えているようだ」
「怯える? あの陛下が?」
カネルはバルティオの言葉に首を傾げた。
彼の知る陛下は自分の欲望を成すためなら何にも怯まない存在だ。その行き過ぎた欲望にカルネを始め、真面目に国を良くしようとしている者達は呆れてはいるが、その欲望を成すための陛下の強さそのものは認めている。
その陛下が怯えると言われ、カネルは首を傾げるしかなかった。
ヴォーガもカルネと同じ考えなのか、眉間に皺を寄せて黙り込んでいる。
「そうだ、陛下は怯えている。俺とて最初は何を馬鹿な。と考えたが、実物を見て理解した。あれはダメだ」
だが、そんな二人を見ながらバルティオを自分の目で見て、肌で感じた少女姿の魔王を思い出した。
思い出しただけで彼の背筋に冷たい汗が流れる。
「一体何者なんですかね? その存在は?」
「陛下や親父は魔王と言っていた」
魔王という単語に、カルネとヴォーガはますます訝しがる。
「魔王? それって、お伽噺に出る魔王ですか?」
カルネは何の冗談だと言いたげな表情で。
「……くだらん」
ヴォーガはいきなり出てきたお伽噺の存在を一言で切り捨てた。
「そう言いたい二人の気持ちは分かる。……だが、冗談でも何でもない。俺はこの目で見た」
「……」
「それならいると仮定しましょ? 常に最悪の想定を。が将軍としては正しいですし。だからヴォーガ殿もそんなに……」
二人の険悪な雰囲気を押さえようとカルネが仲裁に入った時、天幕の外から兵たちの動揺した声が聞こえてきた。
「何事です?」
入口に一番近いカルネが天幕から顔を出し、近くの兵を呼び止めた。
「カ、カルネ将軍! た、大変です! 陣形の確認を行っていたエネラ隊長が!」
兵の顔は青を通り越して白くなっていた。それだけで尋常でない事態だと理解できる。その上、今上がった隊長の名前で天幕の中にいるヴォーガの纏う空気がより鋭さを増した。
「……エネラがどうした?」
「ひっ」
あまりの剣幕に兵は喉をひきつらせ、まともに声を出すこともできなくなっていた。
「落ちついて、ヴォーガ殿もその物騒な空気しまってください。それで? エネラ隊長……ヴォーガ殿の御息女がどうされたんです?」
カルネがさりげなく兵の前に立ち、兵の視界にヴォーガが入り込まないようにして問いかける。
「エ、エネ……ラ隊長が、何者かに…殺されました」
「敵が侵入したのですか?」
「ち、違います。じ、自分は見ていませんが、見ていたものは敵陣から石が凄まじい速度で飛んできて、それがエネラ隊長を……」
「そうですか。持ち場に戻っていいですよ」
「は、はいっぃ!!」
エネラの死を聞いた瞬間、ヴォーガが爆発すると兵は考えていた。だがその予想に反してヴォーガは静かに目を閉じていたため、兵は何とか状況説明をできた。だが報告を終えて余裕が生まれた兵が、ヴォーガをよく観察するとそのさまはまるで噴火直前の火山に思えた。
それそのはずだ。
ヴォーガは娘を溺愛していた。表には出さないようにしているだけで、家族も兵達もその溺愛ぶりを知っている。そんなヴォーガが娘の死に、ましてやこんな意味も分からない理不尽な死に方に納得しているわけがない。
そう感じた兵は再度冷静さを失い、カルネの許可が下りると敬礼も忘れて逃げ去っていった。
「……出陣する」
ヴォーガはただ一言、そう告げて天幕を後にした。




