プロローグ
「あれ? ……ここは?」
目を覚ますとそこは昨日の夜に寝ていた自分の部屋ではなかった。
そこはかなり大きな部屋で、周囲を見渡せば床には紅い絨毯が敷かれ壁にはアンティーク調の照明がいくつも設置されている。そして、私の位置からちょうど正面には、扉と言うにあまりにも意匠を凝らした花々の彫刻が刻まれた扉があった。
そして私が座っている椅子は、豪華絢爛という言葉がしっくりくるような、宝石によって彩られた玉座だった。
「ここって、私のお城? ……寝落ちしたっけ?でも確か昨日は布団で寝たはず……」
混乱していた私だが、この部屋の光景に見覚えがあることに気がついた。
ここは魔王vs英雄Online、通称《魔英伝》で私が支配している領域にある魔王城《人形の庭》の謁見の間だ。
魔王vs英雄Online、通称《魔英伝》。
VRMMOで国内最大を誇る。
魔英伝のストーリーは闇の神ディスビアを信仰する勢力と、光の神ユトゥピアを信仰する勢力の戦争という設定のものだ。
このゲームの特徴はシステム開発に多大なお金と時間を使って、プレイヤーの行動の自由度を高めているところにある。
その最たる例が、人型以外のアバターを使えることだった。
本来VRでは五感同調によって、アバターを動かすためあまりに現実の身体と違いがあると、操作性が一気に困難になるという弱点がある。
そのため魔英伝では五感同調のほかに、五感補正というシステムが導入され、アバターには四足歩行の獣や多足生物、果ては剣などなんでもありになった。
そして人型以外のアバターはモンスターアバターと呼ばれていた。
「まあそのせいで、肝心の魔王と英雄を作り忘れるってすごいわよね」
そうこの魔英伝、開発メンバーがシステムばかりに集中したせいで、肝心の魔王と英雄が作り忘れられていた。
本来はこんな重大な欠陥を残したままの発売はあり得ないことだったが、すでに何度も発売を延期したため、さすがにもう延期にすることができなかったそうで、これには運営もかなり頭を悩ませながら発売に踏み切ったと聞いた。
そのため発売当初は魔王も英雄もいないという状態がしばらく続いていた。
だが運営も何も考えずに発売に踏み切ったわけではなかった。
彼らは存在しない者を一から作るのではなく、ゲーム開始と同時に存在するAI以上に自由な存在に目を付けた。
それはゲームをプレイするユーザーたちだった。
運営はこの逆転の発想を思いつくと、すぐにユーザーたちへと通知を行った。
そこには魔王や英雄になる条件や、その役割や権限などの説明があった。
まず一つ目は支配領域について。
支配領域は文字通りの存在で、そこを自分のものとすることができる。そうすることによって、そのエリア内にある鉱石の採掘エリアや、そこでしか取れない種類の薬草、素材などは支配領域の主の許可がないと採取できなくなったり、採取することによって支配領域を出る時に自動的にユーザーに設定したゲーム内通貨を支払わせることができる。
二つ目はステータス補正。
これは魔王や英雄になると基礎ステータスにボーナスが付く。しかもそのボーナスは魔王や英雄になった者が自分で振り分けれる。
三つ目が専用のスキル。
これは魔法スキルでも武器スキルでもなんでもよく、効果や範囲も運営が妥当と判断すると自分のアバターだけの専用スキルとして登録される。
そして最後に専用装備。
魔王や英雄になった者は自分の好きなデザインの武器や防具に、好きなエンチャントを5つまで付けて貰える。(本来は3つまでが限界である)
デザインは自分で描いたものを運営に送ることもできるし、デザインをしたことが無い人などは運営に申請すると専用のツールが届き、その中に登録されている膨大な基礎データを組み上げて装備の外観を造ることができる。
これはネットでも話題になりユーザー達がこぞって、この通知に応募した。
あまりに応募が多すぎて、運営が選別するのに手間取ってしまったという話も聞いたことがある。
そして抽選の結果、闇勢力に三人と光勢力に二人いるLVMAXプレイヤーが、最初の魔王と英雄になることが決まった。
魔王と英雄に選ばれたプレイヤーは予定通り、いくつかの権限と専用スキル、支配領域、専用装備をもらい運営に協力することになった。
この部屋は私が運営からもらった支配領域に建てた城の中にある謁見の間である。
「でもほんとにどうしてINしてるのかしら?」
私は昨日は確かにログアウトして眠ったはず。
ひょっとしたら寝ぼけてINしたのかもしれないと考えたけれど、さすがにそれはない。
とりあえず玉座から降り、謁見の間をあとにして城内にある自分の部屋に向かうことにした。
「……なんだか、変ね」
謁見の間を出て廊下を歩いていると、何とも言えない違和感を感じてしまった。
どこがどう変なのかはっきりとは言えないけど、周囲を見渡すと必ず違和感を感じてしまう。
私はモヤモヤする気持ちを抱えながら、人形の関節が出すカチャカチャという音を立てながら、とにかく部屋へと向かった。
キイィ……
部屋の前に辿り着き扉を開けると、ようやく先ほどから感じていた違和感の正体に気がついた。
「え? ……古い?」
私が扉を開けると、扉はまるで長い間使われていなかったように滑りが悪く、擦れるような音が響いた。
そして私は今歩いてきた廊下の違和感の正体を確認するために、廊下を振り返る。
先ほどは気が付かなかったが、よく見ると廊下の天井付近には蜘蛛の巣があり、そして窓枠の冊子部分には埃が積もっているのが見えていた。それに壁などはところどころ劣化している。
「……どういうことかしら?」
どんなにリアルに近くとも、ゲームはゲームでしかない。
汚れることはあるが、ほこりのような細かいものはなかった。それにオブジェクトには耐久力が低下することはあるが、見た目が劣化するなどというシステムはない。
なにより、そういった汚れや耐久力低下はあくまで破壊可能オブジェクトだけで、この部屋はプレイヤーの個人部屋で破壊不可である。本来ならこの扉が劣化するなどあり得ない。
「……部屋の中まで」
部屋の中に入ってみると、そこには廊下と同じようにほこりをかぶった家具が並んでいた。
ほこりをかぶっていることを除けば、そこは私が作った部屋そのもので、天蓋付きの大きなベッドに小さなティータイム用のテーブルセット、床には真っ白でふわふわの絨毯、レースをふんだんに使ったカーテン、そしてに大きな姿見など私が知っている物ばかり。
「これは……まさか!」
私は大慌てでシステムからログアウトを試そうとした。
だがいくら呼び出しても、システムメニューが表示されることはなかった。
それどころかステータスウインドウすら開くことができなかった。
「こ、これはまさか! ……異世界トリップ!!」
私は震える体を自分の両腕で抱きしめ、何とか震えを抑えようとした。
でも私は心から湧き上がる歓喜を抑えることができなかった。
「やりましたーーー!! まさか、二次元に行きたいという夢が叶うなんて!!」
私は喜びの声を上げながら姿見の前に走っていった。
そこには美しくも愛嬌のある顔立ちに透き通るような白い肌、まるで銀月の光のように輝く白銀の髪、愛らしい小さな唇にお鼻、紫水晶のような澄んだ紫色の瞳があった。
まるで芸術品といっても過言ではないほどの美少女が、ドレスのようなゴスロリ服を着ている姿が映っていた。
それはかつて、魔英伝の公式サイトで開かれたアバターコンテストで最美賞を獲得した私のアバターの姿そのものだ。
「わぁ~! 体もアバターのままね!」
鏡に映った自分の姿を見た私は、さらに喜びの声を上げた。
そしてさらに体を確認すると、その体には球体関節がついていた。
「あぁ! 体も本当に人形なのね!」
その体は生身ではなく、モンスターアバターに属する生き人形で、魔王の一人《人形姫エリスリーゼ》の体だった。
それを確認した私は、元のコンプレックスだらけの体だった過去を忘れ、《人形姫エリスリーゼ》として生きていくことを誓った。
「うふふ、私こそは! 魔王の一人《人形姫エリスリーゼ》よ!!」
誰もいない人形の庭に私の嗤い声が木霊した。