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バッカナーレ  作者: 1さん
一人目
8/33

08 メリー1

 馬車は順調に進み続けている。


 道は整地こそされているものの、城内と違い舗装されていないため、どうしても風雨により浸食されてしまっている。水はけの悪い場所の土が雨によって流されたり、前の馬車がはまり込んで抜けだすために土を掘り返した、そんな場所が無数に落とし穴となって存在している。

 ガタッ

 そんな窪みの一つに車輪がとられて馬車の中が軋んで揺れた。今の揺れのせいで、窓から乗り出すように草原を眺めていたお嬢様がおでこを窓枠にぶつけられてしまったようだ。左手で額をさすられている。


 「大丈夫ですか、お嬢様。」

 「うん。」

 平気そうに仰られたけれども、目元には涙がじわりと滲んでいる。顔を近づけてぶつけた箇所を念のために見てみる。……少し赤くなってはいるが、ひどくはない。これならばたんこぶにならないくらいで済むだろう。

 「問題ありませんね。」

 顔から手を離すと、お嬢様は懲りられなかったようでまた外を眺め始められた。


 物憂げな表情で草原を眺めるお嬢様を、他の人が見れば達観してるようで子供らしくないと言うだろう。

 確かにお嬢様は、普通の子供とは違うモノがあると感じることがある。いつもお利口で、文句も、わがままも言われない。

 そして他の人とは違う物をいつも見られている。おおよそ女の子らしくはない、武器とか、鎧とか、武術とか。――そして魔術を。男の子ならばやんちゃとか勇敢とか言われるのに、お嬢様がそれらを見ている時だけ、血生臭いとか気持ち悪いと言われる。

 あんなものにしか興味を持たない、不気味だと。


 理不尽な言い草だ。

 お嬢様はきちんと他の物も見られている。たまたま、男の子っぽいものに興味の比重が大きいだけだ。

 私が知るお嬢様は、貪欲な好奇心をいつも持たれている。興味ある物はただひたすらじっと見つめられる。今まさに、この草原を眺められているこの姿同様に。観察してわかることを、聞いてわかることを、触ってわかることを、あらゆる情報を吸収して、その胸にしまいこんでいるのだ。単純な物の観察にはあまり時間がかからないだけだ。

 何も変わらない、普通の、子どもだ。



 お嬢様がしぱしぱと目を瞬かせられた。どうやら眠くなられたようだ。今朝は出発の準備のために起床が普段よりずっと早かった。その眠気が今になって急にこられたのだろう。

 「お嬢様、まだ道中は長いです。一眠りなさいますか?」

 「……うん、そうする。」

 壁に寄り掛かって寝ようとされる。その態勢は辛いだろうと思う。私も昔に旅をしたことがあるから分かる。馬車からの振動が直接体に伝わってきて、こすれたりぶつけたりして痛くて眠れたものではないのだ。

 「お嬢様、私の膝をお使いください。」

 「……うん。」

 お嬢様は人に甘えられるのが得意ではない。しかし、好意を無駄にされるようなことは絶対にされない。お嬢様はほんの少し躊躇われたような表情をされて、でもすぐに私に体を預けられた。少しの間、体が緊張されていたけれど、そのうちにゆっくりと完全に体を預けられて、やがて小さな寝息が聞こえてきた。


 馬車はそのまま進む。

 お嬢様の金に輝く髪をそっとなでる。柔らかく重さを感じない髪が指の間からこぼれおちた。

 寝顔を眺めていると、年々奥様に似ていかれるように思えてくる。もう何年かしたら、奥様と並べば姉妹と間違われるほどになろう。じっくりと見つめれば、すこし釣り上がった目元は旦那様のものと全く一緒だ。

 間違いなく、お二方の血を継いでいるのに、

 乱れた髪をそっと手櫛ですいて整えていく。太ももの上にのるお嬢様の頭の重みをずっと感じていた。



 お嬢様が寝入って30分ほどして、とうとうその時が来てしまう。


 前にも、後ろにも、人気ひとけは全く見えない。草原の海原に馬車がひとつだけぽつんと浮いているだけだ。

 ゆっくりと馬車の速度が緩み、ついには止まってしまう。こんなところで何故止まるのか? カバロさんも御者も私も、そして外にいる3人の騎士も、誰もそんなことを言い出さない。

 ギッ、

 カバロさんが腰をあげようとして、重石を失った座面が軋み声をあげた。



 カバロさんは、腰をあげようとして中腰のまま、固まっていた。

 「動かないでください。」

 私は、つとめて冷静に――でも声は震えていて――そしてはっきりと伝える。

 「……メリーさん、何を?」

 カバロさんは信じられない物を見るような表情で私を見ている。


 私は愚かなことをしているという自覚はある。

 視線をカバロさんに据えたまま、手探りで車の扉を半分あけ、外の騎士にも聞こえるようにもう一度告げる。

 「動かないでください。」

 動く者はいない。明らかな異変に対しても、騎士は動かない。

 既に馬車から5m圏内の浮遊魔力は私の支配下にある。魔力場を広げた魔術師に対抗するには、犠牲を覚悟で突撃するほかない。しかもせまい馬車の中、相対しているのは抜剣もしていない騎士が1名のみ。全身をくまなく魔力場で覆われ、不穏な行動をとればいつでも攻撃できる。

 カバロさんは苦虫をつぶしたような表情で私を見つめて告げる。

 「何が目的ですか?」

 緊張を鎮めるため、お嬢様の髪を撫でたくなる。しかしこの震える手で触れたらお嬢様は目を覚まされてしまうかもしれない。

 出来ることなら、お嬢様は何も知らないままで、いてほしい。

 「このまま、予定通りに、サティン王国へ向かって下さい。」

 「それに何の意味があるのですか?」

 「なんの意味もないかもしれません。……でも、何かが変わるかもしれません。」

 文字通り意味なんてないかもしれなかった。いくら孫娘だとしても、ノンノ様は受け入れてくれるだろうか? ううん、むしろ……。

 「予定通りに、進んでください。」

 目の前のカバロさんではなく、御者に向けて同じ言葉を繰り返す。びくりと御者は震えて、それでも動かない。

 「……言うとおりに進め。それでメリーさんの気が晴れるならな。」

 カバロさんの言葉を聞いて、御者はこくりと頷いて馬に鞭を入れた。馬車はのろのろと進みを再開する。


 はーっ……

 息を大きく吐き出す。

 もうカバロさんは気が付いているのだろう。私が何の後ろ盾もなく、ただ感情に流されるままに愚行に及んでいることを。

 サティン王国がエレアオーレ王国との関係を悪化させてまで、お嬢様を受け入れてくれる可能性など万に一つもないと思う。ノンノ様に引き合わせたとしても、むしろノンノ様が悪魔の手先と疑われることを恐れて、お嬢様を直々に始末することすら考えられる。

 結局、お嬢様に逃げ場など無いのかもしれない。私がやっていることは、ただその時を遅らせているだけなのだろうか。



 馬車は進み続けている。……もう長いこと走り続けている。

 支配下にある魔力場は移動と共に後方に流されるため、その都度新しく浮遊魔力を支配下に入れなくてはならない。外の騎士に先行され、移動先の浮遊魔力を支配下におかれてしまうと形勢が逆転してしまう。それに対処するためには、魔力場を騎士も包み込むように広域に展開し続けて、騎士を監視しておかなければいけない。


 疲れた……。

 魔術学校仕込みの効率的な魔力場を展開しているとはいえ、それを作り続けている体内の内包魔力は減り続けている。残りはもう少ない。


 ……やって(・ ・)しまった方がいいのだろうか?

 ふとそんな考えが沸き上がってくる。そうすれば、少しは内包魔力の節約になるだろう。


 でも、私の願いは誰かを殺してまで叶えるべきことなのだろうか? またさらに誰かを不幸にしないとけないのか? もうこれ以上ないほどにエレアオーレ家の皆さんを不幸の底に落としているというのに?


 私のせいなのに。

 私のせいなのに。


 私が死ぬことで許されるのならば、今すぐ死んでもいい。

 

 でも死ぬことは許されない。

 死んでも意味がない。

 ならば、死ぬ以外の全てをお嬢様に捧げなければいけない。


 苦しんで、苦しんで、私は苦み抜いてもいい。


 それですべてが救われるのならば。



 私が、魔術を使いさえしなければ、こんなことには……。




 一昼夜走り続け、大森林との国境の町コンフィーネまで辿りつくことができた。


 途中でお嬢様は目を覚まされて、また外をずっと眺められていた。カバロさんと私が完全に黙り込んでしまったことに少し怪訝な顔をされていたけれど、深くは考えられなかったようだ。


 「メリー、顔色がすごく悪いけど大丈夫?」

 「……少し車酔いしてしまったようです。ひどくはありませんのでご安心ください。」

 それよりも、魔力の行使のし過ぎによる反動のせいで体調を崩しかけている私を心配して頂いている。それを車酔いのせいにして、無理やり笑顔を作る。

 それ以上お嬢様は何も言われなかった。



 町中まで魔力場を広げているのは流石に不味い。いっそ街は素通りしてしまうべきだろうか。

 でも、少なくとも馬を休憩させるか、交換させないことには先には進めない。町に入る以外の選択肢はない。

 ぐっと、決意する。

 もう町の門は見えている。町の守備兵を確認して、魔力場を解除する。


 「…………。」

 カバロさんは動かなかった。今はお嬢様も起きているし、なにより他人の目のあるところではやらないのだろう。それと馬車がエレアオーレ家の紋章を掲げていたのが幸いしたのか。エレアオーレ家の紋章はとにかく目立つ。これがなくて普通の馬車であったのならば、強行されていたかもしれない。


 「……馬を交換したほうが良いかもしれませんね。」

 コンフィーネの町のエレアオーレ家が所有している邸宅に馬車は横付けされ、先に出て行こうとしたカバロさんの後ろに声をかける。

 「そうですね、手配しておきましょう。明日も本日と同じ時間には出発します。御準備はお忘れなきようお願いします。」

 カバロさんはこちらを振り向くことなく、そのまま追走していた3人の騎士のもとへと向かった。

 明日の打ち合わせだろう。このまま手をこまねいているとは思えない。間違いなく何か仕掛けてくる。今日よりも、一段と厳しくなる予感に暗澹あんたんたる思いが胸に沈んでいった。


 「メリー、相当調子悪そうだよ。今日はもう休んだら?」

 「お気持ちは嬉しく思います。ですが、見かけほど大したことはありませんのでご安心ください。」

 このままお嬢様から目を離してしまうわけにはいかない。好奇心の強いお嬢様がおとなしくされている訳がない。私が眠りこけたまま、何か起こってしまえば、


 「メリーは私がどこか変な所へふら付かないか心配なのでしょう?」

 一瞬、思考が止まった。

 「今日はメリーのそばでじっとしているわ。……そうね、たまには私がメリーの看病してあげる。」

 お嬢様は私をじっと見つめている。どこまで見透かされているのだろうか。実は何もかも知っているのか。


 あるいは、本当に、


 ううん、

 「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただいて、休ませて下さい。」

 「うん!」

 邸宅の中へ入り、少し悩む。

 「メリー、私の部屋へ行きましょう。その方がいいでしょう?」

 使用人の部屋に行くか、主人の部屋に行くか、悩んでいた私に対してお嬢様はさも自然なように提案された。

 「二人分の食事を部屋に運んでね。朝食も同様に。あとは特に呼ぶまで近寄らなくていいわ。」

 「かしこまりました。」

 邸宅の維持を担当している住み込みの使用人にてきぱきと指示を飛ばされた。

 「さ、行きましょう。」

 完全にリードされてしまっている。これでは私は侍女失格だ。


 部屋に辿りつくと、私は崩れるようにソファに座りこんだ。もう限界だったようだ。無理をしていればどこかで倒れていたに違いない。

 「メリー、そんなところじゃなくてベッドへ行きなさいよ。」

 流石にそれはどうだろう。部屋にベッドは一つしかない。主人用のベッドを侍女が占有するなど……。


 そうか、もう主人も侍女もそんなものには何の意味も持たないのだ。私は反逆者で、お嬢様は暗殺対象。ならば、私は出来うる限りの万全を尽くさなくてはならない。

 「そうさせて下さい。……ありがとう、ございます。」

 「うん、よろしい。」

 お嬢様は何かうれしいのか、にこにこと笑顔を浮かべられている。

 柔らかいベッドに横になると、とたんに意識が吸い込まれそうになる。お嬢様はベッドの横にある椅子に腰かけ、私をじっと見られていた。


 「なにか、良いことでもありましたか?」

 「え?」

 つい、お嬢様の笑顔に疑問を持ってしまい口に出してしまう。

 「……そうね、いつもは立場が逆だから、それでつい面白くなっちゃったのかもね。」

 「確かに、そうですね。」

 私も苦笑が漏れてしまう。

 いつもは、お嬢様が寝付くまで私が側に控えていることが多いのだ。そうして見ると、たった今私が見ている視点はいつもお嬢様が見ている視点なのだろう。なんだか感慨深い。

 「それに、なんだかメリーに頼られているようで……、メリーに恩を返せているようで気分がいいわ。」

 「恩……、ですか?」


 お嬢様はしまった、という顔をされて、少し黙った後、言葉を選ぶようにポツリと話しだされた。

 「あー、こういうのは貴族らしくないと怒られてしまうかもしれないけど。」

 お嬢様は眉をひそめる。

 「私はいま何かを生み出している……、生産的な人間ではないわ。メリーはお父様からお給金を貰って仕えている、私にではなくお父様に仕えているのでしょう。」


 決してそれだけではない、私はそう反論しようとして、

 「私は、まだ無価値な人間だわ。お父様の庇護によって生かされている。ええと、だからメリーにとっても私は本来であれば無価値な人間で……。え~と、ちょっと待ってね。言いたいことがこんがらがってきたわ。」

 お嬢様はあごに手を当てて、ムムム、と呟きながら考え込まれている。今は口を挟まない方がいいだろう。

 「えっとね、メリーはもっと私に、機械的に、接してくれていてもおかしくはないはず、よね? でもメリーは普段から、仕事の範囲を超えて、私のために何かしてくれようとしているでしょう。……私が寝込んだ時は北方の珍しい果物を取り寄せてくれたり、何日も寝ずに看病してくれたり……、面白い玩具があれば自費で持ちこんでくれたり。そうした私のためだけにやってくれることが、私は単純に嬉しい。嬉しさが積み重なれば、恩になるでしょう。」


 「私はそんな立派な考えでやっているわけでは、私が、」

 思いがあふれるように、言葉も溢れる。もうお嬢様は気が付いておられるのだ。


 「ちょ、ちょっとメリー。」

 お嬢様は私が二の句を告げる前に制止された。

 「何か変なこと言いそうね。何か理由があるとか、そうしたことで利益があるとか、そんなことは言わなくていいわ。」

 お嬢様はひとり頷いている。

 「重要なのは、私が勝手に恩と思っていることで、それを返せて嬉しいってことよ。恩ではないとか、そんな私が一気に楽しくなくなることは言わないでね。」

 「…………。」

 そう言われてしまうともう何も言い返せなくなる。お嬢様を楽しくない気分にさせてまで、押し通すことではない。

 「……わかりました。そうしておきます。」

 「そうそう、メリーはおとなしく私の看病を受ければいいのよ。」

 お嬢様の満面の笑みを見て、私も自然と笑みがこぼれて、ゆっくりと眠りについていった。


 やっぱり、お嬢様はこころお優しい。決して、悪魔などでは、ない。


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