07 グリレ4
いくつかの露店を巡っていると、時間はあっという間に過ぎて行った。既に太陽は天頂を超え、あとは落ちていくだけだ。
そういえば、お腹がすいた。
いつの間にか視線は物から食べ物に移っていって、今では屋台から漂ってくる肉の焼ける匂いに体が釣られそうになっている。
「お嬢様、どちらかで昼食をとられませんか?」
そんな私の状況を察してくれたのか、メリーが声をかけてくれる。
「あれじゃ駄目なの?」
いま私の視線を虜にしている、焼き鳥の露店を指さして言う。長さ40cmはあろうかという長い鉄串に、鳥の肉片が8つも突いてある。それに赤いスパイスのようなものをまんべんなく振りかけ、豪快に火にくべている。
滴る肉汁はテラテラと光り、香ばしいかおりが漂っている。
ごくり、と生唾を飲み込む。
たまらないなー。
屋敷の料理は洋食が中心で、こういったジャンクな食べ物が出てくることが無い。せめて和食が出てくれば飽きは抑えられると思うのだけれど……。
焼き鳥、タレに浸けているわけではないので鳥焼きの名前が相応しいか、の屋台を見て、メリーは渋い表情をする。
「……もう少し、良いものにしませんか?」
「えー」
反応から結果は予想できたけれど、これは諦めきれない。
「衛生面も不安ですし、それに座って食べる場所が無いのが問題です。お嬢様にそんなはしたない行為はさせられません。せめて屋根のあるお店にしましょう。」
立ち食いがいいのよ……。
「メリーさんの言うとおりです。」
団長がメリーに同調したようにうなずく。そして内緒話をするように耳に顔を近づけきた。
「それにお嬢様、あの屋台、あまりおいしくないですよ。」
な、なんだってー。
「よく見て下さい。……肉が不自然に光っていると思いませんか? 聞いたところによると植物油を塗っているそうです。それに唐辛子を付けていますが、付け過ぎです。肉が隠れるまで付けているせいで、辛いばっかりで肉の味がしません。」
「団長、詳しいね。」
「食べたことがありますので。」
団長は物悲しそうに目を伏せる。
「口いっぱいに広がる唐辛子の辛み、辛み、辛み。それしかありません。今考えれば、肉の水っぽさを隠すためでもあったように思います。」
辛い物が苦手なメリーは団長の話を聞いて、店から逃れるように一歩下がった。
「でも、匂いは……。」
「そう、匂いはいいのです。油と唐辛子の焦げる匂いはこの界隈でも一・二を争うことでしょう。」
そこまで言われると、やめようかな、という気が沸いてくる。しかし、肉の匂いが後ろ髪を引く。
ああ、
「でも、」
「お嬢様、お気持ちは分かりますが。」
「そうです。団長の言うことを聞きましょう。どこか別の場所にしましょう、ね?」
後悔するくらいなら、
「……時には失敗することも必要じゃないのかな?」
私の悲壮に似た決意に、メリーははっと気がついたように目を見開いた。
「お嬢様……。そこまで仰るなら……。」
ついにメリーは諦めたようだ。
「私は同意できませんが……、一口でも試してみるのも良いかもしれません。無理だと思ったらすぐに吐き出してください。」
よし、話は決まった!
私は颯爽と屋台に向かう。とそこで、手をメリーに掴まれて止められた。
「私も、ご一緒します。」
そこには何かを思いつめたメリーがいた。唐突な心変わりに団長も驚いたようだ。
「メリーさん、お嬢様はもう止められないようですが、貴女までも辛い思いをする必要は無いのでは?」
「お嬢様一人が苦しむのを見過ごすわけにはまいりません。これも侍女の務め、……さあ、まいりましょう。」
メリー、気持ちは嬉しいけれど止めといた方がいいと思うよ?
止める言葉を掛けようとするが、メリーはさっさと出発してしまい取り残されてしまう。あわててそれを追いかけ、メリーの背に追いついた時にはもう屋台の前だった。
「親父、3本くれ。」
「あいよ!3本で300リラね。」
「……微妙にたけぇな。」
すこしくたびれた皮鎧をまとった3人組の男たちが、先に注文していた。ぶつくさと文句を言いながら焼き鳥を受け取っている。
メリーはそのすぐ後ろに並んでいた。そっと後ろについてメリーに耳打ちをする。
「……メリー、メリーはやめとけば? 無理することないよ。」
黙々と焼き鳥を焼いている店主の前で脂汗を流して直立しているメリーに向けて、一応の言葉を掛けた。
「……おじさん、……2本いただけますか。」
「あいよ!」
私の忠告が聞こえていないのか無視されて注文してしまう。こうなってしまうともはや引き返せない。
なにもそんな悲痛そうな声を出してまで頼まなくてもいいのに……。
「2つで200リラね。まいどあり!」
「…………」
無言で代金を支払い、2つの焼き鳥をメリーが受け取る。うちの一つをぎこちない動作で私に渡してくれた。
「…………」
メリーの雰囲気に押されて私も黙ってしまい、微妙な空気が流れている。
ちらりと、焼き鳥を先に買った3人組を覗き見る。フツーにばくばくと食べていた。
なんだ、案外たいしたことないのかな? 団長が大げさに言っているのかもしれない。
ガブリ。
心の隅で激辛だった場合の心構えを少しして、一気に肉にかみつく。
メリーはそんな私を見てびくりと体を震わせた。
もぐもぐ。
うーん、味が薄い割に肉汁が多いな。べとべとするし、団長の言ってたとおり植物油の可能性があるかも。
私が心配なのか、あるいは焼き鳥を食べる決心をするための参考にするためなのか、メリーが私の表情を読もうと膝を曲げて覗きこんでくる。
もぐもぐ。
もぐも…………。
ぐふっっ?!?!
それは一挙に押し寄せてきた。口内の粘膜を焼き焦がす、炎の塊が突如出現したとしか言い表すことができない。
吐き出しそうになる衝動をこらえ、下にうつむいてなんとかこらえようとする。視界の隅で、3人組も噴出しているのが見える。
後悔と絶望。なぜあの時団長の言葉を信用しなかったのか。怖いもの見たさ、それとも日々の安寧の中で危機感が消失していたのか……。
炎は大炎となりつつある。きつい。仕方がないので飲み込める最小の咀嚼をして無理やり飲み込む。食道の粘膜にも辛みがついたのか、せき込んでしまう。
しかし、吐き出すのだけは回避した。もう食べる気にはならないけれど、少なくとも義務は果たしたとみていいだろう。
そんな私の様子を見ていたメリーは顔を真っ青にしている。焼き鳥を持つ手は震え、串の先端の肉は大きく振れているさまだ。
「……いきます。」
メリーが目を閉じて肉を食べようとする。
無理だ、やめろ。
そう言おうとしたけれど、咳が邪魔をして喋ることができない。もはや、万事休す。
「くっそ、てめえ! なんだこいつは! これで売りもんかよ!」
メリーが口を付ける間際、怒号と勘定台を激しく叩く音が響き渡った。見ると先ほどの3人組が店主に詰め寄っている。
「肉は味がしねーでまじいし、おまけにこの辛子はなんだ?! 限度ってもんがあるだろーよ! これで100リラかよ、金返せ!」
気持ちはわかるけれど……。
「ちょっとお客さん、よしてもらえませんかねー。うちは代々この味でやってるんですよ。」
対する店主は漂々としたものだ。慣れた感じがするのは気のせいではなさそうだ。
「うっせーよ! まじーもんはまじーんだよ!」
「言わせてもらいますけどね、半分以上も食べて難癖付けるなんて変じゃないですかね。」
「ああ!?」
「よくある無銭飲食のたかりじゃないでしょうね。うちの店には威嚇してもとおりませんよ。」
「てめぇ……」
「ふざけやがって……」
なんだか雲行きが怪しくなってきた。しかしトラブルというものは傍から見る分には面白いものだ。周囲に騒ぎが聞こえたのか、遠巻きに注目している者もいる。
とりあえず野次馬するには近すぎる。少し離れた方がいいかも。
「メリー、離れ……」
「てめえ、いい加減にしやがれ!」
ヒートアップした3人組の一人が、屋台からせり出している日よけの柱に拳を叩きつけた。
ぐらり、と屋台が軋む。
いけない。
私の位置は屋台の外になっているけれど、メリーは未だ日よけの中にいる。
ゆっくりと、屋台が崩壊していく。私からみて奥に倒れていく屋台の柱を、メリーが巻き込まれると直感して、食い止めようと握る。
重い。
ずしりと、体が引っ張られる。よくよく考えれば、柱の下の方を持ってもてこの原理で力が掛かりにくいのだった。それでも踏ん張る。
!
この通りには地脈があったはず!
半ば本能的にそれを思い出し、急いで魔力を紡いでいく。地脈を確認し、急いで接続する。
得られた魔力を全身に満たし、
おりゃああああ
右足で柱の足の先端を抑え、手でその逆側へ思いっきり引っ張る。すると、崩壊が緩やかになった。
これで、
その隙間を縫うように団長の手がテントの中へ伸び、メリーを一瞬で引っ張りだした。
それを見届けて、柱から手を離す。
ガゴッ、ガガガッッッッッ。
屋台が完全に崩壊する大音響が響き渡り、静かになったころにはつぶれた屋台の下敷きになっている3人組の足がのぞいていた。
「ふう……。」
「お疲れでした。」
屋敷へ戻ってきて一息ついた私を、メリーがアップルティーを淹れて労ってくれる。芳醇な香りが漂う甘いお茶を、そっと口につけると疲れが溶けていくようだ。
今日は大変な一日だった。
あの後、崩壊した屋台から出火するという最悪の事態を迎えることになった。カラカラに乾いた日よけに火が燃え移り、炎が勢いよく立ち昇り、火炎となって周囲を照らした。団長があわてて私とメリーを逃してくれた。あの団長があわてるなんて相当珍しいことだ。炎が別の屋台にも飛び移りそうな危険な状況だったけれど、間一髪駆けつけた警備兵により水の魔法で消し止められた。奇跡的に軽傷で済んだ3人組は警備兵によりしょっ引かれ、店主も参考人として連れて行かれた。
まさか逮捕の生現場まで見ることになろうとは、とんだ社会見学だった。
大ごとになったために外出は急遽中断され、たったいま屋敷に帰ってきたところだ。
「本日はここまでのようですね。また必要があればお呼びください。それでは失礼します。」
屋敷の扉の前で、団長とは別れることになった。颯爽と去っていく団長の姿がなかなか印象的だった。
屋敷に戻ると商人のサントさんから彫像が届いていた。
「お嬢様、少し無駄遣いではありませんかな?」
開口一番、セイドリックから渋い表情で小言を言われてしまう。やはり7万リラは安いお金ではなかったらしい。
「ごめんなさい。」
「メリーも付いていながら……。教育係としてもっと十分注意するように。」
「申し訳ありません。」
メリーにとばっちりが飛んでしまう。悪いことをしてしまった。
くどくどとかなり長い時間セイドリックから小言を言われ、疲れが倍増したところでやっと解放された。彫像を受け取りふら付く足で自室に戻る。
「お茶をお入れいたしましょう。」
メリーの心遣いがありがたかった。埃っぽい喉が渇きを訴えている。メリーがお茶を入れてくれる間、私は彫像の梱包を剥がすことにした。白い紙の梱包材を1枚1枚丁寧に剥いでいく。中から出てきた彫像は、確かに今朝方購入した彫像に間違いなかった。
ぼーっと彫像を眺める。
やはりいいものだ。本に描かれているものと違い、確かな息遣いを感じる。脈動する筋肉は足から腰、腰から腕、腕から剣へと伝わり、振りかぶったフィアンマの剣はまっすぐ魔王へと向かっている。相対する魔王は牙と爪をむき出しにし、波立っている体毛は強い警戒と敵対を思わせる。
確かに、これはこの世界の過去で起こったことなのだろう。地球では御伽噺に過ぎなかった冒険譚が、この世界にはある。南街のあの喧騒から、今なおこうした後世に伝えられるであろう物語が紡がれているのだと。自然と胸が高鳴り、動機が強くなる。
少し落ち着こう。人生は長く、選択肢は無尽蔵にある。単純に冒険者を目指すのもいいけれど、あるいは他にも面白そうなことは山ほどありそうだ。
この世界に来た時に決めたことはただ一つ、――心の赴くままに。心の中でその言葉を反芻させる。彫像は白く、鈍く光を放っていた。
「お嬢様、テニーロ産のアップルティーです。」
メリーの一言でふと我に返る。いつの間にか目の前にはティーカップに紅茶が注がれて置いてある。立ち上る湯気に良い香りが巻き上がられ鼻をくすぐる。
「ありがとう。」
カップを持ち上げ、紅茶に口をつける。甘く、滑らかな液体をごくりと飲み下すと、あとから花が咲くような香りが広がっていく。
「ふう……。」
自然と、ため息がこぼれる。思っていた以上に疲れがたまっていたらしい。
「お疲れでした。」
メリーがそんな私の様子を見て労いの声をかけてくれる。
あ、しまった。お茶を入れてくれたお礼を、ついしてしまった。
家人に礼を言うなど家の格式が落ちてしまう、といつもセイドリックに言われるのだ。メリーも教育係なので、その辺は厳しい。
何も気が付いていないふりをして、ちらりとメリーを盗み見る。どうやら気が付いていないようだ。
?
なんだろう。どうも最近メリーがぼーっとしていることが多い気がする。気もそぞろ、なのに気が付くとよく私を見つめている気がする。
……まあ、メリーもいいお年だからなー。悩みの一つ二つあるのだろう。なんとなく、異性の悩みだったりしたらいやだなぁ、と残りの紅茶を飲み干しながら思った。
コン、コン。
部屋の扉がノックされ、メリーが対応に立ち上がる。私が座っている位置からは見えない扉の向こうで、メリーと訪問者が2,3口を交わしている。その言葉はここかでは聞き取れない。
メリーはすぐに戻ってきて私に告げた。
「旦那様がお呼びとのことです。書斎までお訪ねください。」
「お父様が?」
いつの間に屋敷に戻られていたのだろう。特に何もしていなかったので、さっと立ち上がり部屋の外へ向かう。部屋の外ではセイドリックが待っていた。
「こちらへ。」
私の姿を確認するとセイドリックは書斎へと先導するように歩き出す。その後ろを黙ってついて行った。
父の書斎の前へと着く。あまりここには私も立ち入らない。父の仕事場として王城にも専用の執務室があるのだが、人の多い王城を嫌ってこの部屋で執務をしていることも多い。結果として人の出入りが多くなっているので、仕事の邪魔にならないように近寄らないことにしている。
コン、コン。
セイドイックがその書斎の扉をノックする。
「誰だ。」
扉の向こうから父の声が聞こえてくる。
「セイドリックにございます。グリレお嬢様をお連れしました。」
「入れ。」
許可を得てセイドリックと私は書斎の中へと立ち入る。書斎の奥では、父が執務机に腰掛け書類を読んでいた。左から右に視線を何度か移し、ペンをとってその書類の隅にサインをした。それで一区切りがついたのか、ペンをおき書類を既決の箱に放り込むと、視線をあげ私を見つめた。
「おお、グリレ。待たせてすまなかったな。」
疲労がたまったのか、首をぐりぐりと回している。
「何のご用でしょうか? お父様。」
「いや、大した事ない話なのだがな。いい話ではあるのだが……。」
妙に歯切れが悪い。
「今朝お話しされていたことですか?」
「ああ、そうだ。……グリレはノンノお義父さん、お前から見てお爺さんを覚えているかい?」
「お母様の、お父様ですね。」
「ああ、そうだ。覚えていたか。そのノンノお義父さんなのだが、お前の6歳の誕生祝いに会いたいらしい。こっちに来てくれればいいのだが、何分向こうも忙しいらしくてな。」
ノンノお爺さんといえば大森林を挟んで反対側の国の貴族だったはず。会ったことは何度かあるけれど、向こうに出向いたことはない。というかそもそも国外に出たことが一度もない。
外国旅行か~。面白そうだな。
「行ってみたいです。」
率直な感想をそのまま言ってみる。私の答えにほっとしたのか、父の表情が和らいだ。
「おお、そうか。……ただな、お父さんもお母さんも忙しくて付いていけないのだよ。一人で行ってもらうことになるが構わないかい?」
「一人でですか?」
「護衛と世話をする供はつけるがね。」
「なら大丈夫です。」
父は頷いて、セイドリックに視線を向ける。
「話は決まった。明朝に出立できるように準備せよ。」
「かしこまりました。」
セイドリックは一礼して部屋から出ていく。
「明日ですか? ずいぶんと急ですね。」
「本来であれば今日着くようにすべきだからな。話がうまくまとまらなくて今日まで延びてしまっていたのだよ。せっかくだから向こうで1カ月くらい滞在してきなさい。勉強にもなるだろう。さあ、グリレも準備をしに部屋へお戻り。」
「はい。」
話は終わったと、父は新しい書類に手を伸ばしている。急な話だがこれで外国旅行が決まった。急いで荷造りを始めよう。
部屋から出て扉を閉める瞬間、ふと父を見ると父もこちらを見ていた。何かを感じるよりも早く扉が閉まり、私は部屋へ戻っていった。
未だ日も昇らない明朝、私は眠気から来る欠伸を噛み殺して玄関に立っていた。腕を高くあげ、大きく背筋を伸ばす。手をおろすと同時に、準備に戸惑っていた馬車が馬房から姿を現す。
カツン、コツン、と石畳に蹄が踏み締める音が小さくなりひびく。ゆっくりと馬車は目の前まで来て停車し、それを待っていたメイドと下男が荷物を馬車に詰めていった。ほんの5分程度で荷物は積み終わり、それと入れ違うように門から4人の騎士が馬を引いて入ってきた。
「今回の旅の護衛を務めさせていただきます、カバロ、ゾックル、ステイル、ウィルです。」
「道中頼む。」
父が短く声をかけ、簡単に自己紹介は終わってしまった。
護衛の中に、あのウィルがいた。
見紛うことなく、4人の護衛の末席に昨日団長にしごかれていたウィルの姿があった。
4人とも装備は市内巡回用のラメラーアーマーと違い、簡素な皮鎧にダークレッドのマントを羽織っている。帯剣はレイピアやブロードソードと個人の好みが反映されているようだ。右の肩口には下向きにナイフが据え付けられている。ウィルが装備しているナイフは、昨日贈ったものに間違いない。ちゃんと団長は届けてくれたようだ。
贈り物を使ってくれていることに少し嬉しくなる。実を言えばあれが欲しかったのは自分なのだけれど……。前途ある若者の手に収まったことを素直に喜ぶことにした。
ウィルを除く3人は服装と雰囲気がマッチしていて旅慣れた様子だ。しかしウィルはどこかぎこちなく、あちこち気になるのか細かに体を動かしてキョロキョロしている。その姿にはたまらず苦笑してしまった
。
すべての準備が整い、私とメリーは馬車へ乗り込む。その後から一人護衛が乗り込んできた。
「護衛隊の指揮をとります、カバロです。改めて宜しくお願いします。」
「よろしくお願いします。」
扉が閉められ施錠される。
どうやら3騎で馬車の周囲を囲い、輪番で1名が馬車に同乗するらしい。
「お父様、それでは行ってまいります。」
私は窓から顔を出して父に挨拶をする。母の姿はそこには無い。昨日から屋敷に帰ってきていない。なんでも会議が紛糾して帰れなくなったらしい。
「ああ、いってらっしゃい。」
御者が馬に鞭を入れると、馬車は滑るように発車する。私は窓から父に向け手を振る。父も小さく手を振り返してくれた。
屋敷から出て、馬車は進路を北回りにとっていた。どの道西街に向かうのはずなのだから、南北のどちらでも違わないのだろうけど、と考えていると馬車はそのまま北街の大通りを進みだす。
「なんで北に行くの? 大森林は通れないから、迂回するために帝国に行くのかと思ってた。」
同盟しているとはいえ、基本的に大森林は人族の立ち入りを好まないはずだ。少なくとも今まで本で読んだなかではそうなっている。
「お嬢様はまだ御存じなかったですね。大森林にはエレアオーレ王国とサティン王国を結ぶ直通路があります。」
「なんでそんなものがあるの?」
「昔、帝国との仲が険悪だったころは国境が閉鎖されていました。交易が出来ないため相当苦労していたのですが、そのうえ飢饉が発生したそうです。」
うわぁ。
「その窮地を救うために直通路が作られたそうです。もっとも、帝国との関係が改善した今では一般の方は利用できません。」
「よく森族が造るのを許したね。」
「……いえ、相当揉めたそうです。そのせいで大森林の内部が分裂したとも噂されます。あまり詳しいことは伝わってきませんが。」
「そんなところ通っても大丈夫なの?」
不穏な話に眉をひそめる。神秘のエルフのイメージが台無しだ。
「ははは。お嬢様、御安心ください。」
そんな私を見てカバロさんが軽く笑った。
「主だった大貴族は直通路をよく利用します。その中には我らの主である旦那様もいます。私は何度かそのお伴をして利用していますので、安全を保証しますよ。……ただ、あまりにも代わり映えしない風景にうんざりしますがね。」
話をしているうちに、北の大門に到着した。私たちはそのままで、外の3人が対応をするようだ。門番と2・3口を交わし、門番がこちらをちらりと見た。手元の書類を何枚かめくり、ある一点にチェックを入れる。
「どうぞお通りください。」
門を閉鎖していた4名の兵士がどいて正面の道が露わになる。
門をくぐると、ふいに空気が変わった気がした。石の匂いから、草の匂いに変わったのだろうか?
一面の草原、そしてうっすらと遠くに見える森の輪郭。
草原に延びる一筋のわだちの上を何事もなかったように、馬車は進みだした。