和菓子屋の遺言
今日の法要は次が最後だ。
この名前には見覚えがある。
老舗和菓子屋の三代目で私自身も彼とは長い付き合いだった。
その最後を私が見送れるのはうれしいことだが、先に見送る立場となってしまったのはとても悲しかった。
いかん、いかん。
こんな気持ちでは彼に怒られてしまう。
『俺の最後の見送りになんて顔してんだ。シャキッとしろシャキッと』
そんな声で言っているに違いないと想像して少し笑った。
葬式は本宅で行われた。
眠っている彼を見ると、良い最期を迎えられたのだと思う。
そして手を合わせた。
葬式も終わり、今はご遺体を焼いている最中だ。
奥様のご厚意でお昼ご飯のご相伴にあずかっている。
「お前ふざけてんじゃねえぞ」
突然外から怒鳴り声が聞こえる。
たしか、向かいの部屋では店主の遺言が弁護士によって開示されていたはずだ。
それにふざけんなとは物騒なもんだ。
自分には関係がないのでそのまま昼食を継続する。
するとこちらの部屋のドアが急に開かれる。
驚いてそちらを見ると弟子の一人がそこには立っている。
確かあれは3人目の弟子だったかな?
店主には三人弟子がいた。
一人目は伊藤、腕はそこそこで自信家である。
でも少々言動が軽かった。
二人目は秋山、腕は一人目より少し良い程度だが目端が利く。
でも自信がない。
三人目は阿部、腕が良く、働き者。
でも経験が足りない。
生前飲んだ時に店主がそんな評価をしていたことを覚えていた。
その三人目の弟子である阿部がこちらにずんずんと近づいてくる。
何かしたかと考えるが、思い当たる節がない。
阿部が私の座っている席まで歩いてきた。
「住職。お昼ご飯を召し上がっている最中、申し訳ございません。向かいの部屋に来ていただけませんか」
どうやら何か呼ばれているようだ。
お昼ご飯を切り上げて向かいの部屋まで移動する。
そこには弁護士と亡くなった店主の奥様、そして呼びに来た以外の弟子二人が座っていた。
なおさら、なぜ私がここに呼ばれたのかわからなかった。
「住職、ここまで来ていただいて申し訳ございません。少しご相談したいことがございまして......」そう弁護士が伝えてきた。
要約するとこういうことだった。
遺された自筆の遺言状には「店は跡を継ぐにふさわしい者へ譲る」とだけ書かれ、後継者の名前が空欄になっている。
店主には血の繋がらない弟子が三人に、それぞれ店主から生前「お前が継げ」と個別に言われていたという。
それでも私が呼ばれた意味が分からない。
弁護士が付け加える。
「それで、一つ目の遺言書を店主が持ってきたときのことなのですが、困ったことがあれば住職に相談してくれと言われてまして......」
そういうことだったのか、確かにあいつとは古い付き合いであったから相談を受けることはやぶさかではない。
だがこんな厄介な案件引き受けないのが身のためだ。
「申し訳ございません。このような重要な案件、私の身にはあまりあるので辞退させていただきたく思います」
そう聞くと伊藤が笑う。
「だぁから言ってるだろ。俺が最初に弟子になったんだから俺がこの店を継ぐのが筋だって。そんな坊主に何ができんだよ。もう俺でいいだろ」
それに阿部が噛みつく。
「てめぇなんかが継いだら店が一年ももたずになくなるわ。自分の実力分かってねぇんじゃねえか?」
「二人とも落ち着いてって......。ほらお客様が見ている前だよ」
二人の言い合いを秋山がいさめた。
そして亡くなった店主の奥さんが口を開く。
「住職さん。お願いできませんか。主人はいつもあなたのことを言っていました。親友だ。あいつに任せるとなんでも上手くまとまるんだって。いつも嬉しそうに」
そんな奥様の顔に心が揺らぐ。
それもそうだと思う。
主人が亡くなって迎えた葬式の最中。
彼が鍛え愛情を注いできた弟子たちがこんな形でいがみ合っているなんて、とても悲しいことだと思う。
そうだな、これもなくなったあいつにできる手向けの一つか。
あいつ......。
いや、最後に親友のためにできる一つの恩返しだろう。
「分かりました。こんな老人の手でよければお貸しいたします」
そう答えた。
「お願いします。主人の気持ちを汲み取ってください」
店主の奥様は嬉しそうに笑ってくれた。
期限は三日と決まった。
あまり長引きすぎると店の営業に影響が出てしまう。
その影響が出ない限界が三日という期限だった。
私は今、亡くなった親友の店まで来ている。
店に入ると甘いあんこの香りがしてくる。
内装も木がふんだんに使われていて、やわらかく居心地の良い空間になっている。
そして会計に立っている店員さんに声をかける。
「すみません。今日お弟子さんたちは店にいらっしゃいますか?」
「はい。伊藤は外に出ているのでいませんが、秋山と阿部はおります。呼んで参りましょうか?」
「いえ、こちらから伺いますのでどこにいるか教えていただけますか?」
「承知しました。今だったら作業所の方にいると思います」
「ありがとうございます」
そう言うと店を出て裏から入りなおした。
ここには一度三代目の好意で見学させてもらったことがある。
その時の三代目の顔は本当ににこやかで、嬉しそうに説明していたことが印象的だった。
もうすぐ作業所というところで話し声が聞こえてくる。
あそこは倉庫だっただろうか。
「だから、あなたがこの店を継ぐべきなんだ」
「でも、僕はそんな器じゃないよ」
「そんなことは無いっ」
「さあ、この話はここまでにして作業に戻ろう」
「ちょっと待って」
倉庫から秋山が出てくる。
「あっ住職さん。こんにちは。今日はどうなさいました?お菓子のご相談でしょうか?それとも......」
その後ろから阿部が出てくる。
すぐに茶色い何かをポケットにしまう。
少しバツが悪そうだ。
「いえ、今日は昨日の件について少しお聞きしたいのです。一人ずつお話を置きかけ願えますか?」
「はい、大丈夫ですよ。阿部君、申し訳ないけど俺はこのまま先に休憩に入っても大丈夫かな?」
「分かりました」
そう返事をすると阿部は作業所へ戻っていった。
「すみません住職さん。この先に会議室がありますのでそこでお話しますがよろしいですか?」
「はい、気を使わせてしまって申し訳ありません」
「いえいえ、それでは行きましょう」
場所を案内してもらい、先に入っていてくれとのことだったので、会議室に入る。
ホワイトボードと机と椅子だけがあるシンプルな部屋だった。
私はおとなしく椅子に座っておく。
秋山が部屋に入ってくる。
手にはお盆を持っていた。
「こちらつまらないものですが」
そのお盆の上にはお茶菓子が置いてあった。
紅葉をモチーフにした色鮮やかな練り切りだ。
秋山がポットのところまで行きお茶を入れようとしてくれている。
一度押すが出ない。
どうやらロックがかかっていたようでそれを外すとすぐに出た。
慣れていないことが見て取れた。
そして、お茶を渡してもらい、向かいの席に座る。
「紅葉ですか。まだ早いと思うのですが」
「......はい。まだ試作品なのですが、反応が見たくてお出ししました」
少し申し訳なさそうな顔をしている。
「いえ、そんな貴重なものを出していただいてありがとうございます。では、いただきます。......うん。口当たりも滑らかで中の餡も甘すぎず。とてもおいしいです」
「ありがとうございます。見た目はどうでしょう?」
「そうですね......。紅葉の赤色のグラデーションが再現されていてとてもきれいですね」
「そうですね。その赤のグラデーションは力を入れました」
ほめられているが、なぜか一瞬悲しい顔をしていた。
練りきりを食べ終わり、お茶を一口いただく。
「お待たせして申し訳ございません。それでは昨日の件についてお話をお聞きしたいのですが」
「はい、もちろんです。なんでもお聞きください」
「それでは、三代目が後継者にすると言っていたのは本当ですか?」
「はい、確か一年前くらいだったと思います。三代目と一緒に季節の和菓子について案を出し合っていた時に言われました。その言葉がとてもうれしかったのですが、自分の腕では店主になんてなれないと辞退しました。少し悲しそうな顔をしていました。それで『考えておいてくれ』と言って裏に戻っていきました」
「それでは後継者になることを断ったと?」
「そうですね。僕にその器なんてありませんから」
そうか、すでに辞退しているのか。
「あっ、でも、もしも店主になったらどうしたいとも聞かれました」
「ほう、なんとお答えに?」
「いやぁ、店主になっても自分にできるのは限られているので、菓子を作って、売って、お客さんの笑顔が見られる。今の店と変わらないようにしたい。と答えたような気がします」
そのあともいくつか質問をするが、その問いに真摯に回答をしてくれた。
「ありがとうございます。それでは最後になるのですが、次の店主にふさわしいのは伊藤さんと阿部さんどちらだと思いますか?」
「それは......。伊藤さんですね。性格も社交的ですし、和菓子作りの腕も...いい腕をしています。従業員たちも慕っているでしょう。熱意もある。だから彼が店主になるべきだと思います」
「ありがとうございました。それでは、阿部さんの手が空いてましたら連れてきていただけますか?」
「承知しました。それでは失礼します」一礼をして秋山さんは会議室を出て行った。
そこから十分後、ドアがノックされる。
「はい、どうぞ」
自分の部屋ではないのにこんな風に答えるのに少し違和感があった。
座ったままでは少し失礼だ。
椅子から立ち上がっておく。
「すみません、遅くなりました」
そう言って阿部さんが部屋に入ってきた。
「いえ、大丈夫ですよ。住職の仕事はもうほとんど息子がやっていまして、半分隠居みたいなもので暇だけはあります」
「ははっ」
気を利かせて答えたが、どうやら逆に気を使わせてしまったようだ。
そのあとは二人とも席に座る。
「それではお話をお聞かせいただけますか?」
「はい」
「それでは、三代目が後継者にすると言っていたのは本当ですか?」
「そうですね。確か一年ぐらい前だったかな。昼休みの休憩中に店主が入ってきたんです。それでいろいろ雑談してた時にお前に次の店主を任せたいって言われたんです」
「その時になんてお答えに?」
「いや、その時は冗談だと思って。次の店主になったら、俺の得意な大福専門店にしてやりますよって冗談気味に答えました」
「その時の店主は?」
「大笑いしてましたね。それで、『結構、結構』って言って出ていきました」
――フッ。
思わず笑ってしまう。
そのエピソードが店主らしかった。
あいつと初めて会ったのは飲み屋でたまたま隣り合ったときだった。
その時「何やってんだ」と聞いたら、「和菓子を作ってる」なんて聞いて大笑いした。
なんせ見た目が物語の盗賊や山賊そのものだったから。
そのギャップがおかしかった。
豪放磊落。
この言葉が似あう男だった。
この店に来たのは、そんな奴をからかってやろうと見に来たのが最初だった。
たたずまいから普通の店ではなかった。
一目見て気後れしていた。
でも目的を達成するため勇気を出して入ったらこの上品な内装。
私だけが場違いな気がして、心が折れそうだった。
偶然を装い通用口を覗くと、その先の作業場にやつがいた。
その顔は真剣そのものだった。
からかう気が塵と消えた。
その後はどんなものを作るんだと思いショーウィンドウを覗くと、色彩豊かな繊細な和菓子たち。
素直にきれいだと思った。
そして一つ買ってあいつに話しかけることもなく家に帰ってお茶と一緒に楽しんだ。
「あの、どうかしましたか?」
心配そうに阿部君がこちらを見ている。
「すみません。少し昔のことを思い出しまして」
その後も雑談交じりに話を聞いていく。
「次の店主にふさわしいのは、伊藤さんと秋山さんどちらだと思いますか?」
「もちろん、秋山さんです」
言い切った。
「それはなぜ?」
「あの人は、自分がどれだけすごいかわかってないんです。働きぶりもそうだし、従業員もみんなそう思っています。去年、自分がつらい時でも他人をはげませるすごい人なんです」
そう答えている阿部君はまっすぐとこちらを見ていた。
「分かりました。ありがとうございました。それと伊藤さんにも話を聞きたいのですが、まだ外に出ていますか?」
「いえ、先ほど帰ってきましたよ」
少し、いやそうな顔をしている。
「それじゃあここに来ていただくよう伝えていただけますか?」
「分かりました」
そう言うと彼は一礼して出て行った。
時計は15時を示していた。
ドアがノックされる。
「は...」
答える前にドアが開かれる。
「すみません、それでお話って何でしょう?え~と二、三問だったら答えられます」
部屋に入り椅子に座る。
「それでは、三代目が次の店主にすると言っていたのは本当ですか?」
聞いた瞬間、伊藤は笑顔になる。
「そうですね。一年前ぐらい前に後継者にしたいって言われました。細かい内容まではちょっと覚えていませんが...」
「前に聞いたお二方には店主になったらどうしたいと聞かれたようですが」
「あ~、聞かれたような気がしますね。確かグローバル展開を視野に入れてると答えました。その時に海外の動向と販路の話についてはお話ししました」
伊藤が壁にある時計をちらっと確認した。
「すみません、次があるのであと質問は一つでお願いできますか?」
「それでは、店主にふさわしいのは阿部さんと秋山さんどちらだと思いますか?」
「もちろん僕です。すみません。次があるので、それでは失礼します」
そう言ってこの部屋から出て行った。
これで三人には話を聞くことができた。
伊藤さんの情報は少ないが、しょうがない。
いったん帰ろう。
お盆を持って廊下に出る。
誰かいないだろうか。
この先の通路を誰かが横切った。
その誰かを追いかける。
途中、窓の外に縁側があるのが見えた。
そこに座る三代目の奥さんも。
そうだ奥さんにも話を聞かないと。
角を曲がると、先ほど見た服装と同じ女性の店員さんがいた。
お盆はどこに片付ければいいか聞くと、代わりに片付けてくれるとのことだったので、好意に甘えお渡しした。
そうだ、ちょうどいい、先ほどあまり話を聞けなかった伊藤さんについて聞いてみよう。
「すみません、伊藤さんってどんな人ですか?その性格とか仕事ぶりとか」
店員の女性は少し考えて答えてくれた。
「そうですね、やり手のサラリーマンって感じの人ですかね。前に労働時間が問題になったことがあったんですけど、その時に伊藤さんが効率化して改善したり、取引先に交渉して仕入れ値を下げてきたりいろいろしてくれたみたいですよ。けど、現場の人の一部は昔からの人が多いからちょっと嫌ってる人もいるんじゃないかな。でも大多数の従業員は頼りになるって評価の方が多いと思いますね」
意外な評価だった。
職人としてはいまいちだが、商売人としては一流のようだった。
感謝を述べてその店員と別れ、次に縁側へ向かった。
「こんにちは」
奥さんの目がこちらをとらえる。
「あら、住職さん。いらっしゃってたのね。すみません。お出迎えすることができず」
立ち上がろうとするが、それを制止する。
「いえ、こちらこそ突然来てしまい申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。それで今日いらしたのは次の店主のことで?」
「はい、今お弟子さんたちのお話を聞いてきました」
「そうですか。それでどうでした?」
「やっぱり。三人とも後継者にするとは聞いていたみたいです」
「あの人いい加減なところがあるから」
そう言って奥さんは懐かしむように少し笑った。
「そうですね。よくわかります。それと店主になったら何がしたいかも聞いていたみたいです」
「たぶん面白がって聞いたのね」
「はい、わかります。俺もあいつも想像の話で本気になってちょっとした言い合いになったことがありますから」
それを聞いた奥さんが少し驚いていた。
「あの人と言い争いなんてしたことなかったから、少しうらやましいわ」
少し気恥ずかしくなってきた。
「それで今、何をしていたので?」
話題をそらした。
「ああ、今ね、あの人のレシピを見ていたの」
そう言うと、手元にあったノートを見せてくれる。
そこにはやわらかいタッチの絵ときっちりした文字が描かれていた。
「おや、これは奥様が書いていたのですか?」
奥さんは笑っている。
「違うのよ。これ、ぜ~んぶ主人が書いてるのよ」
確かに、そういえばあいつが何かを書いたりしているところを見たことがなかった。
あの山賊みたいな男がこんなに優しい絵がかけたのか。
しかも文字まできっちりしている。
死んでからあいつに驚かされるなんて思っても見なかった。
あの世で今の状況を見て笑ってやがるんだろうな。
「あっはははあははははは」
だから俺も笑ってやった。
奥さんもびっくりしながらも一緒に笑ってくれていた。
「ああ、笑った。笑った。あいつこんなかわいい絵を描けるんですね」
「そうよね。初めて知ると笑っちゃうわよね。あの見た目だから」
だが、そのレシピの内容に疑問があった。
「それでこの中身なんですけどこの#なんたらかんたらってのは何ですか?」
いたるところに#の後に文字と数が続いている。
「ああ、これね。これはカラーコードって言うのよ。色をね、文字で書いたものらしいの」
カラーコード、どこかで聞いた覚えがある。
......だめだ、思い出せない。
「へぇ、あいつこんなこと知ってたんですね」
「違うのよ、確か去年のいつだったかしら。一年しないくらい前だった気がするけど、これからは多様性の時代だとか何とか言って色々やってた時があるのよ。その時の一つがこれだったの。それでレシピとか自分だけが見るもので色を指定するのは全部カラーコードに変えてしまったの。覚えたことはすぐ実践したがる人だから」
その言葉を聞いて、やっぱり家族と友達では見せる顔が違うのだとしみじみ思った。
他のページにはおそらくレシピの研究に費やしたであろうページがあった。
その小豆に対する砂糖の割合を研究していた。
大福だけでも塩大福の場合は小豆100gに対して砂糖は110g、フルーツ大福は小豆100gに対して砂糖は80g、豆大福は...、草大福は...と書き連ねていた。
次のページを開くとぞっとした。
各大福に対して砂糖の量を1g単位で変えて試食していて、食べた感想と色が書いてあった。
そのほかにも加熱時間や気温、湿度などが作られた和菓子にどう影響してくるのかや、大量に作ったときの早見表など偶然の余地が入らない徹底した研究を行っていた。
こんな一面を知ることができてよかったと思う。
そして奥さんとあいつに関する雑談をして私は家に帰った。
ちなみにあいつが私を驚かせたお返しに、昔奥さんのカバンを少し傷つけてしまったがばれてないと騙っていたことをチクったが、奥さんは「知ってますよ、知らなかったのはあの人だけ」と笑っていた。
次の日、昨日聞いてきたことについてまとめていた。
あの三人の弟子の中から次の店主を決めなくてはいけない。
あいつの性格上決めていないなんてことは無い。
何か手掛かりを残しているはずなんだ。
だけど、それが何なのかわからない。
後継者と言えばあいつが一回だけ酔っぱらって何か言っていたような気がするが...。
全く思い出せない。
そうだ、酔ってないから思い出せないんだ。
そう思ったらすぐに立ち上がる。
台所から、日本酒を持ってくる。
妻からは小言を言われたような気がするが聞こえないふりをする。
そしてリビングに戻ってきて日本酒をお猪口にそそぐ。
あいつはあんな凶悪な顔なんだから他の凶悪犯に間違えられて地獄に行って、間違えたお詫びに鬼と一杯やってるそんな妄想もするがさすがに不謹慎か。
そんな冗談はここまでにして。
あいつに献杯もしてなかったな。
心の中で献杯と言って日本酒を飲みほした。
いい感じに酔っぱらってきた。
カラーコードっていう言葉が何か引っかかる。
なんかあいつが言ってたような気がするが。
徐々に過去の記憶が思い出される。
「そりゃ、後継者には俺のレシピがわかってもらわなくちゃなんねえ。けど人間てのは意外といい加減なもんだし、体にもがたが来る。そんなときにわかるような予防はしておかなくちゃならねえ。#000000これ何色かわかるか?わかんねぇだろうな。これカラーコードっちゅうんだ。俺はな、これをな、あいつのために......。いや、なんでもねぇ。今のは忘れてくれ」さっきまで陽気に話していたのに、突然しんみりしたような顔になって話を切り上げた。
そうだ、そんなことを言っていた。
これはいつ言っていた?確か一年ぐらい前?
あいつが話の切れが悪くて印象に残っていた。
でもこれは弟子三人の後継者にすると言っていたのと同時期だ。
でもちょっと前にも聞いたような?
酔っぱらってきてるのか頭が少し回らない。
『後継者には俺のレシピがわかってもらわなくちゃなんねえ』これは三代目のもとで修業しているんだから三人とも理解できるだろう。あのレシピを?少し疑問が残る。
『人間てのは意外といい加減なもんだし、体にもがたが来る』そんな奴は三人の弟子の中にはいなかった。誰かが何かを隠してるのか?
『だから俺はあいつのために......』やっぱりあいつは誰が後継者か決めていたんだろう。
そんなことを考えているうちに眠ってしまった。
次の日、店に向かっている。
今日、後継者が決まる。
それでもまだそれが誰なのかわかっていなかった。
その道中阿部が立っていた。
約束の時間からかなり早く出てきたのでまだ時間はある。
さすがに無視はできない。
声をかける。
「おや、阿部さんじゃないですか。どうしたんですかこんなところで」
やっとこちらに気づいたようだ。
「住職さん。すみません、少し時間をいただけますか」
「はい、大丈夫ですよ」
そう答えると、彼と近くの喫茶店に入って行った。
席に着き、コーヒーを注文する。
まだ会話はない。
コーヒーが到着し、店員が伝票を置いていく。
「あの、これを見ていただけますか」
一通の封筒がテーブルに置かれる。
手に取り両面を見るが宛先などは書かれていない。
中身を見る。
二つ折りの手紙の用だ。
開いてみるとそこには見覚えのある文字が書かれていた。
あいつの字だ。
思わず阿部を見る。
彼は怒られる前の少年みたいな顔をしていた。
そして、経緯を話し始めた。
阿部は三代目が亡くなった次の日に部屋を掃除してほしいと言われて掃除に行ったそうだ。
そしてその最中にこの遺言書を見つけた。
見てはいけないと思いつつ、開けて見てしまった。
そこには後継者は秋山と伊藤が話し合いにより後継者を決めろと書かれていた。
阿部は伊藤が毎日遊びに行っていることや和菓子作りに対してまじめでないことに憤りを覚え、彼を後継者にしたくなかった。
秋山に遺言書を見せ説得するが「僕には継げないよ」と答えてその場を去って行った。
このままでは後継者が伊藤に決まってしまう。
それなら......。
葬式の日弁護士が遺言書の開封をするといったとき心臓が捕まれるような思いだった。
なぜなら阿部は誰が後継者に選ばれるか知っていたから。
そして、実際に公表された遺言書の後継者は空白であった。
一瞬、安心した。
でも結局このままでは阿部が後継者になってしまうことに気づいて、一芝居打った。
伊藤ともめることで、少しでも後継者を決めるのを遅らせたかった。
そしてそのあとは住職さんが知る通り、今のような状況になっている、と。
なるほど、状況は理解した。
そして、阿部君がここにきているというということはと、考え察してしまう。
彼は結局、秋山の説得に失敗したのだ、と。
それで藁をもつかむ思いで私に相談しに来たのだと。
ん?何かが引っかかる。
「そういえば、君は何で三代目が亡くなったときに掃除しに彼の部屋に言っていたんだい?」
「はい?それは奥様からそう指示されたからです。確か、遺影に使うための写真を探すついでに掃除もしてきてくれ...と」
「それで、遺言書はどこにあったんだい?」
「はい、遺影の写真と一緒に入ってました」
わかった気がした。
そして自分の役割も。
「もうすぐ時間になるし、お店の方に行きましょうか」
そう言って喫茶店を後にした。
店に到着してまた裏口から入る。
今日は会議室に集まるということだったので場所はわかる。
忘れて間違えても、阿部君がいるから注意してくれるだろう。
会議室に到着した。
阿部君が何も言わないということはあっているだろう。
ノックをして中から「どうぞ」という声が聞こえる。
その声を聞いて中に入った。
既に全員来ているらしい。
弁護士と三代目の奥さん、伊藤に秋山。
私と阿部。
全員揃ったようだ。
「おや、遅くなってしまったようで申し訳ございません」
まだ時間ではないが、待たせてしまったようなので一応謝っておく。
「いえ、まだ時間前ですから大丈夫ですよ」
奥さんが答えてくれた。
「まだ時間より早いですが、もう始めてしまいますか」
弁護士の先生が切り出した。
「特に反応がないようなので、始めさせていただきます。それでは、住職さん。単刀直入にお聞きしますが、後継者は誰かわかりましたか?」
にこやかな笑みでこちらを見ている。
「その前に阿部さん、あれを弁護士の先生に渡していただけませんか?」
皆が阿部の方を向いた。
少し、バツの悪そうな顔をして立ち上がる。
そして弁護士の先生に例の遺言書を渡した。
弁護士は封筒を開き、その内容を確認する。
そしてルーペを取り出し、以前の遺言書と比較してみるような動きをしている。
そして頷いた。
「どうやら、ご主人の直筆の物のようですね」
「おい、内容はなんだよ」
「はい。要約すると後継者は秋山様と伊藤様で話し合いによって決めると書かれています」
「なんだ、じゃあ俺が後継者ってことで決まりだな。秋山はやりたくないってことだし」
もう勝った気でいるのか伊藤の顔がにやついている。
「もう少しお待ちください。住職、先ほどの問いが残っています。それで店主が望んだ後継者はわかりましたか?」
少し言い方を変えている。
やっぱりこの人は......。
だが今はまだその時ではない。
「はい。店主が本当に後継者になってほしかったのは秋山さんです」
伊藤が先ほどまで浮かべていた笑みは消え去っていた。
「はぁ、どういうことだよ。店主が本当に望んでたって言うのは」
伊藤が聞いてくる。
「そうですね。わかったことをお伝えします。あくまで主観で判断しているのでそのあたりはご承知おきください。葬式でお聞きした通りお弟子さん三人に後継者と言っていたのは本当のようでした。これは各人にエピソードを聞いた時に矛盾がなかったことからそう判断しています。そして、後継者に相応しいのはと聞いたところ伊藤さん二票、秋山さん一票でした」
「じゃあ俺だろ、秋山に入れたのは阿部だろ?ってことはだよ。秋山は俺の方が店主に相応しいって言ってるわけだよな」
周りに同意を求めてくる。
それでも続ける。
「でも聞き取りを終えた後、奥さんにお会いしまして、亡くなった三代目のレシピを見させていただきました。そこには故人が書いた絵や文字、研究の結果など膨大な資料となっていました。でも一点おかしいところがあったのです。それが、絵の色にカラーコードが振ってあったのです」
「なんだよ。別におかしいのはそれだけだろ?別にいいじゃねえか」
「いえ、これこそ三代目が秋山さんに継いでほしいという証拠だったのです」
秋山の方を見ると、驚いた表情をしている。
声にならない声で「なんで」と言っている。
「説明の前に確認したいのですが、秋山さん。目に違和感があるのではないですか?」
確信がある。
お茶菓子を出してくれた時のポットの件と、色のグラデーションを褒めた時に一瞬見せた悲しそうな顔。
あとは阿部さんが秋山さんに話した時に聞いたつらいことがあったという話から、精神的な理由で色覚に何かあるのではないかと思っていた。
全員の秋山の方を向く。
秋山は何かあきらめたような顔をしている。
「はい...。その通りです。皆さん隠していてすみません。僕は色覚に異常があります」
皆が驚いた顔をしている。
しかし、演技をしている人もいる。
「やはりそうでしたか。もしかしてその異常が出てきたのは一年ほど前ではありませんでしたか」
「そうです。一年ほど前に突然異常が出始めました」
「そのころ店主が何をしていたかご存じですか?」
「確か次はお前が後継者だと僕たち三人に言っていたのがそれくらいかと」
「それもあります。でも店主は他にもやっていました。いろいろなことを習いに行っていたそうです」
「おい、それが何だっていうんだよ。ただの老後の道楽だろ」
伊藤がイラついたように聞いてくる。
「もしかしたらそうかもしれません。でも習っていたことの中にこの色彩検定というのがあったんですよ。そこでカラーコードについても学べるそうです。このことを知った後に、私思い出したことがあったのですよ。ちょっと前に店主と飲み屋に行った時なんですがね、店主が『後継者には俺のレシピがわかってもらわなくちゃなんねえ。だから俺はあいつのために......。』って言っていたんですよ」
「後継者はレシピを知らなきゃいけないが、秋山さんは色がわかりずらい。でもカラーコードがあれば何とかわかる」
阿部君がそうつぶやく。
私はその言葉にうなずいた。
「でも、俺、このこと誰にも言ってなかったんですよ」
「家族、仕事、友達。人に見せる顔ってのは意外と違うものです。私もここにきて、奥さんと話して彼の違う面を知ることができました。でも一つだけ共通していることがありました。彼はよく人を見ていたということです。店主は何か違和感があって気づいていたんじゃないですかね。あの人はそう言った変化とかには鋭いですから」
「三代目は僕を店主に......」
「そうだと思いますよ」
秋山は決意のこもった目で顔を上げる。
「ここまで期待されて応えないのは三代目への裏切りになる。ハンデはあるけどそんなことは関係ない。僕が店主になる」
「おいおい、じゃあどうなるんだこれ?三代目の意思はわかったけど、俺も譲る気はねぇぞ」
伊藤がそう答える。
弁護士と奥さんが見合って頷く。
どうやら私の仕事はここまでのようだ。
「それでは二つ目、いえ、三つ目の遺言を提示させていただきます」
私は昨日飲んだ日本酒がまだ残っていたのか眠ってしまった。
後から聞いた話だが、店主は秋山になったそうだ。
それで伊藤は店主が持っていた別会社の社長として就任することになった。
和菓子屋よりも儲かると聞いて店主への未練はあっさりと打ち切ったようだ。
阿部はそのまま和菓子屋で働いている。
店主の右腕として日々精進しているようだった。
今日は三代目の墓に来ている。
経を上げるわけではない。
三代目の奥さんに呼ばれてきたのだ。
奥さんが弁護士と一緒にこちらに歩いてくる。
そして三人で墓石に手を合わせた。
それでは、最後の答え合わせだ。
「はっきりと聞きますが、店主と合わせた三人はグルですよね」
「はい」
奥さんが答えた。
「では、私の考えを聞いていただけますか。間違っていたら直してください」
「ええ、どうぞ」
「まず、店主さんとあなたは秋山君を四代目にしたかった。けれど面と向かって指名しても、あの性格では頑として引き受けない。そうですね?」
「その通りです。何度言っても『俺なんかが』の一点張りで」
「それで、一芝居打つことにした。亡くなった翌日、阿部君に部屋の掃除を頼んで、わざと遺言書を見つけさせた」
「はい。あの子は好奇心が強いから、開けて見てしまうだろうと踏んでいました」
「そこまでは狙い通り。ですが、阿部君がそれを隠してしまうことまでは、想定していなかった」
奥さんが小さく笑った。
「ええ、あれには驚きました。てっきり誰かに相談して、私たちの耳に入ると思っていたので」
「秋山君を思っての、独断だったわけですね」
「あの子らしいといえば、あの子らしいのですが」
「それで葬式当日、まずは後継者欄が白紙の遺言状を先生に出させた。本当は秋山君が名乗り出れば、その場で本物を出す手筈だった」
「ですが、秋山は静観の姿勢を崩さなくて」
「それで伊藤君が名乗りを上げ、阿部君が反発した」
「予想外ではありましたが、結果的に住職さんを呼ぶ流れになったので」
思わず苦笑いした。
舞台装置として使われていたとは。
「それで私が三日かけて話を聞くことになった。聞き取りの後、窓からあなたの姿が見えたのも仕込みですか」
「はい。レシピを見せて、違和感を持ってもらう。それだけのつもりでした」
「三代目が後継者の話を何度もしていたのを思い出したのも、計算のうちで?」
「そこまでは。ただ、主人はお酒が入ると必ずその話をしていたので。いつか住職さんが思い出してくれると、信じてはいました」
少し照れくさくなった。
「それで最後は、私がカラーコードと秋山君の目のことを指摘して、彼が決意する。そういう筋書きですか」
「住職さんほとんど正解です」
「やっぱり」
笑いがこみあげる。
それから少し雑談をする。
「主人から、この件が終わったら墓の前でこれを渡してくれと言われてました」
奥さんは私に封筒を渡して帰って行った。
中を見ると文字が書かれている。
あいつの字だ。
『苦労したか?キープしてたボトルを飲まれた恨みだ』
いつの話をしてんだ。
そんなこと覚えてるはずがない。
そう思いながら、彼の名前が書かれた酒と同じ銘柄の酒を供えた。




