2.調査と男爵令嬢
豪奢に飾られた社交会場を出る。新緑色に彩られた木々は夜闇の街灯に照らされていて、夜空は一等星だけが輝く。ふうっ、と息を大きく吐く。婚約破棄にざわめく貴族たちを横目に、リーリエに視線を送る。
「……どうしたの?」
「爆弾だよ、ひょっとしたら社交会場に仕掛けられているんじゃないかと思っていたんだが……」
念の為パーティーが始まる前に確認したが、会場に不審物はなかった。周りの貴族たちにしても、特にそうしたものを持ち込んでいるようでもなく。爆破予告からするとこの会場とばかり思っていたのだが、そうでもないとなるとやはり、アイゼナッハ伯の地元で爆破するつもりなのか?
「アリサ、あんた冷静だねぇ……」
リーリエがため息をつきながらそう言った。……そんなに冷静だろうか? 私自身は結構昂ぶっていると思うのだが。
「婚約破棄があった直後に、爆破予告の話なんて……」
「むしろ、婚約破棄の直後だからこそ、だろう?」
リーリエが、きょとん、とした顔を私に向ける。が、すぐにこちらの言いたいことを了解したらしい。
「今回の婚約破棄、爆破予告と関係があるって言いたいの?」
「間違いないだろうな。会場が爆破対象で無かった理由は分からないが、爆破予告に婚約破棄、あまりにもタイミングが良すぎる」
今回の婚約破棄で、アイゼナッハ伯は爆破予告に手を回せなくなるはずだ。ヴィクトール令息の婚約破棄をどうにか揉み消すのに精一杯だろうし、今回の宴会にリーデル一門の者が出ていたのも辛い。
……うん?
「なあリーリエ、そもそもなんで犯人は爆破予告をしたんだ?」
「えっ、なんでって……注目してほしかったから、とか?」
爆破予告の文言について書き留めた紙を、懐から取り出す。A4用紙、改行などもそっくりそのまま書き記した。
[貴様らの悪行に報いる時が来た。我らに対する日頃の態度を後悔し、爆発と崩壊を以ってその罪を償え。爆弾を止めたくば、その反省の意を示せ。期限は本月の新月の夜までである。]
……反省の意を示せ、そして日頃の態度を後悔せよ?
「……おかしい」
「? どうしたの?」
「いや、爆破予告の話だ。見てくれ、"反省の意を示せ"、そして"日頃の態度を後悔せよ"と書いてある」
とん、とんと頬を人さし指で叩きながら、リーリエが少し考える。別にリーリエは推理が得意というわけでもない、が飲み込みは早い方だ。思考も、また頭の回転も。
やがて思案が終わったのか、リーリエが言葉を紡ぐ。
「仮に婚約破棄と爆破予告の双方に関係があるなら、爆破予告にそんなことを書くのはおかしい?」
「そう。爆破予告の文言から見て、犯人は自分たちのことを思い出して、そして伯爵閣下に反省してほしいはずなんだ。けれども、婚約破棄をこの時期に行えば……」
「当然、爆破予告の推理の優先度は下がる。爆破予告については、いたずらの可能性だってあるから。けれども婚約破棄は事実で、その対応に労力を割かざるを得ない」
爆破する対象が、アイゼナッハ伯領にはほとんど無い。屋敷、駅、橋に中央市場──それこそ、大きな影響があるのはこれら四つだけだろう。アイゼナッハ伯爵閣下にしても、私を呼んだのは念の為、という面が強いはずだ。文章が真面目なことと、あとはわざわざ屋敷の門前に括り付けるという危険行為まで犯して予告状を寄越したあたりから「本物かもしれない」と考えて私を呼んではいるが、もしも本気で爆破されるかもと考えているのならA S Fに連絡するだろう。伯爵様は、要は「万が一」に備えているだけだ。
これに対して、婚約破棄は喫緊で対応するべき課題となる。そうなれば当然、爆破予告は意識の範囲から外れてしまう。となると、逆に犯人は婚約破棄のことを知らなかった? いや、だとしたらこのタイミングの良さはなんだ? 本当に偶然だとでも言うのか?
「……もしもし、何を話していらっしゃるのですか?」
不意に、後ろから声が聞こえる。うら若くて、会場でよく聞いた声。振り返る、黄檗色の髪に端正な顔立ちの、舞踏装姿の少女。
「ハンナ嬢?」
「あっ、いえ。聞かれたくないお話でしたら……」
頭を振って違うと答える。
「婚約破棄の話は宜しいのか、と思いまして」
ああ、そのことですか、と。軽く、少女は答える。その軽さが、先程会場で見せた半狂乱と、けれどもどこか一致する。まるで、沈積して澄み渡っているからこそ軽く見えるだけのような、奥底にはまるで火山のごとく沸騰する気持ちがあるかのよう、というか。
「義父上と少しお話しまして、その後に今日は休め、と。今ヴィクトール様に会ったら、私自身何をするか分かりませんし」
「あーなるほど?」
会場でのあの右ストレートから見て、もしも演説台で転ばなければそのままヴィクトール令息と殴り合いの大喧嘩をしていたことだろう。そんな状態でまともに話をできるとも思えないから、アイゼナッハ伯もさっさとマグナレータ嬢を家に帰そうとしている、といったところか。
「せっかくですし、一緒に帰らせていただいても宜しいですか?」
マグナレータ嬢が、丁寧にそう告げる。ただし、その表情は本心のものには見えない。近代的仮面で表情を覆っている。会場の時とは大違いだ。
「私は構わない、リーリエは?」
「私も構わな……構いません。ご一緒させていただき感謝いたします、マグナレータ男爵令嬢」
「いえいえ、私が望んだことですから。にしても、本当に仲が宜しいのですね。羨ましいです」
そう言ってハンナ嬢は、丁寧に舞踏装の裾をつまみ上げて軽く会釈する。淑女らしい、一糸乱れぬ美しい所作だ。まるで操り人形のような、そんな丁寧さ。
「失礼ですが、ハンナ嬢はヴィクトール令息とは……」
「あはは……あまり、良い関係ではなかったかもしれませんね」
こつこつ、と。舞踏装の靴の踵で瀝青を踏みながら、マグナレータ嬢はそうして歩き出す。高くてきれいな、聞き心地の良い打音。
「少し話を聞かせてもらっても?」
「ええ……とはいっても、話せることはあまり。ヴィクトール様自身、私にあまり付き合おうとはしませんでしたから」
リーリエの手を引いて、ハンナ嬢の後を追う。意外と足が早く、左足を義肢に取り替えしている私とほぼ同じくらいの歩幅だ。あるいは、一刻も早く会場から離れたいのか。どちらかといえば、そっちか? 歩き方から見て、操り人形にさえ思える彼女の割には少し荒ぶっているように感じられる。
「付き合おうとしなかった? 婚約者なのに、ですか?」
「ええ。ヴィクトール様は、人に干渉されるのがお嫌いですから。同じように、人へと干渉することも」
「それはまあ、なんというか。……中々、尖っているなあ」
とはいっても、今朝の駅でのヴィクトール令息の態度からするとある意味当然か? 何せ自己紹介さえ"知っているだろう"で済ませてしまう少年だ、よほど個人主義なのだろう。
「私が毎回小言のようにあれこれ言うものですから、もしかしたらそれで鬱陶しがられたのかもしれませんね……あはは、そう考えると婚約破棄されても当然なのでしょう」
「あー、やっぱり駅の時も」
「はい、自己紹介は貴族の礼儀ですから。ヴィクトール様に、いつも言っているでしょうと軽く注意を」
特に間違っているわけでもない、実際問題として貴族の礼儀がなっていないのならば婚約者にはそれを糺す義務がある。たとえ鬱陶しがられたとしても、言う事自体は間違っているわけではない、わけではないが。
「他の方法は試したのか? それこそ伯爵様に言うとか」
「何度か言っては見ました。ですが、義父上はヴィクトール様に少し甘いのです」
……言われたら確かにそうかも知れない。ヴィクトール令息が私に挨拶しなかったとき、アイゼナッハ伯は私に"赦してやってくれ"とはいったが、それ以上何かを言ったかといえば……特に、ヴィクトール令息に関しては何も言っていなかったはず。それに、よく考えたら伯爵閣下はヴィクトール令息の要求を呑んで橋の修理事業を丸投げし、しかも情報が回ってこないことさえ容認していた。
「今回、ヴィクトール様が勝手に宴会をお開きになられたでしょう?」
不意に、マグナレータ嬢がそう言って立ち止まった。私に顔を向ける、完全な無表情。けれどもどこか、透明な悲しさが混じっているような、そんな感じがする。
「あ、ああ……。折檻する、と言っていたと思うが」
首を横に振るハンナ嬢。
「義父上は厳しく折檻すると仰られていましたが、実際に折檻した試しなんてほとんど無いのです。いえ、しようとしてもヴィクトール様に論破されてしまい気が削がれてしまう、というのが正しいでしょうか?」
「そんなに、ヴィクトール令息は弁が立つのか?」
これには大きく頷くハンナ嬢。確かに、先ほどの会場での婚約破棄宣言、言っていることは滅茶苦茶なのになぜだか飲み込まれてしまっていた。
弁が立つ、というのは何も論理の組み立てが上手というわけではない。むしろ論理がなっていなくても誰かを納得させる力まで含めて、それが弁論だ。先ほどのヴィクトール令息は、論理の代わりに演出力と言葉で私達を強引に説得した。
「それだけでなく、ヴィクトール様は洞察力も思考力もある方です。そして、思考を弁で以って言葉へと落とすのもまた。
今回の宴会、リーデル一門の方も参加していらっしゃったでしょう?」
唐突に違う話になって一瞬困惑するが、確かにリーデル一門の者が宴会にいたのは事実だ。……よく考えれば、なぜリーデル一門ほどの名門が、たかが田舎の宴会に参加を?
それだけじゃない。宴会に出ていた貴族は数多いが、彼らはどうして参加した? 田舎貴族からの手紙なんて断られて当然のはず。それなのに……って、まさか。
「ヴィクトール様は、リーデル一門の方と文通していたそうです。特に、この国の行く末や改革などについて」
「なるほど、要は名門貴族から目をかけられていたわけか。そして、そのつながりで今回もまた、貴族たちを招くことが出来た」
「おそらく義父上の許し無く宴会を開けたのも、それが理由でしょう。義父上を飛び越してリーデル一門が保証しているのだから、宴会を用意することも容易い」
はあ、とため息をつくマグナレータ嬢。
「こう見ると、随分と私の立場も不安定になってしまいましたね」
ほんのり泣きそうな顔で、そう、彼女が告げる。まるで、近代的仮面の背後に隠れた本心が、ぽろりと零れ落ちたかのように。
「……マグナレータ嬢は、これからするつもりなんだ?」
「……どうしましょうね」
まるで他人事のように、ハンナ嬢はそう言って肩を竦め、また歩き出していく。ほんの少し投げやりに、踵で瀝青を踏む。
「マグナレータ男爵家に帰るわけには行かないのですか?」
リーリエがそう、ハンナ嬢に問いかける。対して彼女はといえば、ゆっくりと首を振った。
「婚約破棄された娘など、本家は引き取りたがりません。貴族とはそういうものです」
「で、でも……家族の情とか……」
「……わたくし自身の父上も母上も、私に教育をこそ叩き込んではくれました。大切にはしてくれているかもしれません。ですが、特に情があるかと聞かれると……」
あはは……と。困ったように、泣きそうになりながら、それをこらえて、何もないように擬態して、近代的仮面を被って。そして、まるで操り人形の糸がまた結ばれる。
「父上も母上も、私のことは道具と思っていたようですし」
「道具、ですか……?」
「ええ。私、三女ですから。長女には情を注いで育てていたようですが、次女はほとんど……。まして、三女の私に、なんて」
こつこつ、という音ばかりが鳴り響く。リーリエが、胸の前で拳を握って、はあ、と深く息を吐いて。
私自身、リーリエとはかれこれ5年ほど付き合ってはいるが、そういえばリーリエの家族についてはそういえばほとんど知らない。いや聞く度に、はぐらかされてしまう。もしかしたら、そんなリーリエの家族と、重なるところでもあるのだろうか?
……いや、私が聞くのも不粋か。興味がないかと聞かれれば嘘になるが、嫌がっていることを無理に聞き出したくはない。
「仕方ありませんし、義父上にしばらく預かってもらうことになるかもしれないですね……。すでに婚約破棄されて縁も切れてしまっていますが、この騒動が落ち着いて私の去就が決まるまでは」
「……お大事に」
リーリエがそう、そっと言った。
ひゅう、と風が吹く。新緑色の木の葉が風に揺られ、ふわっと空を飛ぶ。鉄筋瀝青製の駅が見える、遥か遠くには公国連合首都の超高層タワー群。不夜城の如き情報都市圏の光が、まるで蜃気楼のようにふわりと浮かぶ。
会場があるのは公国連合首都ベルリンの郊外、ちょうど情報都市と蒸気都市の境界くらいの地域。中途半端に工業化の進行した蒸気都市では、日々厳しい環境で労働者が働いている。
「行きましょうか。列車、来てしまいますから」
ハンナ嬢はそう言って、私達の方へと向き返り、にこっ、と笑った。蒸電併用列車が線路を軋ませる音が遠くから聞こえる。その中で浮かべたハンナ嬢の笑顔は、なぜだか近代的仮面のようにも、奥底深くにある自然な表情にも見えた。
「リーデル一門から当主を退くように、と……」
「ああ……ヴィクトールめ、どうやらリーデル一門の者に庇い立ててもらいおって……っ!」
宴会会場から屋敷に帰って来て、しばらく経った頃。私なりに爆破予告のことを調べてはいたが、やはり手掛かりはない。そして、アイゼナッハ伯もまた婚約破棄に掛かりっきりだった。
「……ヴィクトール令息は、いまどこに?」
「自室に謹慎させている、がリーデルからは早く解放して中央に身柄を寄越せと言ってきている」
そうして、爆破予告の新月の日、その前々日。私はこうして、アイゼナッハ伯から呼び出されている。
「爆破予告について、ヴィクトール令息は……」
「知らぬ存ぜぬの一点張りだ、だが詳しく聞き出そうとすると途端に論破してくる。何かあるのは、おそらく間違いない」
「となると、やはり爆破予告はダミーで、婚約破棄に気取られまいとヴィクトール令息が仕掛けた罠?」
こくり、とアイゼナッハ伯が頷く。
「そう考えるのが妥当だろうな。念の為に、ヴィクトールがイルムハルト大橋に爆弾を仕掛けていないかどうかマグナレータ嬢に検証してもらっている」
……確かに、爆破予告をヴィクトール令息がしたというのならば辻褄は合う。婚約破棄に気取られまいとしたヴィクトール令息が、念には念を入れてといった形でわざわざ爆破予告を出して、そちらに労力を割かせたとすれば、確かに、確かに筋は通る、通るけれども。
「……だとしたら、なぜ爆破予告をもっと早く出さなかったのでしょうか?」
「ああ、それは私も気になっている。婚約破棄から目線を逸らせたかったのであれば、爆破予告はもっと早く出すはずだ。……まあとはいっても、せいぜいが予告状を書くのに手間取ったとか、そういう類いではないかと思っているが。あるいは、本当に念には念を入れて、なのかもしれんが」
がちゃ、と前の扉が開く。入ってきたのはアイゼナッハ伯爵夫人、奥方だ。先日会ったときには私に若干冷淡な態度をとっていてリーリエに温和に接していた気がするが、今はずいぶんと憔悴しているようで化粧の乗りも悪いのか少し不健康そうに見える。
「済まない。どうやらまたリーデルやミュンヒハウゼンから、早くヴィクトールを解放しろという手紙が来ているみたいでな」
「ミュンヒハウゼン辺境伯からも?」
「ああ。ミュンヒハウゼンはリーデル一門の傘下にあるうえ、マグナレータ嬢のこともある。妻もミュンヒハウゼンの血を引いているし、リーデルから圧力をかけられているんじゃないか?」
なるほど、そういえばミュンヒハウゼン辺境伯家はリーデル一門の傘下だった。国境地帯の防衛を担っているから、資金の面でリーデル一門に依存しているのだったか?
国境地帯は、情報工学どころか蒸気都市レベルの工業さえ成立していない、良く言えば穀倉地帯、悪く言えば未開発地域。穀物だけで莫大な軍事費は賄えないから、どうしてもリーデル一門を始めとする名門貴族の傘下に入らざるを得ない。それに、名門貴族にしても軍事費の名目で大金を動かすことができる。経済的な面で見ると互恵関係ってわけだ。
「義父上、義母上。お取り込み中でしたか?」
そんなことを考えていると、アイゼナッハ伯爵夫人の後ろ側にひょこっ、とハンナ嬢が現れる。持っているのは薄い報告資料、となるとイルムハルト大橋の爆弾調査か。
「ハンナ嬢、爆弾調査の結果はどうでしたか?」
私がさくっとマグナレータ嬢に尋ねると、部屋に入ってきて調査報告書を私に手渡してくれる。一枚の紙にいろいろと書いてはあるけれど、要は異常なし、とのことだった。
「やはりヴィクトール様の偽装工作の線が妥当なように思われます」
淑女の礼を取ったあと、ハンナ嬢は端的にそう、アイゼナッハ伯に告げる。それに対して伯爵閣下もまた、大きく頷くのだった。
「ありがとうマグナレータ嬢、ヴィクトールには改めてきつく問い詰めておく。アリサ殿、こんなことに付き合わせて済まなかった」
「いや、それは構いまわないんだが……どうしましょうか、明日までここに滞在したほうが?」
私に聞かれて思案している伯爵閣下に代わって、すぐに伯爵夫人が返答する。特に迷うこともない、といった感じで。
「できればそうしていただけると、私達としても助かります。爆破予告についてはヴィクトールの自作自演の可能性が高いとはいえ、まだ確定ではありませんから」
「わかりました。では、依頼金については明日、ということで?」
「ええ……。本当に、馬鹿な息子に巻き込ませてしまい申し訳ありません、アリサさん」
いえいえ、と手を振る。
「ただ、ヴィクトール様の自作自演だとしたら、やはり私自身の手で事件の真相を暴けなかったのが心残りです……」
「仕方あるまいよ、それは。まさか、ここに来た日の夜にいきなり宴会に行くことになり、しかも会場についたと思ったらすぐに婚約破棄だろう? 如何なアリサ殿といえど、それは無茶というものです」
……とはいっても、私自身これで事件が終わると確信しているかと聞かれれば。確かに、ヴィクトール令息の自作自演で筋は通っている、がどうしてもそれに納得できない私がいる。これで終わらない、と私の直感が告げている。
「そういえばアリサ嬢、本日はお暇ですか?」
不意に、ハンナ嬢がそう告げた。本当に唐突だったので一瞬何を言っているかわからず頭が硬直して、けれどもすぐに了解する。
「暇ですよ、ハンナ嬢」
「でしたら、少し街を案内します。どれだけ遅くても明後日には帰ってしまうのでしょう?」
「ん、ああそうなるか……。せっかくです、ご案内していただいても」
「ええ、もちろん!!」
珍しく、ハンナ嬢が本心から興奮した様子でそう告げる。さすがに少し恥ずかしくなったのか、頬を赤らめて、伯爵閣下に"し、失礼しました……"と平謝りしている。
「では伯爵閣下、失礼いたします」
そう言って私は、ハンナ嬢と一緒に部屋を後にした。
両手を伸ばして、息を吸う。田舎の街に特有の、自然と交じり合う人間の匂い。木造の香ばしい匂いと、自然の草木の新鮮な匂いと。私の住んでいるところと似てはいるけれど、でもやはりちょっと違う。こうした匂いの違いは、やはり田舎に特有だよなあ、などと呑気に思った。
情報都市や蒸気都市では、こうもいかない。匂いが大きく違ったとしても、なぜか区別がつかない。まるで、同じ虚構の根っこから生じた匂いみたいに感じる。田舎とは正反対だ。
「どうですか、アリサ様」
「やはり、田舎のこうした空気はおいしいなと、そう思うよ」
目を開く、奥に見えるのは木造の駅、そしてそこから伸びる道に沿って幾つか商店が並んでいる。木造で、すぐに建てたり壊したりできる感じの建物だ。そしてそんな建物でみんな、野菜を売ったり紅茶を売ったり、あるいは衣類を取引したりしている。
「ハンナ嬢は、こういう空気は好きなのか?」
「ええ、大好きです。人が、生きているって感じますから」
目を瞑って、本心からの笑みで。彼女はそう、しみじみと言う。
「私、情報都市に行ったことがあるんです。ミュンヘンだったでしょうか?」
「どうだった?」
「キラキラしてました。灯もあちこちにあって、全面ガラス張りの建物もたくさんあって、会社も、あと車?もたくさんありって、みんな携帯端末っていうものを持ってて。……でも」
そう言ってハンナ嬢は目を開いて、どこか悲しむように口を開く。哀愁と、悲哀と、あるいは寂寞感と。そんなものが入り交じった、近代的仮面の奥底深くにある感情が、自然と滲み出している。
「でも、みんな生きていないかった。ただ、生きて、働いて、死んで。そこに、満たされている感じは無かった」
「確かに、な。私はリーリエと一緒によくベルリンに行くんだが、まああそこも酷い。まるでゾンビみたいだ、なんて思ったりしたよ」
こくり、と。頷く少女は、少し笑って。
「少し、あそこの紅茶屋さんに寄っていきませんか? あのお店、今週いっぱいでまた閉店しちゃうらしくて」
「なるほどな。茶葉を売り切ったらまた来年、ってことか」
「毎年少しずつ味が違うんですよ。天気や育て方、あとはどんな肥料を使ったか。それだけでも、茶の味は少しずつ違ってくる。今年は少し、甘みがきいた紅茶でしたね」
いきいきとした顔で、ハンナ嬢がそう語っていく。
「随分、ここが好きなんだな」
「ええ。郷土愛、みたいなものでしょうね、たぶん」
「いいじゃないか、それ。どれだけ金があっても、愛と幸せは買えない。それを、名門貴族は果たして知ってるんだろうか?」
ついつい、私が普段思っていることを話してしまう。
名門貴族は、いつもベルリンで権力争いをしている。そして、権力のために金を溶かし、時間を溶かし、あらゆるものを浪費している。それを否定はしないし、必要なのも分かる。けれど、どこか空虚だな、なんて。どうしても私は、そう思ってしまう。
そうこう考えている間にも、いつの間にか紅茶屋さんの前についていて。ハンナはさくっ、と紅茶を注文してお金を払う。
「ハンナ嬢は……」
「アリサさん」
不意に、ハンナ嬢が強めの声でそう、私に呼びかける。
「ん? どうかしたか?」
「ハンナ嬢ではなく、ハンナ、と。どうか、私のことを呼び捨てにしていただけませんか?」
唐突にどうした、と笑おうと思ってハンナ嬢の方を見て。けれども、その目は本気の、懇願する目だった。近代的仮面から滲み出るのではなく、本音の奥底から吹き出してきたかのような、そんな目。
「……ああ構わないよ、ハンナ」
「ありがとう、ございます……っ!」
そう言ってハンナは、目を瞑った。その瞳にほんの僅かに涙が滲んでいたのを、私は見逃せない。まるで、奥底にある本音の水源が水圧で仮面を推し割ったかのような、そんな涙の滲み方。けれども口元は必死に笑おうとしていて、それが痛々しくて。
けれども、いや、だからこそ、だろうか。私は、どうしても彼女のことを直視してしまう。
「ハンナさん、紅茶ですよ」
紅茶屋さんの若い女の人が、そう言ってコップに入れた紅茶を彼女へと渡す。そして、受け取った彼女ににこっ、と微笑む。茶色い頭巾を被って化粧もしていないような、けれどもだからこそ綺麗に感じられるような、そんな女性だ。
「ありがとう、ございます……っ」
そしてごくっ、とハンナは紅茶を飲み込む。どこか泣いているようで、けれども笑っている。
「……おいしい、です。いつもよりも、なんだかすごく」
「ふふっ、それは良かったです。実は、ちょっとだけ濃い目に淹れたんですよー」
そんなことを言いながら、なぜだか私の方にも紅茶のコップを渡してくれる。
「えっ?」
「ほらお嬢さんもどうぞ。ハンナ様が人を連れていらっしゃるの、本当に珍しいですから。これは、私からの感謝料だと思ってください」
「ええっと……? でもうーん、なんだか悪い気がするよ」
そう言って、左義手で財布を取り出そうとすると、その手をお姉さんがぎゅっ、と押さえる。
「どうか、このまま受け取ってくださいまし」
「……どうして?」
「……私が言うのは不敬かもしれませんが、ハンナ様は、ずっとひとりぼっちだったのです」
隣のハンナを見る、まるで堪えていたものが吹き出してきたかのように涙が溢れ出している。それを手で拭って拭って、けれども拭いきれなくて。
「この紅茶にそんな価値があるか、なんて私には分かりませんし、貴族のしきたりも私には分かりません。ですから、押し付ける気もございません。ただ私の不遜なお願いの対価として、この紅茶を受け取っていただきたいのです」
「……ハンナの友人でいてほしい、なんて。そんな願いか?」
「ええ、その通りでございます」
一秒、二秒。少しの間、沈黙が走る。
ふっ、と。たぶん私は、笑ったと思う。そして、紅茶を引ったくるように取ったあと、そのまま一気に飲み干した。
「お願いなんて、そんなものは知らないし、守れるかも分からない。だから、約束なんて結ばない」
ハンナが、私の方を見る。
そっと、私は手を差し伸べる。静かな、本当に静かな時間が、流れる。風が吹く、自然の匂いが体の中に染み込んでいく。
「だから、これは祈りみたいなものだ。どうか、私と友人になってくれないか、ハンナ?」
「……こちらこそ……っ! お友達になってくださいな、アリサさんッ!」
手を取ったハンナが、そう言った。
その時見せた笑みは、自然で、仮面じゃなくて、本音で。けれども、なぜだろうか。どこか、ぎこちなかった。
「すみません、取り乱してしまって」
もう一度紅茶を頼んで、席に座って。ついでにお菓子も頼んで、のんびりとくつろぐ。あいかわらず、自然のいい匂いがする。
「……実は私、あまり友達というものがいなくて」
「男爵家のところにも?」
「ええ……。親にいろいろと厳しく教育を受けていて、私も出来が悪かったものですから、中々外にも出して貰えなくて。かといって、こちらでもなぜか、友達というものが作れなくて……」
クッキーをつまみながら、ハンナがそう言う。
「すみません、こんな話してしまって」
「いや構わないさ。せっかくこんなところに来たんだ、これも縁というやつだろう?」
そう言って、私はハンナにできるだけ柔らかく微笑む。
「最初は、ヴィクトール様とも上手くやろうとしたんです。でも、ヴィーカ……ヴィクトール様は、あんな風なお方ですから。前に一度、琴を弾いて、聞いてもらって、楽しんでもらおうとしたのですが。
あっ、琴というか、私は楽器が好きなんです。それで、せっかくだから聴いてもらおうと思って。でも、うるさいし時間の無駄、と言われてしまって」
「そうか……」
それは……ずいぶんと、辛いなあ、なんて。私が言えた口でもないから言葉にはしないけれど、でも、心のなかではそう思った。
「今度、琴の音を聞かせてくれないか?」
「えっ?」
「楽器、好きなんだろ? なら、私にいつか、聞かせてほしい。なんなら、私のところに来ないか? リーリエも喜んでくれると思うんだ。婚約破棄の騒動、落ち着いたらここには居られないんだろう? なら、私達のところにくれば良い」
くすっ、とハンナが笑う。
「……考えておきます、アリサ」
「ふっ、私が巷でなんて呼ばれてるか知ってるか?」
「魔女様、というあだ名なら知っていますが……」
にぃ、と笑いかける。
「ひとたらしの魔女、さ」
「ふふっ!」
「こらこら笑うな、これも立派な異名だよ。事件解決の度に人をたぶらかしてるって、これリーリエからいっつも言われてるんだからな。それで、ひとたらしの魔女、ってあだ名ついてるんだよ」
クッキーを、また口に放り込んで。うん、甘みがきいてておいしい。バターの風味と砂糖の甘味が上手く混ざって、食べていてすごく、気分が良くなる。
「ふふっ。私が知ってる異名は、どんな強者も実力でねじ伏せる、ミステリー好きな《最強の魔女令嬢》ですけれど」
「そいつぁ誤解ってもんよ! どうせあれだろ、強さに尾ひれがついたってやつ」
「かもしれませんね、だってこんなにお優しいんですから。噂みたいに、素手でコンクリートの建物を破壊するとか数キロ先にレーザーを撃ち込んだとか、そんなこと、できそうにないですから」
すぅ、と息を思いっきり吸ったことは、バレないようにしておこう。
「にしても、人生で一番良い日だなあ、なんて」
くすっ、と。ハンナはそう言って、私に笑いかけるのだった。
そうして、訪れた爆破予告の日、その早朝。
私は、目が覚めてしまっていた。なんだか、胸騒ぎがする。爆破予告についてだ。ヴィクトールの自作自演なら、今日何かが爆発することはないはず、そのはずだ。
念の為に、昨日のうちにリーリエから爆弾解除用のセットだったり義手や義肢の整備、あとは手持ちの武器の整備などはちゃんと行っている。念の為、義手に仕込んである針や義肢の跳躍力なども確認した。ああ、だいじょうぶ、だいじょうぶなはずだ。
「……おはよう、朝早いね」
むくっ、とベットから起き上がったリーリエが、私を見てそんな事を言う。そう言ったって、リーリエだって早いじゃないか。まだ、夜も更けていないというのに。
「おはよう、リーリエも充分早いよ」
起き上がったリーリエが、うーんっ!と体を伸ばす。ちなみに外行きの服を着たまま寝ているから、すぐに外出できる形だ。
「……なあ、リーリエ。せっかくだから、少し散歩しないか?」
「うん……? 寝起きなのにぃ、いやいいけどさぁ〜……ふわぁ、眠い」
あくびをしながらベットから起き上がって、けれども眠たいと言わんばかりに彼女は目を擦る。いやまあ、こんな早朝に起きている時点でそりゃそうか。
私も少し背伸びをして、念の為に義肢や義手の動作確認を───。
「あの、少し宜しいですか?」
ドアをノックする音、ハンナ……ではなくて、声からして。
ノブを捻って、扉を開ける。やや黒みがかった長い銀髪に、鋭い目つき。けれども連日の疲れで、少し目に隈が浮かんでいる。
「どうぞ、アイゼナッハ伯爵夫人」
そう言うと、軽く会釈をして伯爵夫人が部屋に入ってくる。手に抱えているのは、何かの資料。
「何か見つけたのですか?」
「ええ。私なりに調べてみて、こんなものを」
ガチャ、と扉を閉めた夫人は、わざわざ鍵まで閉めた。となると、これは私達以外の誰にも、つまりアイゼナッハ伯にも聞かれたくないことのようだ。
伯爵夫人の雰囲気に気がついたのか、私の隣まで歩いてきたリーリエも眠気がやや飛んでいるように思える。そんなリーリエにも見えるように、伯爵夫人はぺらっ、と資料を見せてくれた。
「これは……」
「イルムハルト大橋の工事資料です」
資料に書かれているのは、イルムハルト大橋にあった工事車両や工事器具などの情報、それに運び方や予算、そしてその請求先など。そして、その請求先は……。
「……請求先を、ミュンヒハウゼン辺境伯家に立て替えている」
「どうやらヴィクトールは、よほどこの屋敷に工事情報を残したくなかったようです。マグナレータ嬢が先日調査してくれていたでしょう? あの資料には、かなり大型の車両がイルムハルト大橋にあることも記されていた。けれども、そんな車両を私達は領内で確認していない」
「……なるほど、つまり工事車両はイルムハルト大橋の向こう側、つまりミュンヒハウゼン辺境伯領から運び込まれてきた、と」
あんな大型車両を、山がちなアイゼナッハ伯領経由でイルムハルト大橋へと持ち込むのは経済的では無い。ミュンヒハウゼン辺境伯領から運び込まれてきた、というのは推測内ではあったけれど、でもその予算までミュンヒハウゼン辺境伯へと立て替えている? よほど偽装したかったのか、あるいは……。
「あの、イサベル様。少しお聞きしたいことが……」
「何でしょうか、リーリエ殿?」
珍しく、リーリエが質問している。いつもは技術関係か人間関係のことしか質問しないし、事件関係の質問はあえて避けていたんだが……。いや、その関連か?
「ミュンヒハウゼン辺境伯領を経由して工事車両を運ぶなんて、そんなの可能なんでしょうか?」
えっ……、と。伯爵夫人は一瞬、虚を突かれたような表情を浮かべる。うーん、確かによく考えればこのあたりは丘陵帯だ、ここはとりわけて山がちではあるけれど、ミュンヒハウゼン辺境伯領だって山がちなのには変わりない。そんなところを、しかも田舎だからまともに整備されていない道路で、果たして移動できるのか? いやそもそもとして、田舎と都会の道路はあまりにも違いすぎる。コンクリート舗装が当たり前の都会と比べて、こっちは駅前の道路でさえ、自然の匂いがするほどの未舗装状態。そんなガタガタ道を、果たして運転してまで工事に来てくれる土木企業なんてどこに……。
「……リーリエ殿の言う通り、たとえミュンヒハウゼン辺境伯領を経由したと仮定しても、そもそもとしてそこまで工事車両を運べない」
「これは私の仮定なのですが、ミュンヒハウゼン辺境伯領からもっとも交通的に近い蒸気都市はローゼンハイム、そしてローゼンハイムは確かリーデル一門が治めているはずです」
ローゼンハイムは、確かミュンヒハウゼン辺境伯領と道路、鉄道経由でつながっている。が、道路の方は道が未整備なうえに大型車両が通れるほど道幅が広くない箇所が多数ある。
……では、鉄道は?
「仮にローゼンハイムからミュンヒハウゼン辺境伯領まで、部品を分解したうえで車両を運んだとすればどうでしょうか? 蒸気都市で部品を製作し、組み立て自体はミュンヒハウゼン辺境伯領で行う。この流れで金が動きます、ましてやそれが、イルムハルト大橋という橋の"新造"であれば」
「新造? ですが、すでにイルムハルト大橋はここに……」
その瞬間に、何かに伯爵夫人が気づいた顔をする。そして、私もまた気がついてしまった。
「爆破すれば良いんです。木造橋を破壊し新たにコンクリート製の橋を掛ける、これだけで大金が動きます。しかも国家予算で工事業者にお金を落とすという形にすれば、その予算は丸ごと工事業者に、つまりリーデル一門の傘下にある組織へと落ちてくる。あとは、お金の洗浄をすればリーデル一門へと還流するでしょう?」
「……そして、木造橋の爆破のためには爆弾を持ち込まなければならない、けれども万が一爆弾を仕掛けているのが見つかってしまえば、計画は水の泡。だから、わざと婚約破棄と爆破予告を同時期に行った」
つまり、爆破予告の真の目的は爆破の犯人がミュンヒハウゼン辺境伯家であると気が付かせないための巧妙な罠。仮に爆破予告のあとに爆発が起こっても、普通ならそれは爆破予告の犯人によるものと考えてしまう。が予告の「反省」などの文言から見て私達はおそらく、その爆破は「アイゼナッハ伯爵家に恨みがあるもの」と思い込んでしまう。
けれども、ミュンヒハウゼン辺境伯家はアイゼナッハ伯爵家に恨みなんてものはないはずだ。それこそ辺境伯家の血に流れている女性をアイゼナッハ伯爵家に嫁がせているわけだし、伯爵令息にまで辺境伯家の傍流であるマグナレータ男爵家から娘を嫁がせている。この状態では、真っ先にミュンヒハウゼン辺境伯家は爆破の犯人から除外されるだろう。
しかも婚約破棄の前後に爆破予告を被せることで、その爆破予告については当然調べ尽くすことも出来ない。リーデル一門から圧力がかかっている現状では、本格的に調べようと思っても不可能だろう。それこそ、圧力を跳ね除けるので精一杯だ。
「つまり、爆破予告の真の目的はミュンヒハウゼン辺境伯家による欺瞞工作……」
伯爵夫人はそう呟くと、こめかみに手を当てて何やら考え込んでしまう。そもそもとして夫人は辺境伯家の流れにある人だ、実家を疑うに等しいことを、さあ果たして信じろと言われても難しいのかもしれない。
「……取り敢えず、マグナレータ嬢をミュンヒハウゼン辺境伯家へとすぐに送りましょう。このことは私が責任を持って対処します」
……ん? 引っかかりを覚える、何かが変だ。言葉遣い、態度、話し方? いや……"私が"責任を持って対処する?
「伯爵夫人、アイゼナッハ伯には伝えないのですか? 共同で対処するべき事柄だと思うのですが……」
首を振る夫人、それは駄目だと暗に示している。
「ジークは甘すぎる、仮に教えたら抱え込んだあげくミュンヒハウゼン辺境伯に押し切られてしまうかもしれません。それに……」
「それに?」
「……いえ、なんでもありません。リーリエ殿、アリサ殿、協力感謝します」
そう言って伯爵夫人は、ドアをやや乱雑に開けたあと一度お辞儀をして、そこから走り去ってしまう。
「……なんだ、この引っかかりは」
夫人の態度に、ほんの少し違和感を覚える。確かにアイゼナッハ伯爵は、ハンナによるとヴィクトール令息に言いくるめられてしまうくらいには論戦に弱い。いくら弁論に秀でているからといって、息子にいつも言いくるめられてしまうというのはさすがに弱すぎる。
……だが、それにしたって言わない? それは、何かが奇妙だ。何かしら夫人も、ミュンヒハウゼン辺境伯の陰謀に絡んでいるのか? それとも……。
夕方の日差しを浴びながら散歩と、ついでにそこら辺を観察している。やはり爆発はまだ起きていないし、特に異常も報告されていない。となると、やはりミュンヒハウゼン辺境伯の陰謀だった、ということだろうか?
けれども朝方からずっと考えていた、何かがつっかえている、でも何が?
「アリサどうしたの……顔が怖いよ?」
「いや、どうにも爆破予告のことが気になってな」
「だーかーら、あれはミュンヒハウゼン辺境伯の陰謀だよ。筋も通るし、アリサだって朝に納得してたでしょ?」
リーリエの言葉に、けれどもやはり納得ができなくて。
「そんなむすっ、とした顔してたら、お金も幸せも逃げていくよ〜?」
「お金も幸せも、ってねぇ……」
あれか、笑うところには福来るみたいな瑞穂のことわざの反対? 幸せもお金も、笑顔のある人へと集まっていくって───。
「────ッ!」
「? どうしたの、アリサ?」
爆破予告、ヴィクトール令息の婚約破棄、リーデル一門、国境地帯、イルムハルト大橋、駅、そしてミュンヒハウゼン辺境伯家。すべてが、すべてがつながっていく。
「リーリエッ!」
「えっ!? あっ、はい? それはミュンヒハウゼン辺境伯の……」
「違う、違うんだ! 爆破予告の犯人も、爆破地点も分かった!! 経済と郷土だ、すべてはそれから始まっている!! 全部話してる時間はない、トランシーバーを貸して!」
一瞬慌てた様子を見せたリーリエは、けれどもすぐにトランシーバーを取り出して、私に投げ渡す。
「私は今から、爆破地点へと行く! リーリエは屋敷の方へ!」
「わ、分かったっ!」
こういう時のための義手であり義肢ってもんだ、念の為に朝方、義手と義肢の確認をしておいて良かった! 義肢で地面を蹴り飛ばす、時間がない、急がないとっ!
仮に私の推理が正しいなら、犯人は─────ッ!