6.危ない。本当に危ない。
なぜ、毎回狛犬にコートを掛けるかと言うと、制服を隠すようにコートを着ているところを和臣に見られたくなかったからだ。
それがこんなところで仇になるなんて。
いやいや、コートを着たまま柳に会ったら、間違いなく「五月にコートぉ?」といちゃもんを付けられたに違いない。それこそ隠し事をしているのがありありとわかって逆に怪しい。それよりはこんな風に堂々としている方がおかしくない、はず、だ。
槇の頭がフル回転している中、沈黙にならない程度の間を開けて、和臣がこくんと首を縦に振った。
「学生ですよ。ね、槇さん?」
「うん、そう」
槇は反射的に返す。なんとか平然とした態度を保てたと思う。というより思いたい。
柳はそうだっけ、という顔をしたが、それを抑えたのは和臣だった。ただにこにこと微笑む。その純粋な顔に気圧されるように、柳はやや引きつった顔で納得した。
「……へ、へー……そうなんだー」
かなり棒読みの返事だが、和臣は笑んだままそれを打ち返す。
「柳さん、あの件はお任せください。縁結びの神様に頼んでみますから。あなたと会って恋に落ちてた彼女はなよ、本来は人間の縁があるはずですし──」
「あああああーっと。用があるから帰るわ! アディオス!」
言うやいなや、柳はその大きな翼をバッサバッサと羽ばたかせ、空へ飛んで逃げた。
槇と和臣の間に、ふわふわと天狗の羽が落ちてくる。
それを指先で掴んだのは和臣で、大きな羽を取るとひらひらと振った。
「どうやらお礼をくれたようですね。律儀だなあ、柳さん」
「いや相当焦って落としただけじゃないの」
「天狗の羽は魔除け効果がありますし、心強いです」
そう言って、黒い羽織の下のスーツの内ポケットにそっと入れる。
「槇さんも夕方までにはお家に帰らなきゃだめですよ。逢魔が時、ですから。日暮れにはいろいろな人が来ますからね」
「どう考えても人じゃないでしょ」
槇は呆れる。
邪神が話を聞く相手は通常神様と呼ばれる存在だけだ。
昼間に突撃して来る彼らと、縁側で話をする。というか、ただ黙って「うんうん」と聞く。先代の邪神である七緒はそのあたりの線引は明確にしていて、柳のような存在相手には直接会わず、手紙でのやり取りしかしなかった。手紙を受け取るのも渡すのも、槇の仕事で、あれらが言うことを聞かない時は殴るのも槇の仕事だ。
「和臣先生。ああいうのは相手しなくてもいいんだよ」
「そうなんですか?」
「うん。邪神は神様の相手だけしてればいいから。ああいうのとの繋がりは邪神の世話係が務めるし」
「お世話係、ですか」
「そうそう、今で言えば私だね……、いや、違うから!」
槇はハッとして即座に否定する。
危ない。本当に危ない。
気を抜くと、和臣のサポートをしている自分がいる。槇は剣幕になってズイッと和臣に手を差し出した。同じくらい後退される。
「先生、手を」
「すみません、僕手相はわからなくて……」
「そんなの頼んでないけど?!」
「ふ!」
和臣が楽しそうに笑う。
しかし手はしっかりと後ろに回されていた。槇はじっとりと睨みあげる。
「交代して」
「今はまだその時ではありません」
「なにそれ」
「柳さんからの相談もありますし」
「も?」
気付いた槇がにじり寄ると、また和臣が後ろに下がった。分かりやすすぎる。
「先生って本当に嘘つけない人だよね」
「……え、そうですか……?」
和臣はびっくりしたよう瞬きをするが、槇は大きく頷いた。
「で、他にどのあやかしの相談に乗ってるの? 狐の宇良? それとも鬼の乙木? 」
「お、鬼がいるんですか?!」
「鬼って言ってもこれくらいのやつよ。ちっさい子鬼」
「ああ……びっくりしました……」
槇が膝のあたりで手を振れば、和臣は安堵したように胸を撫で下ろした。
これでは神様以外を相手にするなど到底無理だろう。あやかしと何かあったときに殴れるようにも見えない。槇は仕方なさそうに引いた手を腰に当てた。
「ああいうのは色々いるから、仕方なく今は私が世話係をしてあげる。今後は私を通すように彼らに言って」
「でも」
「心配しなくてもああいうのは付き合い慣れてるけど」
「それでも、女の子なので」
お、女の子。
言われたことのないワードを浴びた槇はぎょっとする。
そういえば今まで心配されたことはない。
「槇さんはしっかり者で、心身ともにとても強い人ですけど、強すぎてちょっと心配で……」
「和臣先生……」
「相手のあやかしを撲殺しやしないかと、心配なんです」
「そっちかい」
ふふ、と楽しそうに笑う和臣に、槇は軽く肩を叩くくらいで許してやることにした。
よろりとよろけた和臣が、肩をさする。
「痛いです」
「撲殺してないでしょ」
「槇さん」
「ん?」
どこからともなく二人揃って社の裏へ回っていると、和臣に呼ばれ、隣を見る。
彼は大きな手をひらりと降った。こういうところで、ああ、自分とは違う性別なのだな、と槇は思う。決して言わないが。
「槇さん。手、今あいてますよ」
試すような和臣の視線を、槇は無表情で受け取る。
そしてシュッと手を伸ばした。即座に上へげられる。
「ちょっと、和臣先生。手あいてるんじゃなかったの」
「うーん、おかしいですね。絶対に、今は別に、って返されると思ったんですが」
「なるほどね。もう一回やってみ。ほら、ほら」
「嫌ですよ。モグラ叩きばりに手を払い落とすつもりでしょう。折れます」
「わかんないじゃん。やってみてよ」
「嫌ですぅ」
「柳か。じゃあずっとそうやって痴漢疑惑持たれたくないサラリーマンみたいに両手上げて歩くわけ?」
「槇さんが、今日は諦めるよ、って言ってくれるまでそうします」
「絶対疲れるよ」
「大丈夫です。邪神なので」
槇は真剣に手を上げている和臣をじっと見て、耐えられなくなったようにくすくすと笑い出す。
和臣は穏やかにそれを見下ろし──二人は赤い橋を渡って、邪神の家へと入るのだった。
「まって、先生。柳の相談のあれ詳しく」
「見逃してくれませんでしたか……」
「当たり前でしょ」