48.水面に咲く
二人の掃除談義が落ち着くのを待って、槇は和臣の前に立った。
「じゃあ、交代しようか」
「……はい」
「いや、駄目だ」
蓮一郎がぬっと二人の間に割って入る。
やたら重々しく荘厳で威厳ある衣装を引きずるように持っており、髪飾りがしゃらんと揺れた。
その美しく気高い存在に向かって、槇は顔をしかめる。
「は?」
「おまえ……何だその反応は」
「いや、邪魔しないでほしいなって」
「何を言う。まだリストが残っているだろう」
その言葉に、和臣がどうしてか真っ赤になった。慌てたように槇と蓮一郎の間に身を挟む。なんかもうぎゅうぎゅう詰めだ。
「なななな、何を言っているんですか蓮さん!! 僕はそんなことしませんよ?!」
「おまえこそ何を言っている。アレじゃないぞ。結局槇が起きてきて書いていないだろう」
「……アレって何?」
槇が尋ねると、和臣と蓮一郎は顔を見合わせて「なんでもない」と声を揃えた。男同士が結束して同じ言葉を言うときはロクな話ではないので、スルーさせてもらう。
蓮一郎は仕切り直すように、わざとらしく「こほん」と咳払いをした。
「リストだ。お前が書いたあれに、一つだけまだ消えていないものがあるだろう」
「あったっけ?」
「おまえはもう……ほら、家に戻れ。和臣、絶対に連れて行けよ。ではな」
和臣に槇を託した蓮一郎は、あっさりと姿を消した。
顔を見合わせる。
しなびた花火を丁寧に石畳に揃えて置いて、とりあえず帰宅するのだった。
「ただいま」
二人して言いながら、二人して笑う。
「変ですね。もう言わないと思っていました」
「私も」
「なんでしょう。ちゃんと気持ちの用意をしていたんですが……こうグダグダだと、馬鹿らしくなりますね」
「そうだね。ほら、私達シリアスが長続きしないから」
「? なんですかそれ?」
「シリアス崩し筆頭は和臣先生だよ」
「不名誉なことはわかりました」
真面目な顔でこくんと頷いた和臣が、ふと力を抜くように笑う。そして、思わずといったように、槇の頭を撫でた。
「……あ、すみません」
「いいよ。別に。最後だし」
「槇さん……」
「まさか先生が制服を着ているだけで堂々と頭を撫でてくれるなんて思ってなかったけど」
「違いますよお?!」
はいはい、と槇が先に家に上がると、後ろからわたわたとついてくる和臣が「違う」を連発する。
「違いますよ、違いますからね」
「うん」
「懐かしいって、そう思ったのは、まあ、思いましたけど」
「うん」
「でもなんか、昔みたいな罪悪感がなくて、つい」
「罪悪感?」
「あ」
振り返った槇に、和臣はハッとして手で口を塞ぐ。
「ねえ。なんの罪悪感?」
「……」
「今はないの?」
「……」
回答拒否らしい。鼻をつまんでやりたいところだが、いかんせん先に防御されているので手が出せない。
槇は和臣をちらりと睨んだ。
「最後なんだから、教えてくれてもいいじゃない」
「……」
「私、ちゃんと上手に持って生きていけるよ」
「立つ鳥跡を濁さないタイプなんです」
「ふうん。それって自分のためでしょ」
わずかに目を見張る和臣を置いて、槇は先に和室に入った。
喧嘩をしたいわけじゃない。
だか、喧嘩一つくらいはさせてくれたっていいのに、とは思う。
槇はなんとなく縁側に向かい、座った。
しばらくしてから、和臣も隣に静かに座る。
「怒りましたか?」
「……」
「なるほど、黙られると寂しいですね」
「……」
「すみません。確かに、自分のためでした。あなたに僕の気持ちを置いていくのが、嫌なんです」
「なんで」
「僕が持っていたいので」
槇はじっと池を見つめた。
ずるい。
そう言われると「最後に一つくらい本音を言って」とは言えない。
「すみません。でも、絶対に言いません」
「意地っ張り」
「はい」
和臣が屈託なく笑う。
「これは大切なものなので。言ったことであなたが喜んでくれたとしても、僕は言いたくありません。これは僕が持っていきます」
「なんでよ」
「いつか──生まれ変われるとしたら、これを持っていれば、あなたに会えるかもしれないでしょう?」
その穏やかな声に、槇の目頭が潤む。
「馬鹿じゃないの。ずっとずっと遠い先だよ」
「はい。そうかもしれませんね」
「私、その時も邪神だよ」
「はい」
「邪神と人間で恋なんてできないよ」
「はい。でも、また生まれ変われば、あなたに会えるでしょう。僕の先の、その先の、その先の僕が、またあなたに会いに来ます」
「ありえない」
「そうですか? これを持ったままなら、いくつもの先の僕も絶対にここに来るって、確信してますけどね?」
「それもう、熱烈な愛の告白じゃん」
槇は深く俯いた。長い黒髪が、情けない顔を隠してくれることに、ほっとする。
その頭を、和臣が優しく撫でた。
「違います」
「……ふうん。じゃあいいや。大原くんの思い出だけずっと持っとく」
「好きですよ」
「……何が?」
「あなたの声が」
「声が」
「はい。声が」
「……」
「……」
二人で、力なく笑い始める。
「私も好きだよ」
「ふふ。声が、ですよね」
「違うよ。和臣先生が大好き」
わかっている。この意地っ張りな男は、決して何も答えないし、応えないだろう。
槇の予想通りの沈黙が、二人の間に落ちる。
ああ、困らせている。
けれど、それが妙に嬉しかった。馬鹿みたいに、子供みたいに、心がふわりと浮いた。同時に、涙も込み上げる。嬉しかったのだ。好きだと言えたことが。
もっと困らせたい、と思うが、悲しませるのは本位ではない。
ごめんね、と槇が言おうとしたその時、突如、池の水がゆらりと大きく動いた。
「……?」
槇が顔を上げると、まるで慰めるように、池の水が内側からうわんと波立った。
が、ふいにぴたりと静止する。
鏡面のように輝くそれに、何かが浮かび上がってきた。
光。
いくつもの放射状の、光。
そこに、大輪の花火が咲く。
「!」
「……夏祭りの、花火ですね」
和臣が呟く。
記録の神──つづりが、池に投影してくれているのだろう。
空ではなく水面に咲くそれは、いくつもの鮮やかな光で池の中を彩った。
黙ってそれを見つめる続ける二人を包み込むように、やわらかに、静かに。




