27.よくわからないが、わかった
すぐに会えたことに、槇の頬がほのかに輝く。
「和臣先生」
階段の一番上に座って空を見ていた和臣が、ゆっくりと視線を下ろし、槇を見た。
「……おかえりなさい」
あまりにも。
あまりにも嬉しそうに──安堵したように笑うものだから、槇は残りの数段を残して足を止めてしまう。
「? どうかしましたか?」
「ううん。あの、ただいま」
「はい!」
和臣の笑顔に引っ張られるようによろよろと階段を上がり、和臣の隣に立つと、なんとなく狛犬をいつものようにとんとんと撫でる。和臣はゆっくりと立ち上がり、空を指さした。
「少し、遅かったですね」
「そうかな」
「ええ。来ないかと思いました」
「ずっと待ってるつもりだったの?」
「心配だったので」
心配だったのはこっちだよ、と言いたいのを堪えて、朝と変わらない和臣を見てホッとする。
「誰も来なかった?」
和臣は自分の髪をちょいと摘む。
「はい。今日はずっと蓮さんがいてくれて」
「そりゃ誰も来ないね」
「守ってくれたみたいで──ん? 槇さん、煙草の匂い、ついてます」
「え?」
和臣が身をかがめ、すん、と髪のあたりを嗅ぐ。
「お酒のにおいも」
「……い、居酒屋だったからかな?」
「中学の同窓会で居酒屋ですかぁ? この時間からぁ?」
「和臣先生。離れようか」
ぐい、と顎のあたりを押し返すと、その手首を掴まれた。
「!」
「変なのに声をかけられませんでした?」
まるでふざけていない目が、じっと槇を見下ろす。
疑っているとかいないとか、そういうのではなく──柳と同じ目のような気がする。
槇の心臓が、ぞわりと迫り上がる。
「無防備なこと、してないですか?」
「……してないけど」
「ちゃんとカーディガン羽織ってくれたんですね」
にっこりと笑う和臣が、今まで見たことないような目でじっと槇を見下ろした。
迫り上がってきた心臓が、バクバクと激しく脈打つ。
「待ってました」
「……ご、ごめん」
「謝るようなことを?」
「いえ、別に」
「槇さん」
視線を逸らせば、声だけで強制的に戻される。
「帰って来てくれてありがとうございます」
「あのさ。私先生と話したいことが──」
「──和臣先生?」
突然聞こえてきた声に、槇は階段の下をパッと見た。
「……大原、くん?!」
大原が、世越間神社への階段を上ってきている。
驚いたように和臣を見て、そして掴まれた手を見て、槇を見た。
「? どうしてここに先生が?」
まずい。大変まずい。
何がまずいかって、今の大原はどうみても高校生に見えないし、そして何より自分を「天原さん」と呼ぶ。
和臣には「まだ高校生」で苗字が「槇さん」だと思っているというのに。
「お、大原くん、どうかした?!」
槇は焦って和臣の手を振り払おうとしたが、一緒にぐにゃぐにゃを揺れるだけで全く取れない。
先生、と文句をつけようとすると、彼の髪がふわりと不気味に浮いた。
おっと、こっちもまずい。
和臣が「大原はだめです」だの「嫌いです」だの言っていたのは本気だったらしい。
槇はなだめるようにゆるゆると掴まれた手首を振る。
が、更に強く掴まれただけだった。
どうしたもんか、と槇が大原を見ると、その手に自分の忘れ物らしきものが握られているのを確認し、追い払うことにした。
「大原くん! ごめん、今日は帰ってくれるかな?」
「……今日は?」
不機嫌に呟いた和臣の声に、槇はすぐさま言い直す。
「その私の忘れ物、家にいる芳に預けてもらっていいかなあ?!」
「あ……」
うん、と言うだろう。
大原なら。
そう思っていたが、何を思ったのか彼はずんずんと階段を上がってきた。
そして、槇の肩を抱くように和臣から離した。和臣が掴んでいた手がするりと抜ける。
「先生。槇が嫌がってる」
「……ま、き……?」
「痛そう」
「……お久しぶりですね、大原くん」
和臣がにこりと笑う。
槇がヒヤヒヤしている間に、大原は槇を背中に隠すように前に出た。
なぜか名前で呼んでくれて「セーフ」と思っていたが、肩越しに見えた和臣の笑みはどう見ても寒々しい。
しかし、大原は空気が読めないのかと疑いたくなるほどに、それに穏やかに打ち返した。
「先生。お久しぶりです。お元気そうですね。今日同窓会だったんですよ。先生も呼べば良かったな」
大原の堂々とした態度に、和臣はにこりと微笑んだまま「無理ですよ」とやけにぼんやりしたような口調で返した。嫌な予感しかしない。
「僕、ここの邪神になったんです」
ぶちまけてくれるな。
槇がムッとしたように睨むと、気づいた和臣がじっとりと笑う。
「邪神……?」
「はい。僕が」
「じゃあ」
と振り返った大原は、どうしてか希望に満ちた目をしている。
槇は全く状況が理解できなかったが、和臣がひどくお怒りであるのだけはわかった。
よし、帰そう。
とにかく大原くんをここから帰そう。
「大原くん、あの──」
「結婚してください」
「は?」
槇が間抜けな声を出す。
が、大原はそれでも顔を輝かせたままだ。
「結婚して。俺と」
思わずぽかんとする。
そして和臣と目が合い──こちらもぽかんとしていた。
さっきまでのお怒りモードはどこに行ったのか、かなり間抜けだ。きっと自分も同じ顔をしているに違いない。
「ずっと好きだった」
「え」
ずっととは。
槇がつい大原の顔を見ると、和臣の髪がまた不気味にうねった。
「ずっと。小学生の時から」
「……おお、長いね……?」
「うん」
「そ、そんなふうには見えなかったけど……なあ……?」
槇が和臣を気にするように見ると、視界に自分だけが入るように大原が動く。
「邪神になると思ってたから」
「あ、うん。そっか」
「ならないなら結婚してほしい。幸せにします」
「……」
「……」
「もしかして」
「プロポーズしてる」
「ぷろぽーず」
繰り返しては見たが、恐ろしいほどに現実感がない。
というか、さっきまでこの人は「天原さんは邪神さん家の子だから」と言っていたはずだが。
「私、邪神になるんです、けど」
「うん。俺と生きていったあとじゃだめ?」
「……なるほど……?」
よくわからないが、わかった。
和臣と同じ事を言っている。
人として幸せに生きたあと、邪神になっちゃえばいいじゃん、と。
槇は大原を見る。
じっと。
その瞳に、きちんと答えるために。
「──おい。そこまでだ」
カッと光が頭上で弾ける。
そこには、縁切りの神──たつみがいたのだった。




