25.人として
槇は菫へのいくつか言葉を自分の中で転がしたが、どれも大きなお節介なような気がする。
黙る槇に菫が肩をこつんとぶつけて、幸せそうに笑った。
「槇が時間を使ってくれたってことは、反対しないってことでしょ。嬉しい」
槇は菫に肩をぶつけ返す。女子力の高めな柔軟剤の匂いがした。
「で、柳には知ってることは言わないつもり?」
「うん」
「なんで?」
「関係が変わるの嫌だから」
正直にそう言う菫は、くすりと笑った。
「私今必死な大学生だし、このあとは院に行って研究の方に進みたい。今はどうにもなれないでしょ」
「……まあ」
「で、彼はきっと私よりも大きな時間の中で生きてる。焦る必要がある? 私は彼を好きでいていい。それでいいんだよ」
あんなにも受験に神経をすり減らしていた彼女が、おおらかに笑っている。
満たされた恋はきっと大きな支えなのだろう。
槇は初めて「恋」とやらの偉大さに触れた気がした。
「きっと、彼もそうじゃないかな。だから私に選択を迫らない。だから黙ってる。他の誰かと付き合えばいいとさえ思ってるんじゃない? 私のために」
正解だ。
菫は一人頷く。
「だから今は、今しかできない恋を、今の柳さんとするの。楽しんじゃえばこっちのもんよ」
将来の不安も、柳が遠くへ行ってしまうかもしれないことも、すべて菫の中では昇華してしまって、そして残っているのが「恋心」なのだと言う。
「それでも、たまに息苦しくなって不安になるけどね。そういうときは、絶対に会いにきてくれるから大丈夫」
「マメなんだね、柳」
「? すごい愛情深い人じゃん」
何を言ってるんだと言わんばかりの視線は、もう恋を超えて愛なんじゃないかと思う。
それでもやっぱり黙っておいた。
菫の美しい恋心に、なんの感想もいらないだろう。
「で──槇の相手は和臣先生でしょ」
菫が顔を覗き込んできて言った言葉に面食らう。
脳が意味を噛み砕いて処理するのに、たっぷり十秒は使った。
「は?」
そして出てきたのがこれだった。
槇の動揺に、菫が「うっそ。マジ?」などとカマをかけたことを白状する。
「わー……なんかごめん……」
「いやいやいや、謝らないでよ。っていうか違うから。本当に違うから」
「やだ、可愛い。抱きしめていい?」
「無理」
「あーー、可愛いー!」
冷静に対応しているつもりだというのに、どうしてか菫が盛り上がる。
槇が何を言っても「うふふふふ」ととろけたように笑うのだから、槇はじとっと睨み返すのもやめた。
さっきの私の思いやりを返して、と言うのもやめる。
「からかってるんじゃないからね。嬉しいだけだから」
「……」
「なんでって顔してるね?」
「……」
「だって、槇、ずっと和臣先生のこと好きだってでしょ。だから嬉しいんだって。どこで再会したかとか、どこで会ってどんなデートして、告白の言葉はとか、そういうのは聞かないであげるから、喜ばせてよ」
「待って」
「?」
自分の恋を語るときよりも嬉しそうに顔を綻ばせている菫のがきょとんとする。
槇はぐいっと菫の腕をとってに巻き付いた。
「あのね、菫さん」
「はい、槇さん」
「付き合ってないし、好きだったこともない」
ボソボソと小さな声で言えば、ようやく菫の声も小さくなった。
「ん? 照れ隠し?」
「違う」
「嘘だ。だってすごく好きだったじゃん」
「なんで?」
いつどんな記憶から彼女がそれを導き出したのか、聞き出して訂正したい。
槇の詰問に、何故か菫がびっくりする。
「私実はあの頃から付き合ってたんじゃないかって思ってたんだけど、違うの?」
「違う」
「えー……そうなんだ。だって、最初から槇って、和臣先生のこと気にかけてたし」
「あれは誰だった気にかけるでしょ」
「なんか親しそうだったし」
「あれは誰にでも親しげだったでしょ」
「先生も、槇のことを信頼してたし」
「私が学級委員だったからでしょ」
「うーん、でも……十二月の──ほら、雪が降った日。あの日からちょっと、変わったと思うんだけどなあ」
菫と押し問答をしていた槇がピタリと黙る。
「あのあとから、槇って先生のことよく見てたし、先生は先生で、槇だけには対等な目線っていうか……生徒を見る目じゃないっていうかさ」
「……」
「大丈夫。だーれも気づいてないよ」
「……」
「君等はなんていうか、おつぼね教師と新任教師みたいなもんだってみんな思ってたと思うし」
「ごめん、確認だけど」
「槇がおつぼね教師に決まってるじゃん」
「ひど」
短く返せば、菫はくすくすと笑った。
「まあどっちかっていうとね、恋をすっ飛ばした愛みたいな、そんな感じだなって思ってた。存在そのものがお互いの中にはっきりくっきりあって、愛し合ってたじゃん。人として。そう、人として愛し合ってたじゃん」
「……言ってて恥ずかしくない?」
「いや、気に入った。人として愛し合ってたじゃん?」
なんだそれは、と言いたいのを堪えて、槇は掴んでいた菫の腕を離す。
「違うからね」
「違わないよ」
「私はそういうのいらないの」
「ふうん。じゃあ和臣先生もいらないの?」
不思議そうに聞かれた槇は、答えられなかった。
いるとか、いらないとか、そういうんじゃない。
というか、そもそも今は邪神の座を巡って遊んでいるだけで──
「? 槇?」
「あ。ごめん」
「いや? どした?」
「うーん、ちょっと気づいてしまったというか」
気づいてしまった。
逆に、今までどうしてそのことを疑問に思わなかったのか不思議なほどだ。
どうしてそれが頭からスッポ抜けていたのだろう。
「まあまあ、和臣先生と仲良くね」
「菫」
「お似合いだよ。ピタッと来る」
「──何が?」
突然二人の間に入ってきた声に顔を上げると、大原が立っていた。さあっと爽やかな風が吹く。
「二次会行かないそこのお二人、お送りしますよ」
菫が隣で「わあ……さわやかあ」と感嘆しているが、その爽やかな笑みの上にはいつからいたのか天狗がムスッとして見下ろしているではないか。
槇は呆れた眼差しで柳を人睨みしてから、大原にぺこりと頭を下げた。
「お願いします。ね、菫」
「いいの?」
「いいよいいよ。天原さん連れてきたの俺だから、ちゃんと家まで返さないとね。二次会参加しないの二人だけだし、まとめて送ってやろう」
「えー、ありがとう! 助かる」
菫を連れて先に歩く大原を危ない形相で睨む柳に、槇は握った拳を見せる。
「!」
柳はすぐさま姿を消したのだった。




