22.教師の顔
朝の清浄な空気の中、白い影が揺れる。
世越間神社への階段には、朝日の木漏れ日がチラチラと踊っていた。
その上を、赤いローヒールがカツカツと登っていく。
挑発的的な赤とは反対に、彼女が来ている服は清楚だった。
真っ白のワンピースの背中に黒い髪が広がる。
「先生」
彼女が呼ぶと、子供のようにしゃがみ込んで草むしりをしていた和臣が顔を上げた。
「槇さん、おはようございま──」
明るい表情のまま、固まる。
槇が数えていたのは精々十秒だが、和臣がぽかんとした口を動かしたのは、それからさらに後のことだった。
「なんですかその格好は」
やっと出てきたのがこの怪訝な言葉だ。
槇は端的に答える。
「着せられた」
「誰に」
「飛鳥に」
「なんでまた」
「芳にも言われて」
「なんで」
「今日、同窓会だから」
敬語じゃないなんて珍しい。
槇がポンポン答えれば、更にぽんぽんと質問が飛んできたが「同窓会」のフレーズを入れれば、和臣はピタリと止まった。
また十秒数えた後に、和臣がスタッと立ち上がる。
「同窓会はおしゃれをしていくところではありません」
「同窓会はおしゃれをしていくところだって、飛鳥が」
「違います。〝仕事終わりのままきちゃった〜〟みたいな普通の格好をしていくところです」
「休日に?」
「休日こそです」
「何言ってんの?」
短くツッコめば、和臣はひくりと黙った。薄い目で見下される。
「その格好は刺激的すぎます」
「あのさ、ただの白いシャツワンピースですけど。しかも丈の長い」
「男の前で白を着てはいけません」
「何言ってんの?」
二度目のツッコミには黙らなかった。
「せめてカーディガンを羽織ってください」
「暑いよ」
「制服。まだ冬服ですよね?」
じとりと見下され、今度は槇が黙る。
「冬服にコート着てるなんて、外って寒いんですよね?」
なぜコートを着てきていることを。
黙った槇から視線を外した和臣は、ちらりと狛犬を見た。そしてにっこりと笑う。
「上着、羽織ったほうがいいですよ」
槇はゆっくり──それはそれはゆっくりと頷いた。
「……そうする」
今度は満足そうに笑った和臣は、ご機嫌に槇を真似たように大きく頷いた。が、何かに気づいたように一歩距離を詰め、槇の顔をまじまじと見る。
「お化粧してるんですか?」
「飛鳥に無理やりね」
「綺麗だと思いました。服だけじゃなかったんですね」
朗らかに言った和臣は、ふと真面目な顔に戻る。
「同窓会は」
「化粧していくところだから大丈夫」
「……仕方ないですね」
「何が」
やれやれと何かの許しをくれた和臣は、ぴっと指を立てた。
「いいですか? 帰りに〝近いから送るよ〟とか〝危ないし……送らせて〟とか言い出す不埒なやつがいたら、こう言ってください──えー、いいんですかぁ? タクシー呼んでくれるなんて、紳士ですね〜! 素敵ぃ〜!」
あぞとい女子のモノマネをした和臣がきゅるんと顔の前で手を握る。
槇のしらっとした顔に、彼は表情をスッと元に戻した。
「そう言ったら絶対に、タクシー呼んでくれますから。撃退できます」
「ふうん」
「何ですか」
「ふーーーーーーん。先生って合コン三昧だったんだあ」
「どうしてそうなるんですか?!」
どうしてもこうして慣れているようにしか見えないからだ。
じっとりと睨み上げれば、形勢が一気に逆転視する。
「女子をお持ち帰り三昧……」
「へ、変なことを呟くんじゃありません!」
「恋愛経験値すごいんだ。見かけによらず」
「なっ」
「そういえば先生何人かの女子から告白されたでしょ」
「なんで知ってるんですか?!」
「適当に言っただけだけど」
と、言いながら鼻を摘む。
「ふがっ」
「大体、たかが同窓会だから」
「でも、でもですね。まきさんにはききかんりというものが」
「何言ってるかわからない」
「はなしてくださいっ」
ぶん、と顔を振って逃げた和臣が、両手を鼻を隠す。
「僕は違いますけど、同窓会で〝知ってるアイツ〟に狙いを定めて来る愚かな男もいるんですよ。僕は違いますけどね」
「大丈夫だって」
「その自信、どこから来るんですか……」
「だって邪神になるってみんな知ってるから」
けろりと槇が言うと、和臣がピタリと止まった。
きちんと届くようにもう一度言わせてもらう。
「私が、邪神になるって、みんな、知ってるから。先のない相手と付き合おうなんて思う人いないでしょ」
「いえ、でもそれこそ後腐れないからと」
「クズの思考」
和臣が口を固く結んで閉じる。槇が物言いたげに見上げると、一歩後ろに下がった。もう何も喋らないらしい。人差し指でバツを作って黙秘を示す。
槇は呆れたように腰に手を当てた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。っていうか先生が彼氏を作れって言ったよね?」
和臣がふい、と顔を背ける。
しゃがんで草むしりを始めた。槇は隣にストンと座る。
「先生さ、私に〝心配されるべき〟って言ったけど──一番私を心配してるの、和臣先生だよ」
「そうですかねえ」
「そうですよ」
「いいですか、同窓会も気をつけてくださいね」
「はいはい。大丈夫だって。迎えが来てくれるし」
「迎え? 誰です?」
無関心を装って聞いてくるが、どう聞いても「答えてくれなきゃ拗ねるぞ」と言っている。
「大原くん。帰りも送ってくれるって」
「へえーーーーーーーーー」
「なに」
「別に。もう行っていいですよ」
「拗ねた」
「拗ねてまーせーんー」
「……ふ。なにそれ」
槇が笑うと、ブチブチと草を抜いていた和臣が手を止める。
そして、ちらりとこちらを見た。
「大原くん。昔、僕に言ったんです。あなたは邪神になるから、進路とか考えなくてもいいですよって。だから嫌いです」
「わあ」
あの人当たりのいい和臣が「嫌い」と言い切るとは。
感嘆する槇に、和臣は教師の顔で続ける。
「いつもあなたの味方のように側にいましたけど、彼はあなたの存在に安堵してただけですよ。自分よりも過酷な宿命を背負う人間がいることで精神を安定させていましたから」
「別にそれでいいんじゃないの。私も救われたこともあったし」
「彼に?」
眉をひそめられる。
「彼と付き合うのだけはだめです」
「じゃあ誰ならいいの?」
「え」
何故か和臣がきょとんとしたので、槇は繰り返す。
「先生、誰かと幸せになれって言ってたけど、誰ならいいの?」
「え」
また同じ言葉が和臣から出てくる。
これ以降、何度「誰ならいいの」と聞いても「え」としか返さないロボットになったのだった。




