21.上目遣いが破壊的にすごい
「いらっしゃい。大原くん」
バタン、と車のドアを締めた大原が顔を上げる。
昔はTシャツにジーンズという、今の槇と変わらない格好だったというのに、今はそこにジャケットを羽織って腕時計までしていた。
思わず「大人〜」と呟けば、聞こえたらしい大原がおおらかに笑う。
「なにそれ。同い年だよ」
「年齢だけね」
「天原さん、変わらないね」
「褒め言葉として受け取っておく。ごめんね、うちの飛鳥が無理を言って」
どうぞ、と玄関を大きく開けた槇が家に通せば、大原は照れたように入った。
「いやいや、本当に来てごめん──おじゃまします」
「はいどうぞ」
なんときれいな靴だろう。しかもきれいに揃えられている。さすが良家の子息。槇はひそかに感動しながら、キッチンで動き回る兄と妹をと横目に、ダイニングテーブルの椅子に座る。大原もちょこんと座って、槇を見て爽やかに笑った。
「うわ。懐かしいな」
「文化祭の実行委員のときだったっけ」
「そうそう、二年の」
「ああ、そっか。担任が和臣先生じゃなかったもんね」
たった一年しかいなかった逢田和臣の名前がすらりと出てきたことに、大原は驚いたように目を丸くした。徐々に顔が明るくなる。
「和臣先生。うわあ、元気かな?」
「……元気なんじゃない?」
「面白い人だったよな」
和臣の話題が膨らむ気配を察知した槇は、兄と妹に気づかれてソワソワされる前に話題を戻した。
「家の鍵、忘れてたんだよね」
「うん。天原さんが〝家族が帰るまでうちでご飯食べて時間潰したら?〟って言ってくれたから助かったよ」
「大原くんはそのうち立候補するの?」
槇が尋ねると、大原は「うーん」と曖昧に笑う。
爽やかな彼にしては珍しいことだが、聞かれたくないときは華麗に話題を変えるスキルを持つ彼なので、続けて聞いてみた。
「代々市長さんでしょ、大原家。ほら、邪神は天原〜、市長は大原〜、って選挙演説、しないの?」
「ふ!」
大原が爽やかに吹き出す。
この町の恒例の演説だ。そのフレーズが聞こえたら「ああ、大原家で立候補できる人材が育ったんだな、どの分家の子だろう」など、親戚の子を見守るような気持ちになるという。実際、槇も聞いたときは「どれどれ、どこの大原だ」と旗を見るのだから、大原家がこの町に深く根ざしていると言っても過言ではない。
それもこれも、天原のご先祖様と大原のご先祖様が友人同士であったとかなかったとか、まあ曖昧な「縁」があるかららしい。
「今はまだ考えてないな。親父には今夢中になって育ててる従兄弟がいるし」
「秘書の?」
「そうそう。俺はね、自由にしていいって育てられたから」
「へえ。意外」
「だから、もし俺が選挙演説してたら笑って」
「おっけー」
軽く了承した槇に、大原が嬉しそうに笑う。
昔から。
昔から、彼は槇に自分と似たようなものを感じているらしかった。
家から逃げられないという重圧のようなもの。
だからか、大原は槇と二人になるといつも力を抜いて、自分を探すように周囲を見渡した。その佇まいさえ爽やかだったのだから、彼は生来の「爽やかの権化」なのだろうと、槇は密かに納得していた。彼は折り合いをつけるのがうまい人間なのだろう。
槇にとって大原は、三年間同じクラスの男子であり、委員会関係の相棒であり、そして──安堵する人間だった。
大原は「槇が邪神になる」ことを疑っていないのだ。
「ああっ──おまたせしましたわね……大原先輩!」
まだバレリーナごっこが続いている飛鳥に、大原は「いえいえ」と全く気にする素振りなく答える。
「お招きありがとう、天原さん」
いいえ、と三人の声が重なる。
黄色い卵の上にケチャップで「大原先輩」と器用に漢字で書いたオムライスを持ってきた飛鳥と、自分のオムライスに「おれの」と書いて持ってきた芳、槇が同時に返事をしたからだ。
「あ。えーと。飛鳥、ちゃん、ありがとう」
飛鳥がにこりと笑ってオムライスを恭しく置く。
彼女はくるくると華麗なステップをしながら消えた。自分のオムライスを持ってくるらしい。芳が大原の隣に座る。
「悪いな、大原くん。俺のことは、芳くんって呼んでいいから」
「芳先輩って呼んでもいいですか?」
天然らしく華麗にかわした大原に、芳はじっくりとその言葉を噛み締めるように「悪くない」と呟いた。
「芳先輩のオムライス、懐かしいです」
「高校二年のときもそうだっけ」
「はい! 薄い卵にケチャップライス……好きです!」
「そ、そう?」
へへへ、とデレる兄を見る槇の目の前に、そっとオムライスが差し出される。
飛鳥だ。
「おねえちゃん、はいどうぞ」
バレリーナごっこは終わりらしい。
槇のオムライスには「じゃしん」とやる気なく書かれていた。
ちらりと隣を見れば、飛鳥のオムライスには「弐号機」と達筆な文字で書かれている。槇が芳を見れば、こくりと頷かれた。どうやら飛鳥はオムライスケチャップ文字の達人らしい。知らなかったが。
「いただきます」
槇が言えば、一斉に「いただきます」と続く。
ふと思った。幼稚園のお泊り会みたいだ、と。
「遅くなってごめん。っていうか今日忙しかったんじゃないの?」
ようやく飛鳥と芳から解放された大原を玄関で見送る。
靴に足を滑り込ませ、大原は振り返った。
「全然。まだ八時だし。というか、天原さんに会いに来たくてさ」
「?」
「同窓会。明日になっちゃったけど、どう? 大丈夫そう?」
上目遣いが破壊的にすごい。
それを意図してやっていないところに、彼の苦労が見て取れた。女性陣を虜にし、その結果あちこちで女の戦が行われているに違いない。
槇は渋い顔で深く頷く。
「大丈夫。そういう大原くんは大丈夫なの?」
「え?」
「あ。彼女いるか」
「いない!」
そもそも彼女がいるか、と思い当たった槇に、大原は食い気味に否定した。
カッと顔を赤くし、俯く。
「い、いないよ」
「そっか。じゃあもっと大変だね」
「大変?」
不思議そうに聞き返してくる大原は、周囲で熾烈な闘いが繰り広げられているなど一ミリも気づいていないらしい。
大原は顔を赤くしたまま「彼女はいない」としっかりと繰り返したが、槇は同窓会が合コンになりそうだな、と大原の必死な「彼女いないアピールを」スルーしたのだった。




