17.戦あるところに、そよぎあり
和臣の持っていた箒が、カツンと石畳に落ちる。
「こらっ、もうだめですってば!」
「さっきのイラッとしたから邪神交代して」
「なんですかその傍若無人な理由は」
槇が手を取ろうとすると、和臣が一歩後ろに下がって手を避けた。
二人して朝の境内でシュッシュッとボクシングのミット打ちのごとくフラフラと歩き回る。
「先生じっとしてよ」
「いやです」
「こどもか」
「あなたも十分子供っぽいですよ?!」
「あっ」
つん、と段差につんのめった槇がふらりと前に倒れると、逃げていた和臣はすぐに一歩踏み出し、槇を軽々と抱きとめた。
「おっと。大丈夫ですか?」
「……うん、ありがとう、先生」
槇はそっと和臣の背中に左手を回すと、ガッと羽織を掴んだ。一瞬の隙を狙って右手を伸ばし、和臣の手を取る。
「!」
「残念。手、届いてません。それ手首です」
ふん、と勝ち誇ったように笑う声が槇の頭上から落ちてくる。
「僕、腕が長いんで」
槇が掴んだ手首をひょい、と上げてブラブラと振る。
マリオネットになった気分だ。
自分の手を好き勝手に操る和臣の楽しそうな顔を睨んだ槇は、ぎゅうっと和臣にしがみついた。距離を縮めてつま先立ちをし、さらに上へと手を伸ばす算段なのだが、途端に和臣の身体がビクッと硬直する。
「! あの、あのー?! 槇さん?!」
「だめか。腕長いの腹立つ……縮めてやりたい」
「ぼそっと怖いこと言わないでくれますか?!」
「握手して」
「いやですってば! 離れてください!!」
「いやです」
「槇さん!」
「──あのう……すみませんが」
二人がピタリと止まる。
その声は、二人の真上から聞こえてきたからだ。
ふざけて合っている二人をじいっと逆さまになって見ている男と目が合う。紫の長い髪がおどろおどろしく顔にかかっているその蒼白な顔には見覚えがある。
「そよぎ」
「そよぎさん!」
「……イチャイチャしているところ悪いけど……話、聞いてくれる?」
彼は戦の神──そよぎだ。
池の水がふわふわと紫色に光っている。
槇はうんざりしたようにちゃぶ台に頬杖をついた。
「ねえ、私席外していい?」
「え……だめだよ……」
そよぎが「恨みます」と書いたような顔で縁側に座る。
「槇がいてくれたら……なんだかエネルギーが……充電される気がするんだもん……」
「パワフルですからね、槇さんは」
「……うん……あ……でも、和臣が頼りないわけじゃないよ……」
「わかってますよ。優しいですね、そよぎさん」
優しかったらだめじゃん。
そう言いかけた口をつぐむ。
ここ最近平和になって、彼の出番はことごとくなくなり、昔は地に降り立つと周囲の植物を枯らしたほどの覇気があったらしいが、平和になるに連れて彼はどんどんと力を失っていったらしい──と、先代の七緒から聞いている。
彼の葛藤は凄まじかったらしいが、どうにか愚痴を吐き続けて落ち着いた、とも。
戦あるところに、そよぎあり。
彼はその上に立ち、そこで命尽きる人々の魂を掬い上げ、その闘気で慰め、彼らの無念を自分のそれに変え、また争いを見つめ続ける。
勝負が好きなのではない。
そこに滾る魂の行く末を見守ることが、彼の存在意義なのだ。
「最近は……運動会を……見に行っているんだけど……ほら、あれって年に一度だから……」
「運動会ですか」
「でも……最近は勝ち負け決めないところも……あって……」
「わかります、わかります」
「……みんなやる気ないし……」
「うんうん、最近の子は悟ってますからね」
「……ほとんど雨で縮小……」
「ああ、夏が暑すぎて時期を外すと、台風がきちゃいますよね」
「もう僕なんて必要ないんだあああ!!」
突然のシャウトにも驚かず、和臣はゆるゆると首を横に振った。
「そんなことありませんよ、そよぐさん」
「か……和臣……」
「人は生きている限り争いからは逃れられません。大人になってもです。苛立つ職員室の殺気、校長の長い朝の挨拶、当番を押し付け合いたい教師たち、モンスターペアレントとの激闘……そして……教育委員会」
「か……和臣ぃ……」
「どこにでも、どこっにでも、争いはあります。しかも勝負はつかない」
力説する和臣を見ているそよぐの紫色の髪の輝きが、少しだけ戻る。
和臣が、ぐっと拳を握った。
「そしてまた、明日が来るんです。エンドレス職員室の悪夢」
「……なにそれ……怖いね……」
先生も意外と大変だったんだね、と槇は震える二人の背中を見やる。
誰かここに煎餅でも持ってきてはくれないだろうか。あと緑茶も。
職員室の怪談に身を寄せ合ってはしゃぐ邪神と戦の神を見て、しばらくすると、そよぎは満足したように「はあーっ」と息を吐いた。
池の水がぶわりと波立つ。
「少し……スッキリしたよ……職員室か……見に行ってみようかな?」
「どうぞどうそ、いつ見に行っても殺伐としていますから」
「それでも……授業に向かわなければならない戦士たち……」
「はい。誰もが敵です」
「大変だったね……和臣ぃ……」
声が潤んでいる。
あれだけ生徒にも同僚である教師たちにも可愛がられていたように見えたが、その裏で苦労があったのだろうか。たった一年で教師をやめているのを思えば、そうなのかもしれないなあ、なんて槇はぼんやりと見つめる。
とんとんとそよぎの肩を叩くその横顔は優しい。
子供を寝かしつけているようだ。
「……」
やっぱり合わせているだけなんだないだろうかと思わずいにはいられない。
「和臣……元気出た……ありがとう」
「いえいえ」
「今日は槇もいてくれたし……」
「ええ、強いですよね、本当に」
色々含まれているような気がする。
何故かそよぎは感銘を受けたように大きく頷いた。
「ほんとうに……槇は強いよね……」
「はい」
「和臣も、中々……だけど……ね?」
「何言ってるんですか、そよぎさん」
「癖強めだよね」
最後のボソッとした一言は槇の耳には届かなかったが、そよぎの髪の艶は徐々に強くなり、発光するように輝き始めた。池も呼応するように紫に光る。なんだろう──何かを思い出す。
槇の脳に、ぽんっと髪を紫に染めたおばちゃんのパンチパーマが浮かんだ。
「あ。そうだ。そよぎ。今度町内会で詩吟の大会するんだって。行ってみれば?」
槇の声に、そよぎがくるりと振り返る。
「詩吟か!! 良いな!! 我が見届けてやろうぞ!!」
その目は爛々と輝いており、彼はその勢いのままに池の上に立つと「さらば!!」と轟音のような声とともに光の柱となって消えたのだった。
お仕事終了だ。




