13.爽やかの権化
大原太一。
彼は高校三年間「爽やかの権化」という名を一度も汚したことはない。
頭脳明晰、眉目秀麗、文武両道。
ありとあらゆる褒め言葉を自分のものにしてもなお嫌味のない青年は、常に笑顔だった。
高校三年間の思い出を同級生全員に聞けば、必ず「大原が」「大原くんと」と彼との思い出を語りだすこと間違いない。
それほどに、彼はあっちこっちへと駆り出されていたし、いつも誰かと一緒だった。
その大原が、車で天原の敷地から出てきた。
運転席から身を乗り出すように助手席の窓を開けた大原は、槇に爽やかな笑みを向ける。
「ああ、よかった。今天原さんに会いに来たんだけど、いないから帰るところでさ」
「え。なんで」
「んーと、よかったら、なにか食べに行く? そこでゆっくり話さない? 暇だったら、だけど。あ……ごめん、急に」
なんだこれ。
槇は思わずハンドルを握る大原の手を見た。
高校生の爽やかな大原が大幅にアップデートしている。相変わらず爽やかだが、なんというか「大人」らしい余裕が溢れていた。しかも相変わらず嫌味もいやらしさもないので「大丈夫なんだろうか」と心配せずにはいられない。
女たちの熾烈な椅子取りゲームに巻き込まれてはいないだろうか。
そう思うと同時に、自分が大原と食事をしているところを誰かに見られるのだけは避けたい、と槇の防衛本能が働く。
ついでに、自分の格好も思い出す。飲食店でコートを脱いだら何が現れるか──答えはセーラー服だ。
「ごめん。無理」
きっぱりと槇が食事の誘いを断ると、全く表情を曇らせない大原はにかっと笑った。
「だよなー、いきなりごめん。ちょっと腹減ってて。ちょうど駅前の喫茶店のナポリタンを食べに行こうかなーって思ってたもんだからさ。天原さん、たまに佐藤と行ってただろ?」
「よく覚えてるね」
「佐藤がよく〝槇が釣れた〟って喜んでたから」
天狗とラブラブの菫の名前が大原の口から出るなんて、随分タイムリーな話だ。
あの頃は放課後すぐに世越間神社へと向かっていたので、授業が早く終る日だけ菫と帰りに喫茶店に寄っていた。感心しながら槇は頷く。
「よく覚えてるね。そういえば、大原くんって進学組だっけ」
「うん、そう。明日から連休だからこっちに戻ってきてて」
「ああ……」
世の中はきちんとカレンダー通りに生活サイクルを回している。
彼の充実した表情は、キラキラの大学生そのものだった。眩しい。
「それで、突然どうしたの。このまま聞いてもいい話だったら聞くけど」
「あ、悪い。忙しいよな」
「私じゃなくて、大原くんが忙しいでしょ。帰ってきてるって知られたらみんなから連絡あるだろうし」
大原は目を瞬かせ、それからくしゃりと少年のように笑った。
「変わらないな、天原さん」
「大原くんもね」
「ちょっとさ、こっちに戻るって言ったら、みんなで集まろうって話が一気に広がって……同窓会するんだ。大原さんも誘いたかったんだけど、誰も連絡先知らないって言うから直接来ちゃった」
来ちゃった。
そう悪意なくお茶目に爽やかに言える男がこの世にどれほどいるのだろうか。
眩しさに目を細めた槇は「なるほどね」と頷いた。
卒業後は進学せずに邪神に就職することを周囲は知っていたので、卒業式の後の連絡先交換会に槇は参加することはなかったし、そもそも声もかけられなかった。元気でね、と簡単な挨拶をしながら、ほくほくと神社に向かったほどだ。その後に和臣と再会するのだが。
「どう? 同窓会」
「開始時間は?」
「昼から集まって遊びに行くって奴らもいるけど、全員が集合して同窓会になるのは夕方以降になると思う」
「それなら参加できるかな」
ちょうどいい。
菫とも会って、様子を見ておきたい。
槇が頷くと、大原はぱっと表情を明るくし、何故か嬉しそうに笑った。やっぱり爽やかだ。
「やった。これで全員参加!」
「おお、私が最後か。ごめんね煩わせて」
「いーよいーよ、元気そうで良かった。詳細が決まり次第、家の方に電話するけど、いい?」
ああ、それで。
槇は納得した。どうりで、槇が邪神になっていないことに驚く様子がないはずだ。
連絡先を知らないだけではなく、槇が参加できる状態か否かを直接確かめに家まで来たのだろう。
「大原くん、相変わらず仕事のできる男だね」
「まだ学生だよ」
笑い飛ばすその笑みは、どこぞのマダムの母性本能でもくすぐりそうなほど無邪気だ。
和臣とは少し違う。
彼のそれは少し、悲しい。
「天原さん?」
声をかけられた槇は、和臣の笑顔をそっと消すと、大原に笑いかけた。
「大原くん、番号変わってる?」
「携帯の? 変わってないよ」
「じゃあ覚えてるから、家の方に着信だけ残してくれてたら、私からかけなおすよ」
「……」
「? どうかした?」
ぽかんとしていた大原が、わずかに照れる。
「いや、覚えてるんだって思って」
「三年間同じクラスで一緒に学級委員してたしね。さすがに番号覚えてるよ。連絡取ること多かった人のは全員覚えてるし」
「……全員、そっか、全員……」
何故か繰り返す大原は、気お取り直したように顔を上げると、槇に陰りない笑みを向けて「じゃあ、また」と軽く手を上げた。
槇はコートのポケットから手を出さずに軽く頷く。
「またね。大原くん。運転気をつけて」
「ありがとう」
去り際まで爽やかな大原の車が坂を下っていくのを見送った槇は、神社の階段を振り返った。
階段の途中に座り込んでいる黒い羽根の男と目が合う。
そいつはにんまりと笑った。
「見ぃちゃったぁ。男いるんだ。和臣は知ってんのぉ?」
「柳──私も知ってるよ。菫のこと」
階段を登り、目の前に立ってそう言う。
「げっ!」
「さー、ちょっと私と話そうか」
逃げようとした天狗の羽をガッチリと掴んだ槇は、そのまま柳を座らせたのだった。