11.決して揺らがない大きな愛を持つ目
「なるほど〜……じゃあ、道ならぬ恋をした誰かさんのために、相手の子にふさわしい人をあてがって諦めさせてほしい、ということね」
端的に、それも的確に、さらに和臣の意図を汲み取ったまどかが、打ち掛けの花をさわさわと揺らしながら微笑んだ。
「いいわ。和臣くんの頼みだもの。とりあえず、彼女の名前を教えてもらえるかしら」
ホッとしたような和臣は、まどかが耳に髪をかけると察したように耳元へと顔を寄せる。
二人の隙間から見えていた池の光が遮られた。
一つの塊のようになった輪郭が強く浮かび、その姿が突然親密に見える。
なんだろう。
この感じたことのない奇妙な居心地悪さは。
──そう思った途端、まどかが少し振り向いて、目を細めた。自分も知らない何かを見透かされたような気がしてきまりが悪くなる。それさえもまどかの手の中にあるように、彼女は優しく笑うばかりだ。
「──和臣くん」
「? はい」
「あなたって、意外と曲者ね」
「なんのことでしょう?」
和臣が首を傾げる。
まどかは慈愛ある笑みで笑うと、もう興味を失ったように池に向かって手のひらを向けた。
池がふわりと揺れ、そこから大きな蓮の花が出てくると、ふわりと咲く。
「さてさて〜、お嬢さんの縁は……あらあら、あらまあ!」
「えっ。どうしました?」
「うふふ」
「ま、まどかさん……?」
花を見るまどかが思わせぶりに笑うが、何も見えない和臣はただ固唾をのんでまどかを見つめるしかできない。
たっぷりその時間を楽しんだまどかは、槇を振り返ると手招きをした。呼ばれた槇は、すぐに立ち上がる。
「何?」
そう言って二人の間に割って入った槇に、まどかは花の中心を指差す。
「見てご覧なさいな」
大輪の蓮の花のレンズには──槇のよく知る人物が映っていた。
「うっそ……」
「そうね。槇ちゃんの同級……生、の? お姉さん、だった人の、まあ、そんな感じの知り合いの子よねえ〜」
すごい誤魔化してくれる。
やはりまどかには色々とバレているらしい。が、今はそれどころではない。
蓮の花の中で、高校の同級生である佐藤菫が大学の構内を歩いている姿が上から映されているのだ。
和臣に見えなくて良かったと心底思うと同時に、槇は隣をちらりと見る。
「……和臣先生、名前、聞き覚えは?」
「え。ないです」
曇りない目に、槇はとりあえず納得する。
自分が受け持った最初で最後のクラスの生徒くらいは覚えているかと思ったが、忘れていてくれて助かった。
「まあまあ、続きを見てみなさいな〜」
くいくいと制服の袖を引かれ、視線を蓮の花に戻す。
二年ぶりに見る同級生は楽しそうに女子大生ライフを謳歌していた。受験に相当追い込まれていた末に不合格で、滑り止めで受かった地元の大学に進学することになったと本人から聞いていたが──あの頃のどこか燃え尽きたような彼女の面影が一切見えないことに、槇は心からほっとした。
卒業後は誰とも連絡を取っていないが、こうして遠くから見ていると、あの頃の甘酸っぱい青春らしきものが胸を突く。
が、その感傷らしきものは次の瞬間に吹っ飛んだ。
カメラワークが菫の手にズームアップし、彼女の小指に巻き付いた赤い糸ならぬ赤いリボンがしっかりと彼女の手に握られているのが見えたのだ。その太いリボンは、綺麗になびきながら空へ──そして空には、足を組んで座ったまま浮いている黒い羽根の男が──
「柳……馬鹿じゃないの」
赤い糸にしては太すぎるそれが、柳の手にしっかり握られているではないか。
槇はもう一度吐き捨てる。
「馬っ鹿じゃないの」
「ふふふ。可愛いわねえ。天狗の坊やは無自覚よ〜」
「だから馬鹿だって言ってるの」
菫を見守るように浮かび、彼女の笑みには釣られるように微笑み、彼女の周りに男が近づこうものならほんの少し眉をひそめる。
「ここまでしておきながら、よく和臣先生に頼めたよね……」
「え、なんですか? 何が見えているんです?」
「あのね〜」
和臣がぐいっと前のめりになり、さらにまどかも教えるように前に身を乗り出すと、槇はぎゅむっと二人に挟まれた。
ふと、和臣の体温がないことに心がざわつく。
さっきもそうだった。
和臣の上に倒れ込んだとき──その身体が水のように冷たいことにひどく驚き、思わず心音を聞こうと耳をそばだててしまったが、当然何も聞こえはしなかった。
ただ、血の代わりに春風が巡るような微かな音だけ。
布越しでも伝わってくるその冷たさは、槇を何故かやるせない気持ちにさせる。
「先生、近い」
「あ、すみません」
おずおずと座り直した和臣は、まどかの説明を聞いている。
依頼のあった佐藤菫の縁はすでに柳と強く太く結ばれており、更に二人ともそれを離す気は微塵もなさそうだ、と。
聞き終えた和臣は、大きなため息とともに「槇さんの言うとおりでしたね……」と項垂れた。
「そういうことよ〜。この二人は相思相愛。一番二人にとっていい縁ね」
「……あの、まどかさん」
「なあに?」
「その……僕には何も見えませんが、二人が強い縁で結ばれているのはわかりました。でも、人と、あやかし、ですよね……?」
「そうね〜」
まどかが大きく頷く。
そんなものは問題ないとばかりに。
まどかたちからすれば、人だろうがあやかしだろうが、ここへ生きるものとして大した違いはない。
彼らは視点が大きい。
それは時に、人にしてみれば冷酷なほどだ。
「一緒に生きていけるじゃないの。天狗の坊やがあやかしである自分を捨てる──もしくは、あの女の子が天狗に嫁入りする。ただそれだけでいいんだもの」
「……」
和臣が言葉を飲み込む。
簡単なことではない。
戸籍も持たない柳が、あかやしである自分を捨てたとして、どうやって人として生きていくのか。
何も知らない菫が、柳があやかしであると受け入れたとして、家族を捨てて天狗へ嫁入りできるのか。
どちらかを選んだとしても二人は決して同じ時間を生きていくことはできない。儚い一時であるのは確実だろう。
しかし、まどかの視点ではそうではない。
槇はそっとまどかの澄み切った瞳を見る。
決して揺らがない大きな愛を持つ目を。
「離れられないのなら、一緒にいて生をまっとうして、幸せに死ぬのがいいわ」
いつか消え、死ぬ。
ならば一時の最上の幸せを。
まどかはそう歌うように呟くのだった。