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第7話 満月の奇跡、瑠璃色の月光蘭降臨

 次の満月まで、あと三日。

 春光村は、どこか落ち着かない、それでいて期待に満ちた不思議な空気に包まれていた。私と玄太さん、そして健太くんは、来るべきその夜に向けて、着々と準備を進めていた。


 私は、これまでの情報を総動員し、月光蘭が出現するであろう正確な時刻と、賢者祭壇における最適な観測ポイントを割り出す作業に没頭していた。古文書に記された曖昧な星の配置図と、現代の天文学の知識(といってもネットで調べた程度だけど)を照らし合わせ、月の軌道、祭壇の向き、周囲の地形を考慮に入れる。まるで、一大プロジェクトの最終調整をしているような気分だ。小魔霊たちは、私の肩や頭の上でチカチカと光りながら、時折「そっちじゃないよ」とでも言うように、私の資料の特定の箇所をツンツンと突いてくる。彼らなりに応援してくれているのだろう。


 玄太さんは、古文書に記されていた「月光蘭を迎えるための儀式」に必要な道具を一つ一つ丁寧に準備していた。清らかな湧き水、月光を反射するという特別な鉱石を粉末にしたもの、そして、月光蘭を包むための、蚕の糸で織られたという古い布。その一つ一つに、薬師としての深い敬意と祈りが込められているのが伝わってきた。


 健太くんは、持ち前の行動力を発揮し、賢者祭壇までの道のりを念入りに整備してくれていた。夜道でも安全に歩けるように、目印となる木の枝を払い、浮き石を取り除く。そして、夜の森を照らすための手作りランタンを何個も用意し、その明るさを得意げに私たちに見せてくれた。

「これなら、夜の探検もバッチリっしょ! ま、俺がついてるから心配いらねーけどな!」

 その笑顔は、不安を吹き飛ばしてくれる太陽のようだ。


 そんな私たちの様子を、梅蔵さんは複雑な表情で見守っていた。そして、満月の二日前、ついに彼女は重い口を開いた。

「……月光蘭は、ただの薬草ではない。あれは、強すぎる力を持つ。扱いを誤れば、人を狂わせ、良かれと思った行いが、かえって大きな災いを呼ぶこともあるんじゃ」

 いつになく真剣な眼差しで、梅蔵さんは語り始めた。

「昔……まだわしがほんの小娘だった頃じゃ。賢者祭壇で、月光蘭の力を増幅させようとした者がおった。村を豊かにしたい、多くの人を救いたいという純粋な願いからじゃった。じゃが……その力はあまりにも強大で、制御しきれず、祭壇は暴走し、村は大きな被害を受けた。多くの薬草が枯れ、小魔霊たちも姿を消した……。あれは、まさしく厄災じゃった」

 梅蔵さんの声は、遠い過去の痛みをなぞるように、か細く震えていた。


 その言葉に、私たちは息を呑んだ。月光蘭という希望の光の裏に、そんな恐ろしい過去があったなんて。

「だから、わしは……お前たちを行かせたくない。あの悲劇を繰り返したくないんじゃ」

 梅蔵さんの目には、涙が滲んでいた。


 重い沈黙が流れる。

 けれど、私は首を横に振った。

「それでも、私たちは行かなければなりません、梅蔵さん。この村の未来のために。そして、過去の悲劇を繰り返さないために、私たちは学び、慎重に行動します。小魔霊たちも、きっと私たちを導いてくれるはずです」

 私の肩で、金色の小魔霊が力強く一度だけ光った。


 玄太さんも、静かに頷いた。

「梅蔵の気持ちは痛いほどわかる。じゃが、里奈どのの言う通りじゃ。我々は、ただ奇跡を待つのではなく、自らの手で未来を掴み取らねばならん時もある」

 健太くんも、「俺、何があっても里奈さんと玄太さんを守ります!」と胸を張る。


 私たちの固い決意を前に、梅蔵さんは深いため息をついた。

「……勝手にしろ。どうなっても知らんぞ。……ただし、わしも行く。お前たちだけでは、心配で見ておれんわい」

 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、その瞳の奥には、私たちへの深い情と、薬師としての使命感が宿っているのが分かった。


 そして、運命の満月の夜がやってきた。

 月は、まるで夜空に浮かぶ銀の盆のように煌々と輝き、森全体を幻想的な青白い光で包み込んでいる。私たちは、ランタンの灯りを頼りに、緊張した面持ちで賢者祭壇へと向かった。

 私の傍らには、玄太さんと健太くん。そして、少し離れた後ろからは、梅蔵さんが静かについてくる。

 小魔霊たちは、私たちの周りを普段よりもずっと強い光を放ちながら飛び交い、まるで聖地へ巡礼する使者のように、私たちを賢者祭壇へと導いていった。


 祭壇に到着すると、ピンと張り詰めた空気が肌を刺す。予測した時刻が近づくにつれ、祭壇の中央にある窪みが、まるで呼吸をするかのように、微かに光を帯び始めた。

 そして――。

 月の光が、天頂から一本の太い光の柱となって、寸分違わず祭壇石の窪みへと降り注いだ。

 その瞬間、窪みは眩いばかりの黄金色の光を放ち、周囲の闇を一掃する。


「始まった……!」

 玄太さんの声が、荘厳な静寂の中に響いた。


 光の中心、窪みの中から、ゆっくりと、本当にゆっくりと、白い絹のような蕾が姿を現した。それは、月の光を一身に浴び、まるで命を吹き込まれたかのように、みるみるうちにその花弁を開いていく。

 最初は、雪のように純粋な白。

 それが、月の光が深まるにつれて、徐々に淡い瑠璃色へと変化し、やがて吸い込まれるような、深く、神秘的な蒼へと染め上がっていく。

 花弁の縁は、まるで星屑を散りばめたようにキラキラと輝き、えもいわれぬ芳香が、私たちの鼻腔をくすぐった。


 これが……幻の薬草、「月光蘭」。


 金色の小魔霊たちが、歓喜の声を上げるかのように、月光蘭の周りを幾重にも輪を描いて乱舞する。その光景は、あまりにも美しく、あまりにも神々しくて、私たちはただ息をのんで見守るしかなかった。


「素晴らしい……なんと、美しい……」

 玄太さんの目には、熱いものが込み上げている。健太くんも、言葉を失ってその奇跡を見つめていた。


 私も、胸がいっぱいだった。この瞬間のために、私たちは……。


 しかし、その感動も束の間。

 月光蘭から放たれる瑠璃色の光が、みるみるうちに強さを増し始めたのだ。それは、もはや美しいというよりも、どこか禍々しささえ感じるほどの強大なエネルギーだった。

 賢者祭壇の石が、ミシミシと不気味な音を立てて軋み始める。

 周囲の木々が、まるで嵐にあったかのように激しく揺れ、小魔霊たちの歓喜の舞も、どこか怯えたような動きに変わっていた。


「やはりじゃ……! 月光蘭の力が、強すぎる……! このままでは、祭壇が持たん!」

 梅蔵さんが、顔面蒼白になって叫んだ。その瞳には、かつて経験した厄災の恐怖がまざまざと蘇っている。

 空には、いつの間にか厚い暗雲が立ち込め始め、満月を覆い隠そうとしていた。

 生暖かい、不吉な風が、私たちの頬を撫でていく。


 月光蘭は、瑠璃色の輝きをさらに強め、まるで生き物のように脈動している。

 美しい奇跡は、一転して、恐ろしい厄災の序章へと姿を変えようとしていた。


(第七話 了)

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