第4話 風運ぶ旅商人と、賢者祭壇への序章
翌朝、私は意を決して玄太さんと、そして畑で見かけた梅蔵さんに、昨夜発見した特別なオウレンのことを報告した。
「――というわけで、その一角だけ、オウレンが黄金色に輝いていて、見たことのない金色の小魔霊たちが集まっていたんです」
私の言葉に、玄太さんは「ほう、黄金色のオウレンとな……!」と目を丸くし、深く頷いた。その表情には、驚きと共に、何か確信めいたものが浮かんでいるように見える。薬師としての長年の勘が、何かを告げているのだろうか。
一方、梅蔵さんは腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
「たまたま日当たりが良かっただけじゃろう。あるいは、土の具合がそこだけ良かったか。小娘の見た幻覚かもしれんしな」
相変わらずの素っ気ない態度。けれど、その言葉とは裏腹に、梅蔵さんの瞳の奥が鋭く光ったのを私は見逃さなかった。きっと、内心では気になっているに違いない。そうでなければ、わざわざ私の話に耳を傾けたりしないはずだ。この数日で、私も梅蔵さんの不器用な優しさ(?)のパターンを少しだけ学習していた。
その日の昼下がり。村の入り口の方から、子供たちの甲高い歓声が聞こえてきた。
「ローセルさんが来たーっ!」
「お菓子! お菓子もってきてくれたかなぁ!」
玄太さんが「おお、噂をすれば」と顔をほころばせる。私も、どんな人が来るのだろうと、少しだけ胸が弾んだ。村に新しい風が吹いてくるような、そんな予感がしたのだ。
やがて、数人の子供たちに囲まれて、一人の青年が母屋の庭先に姿を現した。
歳は三十歳くらいだろうか。すらりとした長身に、陽に焼けた健康的な肌。異国の染め物のような、複雑な模様の入った動きやすそうな服を着こなし、腰には大きな革袋をいくつも提げている。彫りの深い顔立ちは、日本人離れしていて、どこか異国の王子様を彷彿とさせた。彼が、旅の薬商人ローセルさんらしい。
「やあ、玄太さん、梅蔵さんもお変わりなく。子供たち、また大きくなったんじゃないか?」
ローセルさんは、太陽みたいに明るい笑顔を振りまきながら、慣れた様子で玄太さんと梅蔵さんに挨拶をする。その声は、低くもなく高くもなく、心地よく耳に響く。子供たちには、懐から取り出した干し果物か何かを手際よく配り、あっという間に彼らの心を掴んでしまったようだ。コミュ力お化けとは、まさに彼のような人を言うのだろう。
「こちらが、新しい薬師見習いの久遠里奈どのだ。先日から、わしのところで手伝ってもらっておる」
玄太さんに紹介され、私は少し緊張しながら頭を下げた。
「はじめまして、久遠里奈です。お世話になっています」
「これはご丁寧に。ローセルと申します。以後お見知りおきを、里奈さん」
ローセルさんは、私の目をまっすぐに見て、紳士的にお辞儀をした。その瞬間、私の周りを飛び交っていた小魔霊たちが、ふわりとローセルさんの周りを一周し、そして何故か私の肩にピタリとくっついて警戒するように彼を見つめた。特に赤い小魔霊は、ローセルさんの綺麗な鼻先に向かって威嚇するようにチカチカと光っている。ちょっと、失礼でしょ、あなたたち!
ローセルさんは、その小魔霊たちの反応に一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに興味深そうな笑みを浮かべた。
「おや、これはまた……小魔霊にこれほど懐かれるとは、驚きました。あなたは、何か特別なものをお持ちのようだ」
その言葉は、どこか私の内面を見透かすような響きを持っていた。
ローセルの来訪は、村にとっての一大イベントらしい。母屋の広間には、玄太さんや梅蔵さんだけでなく、他の村人も何人か集まってきていた。ローセルさんは、大きな荷物の中から次々と薬草を取り出し、玄太さんや梅蔵さんと取引を始める。
「今回の『黄檗』は上質ですね、玄太さん。これなら良い値がつきそうだ。ああ、梅蔵さんの乾燥させた『地黄』も素晴らしい。さすがの腕前だ」
ローセルさんは薬草を一つ一つ手に取り、色や香り、乾燥具合などを確かめながら、的確な評価を下していく。その目は、先ほどの柔和な好青年とは打って変わって、鋭い鑑定家のそれだ。
梅蔵さんは、ローセルさんの言葉にも表情一つ変えず、「当然じゃ。わしが手塩にかけた薬草じゃからの」とだけ返し、薬草の選別には一切の妥協を許さない。その厳しいやり取りは、長年の信頼関係と、互いの仕事へのリスペクトがあってこそ成り立つのだろう。まるで、熟練の職人同士の真剣勝負を見ているようだ。
取引の合間には、ローセルさんが外部の情報を村人たちに伝える。
「最近、西の都では風邪が流行っているそうで、解熱作用のある薬草の需要が高まっていますよ。それから、南の港町では……」
その話に、村人たちは真剣な顔で耳を傾ける。私にとっては新鮮な情報ばかりで、まるで世界がぐっと広がったような感覚になった。
荷物の運び出しを手伝っていたのは、村の若者らしい快活な青年だった。歳は私より少し下くらいだろうか。日に焼けた顔に、人の良さそうな笑顔が印象的だ。
「ローセルさん、今回は結構な量っすね! 儲かりまっか?」
「はは、健太くんも手伝ってくれるなら、手間賃くらいは出すよ」
吉野健太くん、というらしい。彼が、玄太さんが以前「若いもんは出て行ってしまう」と嘆いていた、村に残る数少ない若者の一人なのだろう。
健太くんは、私が薬草のメモ(自分では『春光村薬草データベース・ベータ版』と呼んでいる)を熱心に取っているのに気づくと、興味深そうに話しかけてきた。
「あんた、都会から来た久遠さんだっけ? なんか、すげぇことやってるみたいじゃん。それ、何かの暗号か?」
「あ、いや、これは薬草の特徴とか、小魔霊の様子とかを記録してるだけで……」
「へえ! 小魔霊のことも? あいつら、俺には全然懐いてくんねーのによ。久遠さん、なんか特別な力でもあんの?」
健太くんの屈託のない言葉に、私は少し戸惑いながらも、彼が村の現状や新しい物事に対して、素直な興味と少しの焦燥感を抱いていることを感じ取った。
やがて、薬草の取引も一段落し、ローセルさんは出発の準備を始めた。
「では、また次の季節に伺います。それまで、皆さんもお元気で」
そう言って爽やかに微笑むローセルさんだったが、去り際に、私にだけ聞こえるような小さな声でこう言った。
「里奈さん。あなたは、この村の何かを大きく変えるかもしれないね。その瞳の奥に、強い意志と……不思議な光が見える」
そして、意味深な笑みを一つ残して、彼は子供たちに見送られながら村を後にしていく。
(私の瞳の奥に、光……?)
ローセルさんの言葉が、妙に心に引っかかった。
その夜。私は、どうしてもあの黄金色のオウレンのことが気になり、再び一人で畑へと向かった。月明かりの下、例の一角は、昼間よりもさらに神秘的な輝きを増しているように見える。
そして、私はあることに気づいた。
黄金色のオウレンから放たれる微かな光が、まるで道を示すかのように、畑の先……村の奥深くにある、こんもりとした森の一点を、おぼろげに指し示しているような気がしたのだ。
(あの森の奥には、確か……玄太さんが言っていた、『賢者祭壇』が……)
小魔霊たちが、私の周りで心配そうに明滅している。
まだ見ぬ賢者祭壇と、黄金色のオウレン。そして、私にだけ懐いてくれる小魔霊たち。
この村には、私の想像をはるかに超える、大きな秘密が眠っているのかもしれない。
私の胸は、不安と、それを上回る好奇心で高鳴っていた。
(第四話 了)