第12話 一縷の光明と、迫りくる黒い野望
黒づくめの男たちが嵐のように去った後、春光村には重たい沈黙と、拭いきれない緊張感が漂っていた。そこに、まるで救いの神のように現れた領主・橘様の一行。玄太さんは、村長として冷静に、しかし言葉を選びながら、先ほどの騒動を「薬草を求めてきた遠方の者たちとの、些細な行き違いでございました」と説明した。もちろん、月光蘭のことは一言も触れずに。
橘様は、若くして領主となった切れ者と噂に高い。涼やかな目元で村の様子をじっと観察し、私の姿を認めると、「ふむ。そちらの娘は見慣れぬ顔じゃが?」と玄太さんに問いかけた。
「は。こちらは久遠里奈と申しまして、訳あって当村に滞在し、薬草の手ほどきを受けております」
橘様は私に一瞥をくれると、特に何も言わず、村の警備について「不審な者を見かけたら、すぐに知らせよ。近隣の村にも注意を促しておこう」とだけ言い残し、颯爽と馬を駆って去っていった。その短い滞在は、私たちに一時の安堵と、しかし拭いきれない疑念のようなものも残していった。
橘様が去った後、村ではすぐに男たちの再来に備えた警戒態勢が敷かれた。健太くんが中心となり、村の若い衆が交代で見張りに立ち、村の入り口には簡素ながらも拒馬槍のようなものが設置された。私も、これ以上月光蘭の情報が漏れないよう、村人たちに事情を説明し(もちろん月光蘭の詳細は伏せて、「貴重な薬草が見つかった」という程度に)、外部の人間には決して口外しないよう、固く口止めをお願いした。ローセルさんも、「私の情報網からも、あの男たちの素性を探ってみましょう」と協力してくれることになった。
張り詰めた空気の中、私たちは中断していたユキちゃんへの薬効試験を再開することにした。もし本当に月光蘭に効果があるのなら、それは西の都の人々だけでなく、この村にとっても大きな希望となるはずだ。
玄太さんが、改めて月光蘭の花弁のひとかけらを、他の薬草と共に丁寧にすり潰し、薬湯を作る。その手つきは、祈りにも似ていた。
私は、祈るような気持ちで、その薬湯をそっとユキちゃんの口元へ運んだ。ユキちゃんは、弱々しくはあったが、こくりこくりとそれを飲み下してくれた。
固唾を飲んで見守る私たち。
すると、数分も経たないうちに、ユキちゃんの荒かった呼吸が、少しずつ穏やかになっていくのが分かった。苦しげだった咳も和らぎ、虚ろだった瞳に、ほんの少しだけ生気が戻ってきたように見える。
そして、信じられないことに、ユキちゃんの周りを金色の小魔霊がふわりと優しく飛び交い、その淡い光がユキちゃんの身体を包み込むように輝き始めたのだ。まるで、小魔霊が月光蘭の力を増幅させ、ユキちゃんの身体に届けているかのように。
やがて、ユキちゃんはゆっくりと首をもたげ、か細い声で「メェ」と鳴くと、おぼつかない足取りながらも自力で立ち上がり、乾草をねだるような仕草を見せた!
「おお……!」玄太さんの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「すげぇ……ユキばあちゃんが、立ったぞ!」健太くんも、子供のようにはしゃいでいる。
私も、胸がいっぱいだった。これが、月光蘭の力……。そして、小魔霊たちの不思議な力。
「見事じゃ……本当に、奇跡の薬草じゃわい」
いつの間にか私たちの後ろに立っていた梅蔵さんが、震える声で呟いた。その顔には、驚きと感動、そして薬師としての深い探究心が浮かんでいた。
月光蘭の驚くべき薬効を目の当たりにし、私はその必要性を改めて痛感した。西の都の流行り病も、この力があれば……。しかし、そのためには、この貴重な月光蘭を安定して供給できるようにしなければならない。
「玄太さん、梅蔵さん。この月光蘭を、なんとかして増やせないでしょうか?」
私の問いかけに、梅蔵さんが難しい顔で腕を組んだ。
「幻の薬草の繁殖なぞ、そう簡単なことではないわい。じゃが……」
梅蔵さんは、ふと何かを思い出したように顔を上げると、私と玄太さんを交互に見て言った。
「……賢者祭壇のあの窪みじゃ。そして、金色の小魔霊。あれらが鍵じゃろうて。古の言い伝えでは、特別な『種』を、月の光が満ちる聖なる泉の水で清め、祭壇の力と小魔霊の息吹を借りて芽吹かせたと……。その『種』がどこにあるのか、それが問題じゃがな」
梅蔵さんの言葉は、私たちにとって大きなヒントとなった。特別な種、月の光、聖なる泉、そして祭壇と小魔霊。
(あの祭壇の窪みは、種を置くための場所だったんだ! そして、黄金色のオウレンは、その『聖なる泉の水』の代わりになるか、あるいはその力を宿しているのかも……)
その時、ローセルさんが、少し青ざめた顔で薬草小屋に駆け込んできた。
「皆さん、大変です! 先ほどの黒づくめの男たちですが、どうやら『ファーマ・シンジケート』という、かなり悪名高い薬草ギルドの手先のようです。彼らは一度目をつけた獲物は決して逃さない。あらゆる手段で、金、暴力、そして時には……甘い言葉巧みに近づき、奪い取りに来るでしょう」
ファーマ・シンジケート――その名前の響きだけで、背筋に冷たいものが走った。
里奈は梅蔵の言葉と賢者祭壇の光景を思い返し、月光蘭の「種」の存在と、それを芽吹かせるための儀式の重要性に気づき始めていた。
(次の満月までに、その『種』を見つけ出し、繁殖方法を確立しなければ、村は……そして月光蘭は、あの男たちの手に……!)
その瞬間、村の見張りをしていた健太くんが、息を切らせて小屋に飛び込んできた。
「大変だ! 村の入り口に、また別の……今度は、何やら偉そうな、役人風の一団が、こっちに向かってくる!」
ファーマ・シンジケートが、早くも次の手を打ってきたというのか……?
それとも、また別の……。
春光村に、再び不穏な影が迫っていた。




