6話「十人目」
雲行きの怪しい今日、円形闘技場にて『選別』なるものが行われようとしていた。
闘技場の観客席には多くの人で賑わっている。これから九人によって殺し合いが行われるようなものだというのに、空気は淀んでいない。
「なんか、楽しんでるようにも見えるけど、なんで?」
「この街に住む大人は、すっかりこの生活に慣れてしまっているから……」
観客席では戦闘の始まりを今か今かと待ちわびている。隣に座るハンナは不安でいっぱりと言った表情だ。それもそうだろう。なぜなら『選別』に出場する九人のうちの一人が親友だからだ。殺風景な競技場のスペースにはまだ人の姿が見えない。
競技場を一周囲うようにできている観客席との間に檻が邪魔をしている。これでは誰も邪魔をすることができない。
「この檻、魔術が組み込まれてるんか? ……懐かしいな」
「そうなの。だから魔法で援助することもできないの。え? そうだ、ランサーの魔法も阻害されるんじゃ!?」
「心配いらんかな、それなら昔にやってるから。で、シャルロッテを助けるためには他の人を、何人再起不能すればいいんやっけ?」
「六人ね。……ごめんね、今更だけど嫌な役を押し付けちゃって」
今回出場するメンバーとは、シャルロッテを除いて全員が大人。このままだと生贄になってしまうシャルロッテを救うために俺が無断出場をするしかない。代理の代理で出場をすることは昨日断られているため、もうこれしかないだろう。
「シャルロッテは絶対に助けるわ。むしろ、こっちこそごめん」
「え、どうしてランサーが謝るの……?」
「俺は、英雄じゃないから。皆を助けることができん。一人しか、助けられんから」
俺の記憶にある英雄像はすごいものだった。この世に残るどの偉人伝や書記にある話よりも格好いい姿で描かれている。優れた容姿に秀でた才能を遺憾なく発揮し、出会う人全てを救い出すことができるのだ。
「お願い。じゃあ私からランサー改めてお願いがあります」
「え、なんですか?」
「ランサーはシャルにとっての――」
ハンナが何かを言いかけたタイミングで、空間を震わすほどの振動と太鼓の音が響いた。
「始まるわ。『選別』が……!」
「え、あぁ?? それで! さっきはなんて言いかけてたんや!?」
大きい声で隣に座るハンナに聞こえる大きさで言ったつもりだが、闘技場内に響き渡る音に掻き消されているようだ。
俺の声は届いていないが、ハンナが腕をひいている。ハンナが指を差す方をみると、入場ゲートから列になって今回の出場メンバーがゆっくりとした歩幅で出てきた。
「――! シャルッ!」
ハンナの声は相変わらず太鼓とそれ以外の音で搔き消されているが、誰を見つけたのかそれは俺にもわかった。
丸坊主でガタイのいい大人や、細見の人がいる中に、青髪の少女が混じっいる異質な光景に戸惑う。
観客席にもメンバーの出場前と違って、緊張感が伝わってきた。
ずっと鳴り響いていた音は突如鳴り止み、闘技場全体を見渡せる特別席の奥から一人の男がでてきた。
「あれは?」
「あのお方がウィルク侯爵で、いつも特別席から戦いの結末を見届けてるの」
特別席にウィルク侯爵がでてきたタイミングとほぼ同時に、競技場スペースにはニメートル以上の大男がノシノシと出場メンバーの前まで歩いてきた。
「この後すぐ、お前たちの行動を制御する手枷足枷を外す。その瞬間が『選別』の合図となる。この九人のうち、六人の選ばれし者が決まるまでこの戦いは続く。檻から場外への者には魔法、飛び道具は一切影響がでないので、思う存分戦ってほしい。それでは健闘を祈る」
一通りの説明を終えると、特別席にて観覧しているウィルク侯爵へ一礼してから退場した。
試験監督らしき人が退場したことで、出入口となる門が完全に封鎖された。これで中からも外からも干渉が不可能となった。
「たしか、この檻が邪魔するようになって以降、誰一人として妨害されてはないんよな?」
「その通りね。だから規則も観客席にはほとんどがなく、出場者に関わるものばかり」
この檻は魔法も通さない。おかげで今日まで一度も妨害行為を許したことはないようだ。しかし、それも今日までだ。
しばらく、静寂が続く。観客席にも伝わる緊張に、誰一人として音を立てなかった。何秒か、十秒か、一分か。誰かの唾を飲み込む音が聞こえた直後、それは響いた。
「――始めッ!!」
どこからか先ほどの試験監督の声が会場全体に響き渡った瞬間、競技場で等間隔に並んでいた出場者が一気に散る。
その瞬間、闘技場の観客席から一人の少年の姿が消えていた。少年の座っていた席が空席になっていることに気付いたのはハンナのみだった。
「お願い。シャルの英雄になって!」
一目散に散る出場者。狙いは数に限りがある剣。当然、子供が大人よりも速く走れるはずもなく、シャルロッテは剣を掴むことができなかった弱者男性と背中合わせになって追い詰められる。剣を握っている人数は六人。九人のうち三人の死亡が決まったようなものだ。この生きるか死ぬかの戦いは、剣を掴み取れるかどうかでまず決まる。
観客席で戦いを見届けるほとんどの人が目を背けた。
度々起こる子供の参加の結末は、火を見るよりも明らかだ。仮に、大人よりもはやくに剣を掴み取れたとしても、大人用に作られている重さを十分に扱うのは難しいだろう。
これを非常だと罵ることは簡単だろう。しかし、誰もが目を逸らして口を閉ざした。
この街に住む者は知っているからだ。
生きる意味を。
シャルロッテは、剣を持たない足の震える男性と叫び声をあげることしかできない女性に声をかける。
「お願い! ここで惨めに死ぬわけにはいかないのよ! アナタたちも手を貸してちょうだい!! ちょっと!? 聞いてるのかしら?!」
「くそっ! くそ! くっそぉぉ! なんでこんな目にあってるんだ! 俺わあぁぁ」
「ダメ、やめて近づかないで! なんでもする! ここで見逃してくれたらなんでもするからぁ!」
六人から剣を向けられている私達でも、結束さえできれば勝ち目があると思った。
現実は非常だ。まるで、最初から死ぬことが決められていたように、誰も使い物にならない。もちろん、私もだ。
対面で剣を構えた男がじりじりと距離を詰めてくる。
「おお? お嬢ちゃん、無駄な抵抗はやめてくれるつもりになったか? すまないなぁ、でも俺達も生きるのに必死なのさ。わかってくれるよな? なぁ?」
最初は両手を前にかざして魔法の準備をしていたが、それも無駄な抵抗かと悟る。
シャルロッテはハンナと違って攻撃魔法を使えない。
しかし、ハンナの攻撃魔法とはまだお子様レベルのもので、コップの水を温めたり葉っぱを燃やす程度だ。まだまだ子供の彼女が出場しても、勝ち目は薄く、精々相手に火傷を負わす程度だろう。
「すまねぇ! すまねぇ!! 俺にも今度娘が生まれるんだ! 俺の帰りを待っている嫁さんと生まれてくる娘がいる! すまねぇ!!」
男は泣きながら私に剣先を向ける。
誰も、誰も悪くないこの状況が憎くてたまらない。私に剣を向ける男にも人生がある。この街で生まれて、恋をして、パートナーと思い出をより多く残そうしていた。
せめて、目の前の男が女の子を躊躇いもなく殺せる極悪人だったら、恨むことができたのに。これではできないではないか。
生まれてくる娘、と聞いて昔の記憶が蘇る。
赤毛の少女が『シャル姉ぇ!』と言って自分の手を引っ張って走る光景。
赤毛の少女が『もう! シャルは本当に弱虫ね!』と言って泣きわめく私の背中を擦ってくれる記憶。
赤毛の少女が『シャルロッテ……。私、ジャックを、助け……られなかった……』と彼女とは思えない丸まった背中に弱腰の発言。
私がここで死んだら、ハンナは悲しむだろうか。悲しんでくれると、嬉しい。でも、また彼女は失ってしまうのだ。
ごめんなさい。でも、ハンナは生きてほしいから。だから、後悔はないの。ハンナには時間さえあれば、私と違ってこの『選別』でも生き残ることができる魔法使いになると信じているから。
「諦めないでッ!!!」
多くの観衆の中から、選び取るように一人の少女の声だけが耳に届いた。
そうだ……。なにを諦めている……! まだハンナを悲します未来が確定したわけではない!
何度も言うが、私に攻撃魔法は扱えない。しかし、私には支援魔法が使える。これで勝てるほど、この戦いは優しくはないが、粘ることもできる!
だらしなく力の抜けていた両腕をもう一度前へと突き出す。
「な、なんだ! やめてくれ嬢ちゃん! 楽にあの世にいかしてやりてぇんだ! 抵抗されるとそれも難しくなっちまう!」
「お願い! アナタたちも手伝って!」
「頼むたのむたのむぅぅーー!!! この通りだから助けてくれぇ!」
「お願いよおおー! 身体でもなんでも差出しますからぁ」
「お願い! 立ち上がって早く! 諦めないでよぉ! 私には支援魔法があって、説明する時間も惜しいの!!」
三人のうち二人の戦意は喪失し、その場で蹲り首を垂れている。私一人だけが抵抗する姿をみせているため、警戒を怠っていないようだが、それも限界だろう。剣を構える大人に包囲される私達。私達を囲む大人との距離が、一斉に飛びかかられると背中が守れない位置まで近づいていた。
一向に戦う姿勢をみせない二人を足元で放置し、全神経を研ぎ澄ます。自分の魔力量では、この三人に支援魔法【麻痺】で痛覚を忘れさせることしかできなかったが、自分一人でいいなら【麻痺】に【防御】魔法も重ね掛けできる。剣を持っている中でも重心の安定していないヒョロい男からどうにか剣を奪ってから――その後は剣を奪い終わってから考えよう!
今にも襲い掛かってきそうな大人たちを前に、集中力を高める。さきほどから騒がしいと思っていた観客席からの声援が、いつもと違ったものであることに気が付く。
なんだ? いつもの活気のある怒声や声援ではなく、困惑しているような?
気のせいかもしれないが、一部の観客席から戸惑いの色を感じると、集中力が逸れてしまった。
視界の端で、男がこちらに剣を振り上げながら走ってくるのが見えた。
まずいッ! このままだと間に合わない!
剣を振り上げながら走る男につられて、体格のガッシリとした女性も反対側からこちらに切り掛かっている。
掲げる両手を男側を前に突き出しながら、魔法を唱える。
「支援魔法【防御】展開!」
背中の一部の肌が硬質化する感覚に顔を歪める。何度使っても慣れないものだ。柔らかい背中の筋肉が凝り固まったような状態になって、剣先が身体に侵入しないレベルにまで肌を硬質化させる。
前方から襲い掛かってくる男にはどうにかして躱すために身を屈んだ瞬間だった。
競技場の端の霧がブレるように見えた。……私はなぜ今関係のないことを考えて。
ほんの一瞬の出来事だったのだ。
目の前にいたはずの男が瞬きをする間もなく姿を消し、直後背後から鈍い音と水の噴き出す音が聞こえる。
「ごふぁッ!」
「ブファッ!!」
「……え?」
さっきまで前にいたはずの男は、なぜか自分の背後で女性と重なって倒れていた。男の返り血かわからないが、元々背後にいた女性は鮮血に染まっている。
よく見ると、男の背中から剣が突き出していて、女性は痙攣したまま動かない。
何が起こったのか、誰にも理解できなかった。
「え? どうして?」
「は? はあ!? 今何が起こった!」
「誰かみていたか!?」
私達を囲っていた大人たちも、そして蹲っていた二人も遅れて事態に気付き、全体を俯瞰してみていたはずの観客席は困惑している。
「あーすまん、あと四人、死んでもらわんとアカンのやわ」
「――ッ!? なんだこのガキ!」
「どこから現れやがった!!」
「あ、君は……昨日の!!」
倒れる男と血濡れの女の奥に平然と立っている少年を私は知っていた。
ハンナの家の前で会った不思議な旅人が、なぜか出場していた。いや、いなかったはずだ。ついさっきまでは九人と試験監督以外誰もここに入場できていない。試験監督が退場した後も、私達しかいなかったはずだ。それなのにどうして。
「あー、どうしてとかそういうのは後にして。まずは、君を助けんとアカンから」
そういって、素性の知れない少年が突如、『選別』に参加するのだった。