5話「転生者はアホです」
「天晴れ」
「……?」
「すまん、故郷の言葉や」
無意識で口から出た言葉にハンナは首を傾げる。通じると思ったこの言葉はどうやら共通言語ではないらしい。
この世界に来て、何が通じる言葉かは本当にわからない。だから今みたいなやり取りは結構してきた。関西人が関西弁を無意識でつかうように、どれが通じない言葉かがわかならいのだ。非常に不便である。
「話を戻そう。ハンナがしたいことは分かったつもりや。俺と一緒にシャルロッテを外に連れて行ってほしいんやな。……でも、無駄や」
「え、どうして?」
「これは、異世界の、……つまり俺にとっては前世の記憶やけど、そこでは超高速の実現を『科学』と言われる魔法で可能としていたみたいや。でもそれは叶わんかった。……なぜか」
「なぜ?」
「単純な話や。人間の肉体は脆い。そんな超高速に耐えられるはずがなかったんや」
「……。だから、それならなんでランサーは無事なのよ」
「さっきは無視したけど、呼び捨てか。いや、一歳しか変わらんのやしええか」
「話をはぐらかさないで! なんでランサーは無事なの!?」
「加護の力や。俺には【瞬間移動】の際に生じる負荷を別の形で肩代わりする力がある」
「加護の力で。でも加護の力は選ばれた特別な存在と聞いている。そしてそれを認知することは不可能とも」
「ああ、そうや」
加護の力。
それは認知の不可能な自分にとっての呼吸のような力。
俺は【瞬間移動】の魔法と同じで、息を吐いて吸うことが当たり前のように『負荷の肩代わり』ができる。
そしてこれが、他の人にはできないという話を理解できない。いや、もう理解はしている。納得ができていない。
呼吸の仕方を教えれくれと言われたら「何を当たり前のことを言ってんだ?」と困惑するし、指先の動かし方を知りたいと聞かれたら「できないのか? なんで?」と正気を疑いたくなるものだ。
加護の力も、【瞬間移動】の魔法も、それと同じなのだ。
「加護を認知できたきっかけ。それもこの特別な状況下でしか判断のできない加護の力を、か」
「ええ。そうです。なぜ、なぜ……それを、知って。ま、まさか……っ! そんなッ?!」
少女は一つの可能性に思い至る。
魔法を使った際に生じる、最悪の結末を予想できない場合に起こりうる事故。
そしてランサーの一言『ゲル状になる』と知っていた知識。
いや、知識ではないのだろう。おそらくそれは経験から基づいた忠告。
「ああ、想像の通り。ゲル状や。俺の唯一の親友はゲル状になって死んだ。まだ幼かった俺は親友を殺した犯罪者や」
言葉にして思い出した。むしろなぜ、忘れていたのか。
――自分がこれまで前世の記憶を持っていたことも。
――【瞬間移動】の魔法を扱えることも。
――『負荷の肩代わり』の加護の力を授かっていることも。
全部全部、これがきっかけの出来事だった。
でも、なぜかすっかり忘れていた。思い出すことが難しい位置にこの記憶が眠っていた。
言ってはダメ、知られては危険だという認識だけがいつもあって、だからこれまで守ってきたというのに。
どうしてか、わからない。
それをハンナにはあっさりと言ってしまったのだ。
失敗かもしれないが、やはりこれ以上を考えようとすると、靄がかかったように思考力が鈍る。
「悪いな、ハンナ。俺は決めたわ」
「そんな! 待って! せっかくのチャンスなの! ここを逃したら私の親友が死んじゃう!! お願い待って!」
慌てて俺の腕にしがみつくハンナに、落ち着けと言って聞かせる。
「決めたってのはそういうんじゃないって」
「……? どういうこと?」
「俺は『お前たち』を守ることを決めた。だからハンナが身を犠牲にして実験体になる必要もないし、シャルロッテは死を覚悟して『選別』に出場しなくてもいい」
「え、それって……」
「ああ、つまり。俺が出るんや、『選別』にな」
× × ×
「すいませんが、認めることはできません」
「ええ! そんなアホな! 頼みます! シャルロッテは代理で参加するんですよね? じゃあ俺はシャルロッテの代理です! 代理の代理!」
「何度も言いますが、代理の権利を行使できるのは一名につき一度限りで、それはもうハンナという『女性』に代わってシャルロッテという名の『女性』が行使している」
俺は今、闘技場と呼ばれている円形の形をした施設に来ていた。理由はもちろん『選別』に出場するためだ。
シャルロッテがハンナの代わりに参加するのなら、俺がその代わりに参加することも可能だと考えた。どうやら不可能だったみたいだが。
闘技場で『選別』を行うための管理をしているという人の元まで来て話をしたが、シャルロッテの出場は覆らないようだ。
管理人の元を少し離れた場所でハンナと作戦会議を行う。
「まずいな。『選別』は明日で今日の時間も残り少ない。どうにかしてシャルロッテを出場できんようにする方法はないんか」
「シャルロッテが怪我をした場合でも強制参加になるって話はさっき聞いたわね。逃げた人もこれまでいるけど、皆必要以上に怪我を負わされて死んだわ」
「やばいな。くそッ、俺がもう少し早くにこの街についてたら間に合ったかもしれんのに……!」
「やっぱり私で試して、成功してからシャルロッテを……っ」
ハンナはそれ以上は言わなかったが、続きに何をいうつもりだったのかは容易に想像できた。
「それは最悪の手段や。シャルロッテを助けるためにハンナを犠牲にすることはできん」
「でも、このままだとシャルロッテが守れない!」
「そうや、シャルロッテが出場してまう。そしらたら大人からリンチされるやろうな……。俺も代理で参加できんから八方塞が……、り。……ん? いや、参加はできるくないか?」
「え? どういうこと?」
管理人は代理として参加はできないと言った。
なら、誰の代理でもなく自主的な立候補だったらどうだろう。
気付いたときには動いていた。ぶつかる勢いで走ってきた俺に驚く管理人を無視して質問する。
「なあ! 明日の『選抜』で俺を出場させてくれ!」
「だから、何度も言っているだろう! シャルロッテの代理としての出場は」
「代理じゃない!」
「……なに?」
「誰の代理でもなく、俺を一人追加で参加させてくれ!」
「なっ! な、なんでそんな真似を!」
驚きで顔を歪める管理人の態度で確信した。おそらく不可能ではないが、これは珍しい話なのだろうことは様子でわかった。
押せばいける……ッ!
「頼む! 俺を一人、明日追加するだけでいい! 頼むおじさん!」
「し、しかし、人員の決定権はウィルク侯爵にある。私にはないっ!」
「ウィルク侯爵? 誰や?」
「この街を治める領主の名だ、愚か者。爵位がついている時点でわかるだろう」
つまり、このウィルク侯爵とやらが『選別』の出場者を決めているということだ。なるほど、この大人だらけの中一人だけ少女を選んだのもまたその侯爵が決めたということだ。
「そのアホ侯爵がこの馬鹿みてぇな『選別』を取り仕切ってるわけやな」
「おい貴様。『アホ』とは聞いたことのない言葉だが、響きに侮蔑の意味を含んでいることはわかるぞ。いくら子供でも、ウィルク侯爵を愚弄する態度は許せん。今すぐここで撤回しろ!」
「撤回はせん! じゃあな管理人!」
「なッ! 待て小僧!!」
待てと言って手を伸ばす管理人を無視し、ハンナの手を引いて闘技場を後にした。
闘技場を出た後もしばらく走り続けるも、誰も追ってきてはいないことに安堵する。どうやら本気で追いかけるつもりはなかったらしい。子供相手に本気になるほど時間もないのだろう。
少し走ったせいで息が上がる。隣にいるハンナも肩を上下させていた。
しばらくして息が整ってきたタイミングでハンナは口を開いた。
「馬鹿なの? ランサーって」
開口一番に罵倒が飛んできた。
「いや、馬鹿ではないと思う、けど」
「馬鹿よ! 大馬鹿者でしょう!? もしかしたらあそこで死んでいたかもしれないんだよ!!」
「まあ、たしかに。悪かったよ」
俺が死んでは、シャルロッテを救うことはできない。確かに軽率な判断だったと反省する。
「それと、『アホ』ってどういう意味?」
「愚か者って意味。馬鹿ともいうけど、少し違うな。なんか、こう頭の悪さを意味するよりももっと、行動についての頭の悪さを言った感じやな。そういうときに使ってる記憶がある」
「結局、馬鹿と同じじゃない。まあいいよ、ランサーは『アホ』ってことね」
「アホは誉め言葉じゃないからな」
「アホなランサーさん、もう時間もないわ。残された手はない。やろう」
「ハンナは死にたいんか?」
「そんなわけないじゃない! ただ、シャルロッテが死ぬことを許容できないだけよ」
「じゃあ死に急ぐ必要もないな。俺が明日出ればいい」
「で、でも、さっきそれは拒否されて」
「こっそり参加すればいい」
「無理よ。闘技場は出場者が逃げ出さないように檻になっている。当然観客席からの妨害や補助ができないようにね。『選別』が始まったらもう誰にも手は出せない!」
「誰にも手は出せんのか。阻む物が檻ってことは中が見えてるんやろ?」
「ええ、でもだからどうやって」
「忘れたんか? 俺には【瞬間移動】がある。それで始まる直前に参加すればいい。後はシャルロッテを守りながら戦うだけや」
「――っ」
俺の特殊魔法である【瞬間移動】には不変のルールがある。それは、自分で目視できていないところへの移動はできないということだ。
つまり、闘技場を檻で囲っていても、中が見えているのなら俺には関係ない。
「ランサー、アナタは本当にアホなのね」
「おいおい、せめて褒めてくれよ」
こうして、シャルロッテを守るための作戦とは名ばかりの作戦が決まったのだった。