1話「赤毛の少女ハンナ」
世界を救いたい(妄想)
「ねぇ、ちょっと!大丈夫ですか?」
「……? んぁ?」
「大丈夫でしたら、こんなところで寝てないで起きてください!」
「ここは……? ……あ、あぁ、すまん。寝てたんか、俺」
突然の目覚めに脳は混乱していたが、久々の感覚を思い出し冷静になる。
目を開けるも、あまりの眩しさで目を細めてしまった。
「ここは『月夜の銀牙』で名高い街、ウィルク・スィルニ。そして今あなたが壁にして倒れているのが私の家です」
「あぁ、それはすまん。」
「で、あなたは何者ですか?悪者?」
「俺はランサー。悪モンじゃあないで。この世界とは違う平和な国の住民や」
「……よかった。悪者ではないのですね。それにその状態、大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫だ」
座っている俺は、少女を見上げた状態で自己紹介する。赤毛の少女は悪者ではないと主張する俺に、胸をなでおろしていた。見知らぬ男の言う発言全てを信じてくれたわけではないだろう。しかし安心しているのは俺も同じだ。第一発見者が優しそうな少女でよかった。おかげで乱暴をされる心配がない。
「しかし、おかしな事を言うのですね。この世界とは違う? 平和な国? 頭の中がおかしいだけじゃ飽き足らず、言葉遣いも変わってます」
「俺ももう生まれて十四年経ってるし、沢山言われてきた。けどな、変や変やって何度も言われると傷付くで」
赤毛の髪をポニーテールにして纏めた少女は、恐らく俺より二つくらい年下だろう。
幼い顔立ちを歪めて見下ろす少女の瞳はサファイアをはめ込んだような綺麗な青色をしていた。
「君の名前は?」
「私はハンナ。あなたとは違って、争いの絶えない国に生まれた一人の女の子よ」
目を細めて、ここではないどこか遠くを見るハンナ。何の根拠もないが、寂しそうだと感じた。まるで何か大切な物、存在を奪われてしまったような悲壮な表情だ。
「で、争いを知らない平和な国の住人さん」
「ランサーだ」
「……ランサーさん。いつまでそうしているつもりですか? この街に、疲弊しきってまで来た理由があるのですよね?」
「ああ、そうやった! 目的。目的があってここまで来たんやった。……おっとっと」
彼女に言われて、立ち上がろうとするも叶わなかった。情けなくもまた座り込んでしまう。今度は壁を支えにして挑戦するも失敗。
「……どうやら昨日はだいぶ無茶をしたようですね。ほら、手を貸しますから、はやく立ってください」
「ああ、すまんな。ありがとう」
首を左右に振った後、手を差し出してくれる。どうやら本当に優しい女の子らしい。
少女の力を借りてなんとか立ち上がる情けない少年の姿がそこにあった。
「ん? あー、東の遠い国からな」
「東の遠い? ってことは頭のおかしい人が多いと噂のトゥスカレ共和国ですよね。……あ、なるほど、道理で」
「え、待ってそんな酷い言われ方してんの」
「ええ。ですが、トゥスカレ国からここウィルクまで三ヶ月以上はかかりますよ? ここから一番近い村でも一ヶ月以上の時間は必要です」
「……そうやな。随分と遠かった」
何を言いたいのかはわからないが、訝しいと感じているみたいだ。警戒されている。
「じゃあ、その身軽な格好はどういうことです? 大きな鞄の一つでもあれば納得ですが、ないですよね」
「……鞄は旅の道中で無くしたんやわ。だから、ここまで来るのに大変やった」
「そうですか。じゃあ、なぜ。なぜランサーさんの服は汚れていないんですか?」
「服……」
服が汚れていないと言われた自分の状態を改めて見直す。
誰でも用意のできる軽装姿の俺。冒険者が纏う防護服も鎧も無しに、目立った箇所に怪我や汚れもない。お察しの通りというべきか、もちろん服の下に怪我は一つもない。
「はい。あなたは怪我一つないどころか、目立った汚れもない」
「運がいいことに魔獣と戦闘せずにここまで来れだだけや」
街の外を一歩出ると危険が沢山ある。魔獣や猛獣が活動しているためだ。判断の間違いで命を落とす世界が街の外には広がっている。
商売や冒険者を生業とするもののほとんどは、防護服や鎧を装備しているのが常識だ。当然、命を守るために。
外から来たという俺の姿を見たハンナはどう思ったどろうか。
少し気になるのは、お尻と背中の部分が少し土汚れがついていることくらいか。
元々俺はこんなところで倒れて誰かに起こされる予定ではなかった。予定外の質問に、この先の展開が想像できてしまって冷や汗をかく。
「いいえ。有り得ません。この頑丈な壁で囲まれた街、ウィルク・スィルニが『月夜の銀牙』と呼ばれるのには理由があるからです」
「……」
俺はよくアホだと言われるが馬鹿ではない。
この街に行きたいと伝えた人全員に何度も注意され、止められた。当然、ウィルクに異名があることも聞かされている。
「ウィルク・スィルニは大きな壁で囲まれています。頑丈な石でできた大きい壁はこの街を守っている。そして壁で囲まれたこの街を、地平線の彼方まで広がる森は三大魔界の一つ」
「ああ、知ってる。……見たからな、この目で」
「……。森には獰猛で強力な魔獣が徘徊しています。中でも厄介なのが、人間のみを標的にする魔獣。その魔獣は森の暗闇に溶け込み襲ってきます。」
「……」
「ヤツらの溢れんばかりのエネルギーが歯に凝縮し、発光する。直後、暗闇に目の慣れた我々人間はその瞬間無防備になります。ヤツらは警戒心が高く、人間の気が緩んだ瞬間を逃さない。その発光を確認した次の瞬間には群れで襲われる、と聞いています」
初めての情報に生唾を飲み込む。一度も見たとこがないヤツらの情報をここまで詳しく聞いたのは初めてだ。
なぜなら、東の国を出発し、ウィルクから戻ってきた人間はごくわずかしかいない。
そして我々には、ウィルクに到着した者の生存を確認する術も連絡手段もない。この世界にはインターネットもスマートフォンも無いのだ。
だから、本当は出発した彼等が生前しているかどうかすら我々見届けた者は知らない。知りようがない。
しかし出発を見届けた者、全員が口を揃えて言うのだ。
寂しい目をしながら『地獄を抜けた先に待つ天国に到着した者が、帰ってくるはずもない』と。
「魔獣の名は、月狼。五メートルを超える体格の魔獣は群れで行動し、ヤツらに襲わたら一般人ではまず死ぬでしょう……」
到着した者の生存は知らないが、ウィルクに向かって何とか逃げ帰ることに成功した数少ない者が言うのだ。
『暗闇に浮かぶ月を見た』と。
聞いた続きの話を思い出した。ハンナが話そうとする続きの言葉は聞かずともわかる。
「さっきも言いましたが、三大魔界の一つと呼ばれるこの魔獣の森には、月狼以外にも多くの魔獣が住み着いています」
ハンナが朝日に照らされた街を見下ろしながら両手をいっぱいに広げた。眼下に広がる、大きく発展したこの街の眺望に見惚れていると、どうもこの街が三大魔界の一つと言われる森のど真ん中にあるとは思えなかった。
この街は平和そのもので、全く魔獣が襲ってくる気配が無いのだ
「数多の魔獣から襲われることなく過ごしている。私達ウィルク・スィルニの住人は今日も魔獣からの恐怖には怯えることなく生きているわ」
「あぁ、見たらわかる。ここから見下ろす眺望は美しい。それは損傷の跡もない外壁に、整備された街道を見ればかる」
「今日までこの街と、この街に住まう私達を守っているのは、憎き魔獣である月狼よ」
「……っ」
「そして、ウィルク・スィルニに付いた異名は『月夜の銀牙』。月狼に守られた街へようこそ、正体不明のランサーさん」
鋭い目つきで睨む少女ハンナ。身長差は俺の方が少し高い程度でしかないので、真正面からメンチを切られる。
壁にもたれかかった状態で体制を維持している俺。傍から見れば少年が少女に、壁まで追い詰められているように見えるだろう。
「今日まで少ないけど、何人か旅人や商人が訪れたこともあるわ。でも、怪我一つない来訪者は一人としていないの」
迫力に圧倒されて思わず黙ってしまう。
「さぁ、旅人ランサーさん? 教えてちょうだい。あなたはこの街まで、どのような魔法を使って来たの?」
やっぱりこの質問か、と予想が的中した。
これまで俺の会得していた魔法を誰にも見せたことはなかった。こっそり裏で、誰にも目のつかないように注意して使ってきたのだ。はて、なぜだったか。
これまで何故、俺は皆にこの魔法を黙っていたのか思い出せない。なんだか頭が考えることを放棄したように、ぼーっとしてしまう。
「さぁ、答えてちょうだい? ……まさか、歴史史上一人しか扱ったことのない【浮遊魔法】でも使えるのかしら? まさかね、そんなはず──」
「【瞬間移動】や。俺は長時間の浮遊はできん」
俺はこの日、誰にも教えたことのない特殊な魔法を、名前以外出生を知らない赤毛の少女ハンナにあっさりと教えたのだった。