強烈な母を持て余していた
母親が死んだ。もう3ヶ月前の話だ。
死因は溺死だった。酒を飲んで風呂に入り、寝てしまい、浴槽内で滑ったようだ。
午前4時頃に父親の介護のために起きて気づいた。
母の部屋のテレビがうるさいので「ほっといて」と言われる事を承知で見に行った。
ベッドにいなかった。
風呂上がりにワインを飲んでいたのは見たので、二度目の風呂に入ったとは思わなかった。
酔っ払って倒れていた事もあったので、またそれか、と思って家を探した。
トイレを見に行って居なかった時に、悪寒が走った。
祈る気持ちでお風呂を覗いた。
湯に浮かぶ髪を見て、手遅れだと悟った。
「嘘でしょ」と連呼しながら、救急車ではなく、警察に電話した。
その後検死が始まって、死体を搬送された時は10時を回っていた。
場を明るくしようとしたのか、ベテラン巡査が明るく話しかけてくる。
私は女性巡査のお尻を眺めつつ、回らない頭でなるべく関係ない事を考えようとした。
その後、朝の犬の散歩に出て、母親と歩いた道を辿った。
認知症が始まり、被害妄想的で、鬱っぽい母親は、犬の散歩には一緒に出かけた。
朝、一緒に散歩すると、不思議と一日機嫌が保たれた。
花が好きで、ねじれ花や、おしろい花など、雑草みたいな花を好んだ。
私は知らない花をアプリで調べて、母と会話した。
秋に紅葉をバックの母を撮影し、「何を撮っとるんやろうね」などと笑った。
犬に懐かれない母は、ボールを投げては自分で拾っていた。
母は報われないタイプの人だった。だけど、常に努力し続けていた。
亡くなる前日まで、82才になっても働き続けた。
勤勉で、プライドが高く、寂しがりで、酒癖が悪く、からみ酒で、酒に弱く、自分では酒に強いと言って、酔っ払って溺れて死んだ。
生きたいように生きたと言えば格好がつくようだが、そんなもんじゃないと思う。
老いていく自分を受け入れられず、足掻いていた。
父の認知症治療薬をこっそり飲んでいたのも知っていた。
通院を勧めると「行こうかな」という時もあった。
だが直前でその事を忘れたように「バカにするな!」と拒否した。
誰でも現実と直面するのは怖いと思う。
頑張り続けてきた母は、手に入れた物を手放すのが苦手だったようにも思う。
私は、あきらめが早かったとも思う。どうにもならないと心のどこかで思いながら、母親に接していた。
火葬する時に手紙を書いた。
お詫びはしたくなかった。母親の人生を冒涜するように感じた。
今までの感謝を綴り、あなたの一割程度の勤勉さを分けて欲しいと祈願し、父をしっかり介護する事を書いた。
母親と最期の時まで一緒に過ごせて、辛く、面倒くさく、何よりも感謝した。
生き様を見せてもらった。
一緒に暮らせて良かった。綺麗事ではなく、本当に良かったと思う。
犬の散歩をすると、時々母を思う。酒を飲むと、時々母を思う。
だんだん嫌だった所が薄くなり、好きだった事が想われる。
子供の頃、テニスコートで、ジンジャーエールの瓶を持って笑う母を思い出す。
犬を飼って良かった。