失われた願い (ナナ視点)①
朱色に照らされる庭、燃える家。
覚えのある誰かの叫び声、救急車のサイレンの音。
走り出し、だが大人達に羽交締めにされて動けない自分。
救急隊員の蘇生措置を受ける、火傷だらけの動かない誰か。
失われていく温度。
無意識に暖かさを求めて手を伸ばす。
その途端、今まで響いていた何もかもが聞こえなくなった。
真っ白な世界の中に、優しい声が響く。
『ねえナナ。また今度時間が空いたらさ、よもぎ団子作ってくれる?』
「あ……」
無意識に私の口から声がこぼれた。
強烈な刺激が、これまで遮断されていた記憶へのアクセス経路を、強制接続していく。
鮮明に思い出される、あの日の記憶。
胸を刺す孤独感、罪悪感、絶望――
兄を求めて叫んでいたのは、私だった。
あの日失われたのは、兄の温もりだった。
もう、私には何も残されていない。
もう、私には叶えたい願いがない。
もう、私には幸せを手に入れる権利がない。
私は、もう、生きていてはいけない。
…死にたい。
走馬灯のように流れる、自身の存在を否定する、願い。
私はそれに抗うことなく、流れに身をゆだねるように、生きる意志を手放した。
◇
意識が覚醒していくのがわかって、ゆっくりと目を開く。
その拍子に涙が一粒頬を伝った。
手放したはずの意識が、放棄したはずの命が、まだ私の胸で鼓動を続けていることに、罪悪感を抱いた。
お兄ちゃんはもう戻ってこない。
私は涙をぬぐって体を起こす。
でも、涙は次々と流れて、止まってくれない。
悲しい。寂しい。痛い。つらい。
涙が流れるほどに、胸に渦巻く孤独や不安が大きくなっていく気がして、私は自分の身体を抱きしめた。
「ごめんなさい……」
耳に、自分の声とは思えないほど細く震える声が届く。
ポタッポタッとシーツや服に水玉模様ができるのが、揺れる視界の中はっきりとわかった。
「…ごめんなさい。ごめんなさいッ、お兄ちゃん……」
大波のように激しく押しかけてくる後悔と罪悪感を、どうしたらいいのかわからない。
今さらどれだけ謝っても、届かないことはわかってる。
いくら呼んでも叫んでも、もう戻ってこないことぐらいわかってる。
でも、それなら、それなら私はどうしたらいいの?
あの日、ちゃんと『行ってきます』を言えばよかった?
せめて部活があることを伝えておけばよかった?
あの日に戻って最初からすべてをやり直したい。
私にできることなら何でもするから、あの日に戻してほしい。
いくら願っても叶わないこともわかってる。
だけど、それでも、私にお兄ちゃんを返して…。
私の家族…たった1人の家族。
「お兄ちゃん……ねぇ、お兄ちゃん……独りに、しないでよぉ…」
なんで、どうして。
そんな言葉がぐるぐると回る。
なんで、私ばっかり残されるの?
どうして、大切なものばかり失ってしまうの?
独りは嫌だ。
時間ばかりが長く感じて、埋もれてしまいそうになるから。
独りは怖い。
暗闇に深く深く沈んで、戻れなくなってしまうから。
独りは痛い。
後悔、罪悪感、寂しさ、今はもうない温もり。
その全てが胸を刺すから。
「誰か……お願い、」
助けて――
言葉にできない願い。
私はゆっくり目を閉じる。
≪ガチャ≫
その時、音がして、扉が開いた。
私は再び目を開き、視線だけを動かして扉を――扉から入ってくる人物を見る。
「起きたか! 良かった……」
そこには、金色の、温かい光が揺れていた。
彼は私が体を起こしているのを見て、明るい声を上げ、近付いてくる。
そして、髪に隠れていた私の顔を覗き込んだ。
「ッ⁉ どうした? なにか、あったのか?」
私の顔を見て、綺麗な碧色の瞳を心配げに揺らす彼。
私は口を開いて、何も言えず、そっと閉じる。
その一連の動作を見ていた彼――ニアンは、ゆっくりとベットに腰を下ろし、私の手を優しく握ってくれる。
「無理に話さなくてもいい。ただ、人に話したほうが楽になることもあるから、俺でよければ話を聞かせてくれないか?」
手に感じる温もりがじんわりと心にしみわたるのを感じて、私の心が少しだけ落ち着く。
私は、唇の震えを懸命に抑えながら、話し始めた。
盗賊をおびき寄せるために、放った火で火事になったこと。
レニのお兄さんを呼ぶ声がきっかけで、思い出した記憶のこと。
本当はもう、兄が死んでしまっていたこと。
その原因が自分で、どうしようもなく自分が許せないこと。
大切な人を、叶えたかった願いを、生きる権利を失ってしまって、消えてしまいたいこと。
途中で我慢できなくなって泣き出してしまったから、とても聞きとりにくかっただろうけど、ニアンは最後まで真剣な顔で私の話に耳を傾けてくれていた。
私が話し終わると、ニアンがそっと私を抱きしめてくれた。
いまだにボロボロこぼれる涙がニアンの服に吸い込まれる。
でも、それに気付いているだろうに、気にするそぶりも見せず、ニアンは私を抱きしめて。
「大丈夫、大丈夫だ、ナナ」
と言いながら、泣き止むまで背中をさすり続けてくれた。
◇





