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猫の毛づくろい亭①

しばらく街を歩くと、ベッドの絵が描いてある看板が見えてきた。


周囲と比べて一段大きいその建物の前で、ニアンは立ち止まる。


「ここが俺が泊まっている宿、猫の毛づくろい亭だ」


看板に描かれたベッドは、店主の趣味なのか、丸くデフォルメされた可愛らしいデザインだ。

建物も丸みを帯びた石造りで、その周囲には曲線が美しい、段差のある花壇が設けてある。

花壇には高低差を活かした立体的なレイアウトで草花が植えてあり、虹が舞うような彩りで入口を飾っている。

その葉や花びらは生き生きとしていて、手入れが行き届いていることがうかがえる。

宿の裏側には広い菜園があるようで、食事も期待できそうである。


「か、かわいい! え、すごい!

こんな素敵な宿に泊まれるの⁉

あ、でも……」


ナナは驚きに目を見開いて喜んだ直後、少し困ったような顔をして悩み始めた。

そしてこういう時こそ年長者の助言とばかりに、スキル【伝心】でアイマーに相談する。


『私お金持ってないから、ニアンに払ってもらうんだよね。

すごくかわいい宿だけど、その分お値段高そう……申し訳ないよ』


『気にするな。こやつが面倒を見ると言っておるのだ。

こういう時は素直に好意に甘えた方が、相手の顔が立つというものだ。

……それに、我に挨拶もなく我が娘に手を出すようならばその時は――』


『そ、そっか、そうだね!

わかったよ、ありがとう魔王!』


アイマーが年長者としてのフォローを入れる。

途中からやや不穏な思考が混じっているが、父親というものは娘の貞操に関わる事となると、少々のことでもピーキーな反応を示すものだ。

そして厄介なことに、自分がその娘の母に手を出したことについては、大抵の場合忘れている。

……まあアイマー自身は誰にも手を出していないが。


ナナの様子を見て何を考えているのか予想がついたらしいニアンも、苦笑しながら口を開いた。

「心配するな。

もちろん金は俺が持つし、面倒をみてやるって言っただろ?

生活費については全面的に頼ってくれ。

金なら君が一生遊んで暮らせる分の何倍も持っている。

それにこの宿は清潔だし、サービスもいいし、その……なんだ、かわいいだろ?」


ニアンはできるだけナナが遠慮しないように、金銭面については大した負担ではないことを主張した。


そしてなぜか照れながら、宿のデザインもアピールする。

曲線を主体としたメルヘンチックなデザインはとても女性受けがよく、アバトでも密かに人気が高い。

部屋数はそれほど多くないためにすぐに埋まってしまうが、ニアンはここを常宿としていた。


実は【猫の毛づくろい亭】の経営者夫妻にとって、ニアンは特別な客だった。

かつて住んでいた村が魔物に襲われた時、彼らはニアンによってその命を救われていたのだ。

さらにその後、アバトで生計を立てられるようになるまで夫妻を支援したのもニアンだった。


とはいえ、それはまた別のお話である。

ニアンが照れているのは違う理由だ。


本人が隠しているのであまり知られていないが、ニアンは意外にもかわいいモノが好きだった。

そして……【猫の毛づくろい亭】の丸みを帯びたかわいらしいデザインは、ニアンがこっそり書いた絵が元になっていたりするのだ。

つまり、大抵のことに動じない彼も、自分のデザインをかわいいと口に出すのには抵抗があったようである。


「ニアン……うん、すっごいかわいい。

本当にありがとう。

私、ニアンに出会えて本当に幸運だね!」


ナナの瞳が少し潤む。

思いやりのあるニアンの言葉に、感謝の念が溢れそうになったのだ。

でも、魔族領の月明かりの下で、ニアンに頼る覚悟を決めたナナは、その感謝をお礼と笑顔で返した。


ナナの日輪の如き笑顔パワーを気持ちよさそうに浴びながら、ニアンが続ける。


「ああ。俺はナナが喜んでくれるならそれでいい。

好みに合ったようで何よりだ。

それで……部屋は広いから、ナナも同室でいいか?

さすがにナナぐらいの子を1人で泊まらせるのは、まだ心配なんだ。

自衛できるようになるまでは同室の方が守りやすい。

もちろんベッドは別だ。

寝室以外にもう一つ、ソファーが置いてある部屋があるから、俺はそっちで寝るよ。

風呂やトイレも個室だ。

だがこれはただの案だ。

俺たちは育った国が違うし、文化も違う。

もし抵抗があるなら、気にせず言ってくれ」


「ううん! とんでもない!

私のためにいっぱい考えてくれてありがとう。

ベッドはニアンに使ってほしいけど、ぜひ、よろしくお願いします!」


「ありがとう、助かる。

もし俺が何かしたら、宿の人を呼んで衛兵に突き出してくれて構わないからな!

いや、もちろん女神に懸けて、何もしないと誓う。

あとは……そうだ!

アバトに着く前にも話したが、俺は今ここに、冒険者仲間でもある姉と一緒に泊まっているんだ。

しばらくは依頼で出かけると言っていたから、帰ってきたら紹介させてくれ」


「うん! お姉さんと会えるのも楽しみ!

ニアンのお姉さんなら、素敵な人なんだろうなぁ」


ナナは楽しそうな表情でニアンの顔を眺め、脳内でその女性化を試みる。

そしてびっくりするほどきれいで優しそうな美女の姿を創り出した。


『ふむ……なかなか美しいではないか』


どうやら【伝心】は画像メッセージにも対応しているらしく、アイマーがその出来に感心する。


姉の話を聞いただけでニマニマし始めたナナの様子に、ニアンは少し安心する。

彼が見る限り、ずっと張りつめているようだったナナの心に、少し余裕が出きたようでほっとしたのだ。


ニマニマしっぱなし(脳内で創り出したニアンの姉にバケツをかぶせてみたりして楽しんでいる)ナナを連れて、ニアンは猫の毛づくろい亭に入る。

すると、受付に立つ、8歳ぐらいの栗毛の猫耳少女から声がかけられる。


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