古き魔族の暗躍
「くそっ、あの親馬鹿め! おとなしく娘を差し出せば、この領地を私が立て直してやるというのに……チッ!」
身なりのいい小太りの男が酒場の奥の席に1人座り、酒を飲んでいた。
その口から漏れる不穏な愚痴は、カウンター近くで盛り上がっている酒客達には届かない。
だが、1人だけ、その言葉を聞いてニヤリと顔を歪める者がいた。
ローブを着てフードを目深にかぶった男、永き眠りから覚めた古き魔族、サイラスだ。
サイラスは小太りの男に近づくと、小さなテーブルを挟んで向かい側に腰かけた。
小太りの男は突然の同席に驚き、顔を上げてサイラスを睨む。
「貴様、何者だ‼」
相当酔っているのか、小太りの男はその口から唾を飛び散らせながら叫んだ。
サイラスは飛んでくる唾を軽く身を逸らすことで回避し、いびつに微笑んだ。
そして小声で話し始める。
「いえ、何も怪しい者ではございません。私はサイラスと申します。
先ほどから貴方の声が聞こえてしまっていまして……盗み聞きするのは悪いかとも思ったのですが、どうやらとても鬱憤が溜まっていらっしゃる様子。
このままでは貴方の健康にもよろしくないでしょう。
たまたま居合わせたのも縁。
幸いにも私は魔法が得意でして、何かお役に立てたら、と思いましてね」
サイラスの言葉を聞いた小太りの男は、フンッと鼻を鳴らした。
「お前ごときが何の役に立てる……待て、魔法が得意だと言ったな。
どのような系統の魔法を使える?」
「火、水、土、風、など大抵の系統は使えます。
ですがそんなありふれた魔法より、精神操作系の魔法の方が趣深く、研究に値すると私は考えております。
本人が気づかないうちにその思考をこちらの意のままに誘導する、それこそが至高の魔法でございましょう!」
小太りの男の質問に、サイラスはいびつな笑みを深めて答える。
「精神操作だと? そのような魔法……いや、いいだろう、使ってやる。
私はミデール、このアバト領の領主補佐官を務めるミデール・アバトだ。
この私の役に少しでも立つことができるんだ。ありがたく思うがよい」
そう言ってミデールは事情を話し出す。
曰く、自分はアバト領主に仕える貴族だが、領主よりも自分の方がアバト領をうまく治めることができるとのこと。
領主の娘に婚約を持ち掛けたが、領主に却下されてしまったこと。
ならばとまだ若い弟の方に取り入ろうとしているが、思いのほか警戒心が強く、なかなか狙い通りに事を運べないこと。
そのすべてをミデールは包み隠さず偉そうに話す。
サイラスはそんな彼に首肯する。
「事情は大方理解しました。取引といたしましょう。
私は、貴方に領地の実質的支配を約束いたします。その代わり、貴方は私に実験のできる環境と、材料を提供してください。
どうです? 悪い話ではないでしょう?」
そう言ってサイラスは口元を歪めた。
そして、懐からペンダントと指輪を取り出す。
「これは思考操作の魔道具です。
ペンダントを装備した者の思考を、指輪を装備した者が思うままに誘導できます。
取引成立のあかつきには、これをあなたに差し上げましょう」
サイラスが差し出した魔道具に、ミデールは目を奪われた。
ペンダントは繊細な銀の鎖に深紫色の丸い宝石が取り付けられている。
目を凝らして宝石を覗き込むと、その内部には魔方陣のような模様が刻まれていた。
指輪の方は一見するとただの銀色の飾り気のない品だが、裏側にはびっしりと魔術文字、ルーンが刻まれている。
ミデールに魔道具の真贋はわからないが、偽物と言うにはあまりにも精緻な意匠が施されていた。
ミデールは興奮したように身を乗り出し、ひったくるようにサイラスから魔道具を受け取る。
「いいだろう! 貴様の言う実験の場所については、我が屋敷の地下を貸してやろう。
だが材料とはなんだ? 何を用意すればいい?」
すっかり酔いも覚めた様子のミデールはサイラスに問いかける。
「そうですね…。健康な成人男性を2人程と、若い健康な処女を1人用意してください。
男については健康であれば他に指定することはありませんが、女は処女であるということを厳守してくださいね。
出産すると魂エネルギーが一時的とは言え減少しますから、実験には適しません。
それと……その女は領主の城に勤務している者を選ぶことをお勧めします。
そうすれば貴方の役にも立つでしょう。
ですが、くれぐれも傷つけてはなりません。無傷で捕えてください」
「……まさか材料が人とは……だがいいだろう。
しかし城で働く者となると少し時間をもらうぞ」
「もちろん、構いませんとも」
「ふんっ。ならばついてこい。屋敷まで案内してやる」
2人は密談を終え、酒場を後にした。
◇
「しかし時が経てば世界も変わるものですね。
まさかこれほどの怨念が大気中に満ちているとは。
しかも、私の魔力で簡単に扱えるではありませんか」
サイラスは夜の森に嗤い声を響かせる。
ミデールとの出会いから約2週間ほど。
彼はミデールの屋敷の地下で実験を重ね、ピラステアの大気中に満ちる怨念を意のままに操る術を確立させていた。
そして彼はさらなる実験のために、アバト近くの森に出向いて来た。
サイラスの周囲には様々な形態の黒き魔獣が付き従っていた。
いずれもサイラスによって捕獲され、支配された黒焔種だ。
「ミデールから聞いていましたが、確かに黒い焔を宿す魔獣が生息しているようです。
しかもよく調べてみるとこの黒焔種、大気中の怨念を吸収しすぎて変質した魔物じゃないですか。
つまり、黒焔とは大気中の怨念が収束したモノ……くふ、くふふふふ、これは運がいい!
怨念を操れる私にとっては、黒焔種は最高の手駒ですよ!」
サイラスは自らに首を垂れる様々な形態の黒焔種たちを睥睨する。
と、その時、彼の頭上から、わずかに物音が聞こえた。
「……おっと、普通の魔獣に見つかってしまいましたか。
くふふふふ、ちょうどいい。
人為的に黒焔を宿らせる実験をするとしましょう――ほぉら、お前に私が新たな力を与えて差し上げましょう!」
嗤いながら大気中の怨念を寄せ集め、自らに襲い掛かってきた猿のような魔獣にそのまま注ぎ込む。
「ギ? ギギャアアアア⁉」
猿のような魔獣は一瞬怯んだ後、地面に落下して苦しみだした。
≪ゴキッ! ブチッブチブチッ! バキグキッ!≫
骨が砕け肉が裂ける音が響く。
茶色だった猿の魔獣の体毛は黒く染まり、体躯は元の数倍に膨れ上がる。
その腕は体長を超える程の長さに伸長し、先端には太く鋭い爪が光る。
身の毛もよだつような音が止んだ時、サイラスの前には人間より一回り大きい、手長猿のような魔獣が立っていた。
その身体からはゆらゆらと黒い焔が漏れ出している。
「くふふふ、これはいいですね。簡単に手駒を量産できそうです。
……しかし、こうなってくると、性能を試したくなりますね」
サイラスは支配した黒焔種の中からフクロウ型の魔獣を選び、夜空に飛び立たせた。
フクロウは十数秒で上空500メートルほどの高さに達し、周囲を見渡した。
「これは素晴らしい。支配した魔物の五感まで共有できるとは!
……ん? おや、あれは焚火、でしょうか」
サイラスはフクロウの視覚情報から、2キロメートルほど離れた位置に少し開けた場所があり、その中心に揺れる小さな灯りを発見した。
サイラスは口の端を釣り上げる。
「私は本当に運がいいですね。新たな手駒たちの性能を確かめるのに最適です。
それでは、実験と行きましょう!」
そう言ってサイラスは、明かりに向けてその手を伸ばした。
その合図を受けて、サイラスの周囲の闇が動き出す。
黒い焔を纏った獣たちが、指示された方向に向かって駆け出したのだ。
静かな森に、戦闘音が虫の声のように響く。
灯りの近くにいたのは2人の男女だった。
男の方は腕の立つ冒険者だろう。
明らかに多勢に無勢の中、着実に黒焔種に致命傷を与え、その数を減らしている。
女の方は武器も持っていないが、妙な術を使うようだ。
サイラスの手駒の中では最も戦闘に長けた手長猿が翻弄されている。
回復魔法も使えるようで、せっかく隙をついて男に手傷を負わせたものの瞬時に回復されてしまった。
それになぜか突然煌々と発光し始め、手長猿が呆けている間にとどめを刺されて全滅してしまった。
「……なるほど……。どうやら目覚めて以降、私の運は天井知らずのようです。
こんなにいい実験ができるとは。くふふっ、くふふふふ!」
20体を超える強力な黒焔種が、たった2人の冒険者に負けるとは思ってもみなかったのだろう。
サイラスは少し呆気にとられた様子を見せてから首肯し、嗤う。
いつまでも嗤い続けるその瞳には狂気の炎が宿っていた。
ふいに嗤い声が途切れる。
サイラスの顔には先ほどの狂気の笑みは跡形もなく、感情がごっそり抜け落ちたかのような無表情だ。
数秒の後、サイラスは踵を返し、城塞都市アバトに向かって歩き出す。
「しかし、少々予想外でした。こんな初期段階でもう手駒を失ってしまうとは。
次はやはり、儀式魔法で手駒を造ってみましょうか。くふふふ、楽しみですねぇ」
そう呟いた彼の声は夜の森に溶けていった。
真夜中の城塞都市アバトに戻ったサイラスは、しんと静まった街の大通りに佇んでいた。
行き交う人影はなく、街は完全に寝静まっている。
しばらく夜闇を楽しんでいると、ふと前方から輝く金髪の美女が優雅に歩いて来ることに気付いた。
(美しいですねぇ。その美しい姿がどのように歪むのか、ぜひともこの目に焼き付けたい!)
サイラスは大気中の怨念を寄せ集める。
そして美女が彼の近くを通り過ぎた瞬間、美女の背中から大量の怨念――黒焔を注ぎ込んだ。
(ほらぁ! さぁ、もだえ苦しみなさい! その美しい身体を失う恐怖に絶望しなさい!)
美女の美しい肢体が崩れ、異形に変わる様を想像して、サイラスは満面の笑みを浮かべる。
……だが、その時は訪れなかった。
美女は何事もなかったかのように歩き去っていく。
呆然と立ち尽くすサイラスには目もくれず、月の光に反射して煌めく髪をなびかせながら、北門――ルビウス王国の王都へと続く街道へと消えていく。
「よもや、この怨念はヒトには効果が無いのでしょうか。
……いえ、同じ生物なのですから、そんなことはないはず。
もう少し研究が必要ですね、くふふふふ」
サイラスは踵を返し、ミデールの屋敷へと戻っていった。
◇
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