気になるバケツ②
『む、むう、しまった。
余裕がなかったとは言え、ここに至るまでバケツを正当化するためのカバーストーリ―を用意できていないとは……我としたことが情けない』
バケツ【深淵なる節食】についてはナナとアイマーの間で、周囲に秘匿するべきという結論が出ている。
そもそも元となった【深淵なる暴食】が国家予算級の費用と国宝級の素材をふんだんに投入した神話級の魔道具であるということが大問題である。
いかにアイマーにとっての失敗作と言えども、魔族領においては一応は国宝扱いだったのだ。
それを覚えている者がいるかどうかは別として。
そしてさらに、【深淵なる暴食】はアイマーによる改造により、時間経過無しの無限収納を実現した唯一無二の超絶レアアイテムへと進化してしまっている。
その価値に値段をつけることなど不可能だ。
もしこのアイテムの存在が露見すれば、所有者を殺してでも手に入れようとする輩はいくらでも湧いて出るだろう。
いくらニアンが『いい人』とは言え、この秘密を共有して重荷を背負わせるほど、まだ信頼関係を構築できていない。
もちろん本来なら、こんな危険なモノはどこかに隠すべきだ。
が、今回の場合はそれができない。
言わずもがなではあるのだが……そもそも、そのバケツそのものが、より重大な秘密を隠すためのカモフラージュなのである。
そう、ナナの頭部にアイマーの頭部が生えてしまったという、知られれば確実に嫁ぎ先を失う、ナナにとって死活問題である最重要機密事項を、だ。
よってバケツを外すわけにはいかない。
しかし、バケツは目立つ。
とにかく目立つ。
そもそも装備品ではないのだ。
手にもって歩くならだれも気にしない(かもしれない)が、頭部にバケツを載せて道を歩く女子中学生。
これは目立って仕方がないだろう。
しかもそのバケツは、妙に凝った意匠が施された、つるつるピカピカの金属製だ。
白銀に輝いて自身の存在を存分にアピールしている。
形状は口部分と底部分の直径がほぼ同じ円筒形で、コック帽のようにナナの頭部にミラクルフィットしている。
そして手に持つ『つる』の部分が、体操帽のゴム紐のようにナナの顎にジャストフィットしている。
そう、まさかの事態なのだが、実は似合っているのだ。
バケツを被っているという事実は非常に理解に苦しむところなのだが、あまりに似合っているという事実もまた、周囲の混乱を助長しそうである。
思わず誰もが二度見するであろうこと、間違いなしだ。
ちなみにイケオジであるアイマーの頭部は当然、小顔なナナの頭部より大きい。
それが帽子のようにナナの頭に乗っているバケツの中に納まっていることは物理的におかしいのだが、これはバケツの収納効果が中途半端に発揮された結果である。
そう、本人も気づいてはいないが、アイマーの頭はバケツの中で、若干縮んでいるのだった。
……先細りしているその形状は、想像するとちょっと気持ち悪いので絵にしてはならない。
描いてはならないのだ。
ナナとアイマーはバケツの正体を秘匿することまでは決めていたが、頭部にかぶっていることをどう言い訳するのか、という点は答えを見いだせず、この段階まで保留していた。
何事も先送りは良くない。
わからないからと言って判断を先送りにすると、いつかとんでもない問題を引き起こすというのは、誰もが経験するところであろう。
そう、まさに今、わなわなしているナナとアイマーのように。
もう少し冷静に考えれば何かいい案が思いつく可能性も十分にあったかもしれないが……このタイミングまで持ち越してしまっては、それも期待薄である。
『帽子って言うには無理があるし、ヘルメット……も違うし、うん、ダメ思いつかない!
魔王は? なんかいい案あったりする? あるよね? ね?』
自分で案を出そうとするもすぐに思い浮かばず、あっさり諦めたナナ。
切り替えが早いナナは、即座に多角的に可能性を模索し、方針転換を図る。
まるでデキル社会人のような采配だ。
そして昇進する者だけが持つ秘儀【丸投げ】を発動。
『ふ、ふむ。も、もももちろん魔王である我にかかればすでに複数の案を用意しているに決まって……そうだ‼
そもそもお主の服装はこの世界では見慣れぬものだ!
であれば多少の無理は通る!
お主の国ではバケツを頭に装備するのがマナーであり、結婚前の娘は絶対に人前で頭頂部を晒してはいけない、という設定にしてしまうのはどうだ?』
【伝心】の効果によって、前半のセリフにそこはかとない嘘くささと必死さという感情をたっぷり盛っていたアイマー。
しかし、ここにきて彼の頭脳が突如冴えわたる。
気まぐれな幸運の女神が彼に微笑んだのだ。
『さすが魔王! ナイスアイデア……って、えぇえええーー⁉
それじゃあニアンと結婚したら魔王のことバレちゃうじゃん! 結婚できないじゃん‼
って何言ってるの私きゃぁああああ‼
待ってお兄ちゃん、ニアンはいい人だよぉおおお!』
混乱を極めたナナは、ここにいない兄にニアンを紹介する時のことを妄想し始めた。
そして、無慈悲にもその時は訪れる。
「あー、あのさナナ、初めて見た時から気になっていたんだが……その頭のバケツについて聞いていいか?
言いづらいんだが……それ、バケツだよな?
なんでバケツを被ってるんだ?」
「⁉ ワ、私ノ国デハバケツヲ頭ニ装備スルノガマナーデアリ、結婚前ノ娘ハ絶対ニ人前デ頭頂部ヲ晒シテハイケナイ、トイウ設定ニシテシマ……そ、そういう法律になっているのぉおおお‼」
暫定案が1件だけ立案できた絶妙なタイミングで、質問をぶっこんで来たニアン。
絶賛混乱中だったナナは思わず、アイマーの妙案を一字一句間違わずに復唱してしまった。
復唱を止めるところを若干誤って余計な事まで言ってしまっているが、まあご愛敬である。
ニアンならそういう都合の悪いことはスルーしてくれるだろう。
「そ、そうなのか。なぜか棒読みだったような気が……するが、まあそれは良いか。
しかしちょっと……重そうだが、まあ首が鍛えられていいかもな。
頭突きでゴブリンぐらいは倒せそうだ。は、はは、はははは」
期待通り見事なスルーである。
ニアンのスルースキルはなかなかにご都合しゅ……優秀なようだ。
なお、現時点ではどうでもいい話だが、ナナの記憶力は良い。
物心ついて以降の事であれば大抵のことは思い出せる。
数年前の任意の日の夕飯を何口で食べたのか、思い出そうとすれば記憶から呼び出せる程だ。
見聞きしたことをほぼすべて記憶しているので、暗記でクリアできるような科目であれば、勉強で苦戦することも少ない。
誰もがうらやむ驚異的な能力である。
『……うわぁああああどうしよう、思わずやっちゃったよぉ!
ニアンと結婚するときには魔王のことを告白しなきゃいけなくなっちゃったよぉ!
なんて設定作ってくれたのよぉおおお!
……え、魔王あなた、デート中どうするつもり?
ついてくるの?
って、デ、デデデデートぉおおおお⁉』
『ぶわははは! 愉快なことになったではないか。
あ、我、用事を思い出した。バケツの設定のアレをコレしなければ!
ぶ、ぶふふ、ぶわははは』
《ゴンッ》
アイマーの笑いに鈍い音が重なる。
ナナがバケツを殴りつけた音だ。
『……いったあぁぁぁあああい! ちょっと魔王逃げるなぁあ!』
アイマーは逃走した。
敵前逃亡である。
軍隊なら銃殺刑もあり得る。
ちなみに魔王軍では、敵前逃亡は理由があれば罪に問われない。
その理由の中に、自身の生命を守る為、という内容が許されているのだから、軍隊なのにホワイトすぎる。
いやまあ、バケツの中からどこに行けるという訳でもないのだが。
「大丈夫か? どこか痛むのか?」
突然バケツを殴り出したナナに、ニアンが心配して声をかける。
「だだだ大丈夫!
ちょっとバケツの中のまお……ごほんごほん、いえ、バ、バケツの設定のアレをコレしなきゃいけなくて……」
痛む拳をさすりながら、アイマーと同じ言い訳を繰り広げるナナ。
いいコンビである。
「設定って……そうか。魔道具だったのかそのバケツ。大変だな、君の祖国の女性達は」
「ううっ……」
切羽詰まった状況で仕方なくとは言え、嘘をついてしまったことの罪悪感に苛まれたナナ。
ニアンにはもちろん、友人達や近所のおばちゃんにも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だが、ナナはいつまでもくよくよするタイプではない。
つらい境遇の中でも、楽しいことを見つけて切り替えることを頑張ってきた、努力の人である。
常に楽しいことを探すナナの努力は、脳内に【楽しみを見つけることに特化した領域】を構築してきた。
そして今、ナナの脳内で猛威を振るう【楽しみを見つけることに特化した領域】は、その圧倒的な処理能力で情報を検索、演算し、【楽しみ】の最適解となる画像を大量生成する……してしまった。
「っふ、ふふ、ふ、んぐ! ごほっ!」
「どうした! 魔道具の暴走か⁉」
突如脳裏に溢れかえったオモシロ画像(友人達や近所のおばちゃん達がバケツを被ってキメ顔をしている姿)の嵐に、ナナは思わず吹き出してしまいそうになり、慌てて堪えてしばらく悶絶する。
「……っ、大丈夫。っふふ、ちょっと友人たちの変顔が思い浮かんじゃって」
「あ、ああ、そうか。それは……っふふ。ああ、ちょっと面白そうだな」
超絶美少女であるナナの意外な一面を見られて、親近感が沸いたニアン。
思い出し笑いを涙目で堪えて咳き込む姿が何とも……何とも愛らしい。
(ああ、こんなにも愛おしい。俺は……俺は必ず、ナナを守ろう)
ニアンは再び心に誓いを立てつつ、そのために魔族領の移動手段を利用することを伝えることにする。
「じゃあまあ、この先の話をしようか。
俺が拠点としている街は遠いから、移動のために魔族領固有の……ちょっと不気味だが【堕天せし満月】というモノを利用する。
何と言うか少し説明しづらいんだが……速いんだ、あれ。
見た目はちょっと近寄りがたいが、大丈夫、俺の経験では、ほとんど危険はない」
一方ナナは、抱え続けても仕方のない罪悪感を笑いで押し流し、嘘をついてしまったことについてもいつか必ず謝ろうと心に決めていた。
罪の意識を感じないことは問題だが、罪悪感という感情は長く持ち続けたところで何の役にも立たず、誰の助けにもならない。
反省したら次に活かせば良い。
それをナナは理解していた。
ナナの想像力はたくましく、精神もまた、たくましく育っているのだ。
そんなナナは、ニアンの言葉を受けて思う。
(【堕天せし満月】って……ま、まさか、またそういうやつ?)
『ふむ。【堕天せし満月】を使う、か。
確かにルビウス王国に向かうのであればあれが最速であろう。
なにせあれは魔族領が誇る、非常に良く完成された傑作であるからな』
(……ああ、やっぱり魔族が関わってるんだね)
魔族のネーミングセンスと、無茶な機能追及にそろそろ慣れてきたナナ。
それが何かはわからずとも、魔族が嬉々として名前を考えているところを想像して、少しうんざりするのであった。
◇
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