守るべき者(ニアン視点)①
魔王城内を最上階に向かって登りながら、俺の決意は揺らいでいた。
俺の名はニアン・ディギル。
ルビウス王国の最南端にある城塞都市アバトを拠点として活動している冒険者だ。
王都の貴族家の三男として生まれたが、社交界で腹黒い相手と隙を伺い合う人生など御免だった。
だから唯一得意としていた剣術を活かすべく、家を飛び出して冒険者になった。
それから10年。歳はまだ18の若造だが、冒険者としての経歴を積み、現在Aランクに到達している。
そんな俺がどうして魔王城にいるのか。
俺の目的は、一か月ほど前に突如王都を包囲した数万の魔王軍の目的について、最高司令官である魔王本人から直接意図を問いただすこと。
それも単独で魔族領を横断し、魔族領最奥の魔王城に潜入して。
……当たり前だがかなり無謀な策だった。
本来であれば使者を派遣して交渉したり、秘密裏に魔王軍の命令系統に潜入して情報を得たりするべきだ。
敵国本土、それも王城への潜入など、間違っても一介の冒険者に任せていいことではない。
当然、王国側もそんなことは承知の上だ。
王都が突然数万の魔王軍に包囲されてから、すでに一か月。あらゆる手を尽くした結果、何の情報も得られなかったらしい。
万策尽きた王国側は半ばやけくそで無茶な策を立案した。
それが、腕の立つ冒険者を擁して魔王城に乗り込み、魔王への直接交渉を敢行するという暴挙だ。
採れる手段がなくなり、言葉通り苦肉の策としての依頼だった。
とはいえ実体はなんとも無責任な丸投げだがな。
そして運悪く白羽の矢が立ってしまったのが、俺だ。
自分で言うのもなんだが、Aランク冒険者である俺の依頼達成率は、王国内でも最高クラスで、その分ギルドからも信頼されている。
それだけではなく、人族最強ともいわれる兄さん……冒険者ギルドのギルドマスターの直弟子だし、称号【勇者】の効果でステータスも高い。
そして残念なことに、魔族領に面する城塞都市アバトには今、Sランクの冒険者はいなかった。
まあ、仕方なかったとも言えるだろう。
……正直なところ、俺ではなく兄さんぐらいじゃないと荷が勝ちすぎるとは思うが、それも無理だったのだろう。
なにせ、兄さんは王都の防衛の要だからな。
魔王軍に包囲されている今、王都から安易に動かすわけにはいかない。
そう、仕方がなかったんだ。
ちなみに兄さんと俺は呼んでいるが、血のつながった兄弟ではない。
彼の一人称が『お兄さん』なので、初対面の頃からそう呼ぶようになってしまったというだけだ。
支部長から俺宛の指名依頼を見せられた時は、苦虫を噛み潰したような顔をしていたと思う。
国王直々の依頼でなければ即座に断っていたところだ。
相手はあの魔族なのだ。
ここ数百年、どの国家においても魔族との交流は全く無い。
そもそも唯一国境を挟んで陸続きとなっているのがルビウス王国だ。
そのため国境付近では極稀に魔族の目撃情報もあったりするが、表立っての交流はない。
ちなみにアバトを拠点として活動している俺も、一度だけ魔族を見たことがあった。
動きが恐ろしく俊敏で、気が付いた時には視界から消えていた。
今でもあれは夢だったんじゃないかと思うぐらいの衝撃だった。
ともかく、現時点で魔族との関わりを持つ国なんてものは全くなく、魔族についてはもはや存在自体がほとんど伝説と化していた。
曰く、剣の一振りで山を切り飛ばした。
曰く、拳の一突きでドラゴンを爆散させた。
曰く、魔法一発で森を蒸発させた。
いずれも眉唾物の与太話とも思えるが、魔族のあの俊敏さを見る限り、もしかしたら……と思ってしまう。
嘘だと切って捨てることができない。
古い資料によると、魔王がいると思われる魔王城に向かうには、そんな魔族が闊歩する魔族領を突っ切る必要があった。
徒歩で向かえば俺の速度でも二週間はかかる距離だ。
だが実際には、何度か肝を冷やしたが、一日と少しで魔王城に到着した。
これには少し経緯があるが……今はいいだろう。
そういう理由で、俺は今魔王城内部にいる。
あっさり内部に侵入できているが……門番や衛兵を倒したわけではないし、隠れて忍び込んだわけでもない。
門は開け放たれていて、堂々と正面から入ることができたのだ。
門番も衛兵も見当たらないどころか、ここまでの経路には誰もいなかった。
もぬけの殻だ。
だが、油断などできない。
できるはずもない。
俺は途轍もない圧迫感を感じていた。
警備など、門番や衛兵など不要だ、そう思うほどの。
……それは、気配だ。
魔王城の最上部付近から強大な気配を感じる。
おそらくあれが魔王なのだろう。
隠そうともしない圧倒的なオーラ。
これでは兵など足手纏いにしかならないだろう。
魔王城内に他の人影が無いのも納得だ。
……まあその割には各階に様々な部屋があり、膨大な人数が居住していた形跡が残されているのだが。
とにかく、強大な気配を感じながら俺は黙々と最上階を目指して歩く。
魔王の強さについては、兄さんから聞いたことがある。
といっても兄さんと同じぐらい、つまり化け物級という曖昧な表現としてだが。
唯一確実なのは、今の俺ではどうやっても勝てないということだけだ。
……だめだ、絶望的すぎる。
いや、大丈夫だ。
そもそも目的は討伐ではない、交渉だ。俺が魔王にとって交渉するに足る相手だと思わせればそれでいい。
そうだ、大丈夫…なはずだ。
この依頼のことは当然兄さんも知っているだろう。
それでも何も言わなかったということは、俺のことを信頼してくれているということだ。
そうだろ、兄さん。
俺のメイン武器はロングソード。
見た目はシンプルだが、総ミスリル製の逸品で魔力に良くなじむ。
魔法の発動体としても優秀なため、魔法も使う俺は杖としても使っている。
うまく魔力を込めれば斬撃を飛ばすことすら可能だ。
サブの武装は左手に装備したバックラー。
この円形の盾は堅白鉄製で非常に軽い。
防御面積が狭いので扱いは難しいが、球面を活かして攻撃を受け流すように使うことで相手のバランスを崩し、反撃のタイミングを作り出すことができる。
重量の割には鋼鉄より硬く炎にも強い。
表面に耐魔法加工を施してあるため、ある程度魔法を弾くことも可能だ。
基本的にこれらのロングソードとバックラーで戦うが、戦闘中は何が起こるかわからない。
戦況によって武器や道具を躊躇なく切り替えることにしている。
ベルトに5本挿してある投擲用の小剣、マジックバックに入れてある弓やハンマー、長槍、毒瓶、爆破用の魔道具なんかがそれだ。
俺のような戦い方をする冒険者は少ない。
剣や弓、魔法などを得意とするメンバーを集めてパーティを組み、それぞれの長所を組み合わせて短所を補うことで依頼をこなすのが通常のスタイルだ。
一方俺は兄さんの教えである『生きてこそ守れる。意地汚くとも生き残れ』という言葉に従い、最悪の事態に備えて様々な手段を用意している。
こうすることでこれまで生き残ることができた。
罠を仕掛けたり、背後から奇襲したり、目を潰したりと、勝つためなら卑怯と言われる手段を用いることにも抵抗はない。
だが、今回の相手は魔王だ。
小手先の技どころか、おれの全力の攻撃ですら傷をつけられるかどうかも怪しい。
俺は兄さんに叩き込まれた数々の教えを思い出す。
たしか、圧倒的強者と相対する場合の戦術は、『最初に全力で仕掛けて隙を作って逃げろ』だった。
今回はこの心得を応用して、初手で切り札を切ることにした。
卑怯と言われようとも、これは兄さんにも有効な手段だ。
もちろんそれで倒せるわけではないが、面倒くさい奴、程度の印象を与えられればそれでいい。
交渉で済むならそうしたいと思わせることができればよし。
そうでなくとも、挑発することで侵攻理由を聞き出せればそれでいい。
なに、聞き出す方法などその時の俺がどうにかする。
他にも何パターンか考えたが、やはりこれが一番いい。
あとは全部、負ける。
思案している間に最上階にたどり着いてしまった。
俺は深呼吸をした。
心が全力で撤退を訴えている。
だが、この問題を放置すると、力なき人々が苦しむことになるかもしれない。
もう、そんなことは御免だ。
二度と、もう二度と俺が怯むことは許されない。
そう、おれは【勇者】の称号を世界から与えられたあの時に、そう誓ったんだ。
だから俺は、逃げずに魔王に挑む。
今にも悲鳴を上げそうな心を制して、禍々しい彫刻が施された扉を静かに開ける。
――そこに、魔王はいた。
深淵から湧き出るような黒々とした威厳を放ち、あらかじめ来ることが分かっていたとでもいうように優雅に腰掛け、まっすぐにこちらを睨みつけてくる。
いや、おそらく俺の動きなど魔王城に入った時から気取られていたのだろう。
魔王の動きはゆったりとしているが、今にも喰われそうな錯覚を覚えるほどに、放たれる威圧は容赦ない。
冷や汗が背筋をたどる。侮れない。さすが魔王とでもいうべきか。
兄さんに教わった通り、俺はスキル【鑑定】による情報取得を試みる。
この【鑑定】というスキルは存在すら知られていないレアスキルだ。
俺が言うのもなんだが、取得条件は非常に厳しい。
現在では俺と、俺のスキルを知っている兄さん意外に、知っている者は皆無だろう。
まぁ鑑定自体は、魔道具を使えばだれでも簡単にできる。
その魔道具は超国家組織である冒険者ギルドが発掘、修復して運用しているシステムで、広く一般的に利用されている。
開発したのは古代に栄えた文明らしい。
俺は詳しく知らないが。
だが、その魔道具自体が建物サイズで、持ち運べるような物ではない。
よって設置型で運用されている。冒険者ギルドでは地下に魔道具本体が埋められていて、端末だけが受付のデスクに設置されている。
冒険者ギルドに加入する時や、ランクアップ時などにステータスを確認するために用いられることが多い。
◆名前:アイマー ◆種族:魔族 ◆性別:男
◆年齢:1253歳 ◆出身地:魔族領 ◆職業:魔王代理
◆レベル:432
◆HP:?????/????? ◆MP:?????/?????
◆運:?
◆状態:??
◆備考:??
俺のレベルは現在65。
魔王はレベルだけで俺の7倍近い。
年齢は千歳を超えている。
さすが魔王。
俺など足元にも及ばない、か。
魔王代理という職業は気になるが、他に本物の魔王が見当たらない以上、今はこいつに挑むしかないな。
修業を始めて間もない頃に、師匠である兄さんを鑑定したときに比べれば読み取れる情報が多い。
つまり少なくともあの頃の俺と師匠ほどの開きはないということだ。
しかし、兄さんも魔王も、どちらも正攻法で勝てる相手ではない。
そもそもまともな勝負にならん。
……やはり、さすがにこのレベル差はきつい。
素朴な疑問なんだが…コレ、なんで兄さんじゃなく俺だったんだ?
明らかに人選ミスだろ。
あまりの戦力差に心が折れそうになるんだが。
いやいや、勝てないことなど先刻承知!
ここはシミュレーション通りに攻めるだけだ!
再び覚悟を確かにし、俺は声を張り上げる。
「魔王、覚悟!」
直後、魔王が何かに慌てたような表情になる。
よし! このままっ!
「ふ、挑戦者か。だが我としたことが準備不足だったようだ。
少し待っていてくれたまえ。今、戦いの場を用意してやる」
そう言って魔王は後ろを向く。
目をそらすどころか後ろを向いたのだ。
そこまでの余裕があるということだ。
何か手を打ってくる様子だが、これは俺のほうが疾い。
「よそ見するなぁああ!」
裂拍の気合いとともに、俺は準備していた焼夷爆裂魔法【ナパームエクスプロージョン】を叩き込む。
称号【勇者】によって付与されたレアスキル【格上特効】を発動しながら。
刹那、俺の前方扇状の範囲に超高温の連続爆発が発生した。
もちろん、魔王をその範囲に内包して。
《ズドドドドッ‼》
【ナパームエクスプロージョン】は、魔力によって作り出した超高温の粘体を前方に向かって連続射出し、着弾した瞬間に爆発させる上級魔法だ。
範囲内に熱と衝撃による多重ダメージを連続で与えるため、回避が難しく、与えるダメージ量も多い。
爆発がおさまっても飛散した粘体により延焼し続ける特性がある。
打ち漏らしが少なく、対個人、対集団問わずに殲滅効果が非常に高い。
つまり、相手が同レベル帯であれば、手加減抜きどころか殺す気満々の、悪辣な攻撃魔法だ。
兄さんでも、これは受けずに避ける。
「え?」
魔王は驚いたように振り向き、目を見開いた。
【格上特効】の効果で、普段より【ナパームエクスプロージョン】の爆発強度、回数、温度、範囲は数倍に強化されている。
その分、消費MPも数倍となるが。
7倍のレベル差をこれで埋められるかどうかは賭けだが、そもそも倒す必要はない。
交渉を有利に進めるために、面倒な攻撃手段を持っているやつだと思わせることができればそれでいいのだ。
魔王に効果があるかどうかは別として、これが数日に一度しか使えない切り札だということを悟られるわけにはいかない。
一気に消費したMPの反動で眩暈を覚えるが、俺は少し半身になり、魔法を放った片腕を前方に突き出した状態で、悠然と立って魔王を睨みつける。
あと数秒、連続爆発が収まったところで交渉の本番だ。
俺は用意していたセリフを思い浮かべる。
だがここで、俺の予測が崩れた。
魔王は爆発に巻き込まれながらも俺の方を見やり、なにやら必死な表情を浮かべていたのだ。
《ドドドドドドドドドドドドドドド‼》
だが、止まらない爆発により、魔王はそのままダメージを蓄積し、致命傷を受けたように見えた。
というかそのまま消し飛んだ。
「は?」
俺は思わず声に出してしまっていた。
《ドドドドーン‼ ………》
数秒後、爆発が収まる。
延焼効果により部屋の前方半分が高温で燃え続けているが、その中に動くモノは何もない。
建物自体は不燃性の素材なのか、調度品以外の床や壁面などが燃えていない。
爆発跡には魔王の姿は跡形もなかった。
俺に大量の経験値が入ってきた。
「………やったか?」
冒険者たちの中で、絶対に行ってはいけない言葉に分類される『やったか?』を言ってみる。
………少し待っても、何も起きない。
爆発の中で見せた魔王の表情が、妙に引っかかる。
あれは本当に驚いていた、ように見えた。
そして俺を見たときの表情も命乞いではなかった……まさか俺を気遣っていたのか?
……いや、まさかな。
考えても仕方がない。
魔王は消滅したのだ。
起き上がるどころか影も形も残っていない。
意図していない結果になってしまった。
俺個人としては魔王に恨みなどない。
国としても、王都を包囲されただけで直接の被害が出たという話は聞いていない。
俺の知る限りでは、魔王は殺されるようなことをしていないのだ。
俺の行動が原因で本当に戦争が起きてしまっては目も当てられない。
言いようのない不安と後悔で軋む心を律しながら、俺は考える。
とりあえず起きてしまったことは仕方がない。そもそも王都を包囲したのは魔王軍側だ。
いや、それは言い訳か。
一応魔王城を調査して侵略計画の情報でも見つかればまだ救いがあるが、どうだろうか。
一通り調べたら街に帰って報告だな。
……だがこれはさすがに後味が悪すぎる。
意図的ではなかったとはいえ、俺は一方的な殺害を……。
魔王と相対する前とは種類が違う重荷に苛まれながら、まだ粉塵が舞っている爆発跡地に背を向ける。
歩き出そうとして身体の違和感に気付いた。
身体中が疲れ果てていて、重い。
これは……そうか、レベルアップ酔いか。
先程急激にレベルが上がったことで、俺のHP上限は大幅に上昇した。
その結果、相対的にHP現在値が減少した状態となっている。
レベルが上昇すると強くなれるが、格上の相手を倒して一気にレベルが上がった時は注意が必要だ。
突然疲労が身体中を襲い、動きが鈍くなる。
これが戦闘中であれば致命的な隙を生むのだ。
そのせいで命を落とした冒険者は数知れない。
俺は手持ちのHPポーションをすべて使って強引にHPを回復させた。
高価なアイテムだが、また買えばいいだけの話だ。
今は生き残ることを優先する。
HPが回復してなんとか動けるようになった俺は、往路と同じルートをたどるべく、広間を出て左側に曲がった。
◇
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