8.夜会
アンガス公爵邸で夜会がひらかれる当日、ニーナは七番街にある工房の二階でギリギリまで作業をしていたため、様子をみに一階からあがってきたミーナが眉をあげる。
「ニーナ、まだ用意してなかったの?」
「おおげさよ、ちょっとディンにつきあうだけじゃない」
なかなか作業机から顔をあげようとしないニーナに、ミーナは腰に両手をあてて意見した。
「あのねぇ、ニーナはいま注目の的なの、先日の夜会で最も注目を浴びたドレスのデザイナーなんだから。その当人がしょぼくれた格好で公爵家の夜会になんて顔をだせないでしょ!」
「ごめん……」
どうかしてる、いつもだったらだれよりも気合いをいれて準備するのに。ため息をついてうなだれたニーナの横にミーナはすわった。
ニーナとそっくり同じ若草色の瞳が彼女の顔をのぞきこむ。
「ホントは落ち着かないんでしょ、ディンが工房に顔をみせてからそうだものね」
「そんなことは……」
ない、と言いかえそうとして言葉につまった。ミーナにはいつだってかなわない。
「もうディンはきて準備をしているわ。スターリャが手伝っているからもうすぐ終わるわよ。ほらシャンとして新規開拓たのむわよ!」
「……わかったわ」
のろのろと立ちあがったニーナは身支度の魔法〝エルサの秘法〟を使う。これで髪に艶はでて目元はパッチリしたし、顔の色も明るくなって見た目だけはしゃんとしたはずだ。
ミーナはニーナをひっぱるように鏡の前に連れていくと、手早くメイクをしてからブラシを手にとった。
「あなたは〝ニーナ&ミーナの店〟の女主人ニーナ・ベロア、女の子たちが憧れるドレスをその手から創りだす魔法使いなのよ。夜会ではちゃんと注目を浴びてちょうだい、ディンとね!」
ミーナはすこし乱暴に髪をとかしてギュッとひっぱり、ニーナの髪をきっちりとまとめあげる。
「ドレスはこの青いやつね」
「ええ」
ニーナの服を買いたいと思わせるには、着てみせるのがいちばんだ。
最後にチャム……魅了の刺繍にほどこされた術式を確認し、ミーナが魔法陣を展開する。光の宿った魔法陣は明滅してすぐにすっと布になじんだ。
したくが終われば頭のてっぺんからつま先まで完璧、裾さばきひとつまで計算されたライン……鏡のなかには若草色の瞳をもち、都会的で洗練された女性がたたずんでいた。
ディンといっしょに転げまわり、麦わらまみれになって笑っていた少女の面影はもうどこにもない。
「……完璧ね」
「……完璧だわ」
ミーナが満足そうにうなずき、ニーナもようやくいつものように自信たっぷりの笑顔になった。
けれど工房の階段を降りて一階で待ち受けるディンが目にはいったとたん、せっかくとりもどしたニーナの自信はどこかに消えてしまった。
夜会服に身をつつんだディンは階下にたたずんだまま、何もいわずただニーナを見あげていた。
太陽の光を浴びて波打つ小麦畑のような蜂蜜色の髪、乾いた大地の色をした瞳……自分に真っすぐむけられたその瞳は、ニーナをざわざわと落ちつかない気分にさせた。
それでも背筋を伸ばし、一歩一歩優雅に最大限の努力をはらって階段を降りていく。
服が綺麗に見えるように何度も、歩きかたや視線の動かしかたまで練習した。階段だって足元を見なくとも降りられる。
「ごきげんよう、ディン・クロウズ」
背の高いディンが差しだした、がっしりとした太い指がならぶ大きな手のひらにニーナが自分の手を預けると、ディンはようやく口をひらいたがその声はややかすれていた。
「麗しきニーナ・ベロア、あなたをエスコートできるこの日を待ちわびていました、あなたを独り占めできる栄誉を私にあたえていただき感謝します」
ディンが合図をするとそばにいたスターリャがにっこり笑い、青いバーデリヤの花飾りがのったトレイを差しだす。それをつまみあげるとディンは慎重な手つきでニーナの胸元にとりつけた。
「……ありがとう」
婚約式でも身を飾った青いバーデリヤの花飾り……それがひとつきりなのがさびしい……なんて口にだせない感傷はふりはらい彼にほほ笑みかける。ディンがすっと目を細めてニーナの顔を見つめた。
これは仕事、夜会でそつなくふるまい参加者の貴婦人たちからドレスの注文をとる。男性が女性に贈る花飾りには意味があるし、むしろ好意をにおわせる程度に花飾りひとつを身につけるほうが仕事はやりやすい。
「魔導車が待機している、いこう」
十番街にある公爵邸に到着すると、アンガス公爵夫人がニーナの顔をみるなり親しげに話しかけてくる。
「まぁニーナ!私どもの夜会に来てくださってうれしいわ!あなたの話を聞きたいご婦人が何人もいらしゃっててよ!ディン・クロウズもようこそ、蜂蜜色の髪がお父様そっくりね!お父様が王都にいらしたころの武勇伝をお聞きになる?」
「本日はお招きにあずかり光栄至極に存じます、アンガス公爵夫人」
アンガス公爵夫人はとても楽しそうに扇を動かした。
「うふふニーナったら、王都の男たちがあなたをどうしても捕まえられないわけね、こんな素敵な殿方を隠していたなんて。それもあなたにバーデリヤの花を贈る殿方が!」
「ええ、幼き日よりの願いがようやくかないました」
公爵夫人のからかうような視線にもディンは笑顔で応じ、場慣れしているはずのニーナの頬が上気した。
「できればクロウズ子爵の御子息にもよい御縁を……と思っていたのだけれど、お相手がニーナ・ベロアではどの令嬢でも太刀打ちできないわね。令嬢たちはみんなあなたのつくるドレスを着たいと願っているのですもの」
商談はいくらでも向こうから舞いこんできた。五件どころかむしろ十件を超えたあたりから断るのに苦労するほどで、みかねたディンが途中からかばってくれた。
「今宵はわがバーデリヤを独り占めしたいのです。田舎者ゆえ無作法はお許しを」
ディンがそういうと貴婦人たちは「あら」とか「まぁ」とか頬を染め、たがいに目くばせをする。
「ごめんあそばせ、私たちのほうこそ無作法だったわ……ねぇ?」
「恋人たちはそっと見守るのがマナーですわね……ふふ、こんどお話を聞かせていただくのを楽しみにしているわ、ニーナ」
数回そのやりとりを繰り返すと貴婦人たちも心得たのか、遠巻きにしてくれるようになった。後日質問攻めにあいそうだが、いまは笑ってやり過ごすしかない。
「助かったわディン……」
「こちらこそ……断りにくい縁談を回避できて助かった。それにしてもすごい人気だな」
「ネリィのせいよ……いえ何でもないわ」
ニーナが顔をつくることも忘れげんなりしていると、ディンは笑って広間のほうへニーナを誘った。
「じゃあ踊っていただけますか、お姫様?」
「……喜んで」
魔導シャンデリアのやわらかな光の下で、踊りながら低く笑うディンの声が耳に心地よくて、再会して最初に感じた成長した姿への違和感はいつのまにか消えた。
ディンが語る故郷の話、ニーナが王都でやらかした失敗談……話は尽きなかった。たがいにいっしょに話しだそうとしてしまい、それがおかしくてまた笑った。
何曲も続けてそうして踊り、ニーナがすこし疲れを感じはじめたころ、曲のテンポもゆっくりになった。
静かな曲にあわせニーナがディンにもたれるようにすると、懐かしい彼の香りが鼻をくすぐる。しばらく無言でリードしていたディンがぽつりといった。
「青いドレス……〝宵闇に輝く夢〟か」
「覚えてるの?」
「ああ、斜めになったすそは流れ星をイメージしているんだろ?」
水車小屋でデザイン帳を見せたときは、あんなに反応が薄かったのに……ニーナがおどろくとディンの茶色い瞳が複雑そうにゆらめいた。
「あの日のことはよく覚えている……きみから『王都へ行く』とはじめて聞かされた日だからな」
ニーナとディンの魔力はそこそこなので、びゅんびゅん転移したりしません。