5.婚約
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明日27日の更新は見直しのためお休みをいただき、次回更新は28日です。
父に王都にいかせてくれるよう訴えたときと同じくらいの勢いで、目を丸くしたディンにニーナは手の指を組みあわせて必死に頼みこんだ。
「お願い!どうしても王都にはいきたいの!私たちが王都にいったらディンは好きにしてくれていいから!」
上体をのけぞらせたディンは、困ったように眉をしかめた。
「だけど……婚約ってヤツはただの口約束じゃないんだぞ?」
「うん……ごめん……本当にごめんなさい」
しぶるディンにニーナは下をむいてぎゅっと唇をかんだ。おたがい黙ったままでいて、しばらくしてからようやくディンがぽつりといった。
「俺が……協力すればいいのか?」
「いいの?」
ディンは黄金色の髪をわしゃわしゃとかき乱して、いいにくそうに……けれどハッキリといった。
「ニーナの夢をかなえるんだろ?婚約までするんなら、王都でしっかり頑張ってこいよ」
「ありがとう!あと、どっちでもいいなら……」
果たす気のない約束なら、どちらとしても同じことだ。けれどニーナはそれをミーナに譲りたくなかった。
「私と婚約して!」
そこでニーナは背伸びした。ディンの肩に手をおき自分の顔をかたむける。そうしないと鼻と鼻がぶつかると何かの本で読んだからだ。歯だって食いしばっちゃだめ、やわらかい小さな唇を押しつけるようにディンの唇に重ねた。
おどろいたことにディンは避けもせず、けれど両腕はだらりと脇に垂らしニーナにされるがままだった。唇と唇はくっついている。やわらかくて温かいけれど……このあとどうすればいいんだっけ。
唇をはなして恐る恐るニーナが目を開けると、ディンはだまってニーナの顔をみていた。ニーナと目が合ったディンは怒ったように目をそらした。
「よくわかんないけど、ニーナでいいや」
彼がぶっきらぼうに返事をして、ニーナとディンは婚約することになった。
工房の椅子にすわり、気まずそうな顔で左耳のわきに垂らした毛先をくるくるといじるニーナに、頭のてっぺんで黄緑の髪をお団子にしたミーナは頬に手をあてて答えた。
「そう、やっぱりあの水車小屋でなのね……ま、そんな気はしてたけど」
「ええとその、子どものときのことだし、ディンもあんなじゃなかったし……」
そう、あんなじゃなかった。日に焼けた肌はそのまんまだけど、十二歳だった彼の面影なんてどこにもない。乾いた土の色をした茶色の瞳だけが唯一、当時のままだと思える。
「ほんと大きくなったわよねぇ、クロウズ子爵……ディンのお父様にも似てきたわ」
ミーナがしみじみとうなずくと、スターリャに連れられたディンがネリィといっしょにちょうど工房にもどってきた。
「なんだ俺の話か?」
もどってきたディンにミーナが眉をあげた。日に焼けてしっかりした体格のディンは、とても子爵令息には思えない。
「ディン、十年ぶりとはいえなんだかガラ悪くなってない?」
「ふだんは農場や穀物倉庫で働いているからな。俺の父さんは『現場にでてしっかり働け』が信条だから」
「そうだったわね……おじ様たちはお元気?」
なにげなく聞いた言葉にディンは首を横にふった。
「いや……父は二人が王都にいってすぐに病で倒れて、領地の仕事はいま俺がほとんどやっている。それもあってなかなか王都にでてこられなかったんだ。十年もかかって悪かったな」
ニーナは時の流れを感じた。
「知らなかったわ……」
「いまではだいぶ良くなったから心配ないさ、母は元気だし。それより二階も見せてもらったが、ここは本格的な工房なんだな……たいしたもんだ。たった十年でよくここまでやれたな」
工房の天井を見あげると感心したようにディンはいった。もともと倉庫だったところを改装しているから天井が高い。
改装する際に窓も広くとり、手作業をしやすいように採光を増やしている。
明るい光に満ちた工房には色とりどりの布がならび、港町タクラにある華やかな市場のようだ。
「ずっとミーナと二人で小さな店をやっていただけよ。店をみたでしょ、五番街にあるとはいっても大きく目立つ路面店じゃないわ」
「そうか?さっきちょっと寄ったが、俺はあの店も好きだけどな。なんとなく雰囲気が水車小屋に似てる」
それはニーナとミーナがあの店を借りると決めたときに感じたことだ。ギリギリの予算で借りられる古い空き店舗をいくつもみてまわった。
あの空間をはじめて見たときにニーナが感じたことを、ディンまでもが口にしてニーナはドキリとする。
細い階段を上がってドアを開けたとき、目に飛びこんできたフローリングの床と壁。
何があるわけでもないうす暗い古い空き店舗は、スケッチブックやピクニック用のバスケットを持ちこんで長い時間を過ごしたあの場所を思いださせた。
「……ここにするわ」
「服の店をやるには通りから見て目立ちませんし、窓からの採光もよくありませんよ」
案内してくれた不動産屋は難点をあげると、その前にみたこぎれいな白い壁の店を勧めた。けれどニーナはもう決めていた。間取りの図面を眺めていたミーナに必死に訴える。
「ここにするわ!ミーナもそれでいいでしょう?」
「……ニーナが気にいったんならそれでいいわ」
ミーナがうなずき、そこがいまの〝ニーナ&ミーナの店〟になった。それから水車小屋で過ごしたのと同じぐらいか、それよりもっと長い時間をあの店で過ごした。
デザインを考えてハサミを持って布を切り、服を仕立てて最後に術式を刺繍する。納得いく服ができるまでに試行錯誤を繰りかえした。
仕事でくじけそうになると何度も、あの水車小屋と婚約したまま故郷に置いてきた幼馴染を思いだしていた……なんて本人には絶対いえない。
(絶対に夢をかなえる!……そのために彼をあきらめたんだもの)
十二歳になったニーナと十三歳のディンが交わした婚約式はまるでおままごとみたいだった。
ディンが青いバーデリヤの花冠をニーナの頭にかぶせ、ニーナのほほにキスをすると両家の人たちがわっと湧いた。
バーデリヤの花言葉は〝初恋〟だと説明され、初々しいカップルだと祝福されればされるほど、ニーナは後ろめたくなり早く王都へ逃げだしたくなった。
婚約したあとは逆に水車小屋へ足がむかなくなり、ディンと会うことが減った。
「……ここまでしたんだ。生半可な気持ちでほうりだしたら承知しないからな」
王都へ出発する日、ディンはそういって魔導列車に乗って王都にいくニーナたちを見送りに、タクラ駅まできてくれた。
「うん、がんばる。あの、見送りまでありがとう……ディンも元気で……」
「ああ」
最後のお別れは精一杯の笑顔でいえた。太陽の光みたいな小麦色をした彼の金髪が、タクラ駅のホームに小さくなって見えなくなるまでニーナはずっと窓にへばりついていた。
そのようすを見ていたミーナが心配そうに聞いてきた。
「ニーナ、あなた本当にこれでよかったの?ちゃんとディンに自分の気持ち伝えたの?」
「伝えても……どうにもならないよ」
そう、どうにもならない。ディンが大好き。小さなころから……彼と一緒に走りまわり、背中を追いかけていたころからずっと好き。
けれど私は王都にいきたい……王都にいって、流行の最先端のさまざまなファッションにふれて服がつくりたい。ここにもどるつもりなんてない……だからあきらめなきゃ。
大好きなディンを手放さなきゃ、私の夢はきっとかなわない。
「夢をかなえるんだもん……」
「ん……私がついてるから。がんばろ」
ぎゅっと唇をかみしめてうつむいたニーナの頭を妹のくせにミーナがなでてくれて、ニーナはミーナに甘えて抱きついた。
「ありがとミーナ、私ミーナが一緒にいればそれだけで平気よ」
「それ私が困るんだけど。まぁいいわ、私もニーナの夢かなえたいもの」
魔導列車の心地よい振動が二人を包む。もうすでにニーナは夢にむかってひた走るレールの上にのっていた。
バイバイ、私の初恋。さようならディン……。茜色の空にたなびく雲と光をあびて波打つ麦畑……乾いた麦わらは太陽のにおいがして、彼の髪もそんな香りだった……。
そうやってあきらめた彼がいま、工房にいて昔と変わらない茶色の瞳でニーナを見つめていた。
ありがとうございました!