3.幼馴染
『魔術師の杖』3巻発売&100万字達成記念として書かせていただきました。
3万字程度、全11話完結の小編です。
1~3巻を通して登場するニーナがヒロインです。
思いのほか強いディンの視線にたじろぎながらニーナはいいかえした。
「それでいまさら?王都にでてくるための婚約だったんだもの、そんなのさっさと破棄すればよかったじゃない。私が故郷にもどってくる気がないの、ディンだって知っていたでしょう?」
王都シャングリラにいって魔術学園に入学し、ゆくゆくは五番街に店をだす。幼いときからニーナが語ってきた夢をディンだって知っているし、父を説得するための婚約だとも説明した。
『……ここまでしたんだ。生半可な気持ちでほうりだしたら承知しないからな』
ディンは婚約を受けいれたうえで、そういって魔導列車の駅まで見送りにきてくれた。
『うん、がんばる。あの、見送りまでありがとう……ディンも元気で……』
『ああ』
最後のお別れは精一杯の笑顔でいえた。いま思えばニーナにとってもちょっと甘酸っぱい記憶だ。なのに十年も経って熊みたいな婚約者が目の前に、でーんとすわることになるなんて!
金色の熊は工房の椅子にすわりどっしりとかまえている。ニーナも背が高くすらりとしているけれど、ディンは彼女を余裕で見おろせるぐらいの背丈だった。
「まぁ俺も都合がよかったしな。それに俺たちの両親同士は仲がいい。〝破棄〟となるとニーナに傷がつくから、穏便に話しあいで解消するのがいいだろう……ってことになったんだ」
「十年も経って⁉」
「十年経ったからだ。ニーナたちの親父さんだって口では『勘当だ』なんていっても、そう簡単にあきらめきれなかったんだ、わかってやれよ」
「そんな……」
ニーナたちの両親はあきらめきれなかったのだ。ディンのほうからいいだせばそれでも婚約破棄できただろうが、ディンも彼らの気持ちを考えたのだろう。
それが本当ならディンは故郷で十年も、帰ってこない婚約者を待ちつづけたことになる。
「けどさすがに十年経ったし、〝ニーナ&ミーナの店〟の評判はタクラにも届いている。もう戻ってくる気はないだろう……ってことで、そろそろ俺にもハッキリさせてこいとさ」
「ハッキリ?」
ディンは上着の内ポケットから封筒をとりだした。
「解消するならするでちゃんとしてこいとさ。親父さんの手紙も預かっている」
ミーナがそれを受けとりペーパーナイフで封をあけると手紙にざっと目を通した。
「婚約解消を認めるそうよ。あとは家に戻らなくてもいいが、たまには顔ぐらいみせろって……それなら話はかんたんね、十年前の婚約をあらためて解消すればいいのよ」
「そ、そうだけど……」
そうだ話はかんたんだ。なのになんでこんなにスッキリしないのだ……そう考えたとたん、さっきのキスがよみがえった。
「だったらあんなキスする必要なかったじゃない!」
猛烈に抗議したニーナにディンはしれっといいかえした。
「あれは奪いかえしただけだ」
「奪いかえした?」
彼の言葉に眉をあげたミーナにディンが説明する。
「ニーナに俺の唇奪われたまま王都に逃げられたからな、次会ったらぜったい奪いかえそうと……」
「あーっ、ちょっと!なんてこというのよ!」
とんでもないことをいいだしたディンをニーナはあわてて遮ったけれど、ミーナの冷たい視線がとんできた。
「ふーん、ちょっとニーナ……その話、聞いてないんだけど?」
「その、はずみだったのよ、それに軽くふれた程度であんなんじゃなかったんだから!」
ニーナがしどろもどろでミーナにこたえると、ディンがさらに余計なことをいう。
「けっこう長い時間くっついてたぞ?」
「あんたが動かないからでしょ!」
食ってかかるニーナにディンはまったく動じない。
「だから今度は積極的に動いたろうが」
「いらないわよ、そんな積極さ!」
ディンは肩をすくめた。
「ま、これで婚約が解消できれば俺も晴れてフリーだし、王都で相手を見つけてもいいかもな。俺のキスみてどうだった?アマ芋パイのお嬢さん」
好奇心いっぱいに黄緑の瞳をキラキラさせて話を聞いていたネリィは、いきなりディンに〝アマ芋パイのお嬢さん〟と呼びかけられ真っ赤になった。
「ど、どうだったといわれても……映画みたいでした!」
「えいが?ほめられているのかな?」
首をかしげながらディンはやわらかく笑い、ネリィは力いっぱいそれにうなずく。
「はい、それはもちろん!素敵でした!」
「あーっ、もぅ、ネリィはいいから!」
いますぐディンとネリィの口を両方ふさいでしまいたい。そんなニーナの気持ちにはかまわず、ディンは工房のなかをぐるりと見回した。
「ところでせっかくきたんだ、工房もみせてくれよ。親父さんたちに報告しなきゃならないし」
「あっ、じゃあ私がご案内します」
ラベンダー色の髪をしたスターリャがあわてて立ちあがり、ミーナが「まずは倉庫からお願いね」という。
ネリィが「わたしもいく!」と二人についていき、工房にはニーナとミーナの二人だけになった。
「…………」
気まずい思いでニーナがすわっていると、妹のミーナが口をひらいた。
「ニーナ……私に何かいうことあるんじゃない?」
「い、いうこと?」
「ディンといつ、どこで、キスしたの?」
恐る恐るミーナの顔をみて、ニーナは黙っていたことをものすごく後悔した。
ミーナには何でも相談していたのだ。服作りの夢も王都行きのことも、ディンとの婚約話だって。けれどキスのことだけは黙っていた。
ミーナは腕を組んでじっとニーナを見ている。こういうときのミーナはお母さんより怖い。ニーナはおずおずと口をひらいた。
「水車小屋で……」
「やっぱり……あの水車小屋ね?」
三人にとっては秘密基地のようだったあの水車小屋……ミーナもすぐに思いだしたらしい。もうこれは謝り倒すしかない。
「ごめんなさいミーナ!抜け駆けして!」
両手をあわせて拝むように謝るニーナに、ミーナはため息をついて淡々と返事をした。
「抜け駆けとかそういうのいいから。ちゃんと話してくれる?」
ニーナとミーナはベロア子爵の娘として、港湾都市タクラの北にひろがる大きな穀倉地帯で生まれ育った。
世界中から船で交易品が集まってくるタクラでは、異国の装束や染めもの、王都へ運ばれるめずらしい布を目にすることができて、ニーナは小さいころから服が大好きだった。
母が読んでいた王都の雑誌を見せてもらい、紙に自分でドレスの絵を描きはじめたのはいつからだったろう……しまいにはタクラの街で端切れを買ってもらい、自分の人形たちに服をつくりだした。
「ニーナね、服をつくりたいの!それでいつか王都の五番街に店をだすの!」
妹のミーナや幼馴染のディンにいつもそう話していた。王都シャングリラの五番街がどんなところかもわからない。けれど母が読む雑誌に広告をだしている店は、みんな五番街にあった。
まだ見たことがない憧れの王都シャングリラ、そこで流行の最先端にふれて服を作りたい……幼いころからずっとその願いがニーナの心にあった。
ニーナは真剣だったけれど両親はちっとも本気にしていなかった。ミーナやディンだけがニーナの話をちゃんと聞いてくれた。
「ニーナはいつもそればっかりだな」
もっともディンはそういってあきれていたけれど。
「なによぉ、そういうディンはどうなのよ」
「俺はもちろん父さんの跡を継ぐ。ここで父さんといっしょに小麦畑を守って働くんだ!」
キッパリといいきったディンはニーナたちのひとつ上の幼馴染だった。彼の濃い金髪は太陽を浴びて輝く金色の小麦畑そのもののようで、茶色い瞳は大地の色をしていた。
「ふうん、ディンもがんばってね。私は王都にいくから!」
「ああ、がんばれよ」
それだけのやりとりだったけど、ディンと自分の夢は重なることがないのだと、ニーナは幼い心なりに理解していた。
ニーナたちのベロア家とディンのクロウズ家は領地が接した隣同士で、両親たちの年も近く仲が良かった。たがいの農作業を手伝うこともあるし、領地の境を流れる川の管理は共同でおこなっていた。
家族ぐるみのつきあいがずっと続き、家族が集まればニーナもミーナとディンと一緒に庭で転げまわって遊んだ。領地の境にある川に建つ水車小屋は、三人にとって秘密基地のようなものだった。