1.麦わらの香り
100万字達成&3巻発売記念。3万字ほどで全11話。
ヒロインはニーナ、『魔術師の杖』1~3巻を通じて登場する服飾店〝ニーナ&ミーナの店〟の女主人です。
【登場人物】
ニーナ・ベロア 〝ニーナ&ミーナの店〟の女主人兼デザイナー。
ミーナ 〝ニーナ&ミーナの店〟の共同経営者、ニーナの双子の妹。
ネリィ(ネリア・ネリス) 錬金術師。
スターリャ 七番街の工房に住みこみの見習い魔道具師。
ディン・クロウズ ニーナたちの故郷に住む幼馴染。
秋がくれば思いだす、茜色の空にたなびく雲と光をあびて波打つ麦畑……乾いた麦わらは太陽のにおいがして、彼の髪もそんな香りだった……。
「ちょっとニーナ、何ぼーっとしてるのよ」
妹のミーナに呼びかけられて、〝ニーナ&ミーナの店〟の女主人ニーナはハッと我にかえる。
明るい黄緑の髪をまとめひと筋だけ左耳のわきにたらしたニーナは、手に持った麦の穂に目をおとし、あわてて小箱にそれをしまった。
「あ、あらやだ……まだ途中だったわね」
季節感をだすために用意した素材だが服飾業界は先取りだ。ミーナといっしょに帽子の飾りにつかった〝秋〟の素材を片づけている最中だった。
黄緑の髪を頭のてっぺんでお団子にしたミーナが箱をかかえて苦笑した。
「ま、いいけどね。夜会のあといきなりドレスの注文が殺到したから、いままでものすごく忙しかったもの。すこし休憩する?」
ミーナの言葉をきいて、最近雇った見習い魔道具師のスターリャが立ちあがった。ラベンダー色のショートカットがよく似合う美少女で、小さな顔に紅の瞳が潤むようにかがやいている。
「じゃあ私、お茶のしたくをしてきますね。ネリィさんも呼んできましょうか」
「そうね、まだ片づけの途中だから、二階のリビングじゃなくここですませましょ」
ニーナとミーナの姉妹は二人とも服飾専門の魔道具師だ。姉のニーナが服をつくり妹のミーナが靴や鞄をつくる。
魔導国家エクグラシアの王都シャングリラ、その五番街に店を構えている〝ニーナ&ミーナの店〟は名の知られた服飾店だ。
しかも〝ニーナ&ミーナの店〟で売っている服は魔道具師の二人が手がけたもので、お洒落なだけでなくちゃんとした魔道具になっていた。
どうみても胸が大きくみえる服もあれば、どうみても脚が長くみえる服もある。朝起きたら髪がサラサラになっている、〝寝ぐせ直し機能つきパジャマ〟といった日用品も隠れたヒット商品だ。
オーダーメイドでドレスを注文すれば、魅了の効果がある〝チャム〟の文様を刺繍してもらえるし、貴族やシャングリラ魔術学園の卒業生たちからの人気も高い。
最近は王都にやってきたばかりの錬金術師ネリア・ネリスと協力して新商品を売りだし、〝メロディ・オブライエンの魔道具店〟や〝ストバル商会〟と提携して、七番街に工房まで構えた。
いま二人は七番街にある工房の倉庫で、ドレスに使った布や素材を片づけている最中だ。
もともとここは新商品の〝収納鞄〟をつくるための工房で、冬のあいだに生産ラインを整えるつもりだった。
工房の一階は作業場と倉庫、二階は工房に泊まりこむ癖のあるニーナのために、寝泊まりができるベッド付きの部屋と、みんなで食事もとれるよう広めのキッチンを備えた食堂があった。
そして二階からスターリャといっしょに、今年にはいりニーナとミーナの運勢を大きく変えた張本人、ネリア・ネリスことネリィが足取りも軽やかに降りてきた。
錬金術師のネリィはニーナたちが来季のトレンドと決めた色を合成するために、さっきから二階で〝染料素材大全〟という本を使い素材を選んでいた。
「休憩ですか、わたし差しいれを持ってきました!」
ミーナが箱をはこび、ニーナが片づけた机の上にスターリャが茶器をならべると、ネリィは自分の鞄をひらいて甘い香りのする包みをとりだした。
「あらネリィ、何持ってきたの?」
「ふふふふ、市場でこれを見つけたときはわたし、狂喜乱舞しましたよ!」
ふわふわとした赤茶の髪に黄緑に輝く瞳、抱きしめたら折れそうな華奢な骨格……だまっていれば妖精なのだが、ネリィ本人はわりと食い意地がはっている。
「見てくださいよ、この黄金色の輝き!今回はパイとスイートポテトにしましたけど、いきなり団子とかシンプルに素揚げでもいいですよね!」
うれしそうにネリィが開いた包みからは焼き色がついたパイと、つぶしたアマ芋を型につめて成形した焼いたものがでてきた。
「アマ芋かぁ、そういう季節よねぇ」
アマ芋は南部の乾燥地帯で秋に採れる甘味の強い芋で、紫色の皮をむくと中身は黄色をしており火を通すとより黄みが鮮やかになる。
やせた土地でも育ち室温でも保存できるため、冬場の貴重な保存食でもある。収穫されたばかりのアマ芋がちょうど市場にならぶ季節になったのだろう。
「やー四年ぶりにライアスのかまどで焼き芋をしたときは、もう涙がでそうでした……お腹が張るんで食べすぎには注意ですけどね!」
つまりネリィのことだから食べすぎたんだろうな……と思いながら、ニーナは〝すいーとぽてと〟なるものをつまむ。
アマ芋はシンプルに焼いたりふかすだけで、そんなに凝った調理はしない。冬になれば街角で〝魔石焼き〟を売るぐらい庶民的な食べものだ。
「ん、おいしい!芋の風味もあるのにバターの香りもして食べやすいわ」
「そのままでもじゅうぶんおいしいのに、裏ごししたり手間はかかるんですけど、市場でこれを見つけたら我慢できませんでした!」
ミーナが自分の皿にパイを載せながらネリィにたずねた。
「こんなに作るの大変じゃなかった?」
「ソラも手伝ってくれますし、おいしいものはみんなで食べたほうが罪悪感も減るんですよ!」
ネリィは明るく笑い、切りわけたアマ芋パイのほうにかぶりついた。そのままほっぺを押さえて「ん~」と幸せそうにモグモグしている。
〝ニーナ&ミーナの店〟に突然ドレスの注文が殺到して、ニーナたちが死ぬほど忙しかった原因はたぶんネリィなのだが、本人を見ているととてもそうとは思えない。
「ようやく工房も片づきましたね」
ネリィが食べながらあたりを見回す。
「そうよ、これでようやくミーナから、お預けだったデザイン帳が見せてもらえるのよ!」
夜会用のドレス作りがひと段落すれば……と思っていたのに、そのあと注文が殺到したためニーナはまだ、ネリィから渡されたデザイン帳を見ていなかった。
「おお、ようやくですか!」
「ええ、来年はぜったいマウナカイアがブームになるわ。冬のあいだにデザインを考えたいの」
ネリィは夏の終わりに休暇で、エクグラシアの南端にあるマウナカイアにいってきた。
マウナカイアは王都から魔導列車で四日ほどかかる、美しい海と珊瑚礁で有名なリゾート地だ。
そこでネリィはビーチのはずれにある古びた店で、鮮やかな色合いのリゾートドレスを作って売っていたおばあさんと仲良くなり、彼女からデザイン帳を譲ってもらったらしい。
「二人のお仕事の参考になるかなと思って」
休暇から戻ったネリィがにこにこしながら差しだしてきたデザイン帳に、デザイナーのニーナは飛びつこうとした。けれどデザイン帳はミーナにさっと取りあげられ、しまわれてしまったのだ。
「ニーナ、見るのはいまやっている仕事を片づけてからね?」
「ミーナぁ……」
「ダ・メ・よ」
そしてようやくニーナは今日の片づけを終えれば、ミーナからお土産のデザイン帳を見せてもらえる。
「ようやくよ!長かったわ……ドレスの注文が殺到して死ぬかと思ったけど、デザイン帳を見るまではってがんばったのよ!」
「そんなに喜んでもらえるなんて、お土産にもらってきてよかったです」
ネリィがのほほんというとミーナが苦笑いした。ミーナだってこんなに長くお預けにするつもりはなかったのだが、仕事が終わらなかったのだからしかたがない。
「マウナカイアにはいったことがないのよね……私たちタクラ郊外で育ったから海は近くにあったし」
港街タクラ……その郊外に広がる小麦畑……さっき片づけをしていたときのように一瞬昔のことを思いだしかけて、ニーナは胸に湧いた感傷をふりはらった。
仕事は順調だし思い出にひたるヒマなんかない……そうだ、デザイン帳を見ながら来年の構想を練ろう、ニーナがそう思ったとき工房の呼び鈴が鳴った。
「あ、私がでるわ」
ニーナはそういって立ちあがり、左耳のわきに垂らした黄緑の髪をすっとなでてから扉をあけた。
工房がひしめく七番街は昼間も人通りが多いからと、よく確かめもせずに扉を開けたのは不用心だったかもしれない。
扉の前には背の高い男が立っていたが、逆光で顔がよくみえなかった。ニーナは目の前に手でひさしをつくり顔をしかめた。
「……ニーナ?」
低い声が聞こえた次の瞬間にはもう、ニーナは男の腕に抱きすくめられていた。あっと思うまもなく彼女の唇に口づけが降ってくる。
思わずつかんだ男の髪からは乾いた麦わらのにおいがして、「あ、彼の香りだ……」とニーナは思った。
半年前に思いついたものをようやく形にできました。
もし興味を持たれましたらシリーズから、ネリア・ネリスがヒロインの『魔術師の杖』もどうぞ。