希望と絶望
12時になった。
正午を報せる鐘と共に、卒業式の練習は一旦の終わを迎えた。
生徒達が給食を食べに続々と南校舎にある3年の教室へ戻って行く中、群集を抜けだし俺は一人保健室のある北校舎へと向かった。
「失礼します!」
勢い良く保健室のドアを開け放ち保健室へと入った俺。
突然の来訪者に保険の村田先生は目を丸くして驚いていた。
「どうしたの佐々木君、そんなに慌てて」
「あ、あの、ここに桜井真奈いますか? 担任の杉崎先生から熱があって保健室で休んでるって、聞いて来たんですけど」
「成る程、桜井さんのお見舞いね。でも残念。桜井さん、ついさっき親御さんが迎えに来てね、丁度今帰った所なのよ」
「えぇ? 帰った?!」
「えぇ。桜井さんに何か用事でもあった? なら帰ったのは本当についさっきだから、追いかければまだ間に合うんじゃないかしら?」
「本当ですか? ありがとうございます! 失礼します!!」
村田先生からの助言に、ドアを閉める事も忘れて俺は保健室を後にした。
きっとこれが最後のチャンスだ。
今を逃したら、もう二度と真奈と仲直りする事は出来なくなる。
そんな予感に、気が付けば俺は必死になって南校舎の昇降口を目指して走っていた。
昇降口が見えて来た所で、靴を履こうとしゃがみ込む真奈の姿を見つけた。
俺は大声で真奈の名前を呼んだ。
「真奈っ!」
「え……浩太?」
「良かった……間に合った」
はぁはぁと、息を切らしながら現れた俺に、振り返った真奈は零れ落ちそうな程に目を大きく見開いて、それはそれは驚いた顔をしていた。
「どうしたの、そんなに慌てて?!」
「お前に……話が……あって……」
「話?」
息を切らしながら、途切れ途切れに話す俺を、真奈はキョトンとした顔で見つめている。
「真奈、お母さん先に行ってるから」
「あ、うん、分かった。ありがとう、お母さん」
何とも真剣な様子の俺に、何かを感じ取って気をきかせてくれたのか、真奈の母親は真奈を置いて一人先に外へと出て行った。
俺は深々と頭を下げながら、小さくなっていく後ろ姿を見送った。
「で、どうしたの浩太。話って何?」
「え?あ……えっと……」
今まで慌てていてそれどころではなかったが、真奈と二人になった事で俺の鼓動は急に早鐘をうち始める。
込み上げてくる恥ずかしさを必死に押し戻しながら、俺は意を決して口を開いた。
「お、お前に……渡したいものがあって……」
「渡したいもの?」
「……あぁ。バレンタインのお返し。今はお前が早退するって聞いて急いで来たから持ってないんだけど、明日、卒業式が終わった後に渡したいから……生徒会室に来てくれないか?」
「お返しなんて、そんな気を遣わなくても良かったのに」
「別に気を遣ってとかじゃない! た、ただ……腐れ縁を切るってあれは……撤回して欲しくて……」
「……どうして?」
「どうしてって聞かれると、困るんどけど……俺、今までみたいなお前との関係は嫌いじゃなかった。いや、結構好きだったかもしれない。だからお前との腐れ縁を切られてしまうのは、素直に嫌だと思ったんだ」
「………」
「だから……お前と仲直りしたい。その証に」
「仲直り?」
「そう、仲直り」
何とか真奈を説得したいと、俺は真っ直ぐに真奈を見つめた。
そんな俺の視線からふっと目を反らした真奈は、小さくため息を吐きながら、悔しそうな顔で言葉を漏らした。
「ずるいな~浩太は」
「……ダメか?」
「やっぱりずるい」
「…………」
「やっとの思いで、浩太への気持ちに整理をつけて、その気持ちにバイバイ出来たと思ったのに、せっかくの私の決意をいとも簡単に打ち砕いてくるんだから」
「?」
「分かった、約束する。明日全てが終わった後、必ず生徒会室に行くよ。そこでもう一度仲直りしよう」
「ほ、本当か?」
再度確認する俺に、真奈は穏やかに微笑んだ。
「うん、約束」
そう言って、真奈は小指を差し出して来て――
俺は真奈から差し出された小指に自分の小指を絡めた。
「「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲〜ます、指切った」」
『指切った』の声と共に、絡めていた小指はゆっくりと離される。
何処か名残惜しそうに自身の小指を見つめながら真奈は「じゃあ私行くね」と、別れを口にした。
「あぁ。意地でも風邪治して、明日の卒業式は絶対出て来いよ」
「分かってるって」
「約束だからな」
「うん、約束」
何処か照れくさそうに“約束”と口にしながら、真奈はニッコリ微笑み歩き出す。
「また明日ね、浩太。バイバイ」
そして手を振りながら昇降口を後にした。
俺は真奈の後ろ姿を見送りながら、当初の予定通り何とか約束を取り付けられた事にホッと胸を撫で下ろした。
これできっと、真奈と仲直り出来る。
あいつとの思い出を、苦い思い出のまま終わらせずにすむはずだ。
たとえ中学を卒業して別々の高校に行ったとしても、この先の未来も、そのずっとずっと先の未来も、真奈との腐れ縁を続けて行く事が出来るはずだ。
この時の俺は、そう信じていた。
信じて疑わなかった。
まさかこの時の真奈の後ろ姿が、俺が見る彼女の最後の姿になるだなんて、全く想像もしていなかった。
――2011年3月11日。
卒業式を明日に控えていたこの日の午後2:46。
マグニチュード9.0の、世界でも類をみない大地震が俺達の住む東北地方を襲う。
一瞬にして平凡だった俺の人生から、何もかもを奪い去って行った。