卒業式の前日に
――2011年3月11日・朝
この日俺は朝から緊張していた。
と言うのも、2日前の9日に勢いで買ってしまった真奈へのホワイトデーのプレゼントを、今日渡そうかと考えていたから。
何故ホワイトデー本番ではなく今日なのかと言えば、3月12日の明日は、俺達の卒業式だからだ。
つまり残された時間はわずか2日しかない。
今日と明日を逃したら、気軽に真奈に会える機会もなくなるだろう。
会えなくなる前に、俺はどうしてももう一度あいつと仲直りしておきたかった。
会えなくなるのに仲直りをしたいなんて、我ながら矛盾しているとは思う。
けれど9年間の腐れ縁を、お互い苦い思い出のまま終止符を打つ事だけは絶対に嫌だと思った。
だから今度は俺が、勇気を出して謝るのだ。
彼女の純粋な気持ちを、たた恥ずかしいと言う気持ちから拒み、傷付けてしまったことを。
その為に、プレゼントまで買った。
折角買ったプレゼントを無駄にしない為にも、勇気を出さければ!
勇気を――
と、心に誓ったもの結局昨夜は緊張のあまり一睡もできなかった。
一夜明けた今、情けない事に俺はどうしようもなく逃げ出したい衝動にかられている。
やっぱり仲直りなんて……別にしなくても良いか。
どうせ明日で卒業だ。わざわざ一睡も出来なくなる程緊張してまで謝る必要は――
いやいや、待て待て!
真奈との思い出を、苦い思い出で終わらせたくないって、思ったはずだろ。
一度は覚悟を決めたはずだったろ。
なら逃げるな俺!
逃げるな!
逃げ出してしまいたくなる気持ちを何とか振り払おうと、俺はがばりと布団をめくり、思いっきり自身の頬を叩いて気合いを入れた。
「よし、気合い入った!」
気合いを入れ直した所で、もう一度今日の動きをシミュレーションしておこうか。
真奈にホワイトデーのプレゼントを渡す方法はこうだ。
クラスメイト達の目を盗んでこっそり真奈を呼び出す。
またクラスの奴等に冷やかされて、邪魔されるのは嫌だからな。
そして呼び出した先で先日買ったクッキーを渡して謝る。
うん、これなら完璧。
けど、どうやって真奈をこっそり呼び出そうか。
今日チャンスがあるとすれば卒業式の練習中だろうか。
出席番号順に並ばされる卒業式は、自然と真奈の隣に座る事が出来るからな。
クラス連中の目を気にせずに真奈に声をかけられる絶好のチャンス。
卒業式本番の明日は、時間的にも気持ち的にもきっと余裕はないだろうから、やはり本番前の最終練習――つまり今日呼び出すのが一番都合が良いはず。
今日のどこかで、真奈を呼び出す約束さえとりつけられればきっと全ては上手くいく。
上手く行くはずだ。
何度も何度も頭の中で繰り返したシミュレーション。
あとは実行にうつすだけ!
のはずなのに……
「あぁ〜、やっぱり緊張する。緊張し過ぎて死にそうだ。本当にこの作戦で上手く行くのか?上手く行くのか?!」
そう叫びながら、再び布団を被り直す俺。
緊張と言う怪物が、なかなか俺を解放してはくれなくて、いつもの時間になってもなかなか布団を抜け出す事ができなかった。
「ちょっと浩太、あんたいつまでも寝てるの。早くしないと学校に遅刻しちゃうよ」
そんな俺の部屋に、物凄い勢いと形相で母親が乱入して来る。
「あぁ〜うっせぇな、分かってるよ」
「分かってんならさっさと起きな!」
人が悩んでいる事など微塵も知らない母さんは、俺から布団を剥ぎ取ると俺の頭に拳骨を落としてグチグチ文句を言いながら去って行く。
母さんの剣幕に、俺の中に巣くっていたはずの“緊張”の魔物はあっさりその姿を隠し、緊張していた事がバカらしくなるほどいつも通りに、俺は学校と言う名の決戦の場へ送り出されたのだった。
***
――3月11日・1限目
全く予想もしていなかった、まさかの事態が起こった。
「………なんでだ? 何で真奈の奴がいないんだ?」
体育館で始まった卒業式の練習。俺の右隣には何故か真奈の姿がない。
頭の中で何度となく繰り返して来たシミュレーションは、早くもガタガタと音をたてて崩れて行く。
何故だ? 何故真奈の姿がここにはない?
学校を休んでいるわけではない。
だって朝のHRの時は確かにいたのだから。
じゃあ何故?
……もしかして俺、避けられてる?
俺の隣が嫌だから、卒業式の練習をサボったのか?
一瞬沸き起こったネガティブな思考に冷や汗が流れる。
だが冷静に考え直した時、その思考は直ぐ様間違いだと考え直した。
だって真奈は、そんな自分の都合や感情だけで授業をサボるような奴じゃないから。
あいつは、クソがつくほど真面目で、この9年間一度も学校を遅刻、欠席、早退した事がない。
たとえ38度近い熱があろうが、それを隠して登校して来た程だ。
そんなクソ真面目な真奈が、俺との関係が気まずいからなんて下らない理由で授業をサボる訳がない。
……じゃあどうして?
どうして真奈の姿がここにはないのか?
わからない。
わからないからこそ余計気になって仕方がない!
ふと、祐樹だったら何か真奈の事を知っているのだろうかと思い、左隣に座る祐樹をチラリと盗み見た。
……聞きたい。
祐樹に真奈の居場所を聞きたい。
「なぁ、祐樹?」
「どうした、浩太?」
俺が小声で話かけると、祐樹は不思議そうな顔をして返事をした。
「……………あのさ」
と口を開きかけた所で俺は思い留まる。
だって俺が知らないのに、真奈の居場所を祐樹が知っていたら――それはそれでムカつくから。
「やっぱり何でもない!」
「はぁ? 何で急にキレてんだよお前。意味わかんねぇ」
俺から話しかけておいて、祐樹に八つ当たった俺の態度に怒ったのか呆れたのか、祐樹はぷいと俺から視線を反らした。
結局、変なプライドが邪魔をして祐樹に聞けなかった俺は、真奈が不在の理由がわからないまま落ち着きなく、真奈の姿を探して体育館のあちらこちらをキョロキョロと見回すしかなかった。
「こら、浩太」
突然、後ろからげんこつが落ちてくる。
あまりの痛さに「痛っ!?」と大きな声を上げながら後ろを振り返ると、そこに担任の杉崎先生が仁王立ちしていて、鋭い目付きで俺を睨み付けていた。
「お前はさっきっから、何をキョロキョロしてるんだ。今は卒業式の練習中だろ。もっと練習に集中しろ、集中」
そうだ、先生なら何か知ってるかも!
注意されている事にも構わずに、俺は開口一番、先生に真奈の行方を訪ねてみる事にした。
「ねぇ先生、どうしてここに真奈はいないの? 朝は確かいたよね? 先生なら何か知ってたりする?」
「……はぁ、お前の落ち着きの無さはそれが原因か。真奈なら保健室だよ」
「え、保健室? あいつ具合でも悪いの?」
「あぁ、ちょっと朝、顔色が悪かったからな、HRの後に保健室に連れて行ったんだ。どうやら39度近い熱があったのに、無理して学校に来たらしい」
「39度?! どうしてそんなに高い熱があるのに無理して?」
「みんなと過ごす残り僅かの中学生活を、最後の最後で休みたくなかったんだとよ。皆勤賞もかかってたしな」
「は? 皆勤賞? それだけの理由で無理して学校に出て来たの?」
「あぁ。真奈らしいというか、本当に見てるこっちが心配になる程真面目な奴だよ。でも、卒業式前のこの大事な時に他の生徒にまで風邪をうつされたら困るからって、真奈を説得して今は大人しく保健室で寝ていて貰ってるってわけだ。どうだ、これで少しはすっきりしたか? あいつの事が心配なのもわかるけど、お前は卒業式の練習に集中しろ、良いな浩太」
それだけ言うと先生は、両手で俺の顔を挟みながら、強引に前へと向かせた。
「……………はい、分かりました」
先生の力業に逆らう事の出来なかった俺は、素直に返事をして前を向いた。
だが、返事はしてみてたものの、謎が解けたものの、やはり素直にすっきりしたとは到底言えない。
だって39度の高熱と聞かされて今度は心配で仕方ないじゃないか!
真奈は大丈夫なのか?
風邪で真奈がこの場に来られなくなった今、せっかく寝ずに考えた俺の計画は、一体どううすれば良い?
次々と沸き起こる疑問や不安要素が、気になって気になって、気になり過ぎて――
結局俺は、その後もそわそわしっぱなしで、何度となく担任の杉崎先生から注意を受ける羽目に。
あぁ……どうして最近の俺は、こんなにも真奈なんかに心を乱されているのだろうか。
自分でも訳がわからない感情の起伏に苛立ちを覚えながらも、取り敢えずはあいつの様子を見に、後で保健室へ行ってようという結論に落ち着いた。